一九.皐月の雨
窓から濡れた風が緩やかに入ってくる、正則はその風につられるように窓辺に寄り 空を仰いだ、五月の空はどんよりと曇り 雨は昼を待たず落ちてこようと思われた。
目端に赤い色が流れ、正則は何気なくその色に眼を向けた。
校庭脇の竹垣が皐月の赤に染まっていた、無粋な男ばかりの学舎に不釣り合いな赤の色、皐月はおよそ二十株ほども赤に染まっていた。
「あのサツキは誰が植えたのだ…」正則は欣也に声をかけた。
「あれがサツキですか…はてあそこにあのような竹垣があったとは、それがし気が付きませなんだ…」
「お主という奴は…呆れるわ、毎日この試作室に来て今日まで知らなんだとは…」
「んん…このように窓辺に寄りて校庭を眺めるなど、これまで一度も無かったような…」
「お主も儂と同じよのぅ、もう少し余裕というものが必要なのかもしれないのぅ。
この四年間何かに追われるように只ひたすら走り続けた感はしきりだが、しかし儂の経験ではふっと息を抜いたときこそ新しき考案は生まれるというもの、お主 許すよって数日間休暇を取らぬか」
「有り難く仰せの通りに…と申したいところで御座りますが、伯耆守様 少々問題が生じまして…と申すは昨年春の大学創設と同時に入学した学生に進級試験を行ったので御座るが、情けなくも落第者が三割強と呆れる程の数字が出もうして、さてさてどうしたものかと途方に暮れる始末で…」
「何と三割とな、お主 難しい進級問題でも出したのか」
「いえ、普通に授業を受けておれば出来る問題とは存ずるが…」
「昨年創設時の入学者数はたしか百五十名ほどだったな」
「はい、工学部は 物理工学科三十二名 機械工学科四十八名 電気電子工学科二十三名、化学部は化学科十八名 肥料農学科二十二名 油脂学科十二名 両部合わせて計百五十五名が入学し、内 途中退学が十八名有り 進級試験を受けた者は特別進級者五十六名を除く八十一名が受けもうした」
「八十一名の三割ともうせば二十四名前後が落第ということか…んん、その程度なら何ら問題にもならぬではないか」
「いえ、問題はこれにあらず…その落第者二十四名の内 十二名の親が問題でして、いずれも番方・文方組頭様の御子息と幕閣お偉方の御子息で…先日も賄が贈られてきたり 落第するくらいなら退学させると恫喝が入ったりで教授の方々もどうしたらよいかと途方に暮れる始末で…」
「そうか…困ったものよのぅ、しかし役職を笠に着ての恫喝は許せぬな。
欣也殿、賄は丁重にお返しし後は無視で押し通せ それでも何か言うてくる輩には儂の名を出してもかまわぬゆえ退学させよ、責任は儂がとるゆえ」
「そう言って頂けますと助かります。やはり創設時に入学試験を致さなかったが悔やまれまする」
「でっ欣也、今年の新入生も百五十名前後と聞いたが内訳はどうなのじゃ」
「今年は幕府の御許しが有り御府内に住まいする一般平民にも門戸を開きましたゆえ七百二十三名もの応募が御座り、入学試験で百五十名の定員に絞りもうした。
内訳は、平民子弟五十三名、武家子弟九十七名となっており 入学に当たっては幕府目付衆の厳格な人別審査も平行して行われ、特に平民に関しては江戸御府内に三代定住する子息に限りという規定を設けました」
「そうか武士の子弟が多かったのだな、しかし入学試験を行ったとなれば来年は落第者の懸念は払拭出来るというもの、して 平民と武士の差別は当然しておらんだろうな」
「はっ、それはもう伯耆守様の御意思は充分反映し執り行っておりますゆえ御安心下さりませ」
「しかし学生数が増えれば指導者の数も増員しなくてはのぅ…以前儂が塾生の加藤幸司朗・稲沢欣也・小池一太郎・高須浩之助・前川寛光・杉江昭二郎 の六名が教授で 助教がたしか藤川誠之進・安藤平次郎・原祥一郎・大島一輝 の四名じゃったな…。
