二十四.軍事クーデター
天保十四年閏九月二十日未明、幕府陸軍参謀総長・三田中将を首謀者として天皇親政を目指す軍事クーデターの幕が切って落とされた。
クーデター軍の陣容は、陸軍第一師団から第六師団までの兵およそ三万二千、第一歩兵師団と第二歩兵師団の八千余そして第一機械化歩兵師団の二千五百、それに近衛師団の三千余の兵が戦闘体勢を整え一斉に蜂起したのである。
秋時、暁七ツ(AM3:07)代々木第二師団の空に起床ラッパが鳴り響いた。
山本進之助伍長はその音で目が覚めた、彼は上半身だけ身を起こし寝ぼけ眼で就寝所を見渡した。
その時、二段ベッドの上に就寝していた田原軍曹が梯子から転げ落ちる様に下り、「起床!起床!」と大声で叫びながら周囲に眠る者らを片っ端から揺り動かし、熟睡しているものは容赦なく叩いた。
山本伍長はベットより跳ね起き窓を見た、外はまだ真っ暗だ。
いつもなら起床ラッパが鳴る頃は、東の窓には薄らと明かりが見えるはずだが…今朝は未だ漆黒の闇に覆われていた。
この早すぎる起床ラッパに厄災の前触れを感じた、それは二日前の昼辺りから兵舎内に奇妙な空気が流れているのを肌で感じ取っていたからだ。
第二師団の裏庭に面した北側に第一連隊の兵舎は有った、その兵舎は未だ増設工事中で兵全員を収容するにはベッド数は完全に不足していた。
また他の第二・第三連隊もベット事情は同様で、第二師団全体として全兵の就寝を受容する能力は未だ無く、為に徒歩半時圏内に自宅有る者は通勤制とすることでその不足を補っていた。
ところが昨日の夕刻 師団の全門が閉じられ、通勤者の退勤が押しとどめられたのだ。
山本伍長は昨年まで市ヶ谷牛込の御徒組屋敷に寄宿する御徒衆で、蔵米取りの下級の御家人であった、それが今年の一月 陸軍が創設されるや伍長という階級でこの師団に配属された。
山本伍長の実家は品川の井上左太夫大筒稽古場の近くに有り、通勤圏内を大きく外れるため配属当初より兵舎内にベットが与えられていた、ゆえに門で押しとどめられた事態は知らず、就寝時に続々と兵が毛布を持って入ってきたことで初めて知ったのだ。
今朝に限り起床ラッパは鳴り止まなかった、床には兵達が所狭しと毛布にくるまれ足の踏み場もない、田原軍曹は次第に業を煮やし寝ぼける兵達には蹴りを入れている、山本伍長は日常訓練服を着込み入口へ向かった、するとそこへ鬼上官の牛田少尉が飛び込んできた。
「全員練兵場に集合!」と怒声に近い声音で命令が発せられた。
山本伍長は取り敢えず着の身着のままに練兵場に向かって走り出す、周囲を見ると上着を着ながら走る奴、靴ひもが結べず 人に踏まれて転ぶ奴、さながら火事場の避難者の群れである。
後ろから滝本兵長が「進ちゃん、これって一体何事なんかなぁ」と眠たい声で話しかけてきた。
この兵長は山本伍長より一歳年下の二十二歳で同じ市ヶ谷牛込の御徒組屋敷に寄宿していた同輩である、実家もすぐ隣で子供の頃は何処に行くにも後ろを付いてくる山本伍長の弟分でもあった。
「おっ、辰ちゃん…おまえ上着はどうしたんだ」
「それが…無いの、新兵が慌てて間違えたみたい」
「しかし辰ちゃん…最近急に新兵が増えたと思わぬか、また上官殿も妙にそわそわされておるし、最近どうもおかしい、まっ今から何ぞか訓辞があるのだろうが…」
決められた練兵所の整列場所に山本伍長と滝本兵長は前後して並んだ。
将兵約六千名が七千坪の練兵場に整列を終えた。
この師団の構成は三個連隊と二旅団を基幹とし、歩兵・砲兵・工兵等の戦闘兵科及び輜重兵等の後方支援部隊の諸兵科を連合した作戦基本部隊である。
練兵場中央前部は水銀灯に照らされていた。
暫く待つと「気をつけ!」と号令が掛かった。
落ち着いた足取りで師団長の川野光明少将が壇上に浮かび上がってきた。
山本伍長は川野光明少将を見るのはこれで二回目となり、五月初めの前師団長更迭の後任で赴任の際 歓迎閲兵式で見た以来である。
