十五.上様御上覧
明日の上様御上覧を控え、六日前より銃火薬工廠の式典担当班はその準備で大童である。
式典担当班の陣頭指揮は副工廠長の庄左右衛門が執り、工廠の講堂には上様御座所の上段と老中・若年寄・大目付・御側用人らの中段の控座が設えつつあった。
また上様より工廠員には直接労いの御言葉を賜るとて庄左右衛門は椅子に座っての拝謁は有り得ないと考え 板の間に敷き詰めるべく二十畳の畳を用意し、閣老着座の中段より五間ほど離した下段中央に畳を敷き詰めた。
そこに正則が現れた。
「庄左右衛門殿、ご苦労で御座る…おや、こちらの捗りは少々遅れているようですが…残りの畳はいつ頃届くのですか」
「正則様、畳はこれだけで御座るが…数が足らぬとでも仰せでしょうか」
「いや…工廠員は現在五百八十二名…全員を畳に収容するとなれば三百畳は欲しいところ、ゆえに後の畳はどうしたのかと聞いているのですが」
「えっ、上様より御言葉を賜る工廠員とは全員を指すので御座るか、儂は当然お目見え以上の布衣役に限られると考え、棟長兼役である御先手組頭十二名と鉄砲方二名の十四名で、畳は二十畳もあれば事足りると用意したので御座るが…」
「それがしは越前守様より工廠員という御言葉を聞いたよって、てっきり全員と思っていましたが、そうか…そういう捉え方もあるのか」と正則は首を捻った。
正則は老中より『工廠員』への御言葉と聞き全員を意味するものと思っていたが、庄左右衛門より御目見えという役分を持ち出され初めて(どちらだろう…)と迷った。
「正則様、肝心なことでは御座らぬか、勘違いでは済みませんぞ…これは困った」
庄左右衛門は呆れた顔で正則を見つめる。
普通に考えれば格式第一の将軍、間違ってもお目見え以下が将軍に謁見するなど有り得ないこと…だが…。
「越前守様は確かに『工廠員』と申した…お目見え以上であれば棟長以上と言うだろう…」
正則も困惑顔で庄左右衛門を見つめる。
「正則様、こうなったら水野越前守様に聞くより他は御座らん、棟長の光右衛門を本丸まですぐにでも走らせますよって、しかしもし全員となればとても三百畳など明日には間に合いませぬぞ…ほんに晋光院二百畳表替えの堀部安兵衛の心持ちじゃわ」
「申し訳御座らぬ…それがしがもう少し気が付きますれば良かったものを…」
庄左右衛門は正則の弁解を最後まで聞かぬ内に講堂を飛び出していった。
この時代に落ちて五年も経つというのに、未だこの時代の身分制度に慣れぬ正則である。
(やれやれ…畳三百畳など今更間に合う訳もなし、全員となれば工廠員には済まぬが板の間で謁見して貰うより他はないのぅ…)
正則は肩を落とし、講堂から製鉄棟に歩いて行く。
製鉄棟内は火花が飛び交い、真っ赤に溶けた湯が取鍋に注がれトロッコと昇降機によって次工程へと運ばれていく、また幾条もの麻ベルトコンベアが空中を走り、鉄鉱石・コークス・添加材を各炉に供給している、これらの動力源は設備毎に横付けが可能なレシプロ式蒸気機関である。
この棟のみは火花と煙、そして空気・蒸気の噴出音と蒸気機関の断続音、またビレットの圧延衝撃音などが相まって…さながら戦場の様相を呈していた。
上様の工廠上覧の【式次第】では講堂での上覧式典の後は工廠見学となっており 危険な火薬製造棟を除く全棟を見学されるとか…その後、銃器保管庫を見学されいよいよ試射場での自動小銃・機関砲射撃及び野砲射撃と おおよそ二刻の上覧予定になっていた。
(この製鉄棟を最初に見せるのはどうであろうか…私が見ても少々腰が退ける衝撃騒音と火花の景色…この時代 これを初めて見る御仁はそれこそ恐怖に駈られるのではあるまいか…)
正則は工廠棟の隅に目をやった、設備稼働中でありながら式典担当班の十人程が工廠壁に付着した煤や床の汚れをモップで拭き取ったり磨いたりしていた、それらに軽く会釈し続いて工作棟に足を向けた。
工作棟は製鉄棟に比べると静かなものである、あちらこちらで工作機械は稼働しているが殆どの工作棟員は今日だけは競うように己の担当機械をせっせと磨いていた。
しかし機械が増えたものと正則は思う、この四年で工作棟には隙間が無いほど機械が列び、これ以上の増設はスペース的に無理のようだ、それゆえ昨年の秋からは古いベルト駆動式の機械は逐次鍛冶屋らに払い下げ、新たに電動式の高精度工作機械に更新しつつあった。