増員するとなれば部外者から幾人か招聘しなければならぬが…この日の本で教授を務められるは化学者の宇田川榕菴殿 しかし彼はもう御歳であるし、農学者の大蔵永常殿は蛮社の獄に関係有りし者、二宮尊徳殿は農学者じゃのうて農政家じゃったなぁ。
後は高島秋帆殿は投獄中…江川英龍殿はまず招聘しても来ないだろう、清水赤城殿あたりはどうであろうか…」
「伯耆守様、創設時の入学者の中に天賦の才と申しましょうか特に優れた者が二名おり、名は正司貴一朗と鈴木正次郎と申す者で、正司は化学に長け 鈴木は機械に天賦の才が有りこの一年で我々が教えるのも憚られる程の出来物になって御座る。
よって先月より助手として今年入学した者らの教鞭を与らせており、無理して招聘まではおよびませぬと心得ますが」
「そうか…お主が言うのならそれらは相当の出来物よのぅ…ん!、まさか鈴木正次郎とは…庄左右衛門殿の息子かよ」
「伯耆守様は正次郎を御存知でしたか」
「知らいでか、あのカラクリ好きの怠け者が出来物とはのぅ ククッこれは面白い、すぐ会うよって総長室まで呼んで参れ」
そう言うと正則は試作室のディーゼルエンジンをもう一度隅々まで観察し、欣也に机上の発動機図面を暫く借りるとことわり総長室に向かった。
正次郎に会うのは四年半ぶりだろうか…雪の降る日 九段坂の堀田摂津守の屋敷に行ったおり、庄左右衛門が屋敷の志津江に逢いに寄ったとき以来である。
暫くして総長室のドアがノックされた、正則はどうぞと声をかける。
ドアを開けて入ってきたのはあの正次郎だろうか、この四年で顔も大人らしく変わり 何と言っても体が一回り大きくなったと感じられた。
「兄いお久しぶりです」
やはり兄いと呼ぶは正次郎である、顔も昔のように青瓢箪でなく日焼けし精悍な面立ちになっていた。
「おお、よお来た 立派な面構えになったもの 見違えたぞ正次郎殿、それと学業もなかなかのものとか…嬉しい限りです」
「いえ、兄いも…いえ伯耆守様も最初にお目に掛かった頃より只の御仁に非ずと思っておりましたが この度は若年寄に御出世あそばすとか、いやはや親父殿も凄いとは思おておりましたが、世の中には上には上があるものよと常々兄と感嘆致しておりもうす」
「いやはや正次郎殿に言われると面映ゆい、それよりお主 カラクリ造りはあれからどうなったかの」
「はっ、あれより半年ほど走る人形を工夫いたしましたが…原理が解らず造ってもやはり物にはならずで、どうしても兄いに付いて一から勉強したいと考え、昨年この大学に入ったので御座る、なにせ入学試験が無いと聞きましたのでな ムフフ」
しかし当時は何も知らず たかが自立するだけの人形と侮っておりましたが、今思えば兄いが造った飛脚人形の技術の高さ…技術を知れば知るほど度肝を抜かれる技術で御座りまする、あの人形は今や大学の物理工学科でジャイロ効果の教材として使われているので御座いますよ」
「そうか教材にのぅ、儂はあの人形の真の技術が分かる者が現れるは十年も先の事と思おておったが…僅か数年で解る者が現れるとは、やはり大学を造って正解じゃったのぅ…しかしおぬしからその言葉を聞くとは思わなんだがのぅ、クククッ」
「兄い、何時までも間抜け扱いは勘弁してくださりませ、これでも二年生では次席なのですから」
「そうよのぅ、儒学・漢学はてんで駄目だったおぬしが工学にはこれほど長けるとは、親父殿もお主をさぞ見直したであろうのうよ、あと数年も頑張れば教授とて夢では御座らん、どうか努力して下されよ」
「有り難う御座りまする、それがしまだ授業の最中とて長居は憚られもうす、よってこれで御免被りますが、また近いうちにお目に掛かりとう存じまする」
「そうか、まだ授業の途中じゃったか それは悪かった、では頑張って下されよ、それと志津江がお主に会いたがっておるゆえ 近々にも我が屋敷に顔を見せてくれぬか」
正次郎は満面の笑みを湛え部屋から出て行った。