しかし右翼最後部に位置する山本伍長の立つ位置からは少将の顔は豆粒よりも小さく表情は全く読み取れなかった。
暫くして拡声器より少将と思しき声が発せられた。
「徳川幕府の正統性は、その天皇家から征夷大将軍という官位を授かる代理人としての権威にすぎない……」
ここまでは何とか聞き取れた、しかしその後は少将の声が低過ぎ山本伍長の耳にはしかとは届かなかった。
声は切れ切れに途切れ……、
「今より……年前……先代家斉様を補佐……老中松平定信様は天明八年八月……家斉公に奉り……御心得之箇条……こう叫ばれた……六十余州は禁廷よりの御預りもの……将軍と被為成天下を御治被遊候は御職分に御座候……大政委任論……それがどうであ……昨今の……も天皇家を蔑ろに致せし幕府の……三万石の禁裏御料地しか与えて……朝廷堂上衆ら……支給する三十石三人扶持という……堪え忍び、帝におかせら……その日を口に糊する極貧の……
また治世において……天保の大飢饉……その幕府の無策……全国で日々数千人が餓死し……打開策を立てない……豪商らによる米の買い占め……陽明学者大塩平八郎の提案……無視し、江戸に米の廻送……高騰、これが原因で……一揆や武装蜂起……各地で打ち壊し、収奪と破壊……される惨事と……生田万の乱も同様……。
海防に……異国船打払令を出したばかり……モリソン号事件で国際的紛争……西洋列強より……攻撃を……アヘン戦争……大清国の惨敗…オランダ船……したイギリス艦隊の来日計画……何と情けなくも昨年七月に打払令を廃止し天保薪水給与令を発令……幕府の弱腰を……政権維持……もはや無きに……このような……困難…………。
帝の正統性を脅か……革命によって……倒すべき……である。
よって三田中将閣下……大政奉還を成し……王政復古の大号令と……徳川将軍家独裁政治を打倒……帝の政府を……樹立し尽忠報国を目指す!。
これより千代田……行軍し徳川幕府を解体……他の師団は今や千代田の城に殺到中……我が師団のみが遅れを……末代までの恥辱……。
これまで儂が言った……異存有し……前に出られよ!」
ピーンと緊張する中、咳一つ聞こえない暫しの時が流れた。
山本伍長は幼い頃より父親に「京におられる帝への忠節を忘れてはならぬ」と教えられ、長じて水戸朱子学を 通った塾で勉学したこともあり趣旨は理解出来た、しかし周囲の兵らは何を言っているのかさっぱり分からぬといった顔で首を傾げるばかりである。
それにしても…幕府解体とは、なんと大それた事をと山本伍長は膝が思わず震えるのをどうしようも無く自失呆然の体で硬直していた。
その時うしろの滝本兵長が「進ちゃん…今の話、京の帝が上様にとって代わるって事だよね…でもこれって謀反じゃないの」と小声で話しかけてきた。
「どうもそうらしい、辰ちゃんこれはえらいことになるぞ…」
「進ちゃんどうしよう…戦になるの」滝本兵長は震えを帯びた声で山本伍長の袖口を強く握ってきた。
「そんなこと俺にもわからん、もう黙れ!」と邪険に袖口を払った。
その時拡声器より「よし!異存者なきを以て……よりかねて計画の……に事を運ぶ、士官は……の位置に着き……号令をかけよ!」
そのとき山本伍長の左手二十間先よりざわめきが起こった。
数人が口々に何かを叫び次第にその輪は広がっていく。
すると前列より士官官と下士官百余りが後方に走る姿が見えた。
叫びは次第に怒号へと変わり未明の空に轟いた。
その刹那、乾いた銃声が巻き起こった…時間は数秒であろうか。
すぐに静寂が訪れ、暫くして士官・下士官らに引っ張られた兵およそ五十名近くが最前列へと引き出されて行く。
また初めに大声で叫んでいたであろう兵数名は山本伍長の前を引きずられ右翼最端に運ばれていく。
引きずられる一人の兵は脚から血を流し口汚く何かを叫んでいるが聞き取れない、また沈黙に引きずられる兵は既に息絶えているのか…手はぐったりと地を掻いていた。
「進ちゃん…あいつ榮太郎だよ」
滝本兵長が指さす方を見ると、太股から血を流し下士官に引きずられていく大内栄太郎を認めた。
榮太郎は子供の頃は山本伍長らの喧嘩相手であった、四ヶ月程前 練兵場で十年ぶりに出会い同じ師団に配属されたのを知ったが…それ以降は特に会おうとも思わなかった。
それは榮太郎が子供の頃より家の家禄が少しいいのを鼻に掛け、山本伍長や滝本兵長を軽んじる性癖があり、正直久々に会ったとて昔の憎しみを思い出すだけで…それ以外何の感慨も涌かったからだ。
引きずられて行く榮太郎の肩章は曹長であった。
(歳は同じなのに自分より二階級も上…やはり家禄が上だと階級も上になるのか…)
山本伍長は、そんなどうでもいいことばかりが頭に浮かんでは消えた。
周りの兵達は息を呑んで引きずられていく兵らに道を空ける、目の前で見せしめの如く射殺されるのを見た兵らはこの事態に完全に呑まれ、自我を喪失した群衆のごとく誘導を受容する心理へと制御されていくのであろうか。
山本伍長はこの一部始終に震えながらも 上官らの騒乱処理の速さに舌を巻いていた、それは余りにも素早く 相当前より予想して何度も訓練を積んだ者にしか出来ない早業に見えたのだ。
「では、これ……事をなす、士官は号令を……」
この師団長の命令で辺りは騒然とした空気に包まれた、それはまるで生け贄を捧げ 気勢を挙げて戦に赴く戦士のように山本伍長らには映った。
最前列の佐官級が一斉に後方を向き「第一連隊 第一大隊四百三十二名はこれより戦闘装備を整え牛込御門を撃破し田安御門に突撃する、全員連隊棟まで駆け足!」
「第一連隊 第二大隊四百五十四名はこれより戦闘装備を整え、紀伊殿・尾張殿の江戸屋敷を急襲する、連隊棟まで駆け足!」
「第一連隊 第三大隊は……」「第二連隊……」「第三連隊……」「第一旅団……」「歩兵大隊……」「砲兵連隊……」「工兵中隊……」と次々号令が掛けられ整然と各連隊棟へ駆け足で移動していく。
山本伍長と滝本兵長は第一連隊第二大隊の第三中隊に属していた。
中隊長は元鉄砲百人組頭の筆頭同心であった石田中尉である、石田中尉の命令で第一連隊棟に駆け込んだ山本伍長らは、宿舎に走り戦闘野戦服に着替え重装備で身を包むと、小銃を捧げて棟前の広場に集合した。
石田中尉は馬上より点呼をかけさせ、第一から第五小隊で編成される中隊百十名が揃ったのを確認すると。
「これより我が第三中隊は第二大隊副官大橋少佐殿の指揮の下 紀伊徳川家上屋敷を急襲する、明六つ半 機関砲により門扉を破壊し突入する、よいか!くれぐれも流血は避けるべし、銃の威嚇射撃のみで敵を抑えよ、もし刃向かう者有れば足を狙え。
くれぐれも言うが敵を殺すべからず、これは三田中将閣下の本意である。
敵の戦意喪失のみを心がけるべし、各小隊長は前に出よ」
山本伍長らの上官である小隊長の牛田少尉が前に進む。
「これより実弾を支給する、兵一人につき弾倉五個である、小隊長は隊員分を受け取り各兵に支給せよ!」
「受け取り次第 第一小隊より出発する」
山本伍長は小隊長より実弾入り弾倉を受け取ると、腰の帆布製弾薬収容嚢に四個の弾倉収め一個は小銃に装填した。
「第一小隊から東門に向け、隊列を組んで全員駆け足!」
代々木第二師団から赤坂御門近くの紀伊家上屋敷までは およそ一里程度、今からだと明六つ半前には赤坂に到着出来ると山本伍長は読んだ。
行軍が内藤駿河守の屋敷前に差し掛かった頃、ようやく東の空が明るくなり景色が見通せるようになった。
山本伍長は前方を望んだ、行軍は先頭が見えないほどの長蛇であり、後方も同様である。
第二師団の全容がこれほどの数を擁していたとは正直驚き入って眼を剥いた。
数千人の兵が戦支度で行軍する様は関ヶ原以来であろうか、この数百年絶えてなかった戦をこの時代に己が体験する…山本伍長はまるで夢を見ているような感覚にとらわれた。