正則は正次郎の笑みを見て想った 人には向き不向きが有るものよと、正則とてもし経理営業など苦手な仕事を生業としていたならば…多分一生浮かばれず平凡な生涯を送ったやもしれぬと。
もし正次郎が技術に触れなかったら親父殿に馬鹿にされ冷や飯食いの余計者として一生を送ったかもしれない…人が天職にありつけるはどれほどの運・確率であろうかと正則は正次郎の顔を今一度思い浮かべ夢想した。
正次郎が帰ってから、借りてきたディーゼルエンジンの図面に再び眼を通す、しかし見れば見るほど問題箇所が目に付いてくる…確かに技術者として設計してはいけない禁じ手を欣也には数多く教えたが、彼はそれにとらわれすぎていた。
正則が禁じたのは未熟な技術者が陥りやすい設計盲点であり“何故禁じ手なのか”は欣也が育てば自ずから理解するものと特に言及はしなかった、しかし欣也ほどの技術者が未だにそれに気付かず 頑なまでに守っているのは寂しかった。
やはり技術は敬三郎の方が数段上に思えた、それは彼がどうして禁じ手なのか言われるままでなく理論を突き詰め実験をしてその禁じ部分の限界まで犯して物作りをしようと行動するからである。
技術者は禁じ手のぎりぎりの縁を渡らなければ人より優れた物は出来ぬし、コストダウンなど到底計れないのだ。
例えば図中のピストン長が径の1.5倍となっている、以前正則が摺動体の長さは径の1.5倍以上にすればコジリ現象は起き難いと言ったが…その通りに造っていた。
正則が言ったのは径のどの部分に集中荷重が掛かっても可という意味であって、ほぼ均一なガス受圧のピストンの場合であれば、実験をしてその限界短を求めるが技術屋であろう、多分敬三郎ならば思い切って金属摩擦角ギリギリまで短小化し、併せてシリンダー長も限界まで縮めていただろう。
また軸芯荷重しかからぬロッドが異常に太かったり、シリンダ・ポンプなどの肉厚を正則が決めた動的安全係数そのままを乗じたようで、材料降伏点を実際に試験し限界設計したとは到底思えなかった。
また配置上やむを得なかったかもしれぬが吸排気経路の曲がりが鋭く且つ断面積が不均衡、流体力学の理論無視も甚だしくこれで五十馬力も出せたとは奇跡に近いと正則には思えたのだ。
さらに図面を詳細に見ていけば問題・不具合箇所は数十カ所に上るだろうか…。
以前の正則なら一瞥して破り捨てる図面レベルである、この図はその拙劣さから欣也が描いた図ではなく多分学生が描いた図と見て取れる。
しかし検図・承認は欣也が行ったは確かなこと…。
やはり敬三郎と同様に欣也も工廠実践で鍛え上げるべきか、それとも理屈だけの学者で終わらせるか、正則は考え込んでしまった。
江戸に落ちる前の時代、正則がまだ四十代の頃 この様に部下に関し考え込んでしまうようなことはまず無かった、そんな部下は次の週には他の部署に飛ばしていたからだ。
部下の能力・技量は図を一瞥するだけで手に取るように分かるもの、教えれば解る奴…教えても解らぬ奴…それよりも教えねば解らぬ奴など設計屋になるんじゃない!、とさえ思っていたほどである。
機械設計でも建築設計でもアーティストである、画家の横に座って十年共に絵を描いて その画家の技量を凌ぐ奴、いくら描いても物にならぬ奴…確かに画家は技術やテクニックは教えるだろう、しかし物になる・ならぬは本人の器量次第だ。
それは、物になる奴は画家の無意識領域さえも洞察し、また画家のテクニックを凌駕する技巧を常日頃考案錬磨、そして最も必要なのは努力だけでは叶えられないアーティスト才覚、こればかりはどうにも教えようがないのだ。
正則は設計屋にアーティストの才なくば違う職業を選ぶべきと思っている、必ず彼に合う天職は有るはず、それを見て見ぬ振りをすれば彼はいずれ腐って行くしかないのだ、但し製図屋で満足できる者は話は別だ。