この時刻は辻に町人らが出てくるころ…しかし山本伍長が通過する町屋の戸という戸は固く閉じられ、往来には町人の影は無かった。
自走溜弾砲数門・機関砲や臼砲を山積みした自走荷車トラックが地響きをたて整然と千代田の城に向かって行軍する様は圧巻である。
町民らは恐れおののき行軍が絶えるのを息を殺して戸の陰で震え見守っているのだろうか。
第二小隊が外堀近くに差し掛かったとき、外堀沿いの路には赤坂御門前まで何処の連隊か分からねど兵およそ八百ほどがひしめき合い とても外堀路は通れる状態ではなかった。
第二大隊副官の大橋少佐は先頭を行く砲兵中隊新島中尉に対し、突き当たり手前の一辻目を右に迂回せよと命令した。
しかしその道はすぐに道幅が狭くなり先頭を進む二寸七分自走榴弾砲の両側は塀に挟まれ次第に閉塞状態に陥った。
大橋少佐はやむを得ぬとばかり「かまわぬからそのまま突き進め」と命じた。
榴弾砲の発動機は一斉に轟音をたて、両側の塀を毟り取る様に破壊しながら進み始める、後続の兵らはともすれば圧力で止まりそうになる自走式榴弾砲の後ろを一斉に押し始めたのだ。
紀伊家上屋敷の門前に着くや、直ぐさま榴弾砲と機関砲が門扉に向けて構えられた、この時、作戦通りに第四中隊の兵百二十名余は二分され西門と南門の抑えに走らせる。
第二砲兵中隊第二小隊の兵二十八名と第二大隊第三中隊の兵百十名が突撃の合図を待って正門前に待機する、その周囲には予め用意されていたのか…菊花紋が金色刺繍された錦の御旗が翻っていた。
その時、赤坂御門の方角より榴弾砲と思しき轟音が轟き、兵達の突撃喚声が上がった。
大橋少佐はそれを合図とばかりに「突撃!」と叫んだ。
機関砲二門が轟音を立てて火を噴いた、数秒で紀伊徳川家上屋敷の壮大な門扉中央部は木っ端微塵に吹き飛んだ。
「かかれ!」の合図で兵百名余が門内になだれ込む、山本伍長は隣で震える滝本兵長に「俺から絶対離れるな!」と叫び、喚声を上げながら門を突破した。
牛田少尉に続く田原軍曹・山本伍長・滝本兵長ら二十二名は門を突破するや左方向へと進んだ。
すぐに前方二十間先に寝間着姿の侍数名が抜刀してこちらに走り込んでくるのが見えた。
その形相凄まじく滝本兵長以下数名が尻込み状態に横に飛んだ。
牛田少尉の「威嚇射撃!」の叫びで前衛の兵数名が、走り込んでくる武士の足下近くの砂利道へフルオートで砂埃を上げる。
その轟音に武士らは一瞬怯み、二名は横に逃げ三名は後方に逃げた、しかし二名は走りの速度そのままに気勢を上げながら斬りかかってきた。
再び轟音が上がる、斬りかかってきた二人の武士はつんのめるように地面に突っ込む、二人とも脚を弾幕で薙ぎ払われたのだ。
小隊二十二名は狂ったようにのたうち回る侍を横目に逃げた敵の後を追う、転げ回る侍一人の片脚は膝から下がちぎれたのか、裸足の脚が奇妙な動きで踊っていた。
小隊一団は、詰人空間である家臣が住まいする長屋の東端まで走り込んだ。
逃げた侍らはこの長屋に入ったことは明らかだ、その時 西門を突破した第四中隊の兵二十名ほどが長屋西側に取り付いた、それを見た牛田少尉は第四中隊の兵に手で伏せろの合図を送った。
そしてじわりじわりと東西より長屋正面側へと躙り始めたとき、第四中隊の別動隊と思しき一団が南の生け垣奥より突出し長屋中央付近に走り寄ろうとしていた。
牛田少尉はそれを見て「引け!」と突出する兵に向かって叫んだ、その時である長屋側から火縄銃特有の腹に響く重低音が轟き、真っ白な煙が吹き出された。
中央部に殺到しかけた兵数名がつんのめるように倒れていく。
銃声に少し遅れ その煙の中から抜刀した侍二十人余りが喚声をあげながら飛び出してきた。
驚いたのは中央へ走り込んでいた一団の兵らである、思わぬ火縄銃の攻撃で前衛の数人が倒れ、視界が開けると同時に前面から怒り剥き出しの抜刀攻撃である。
引き返そうにも体制は前屈みに止まらない、一団は堪らず倒れるようにその場に伏せた。
しかし伏せた刹那 恐怖に忘我した一人の兵が狂ったように小銃を連射し始めた、それにつられ十数人の兵がつられるように一斉に引き金を引いたのだ。
この事態に驚き、牛田少尉は脱兎の如く飛び出した「打ち方やめぃ!、止めぬかぁ」の大音声をあげながら連射する前縁の兵一人を蹴り飛ばした。
それを見て兵達はようやく我に返り射撃を止めた、しかし時遅しである抜刀して突出した侍の一団は原型を止めぬほどに肉片は四散し、さながら屠殺場の有様になっていた。
牛田少尉は呆然と伏せる兵らの横に立ち、初発を放った兵を蹴り上げた。
「貴様ら!威嚇だけにせよと聞いたであろうが、この臆病者め!」
伏せた兵らはようやく立ち上がり、東西に控えていた兵らも走り寄ってきた。
屠殺場と化した長屋前の砂利道は血の池の如く真っ赤に染まり、ちぎれた肉片が方々に散らばっていた。
兵らは消沈し、その光景を呆然と見詰めた、辺りは血の臭いと内臓臭が漂い…兵の中にはその場で吐瀉する者もおり滝本兵長もその一人であった。
その時、各戸口が一斉に開き 中から老人に混じって女・子供らが飛び出してきた。
そして屠殺状態の肉親を見るや気が狂ったように抜刀して斬りかかって来たのだ。
牛田少尉は即座に「威嚇!」と叫んだ。
その声と同時に小銃七十丁余りが一斉にフルオートで天に向かって火を噴いた、その連射音は山本伍長さえ驚くほどの大音響であった。
飛び出してきた者らも今まで経験したことの無い大音響に呆然となり、戦意喪失の体でその場に座り込んでしまった。
そこへ子供らが飛び出し、座り込んだ者らに取りすがって泣き出した。
「全員そのまま奥へ突入!」牛田少尉は見るに偲びない思いで号令を放った。
七十人の兵は火縄で撃たれた味方、また座り込んで泣きじゃくる敵らを放置し奥へと走り始める。
滝本兵長は通り抜けざまに死臭漂う肉片に片手で拝みながら通り過ぎた。
後味の悪い初戦である、戦と言うよりそれはもう殺戮であった…刀や火縄に対し自動小銃の威力は桁違い以前であった…山本伍長はこの時、武士の時代はもう終わったと痛感した。
辺りには軽快な自動小銃音が時折聞こえ、喚声がそこかしこで上がっていた。
紀伊上屋敷北端から七十人の兵は一団となって南方大屋敷に向かって突き進んだ、途中向かってくる侍もいたが威嚇射撃のみで簡単に退けることが出来た。
気が付けば大屋敷・中屋敷を抜け裏門まで達していた。
「よし、これより武装解除のため元来た道を引き返す、よいか手荒なことは致すでないぞ!」牛田少尉は満足そうに小銃のマガジンを交換し「進め!」と怒鳴った。
広大なる紀伊徳川家上屋敷の急襲は四半時もかからず沈静化した、後は落ち着いて武装解除を済ませると紀伊徳川家の家来とその家族全員を大庭に引き出した、その数は何と九百六十三人を数え、大庭は虜囚でひしめいた。
双方の被害は、クーデター軍:死亡八人・重軽傷二十三人・逃亡者十八人。
紀伊家方:死亡四十八人・重軽傷五十二人・逃亡者百五十二人。
中庭に急造の医療テントが張られ、敵味方差別無く治療が始められた。
そして紀州藩主権大納言徳川斉順と正室鶴樹院、側室の実成院・お留井・八十子、次男家茂・菊姫・庸姫・伊曾姫は捕らえられ、代々木の第二師団本部へと護送されていった。
武装解除後、虜囚は重傷者を除き五日以内に全員国元へ帰るよう命令を下し、士官十人と兵二百を置き、あとの将兵らは第二師団の代々木へと帰還した。
代々木に帰着した山本伍長と滝本兵長はお互いの無事を喜び、また己の手で敵方の一人も傷着けずに済んだことが妙に心嬉しく感じた。
それにしても明六ツに出発し朝四ツ半(10:27)に帰還できるとは思いもしなかった、たった五時間余であの権威に満ちた紀伊徳川家の上屋敷を陥落させたのだから…。