以前 欣也の仕上げの器用さには舌を巻いた、正則が十年やっても欣也ほどにキサゲ・ヤスリの腕は上達しないだろうと思え、故に技術に向くと思い彼には工学・数学・物理・化学を教え事実彼は見事にそれらを吸収していった、しかし手先が器用と設計の器量は別ものということに気が付かぬ正則ではない…それほど当時は人材に飢え盲いていたのであろう。
正則は図面をたたみ窓辺を見た、気付くと外は 静かに雨が降っていた。
欣也の勉強熱心は敬三郎を遥に凌駕しよう、多分パソコン内の殆どの技術資料は諳んじている程で、教授として今後学生にその技術を伝えて行く者としては彼は適任であろうと思えた。
(やはり彼に発動機構想や設計をさせ、実物まで作らせたは酷だったやもしれぬ…)
正則は畳んだ図面を持ち窓辺に寄った、そして先程のサツキを探したがこの部屋からは死角になるのか赤い色は何処にも見当たらなかった。
人材の飢えは見る目に死角さえ生じさせるものかと…降り落ちる雨垂れを見詰め正則は嘆息した。
学食で昼餉を済ませた主従五人は 深川の銃火薬工廠に馬を走らせる。
隊列は朝方大学に来たときと同様に、前後を親太郎と清一郎が守り 他の二名が左右を守って正則の四方を囲む形で馬を走らせていた。
雨は容赦なく顔を打つ、大学を出たときは霧雨程度であったものが両国橋を過ぎた頃より豪雨に変わった。
油紙で作った合羽は風に煽られ、隙間からは容赦なく水が染みこむ。
正則は仕方なく手を挙げ停止合図を送り、小笠原佐渡守の屋敷横にある「茶店・笹屋」の前で馬を止め下馬した、皆もそれに倣い正則を取り囲むように下馬する。
馬の手綱を茶店軒先の馬繋棒に繋ぎ、合羽の水滴を落としながら茶店に入いった。
茶店の中は雨宿りか いろいろな生業の町民が数十人も詰めかけ 座る場所さえ無かった。
一行は入口で合羽と笠を脱ぎ、入口横の釘に掛けて奥の火種が燻る囲炉裏端に向かった、しかしそこも濡れた着物を乾かす人足らが半裸で着物を火にかざし、昼間から茶碗酒を酌み交わしながら一人も入れぬよう大股を開いて騒いでいた。
「殿、羽織だけでけも脱いで下され このままでは風邪をひきまするよって」と親太郎が濡れた正則の羽織を脱がせに掛かる。
「すまぬ、しかしこの降りよう…止むであろうかのぅ、ううっ寒くなってきよったわ」
正則は下帯まで濡れているのが分かった、欣也が雨の成り行きが分かるまで大学で暫し御寛ぎ下さいというのを振り切って出たことを後悔していた。
「殿、震えているでは御座らぬか‥これは困った、あっ袴もこんなに濡れてしもうて」
「そう言うお主らも儂以上にずぶ濡れではないか」
「我等、殿とは鍛え方が違いもうす これしきの濡れ 何ということも御座らぬわ」
「此奴、抜かしおったな 風邪をひいても知らんからのぅ、ううっしかし冷えるな」
これを見かねたのか清一郎が囲炉裏を取り囲む人足らに声をかけた。
「申し訳御座らぬが…そこの方々、一人分だけでも隙間を空けてくれると助かるのだが…」
人足の一人が振り返った、筋骨逞しく陽に焼けた人足頭風の巨漢である。
巨漢は五人に一瞥をくれると「後から入ってきて其処を退けとは図々しいにも程がある、いくら御武家様でも遠慮してもらいやしょうか!」
そう凄むとプイと前を向き、他の人足らを突っついて馬鹿笑いを始めた。
清一郎はその小馬鹿にした人足の態度に激昂したのか前に一歩進み出た。
正則は慌てて清一郎の腰帯を掴んで後ろへと引いた。
「殿、此奴らの態度は許せませぬ、少々痛い目をみせぬと分からぬようです!」
「まぁ待て、もう少し待てば彼らの着物も乾くじゃろう さすれば席は空けてくれるだろうよ、無闇に騒ぎを起こすものでない、堪えよ清一郎」
と正則は言ったものの正則も人足らの理不尽な態度には些か腹は立っていた。
そのやりとりが聞こえたのか人足らの笑いが一頻り大きくなった。