代々木の第二師団には将兵が次々と各方面から戻り、兵舎際奥の大食堂は兵達で溢れかえった、そして兵らの武勇伝があちらこちらで得意げに飛び交い始めたのだ。
山本伍長と滝本兵長は食堂隅で大声で武勇伝を語る同輩を尻目に呆れ顔で飯を黙々と喉に通していた、しかし味は感じなかった。
御三家の紀伊徳川家、上屋敷・中屋敷・下屋敷を一気に踏みつぶし、また尾張徳川家も同輩より同様と聞いた。
思えば何と畏れ多い事をしでかしたのか…山本伍長と滝本兵長の家は代々御徒衆で二百数十年間 御家人として蔵米三十俵三人扶持を徳川様より頂いてきた、祖父母や兄弟の多い両家はこの藏米三十俵では家計を維持することは到底叶わず、家の庭は畑となり父母や年老いた祖父母らは内職に日々明け暮れていた。
しかし徳川家に恩は感じても恨みなど一度足りとて感じたことはなかったのだ、本日の鬼畜な行状を親たちにどう説明したら分かって貰えるだろうかと…二人はその思いに沈んでいた、そして厳格な父の顔を一瞬思い出し身震いした。
クーデターとは支配階級内部の権力移動の中にあって、支配勢力の一部が非合法的な武力行使によって政権を奪取することにあり、行為主体である軍事組織により臨時政府の樹立と直接的な統治を意図され行使される活動を言う。
クーデター組織それ自体は初期的に政治的正当性を備えた組織ではない、ゆえに迅速に国家の首都を部隊で占拠し権力の中枢に関与している指導的な政治勢力を排除するか、もしくは従属させることが重要課題であろう。
そしてクーデターの達成を確実なものにするため幕府勢力を削ぐ事は当然ながら、第三勢力(譜代・外様大名)による対抗や政治的介入を防ぐことも重要となる、故にこれら第三勢力の対抗意欲を完膚無きまでに喪失させる強大なる軍事力を見せつけ、速やかなる武装解除と安定期までは人質を取っておくことが肝要とされる。
また、解体された幕府在籍の武士団の面目と大衆の支持を獲得せんがため、速やかなる王政復古の証となる錦の御旗を掲げクーデター軍の正当性を主張、幕府に対する支持を無力化するは絶対必須であろうか。
正則は江戸城本丸中奥の御座之間に大本営を構えていた。
南に面した壁には府内の大地図が貼られ、またその横には徳川関連の全屋敷や幕府の諸機関、そして譜代・外様の各屋敷が表書きに記され、陥落させた諸機関・家名にはバッテンが記されていた。
クーデター軍は五年をかけ練りに練ったクーデターフローチャートに従い、確実に各個撃破していった。
正則はその大きな表の前に立ち、次々に寄せられる成果報告に基づきバッテンがどんどん増えていくのを満足そうに見つめていた。
それはまるで二十一世紀の衆議院選挙の選挙本部に似ているのは不思議である。
正則は正直これほど早く結果が現れ、体勢が決まるとは思ってもみなかった。
開戦して五時間半の昼九ツ(11:34)にはほぼ体勢は決していた、現在抗戦中は僅か三ヶ所の薩摩藩・仙台藩・庄内藩の三藩江戸屋敷のみで、抗戦終結は時間の問題と報告されていた。
この士気の上がる三藩中で譜代は一藩だけである…これも予想外であった。
徳川本家においても御三家中、紀伊徳川家のみは多少抗戦は有ったものの勝負にはならず、また尾張徳川家は正門の打ち壊しだけで恭順の使者が出てきた、水戸徳川家に至っては錦の御旗を見るや江戸家老が門外に出て、千を超える兵と装備を目の当たりにし自ら門を開いたほどである。
徳川二百数十年の権威に満ちた歴史とは…これほどあっけなく壊れゆくものなのか。
それとも崖っぷちに壊れゆく権威に、棹さし崩壊を早めたに過ぎないのか…。
あと数時間後にはこの江戸全府はクーデター軍が完全制圧するだろう、次は諸大名にどう恭順させていくかであるが…これも綿密に研究・検討された手順に従い処理していくだけであるが…戦は将棋と同様に終盤力の差で決まるもの、確実に詰みに持って行くプロセスを正則は再度脳裏に描いた。