他の客らは同様に濡鼠に震えているだろうが、人足らの傍若無人な態度に恐れをなし囲炉裏端に近寄ろうとさえしなかった。
人足らの背中をいまいましく見ていたとき、茶店の婆さんが正則らに茶を持ってきた。
「今日は急な雨で店がたて込んで申し訳御座いません、座るところも無いですが…せめて熱いお茶でも飲んで下され」と、五人に次々とお茶を配っていく。
「婆さん済まないね」と正則は言い、震えながら熱い茶を啜った。
「そこの御武家様…そんなに震えなさって、店奥に竈が御座いますのでそこで良かったら暖まって下さいまし」と正則の裾を引いた。
「これは済まぬ、では少しだけ暖まらせて頂きます」と四人には儂は鍛えておらんでのぅと笑い、婆さんの後に続いた。
奥は思ったより狭く三つばかりの竈に火がたかれ、一つの大きな釜に湯が煮えたぎり他の釜には甘酒と饂飩が煮えていた。
正則は婆さんに頭を一つ下げ、湯が煮えている竈の前にしゃがんだ…次第に震えが治まっていくのが分かる。
昔小学校での冬の授業 正則は腹を冷やして、先生にお腹が痛いと訴えたら給食室の竈前に連れて行かれ「一時間ここで暖まれば治りますよ」と、この様に火の前にしゃがんで暖まったことを思い出した。
正則の背中側で爺様が葱を刻む小気味良い音が奏でられている、出汁の香りと樹脂が焼ける匂い…その音と香りが正則を六十年前の幼き時代に誘う。
自然と眼が閉じられた…すると雪一面の目映い風景が現れ、微かに雪合戦の友の笑い声が聞こえたような気がした。
その時、正則の懐かしい想いを打ち破る大音声が店側より聞こえてきた。
何事で有ろうと正則は立ち上がる、すぐにも先日の急襲の恐怖が脳裏を過ぎった。
正則は竈横に立て掛けた刀を掴むと店側を見据え身構えた。
「ドスーン」床を踏み破る様な大きな音が轟いた。
正則は反射的に刀の鞘を抜き払った、それを見た爺様が婆様を守るように勝手奥へと逃げる。
正則は一瞬ブルンと震え、構えながらそろそろと店側へ足を踏み出す。
その時暖簾が強く弾かれ 黒い影が踏み込んできた、正則は思わず後ずさり刀を振り上げた。
しかしよく見ると親太郎である、これがもし賊であったならこの引きの速度では確実に刺し殺されていたはず…と、その間合いの悪さを推しはかった。
「親太郎、一体どういたしたのじゃ」と正則は恥じ入るように刀を鞘に収め、店と奥を仕切る丈の長い暖簾をくぐった。
「清一郎が切れ申して…」と苦しい顔で囲炉裏端を見た。
「おいおい、店に迷惑が掛かるであろうが、困ったものよのう」
囲炉裏端下の土間には半裸の人足三人が倒れて唸っている、一人は鼻血を流し一人は腰でも強く打ったのか小便を漏らしながら藻掻いていた。
そして囲炉裏端では清一郎に組み伏せられたあの巨漢人足が悲鳴を上げながら手足をジタバタさせている。
「清一郎、皆に迷惑であろう、もう勘弁してやれ」の言葉掛けた。
「此奴ら勘弁出来ませぬ、腕の一本なりとへし折らねば気が済まぬ!」と清一郎は巨漢を押さえ込んだまま、男の腕を力業で返し 膝で掌を押さえ込むと丸太のような腕を大きく振りかぶった。
それを親太郎が飛び込んで辛うじて封じた「お主本当に折るつもりか馬鹿者!」と清一郎を叱る。
清一郎は叱られて初めて我に返り、渋々巨漢より離れ正則が前に進んだ。
「此奴らこの拳銃を見て、最近の武士は短筒持たなきゃ外にも出られぬ腰抜けよ、と言われ…ついカッとなりもうし…」と言いつつ土間に転がる人足一人の脇腹を悔しそうに蹴飛ばした。
「まぁよい、堪えよ そなたほどの達人が人足相手に真剣になってどうするのじゃ、ほれお客さん達が怯えておろうが」
正則は客らに一礼して「ほれ囲炉裏端が空いたぞ、暖まらせてもらおうではないか」
そう言うと四人を促し、草履を脱いで囲炉裏端へ上がった。
巨漢は無様なほど怯え、這うように土間へ転げ落ち 仲間三人と半裸のまま転がる様に店から飛び出していった。
正則は清一郎の活躍を直に見たわけではないが 音からして数秒の出来事。
荒くれ人足三人を瞬時に土間へ投げ捨て 喧嘩慣れした巨漢人足頭の関節を一方的に決め、その太股ほどの腕をいとも簡単にへし折ろうとする清一郎の剛胆力量…剣を鍛錬すれば柔術にも通ずるのかと正則は正直舌を巻いた。
「あやつら飲み代も払わずに出ていきおった、殿 追いましょうか」と親太郎が正則に答えを求める。
「もうよい、儂が払っておくよって」
正則はこれ以上人足らをいたぶるのは哀れに思え 清一郎にも放逐せよと眼で制した。
茶店の婆さんが熱いお茶を入れ替えて持ってきてくれた。
「御武家様たち助かりました、あの人足らは最近この先の たか橋 の橋普請に来ている人足でして…。
気性が荒く橋を渡る若い娘さんをからかったり、通行人らに喧嘩を売ったりの狼藉放題、夜ともなればこの店に入り浸り酒代も満足に払わず凄んで脅しに入る始末。
橋番所のお役人様にお願いしても知らぬ振り、最近ではお客さんも滅法減り困っておりましたの、お陰で助かりました これに懲りてこの店にも当分近寄らないでしょう」と言い、団子を二皿置いて「お代は宜しいんですよ」と奥へ嬉しそうに引っ込んだ。
「おや団子まで頂いて…清一郎お主の手柄じゃ よいかお主一人で食うのじゃぞ」と言って正則は笑った。
茶を飲みながら雑談をしていると店先の障子が明かるくなってきた。
「おっ、雨はあがったようじゃ 皆の者そろそろ行くか」そう言って正則は立ち上がった。
そして皿が載った盆に一分金を置いて表に出る、空はまだ曇っていたが暫くは雨も降らない雲行きと思われた。
鞍を手拭いで拭いて跨がった、まだ下帯は少し濡れて気持ちが悪かったが工廠に着く頃には乾いているだろう思えた。
茶店での乱闘があった五月雨の日から四ヶ月ほどが過ぎ季節は夏から秋へと移ろい 清朝の敗戦が長崎からの早馬で知らされたのは長月に入ってからである。
八月二十九日、英国と清国は南京条約に調印し阿片戦争は終結した。
この条約で清は多額の賠償金と香港の割譲、広東、厦門、福州、寧波、上海の開港を認めるなど、その理不尽きわまる英吉利が蛮行は始末詳状記に纏められ早馬で幕府にもたらされた、この始末詳状記は読む幕閣らの肝を大いに冷やしたと水野越前守より聞く。
英吉利が犯した蛮行は、あの人足らと同様 ヤクザの所業である。
アヘンを密かに流し これを注意したら居直っての殴る蹴るの蛮行 挙げ句の果ては無差別殺人の暴挙、これに怯えて許しを請うと…胸ぐらを掴んで恐喝に打って出、縄張りをよこせだの詫び料払えだのやりたい放題、まるで昭和三十年代の広島抗争を描いた東映映画・仁義なき戦いと何の変わりがあろうか。
戦争とは所詮ヤクザの抗争と何ら変わらぬ、この抗争に勝つにはやはり武力以外寄る辺は無いと正則は確信した。
現代であればこのような蛮行は国際法なり国連、又は世界の警察と自認するアメリカが何とかしてくれるであろうが…この時代は己の力に依るしか無いのだ。
正則らは幕府陸軍創設を確固たるものとすべく、この阿片戦争終結を好機として「次は日の本に攻めてくる」と大いに幕府内外に喧伝した。
これにより四十万両もの陸軍創設予算の審議はあっさりと可決し、正則は来年一月に創設される初代幕府陸軍総裁職を約束されるにいたった。
これに先立ち水無月には若年寄に就任、石高七千石を賜り駿河守となり三田従五位下駿河守正則と名乗った。
この異例の出世ぶりは陰で今意次とも揶揄され江戸町民にまでその噂は広がった。
神無月の始め、庄左右衛門以下 正則のブレーン三十名ほどが幕府陸軍の組織作りに参画し老中水野越前守・真田信濃守、堀田摂津守らの他に多くの若年寄がこれを後援、いよいよ幕府番方の解体・再編成に着手したのである。
 