機械場の隣は組立場である、木製架台には組立が完了し試射を待つ三種類の小銃と機関砲が数十丁ずつ整然と並べられていた。
自動小銃三千丁、軽機関銃一千丁、機関砲五十門は一次五カ年計画が終わる秋までには何とか間に合いそうである、ただ心配なのは大砲製造である…今のところ二寸七分榴弾野戦砲三門が辛うじて出来たに過ぎない、秋までに三十門の計画であるが…この分だと殆ど不可能と思えた。
工作員が砲造りに慣れてきたとはいえ月三門が限界…あと半年でせいぜい二十門が精一杯といったところか…。
物思いに耽りながら砲の組立場に回る、ここは殆どがらんどうであった、砲は試射を終えた二寸七分榴弾野戦砲三門と現在組立中の二門があるだけで組立場の七割は空き地状態である。
敬三郎が正則を見つけ駈けて来た。
「工廠長、明日の式典の御見回りで御座るか」とにこやかに聞いてきた。
「敬三郎、試射済みの三門の点検結果はどうであった、故障などは見当たらなかったか」
「はっ、砲腔・薬室ライナー・油圧ランマともに異常は御座りませぬ、ただ駐退復座装置のシリンダーに液漏れが認められ…溶接部のひび割れと判明したため肉盛り修理を施しもうしたが…」
「ロール曲げシリンダーか…やはり継ぎ目の溶接が甘かったか、それは一門だけかのぅ」
「はっ、他の二門には異常は御座りませぬ、あと改造の件で御座るが排莢の蹴子爪の掛かりが甘く先日弾倉内の次弾と排薬莢が干渉致しましたゆえ三門ともに爪の支点位置を内側に移動し薬莢後部抽筒板への喰い込みを強くする改造を致した次第です」
「そうか、排莢に不具合が有れば実戦時には使い物にならぬ砲となるでな、それと以前から申し付けておいた砲口制退器(muzzle brake)は明日の上覧には間に合うであろうのぅ」
「もう少しで砲に取り付けることが出来もうす、これで砲の跳ね上がりは完全に抑え込むことが出来ましょう、なお砲口制退器には消炎機能も付加させておりますので連続射撃時の視界確保には効果は高いと見ております」
「そうか…いよいよ完成だな、敬三郎よぅやった褒めてとらすぞ、明日の撃針拉縄引きは貴公と左太夫に任せるよって 見事一発で的を破壊して見せよ、その為にも今日の内に象限儀座の水準器を水準模範に正確に合わせておけよ」
「はっ、ようわかっておりまする、明日の上様上覧ではきっと一発で仕留めてみせます」
敬三郎は背筋を伸ばし敬礼でもするように正則に頭を下げた。
正則は満足そうに頷き工作棟を後にした、そして次は左太夫のいる弾体実装棟へ歩いて行った。
工作棟を抜け一旦外に出る、朝の陽光が眩しく今日は初夏の到来を感じさせるような暖かい朝であった。
もう5月になるのだなぁと思いつつ空を見上げる、空には僅かばかりの雲は見えるが風も微風で海も穏やかだった(この分だと明日の上様上覧の際は穏やかに晴れるだろう)と正則は嬉しく思う。
二町ほど歩いて弾体実装棟の入り口に着いた、大きな鎧戸を開け中に入ると大音響の叱責声が聞こえた…左太夫の声である。
声の方に歩いていくと左太夫の前に三人の工廠班長が土下座させられ、その前で左太夫が顔を紅潮させて何やら怒鳴っていた。
正則は足早に近くまで進むと「左太夫殿…いかが致した」と問うた。
「あっ、伯耆守様これはどうも…」
「何を朝っぱらから怒鳴っておるのじゃ」
「いや どうもこうも…これを見て下され」
と、左太夫は薬莢3個を正則に手渡した、よほど強く握っていたのか薬莢は妙に熱かった。
「これがどうかいたしたのか」
正則は薬莢を触ったり透かしたりしながら問うた。
「雷管をご覧下さりませ、少し飛び出ておりますでしょう」
「そういえば若干出ているような」
「工作棟の敬三郎めが…昨日 この儂に何と言うたか、こんないい加減な実包で戦が出来ますか…とな、儂は頭に血が上って昨夜から此奴らと寝ずに五万発の実包と 行程途中の七千個の薬莢を調べたら…案の定こんないい加減な薬莢が見つかったので御座るよ、儂は面目を失ないもうした……。
この雷管の圧入不良が原因で試射中の小銃機関部に薬莢が引っ掛かり…作動不良を起こした由に御座る…あぁぁ情けない、此奴ら…手討ちにしても飽き足らぬ、ええいどうしてくれようか」
と左太夫はいつもの癖なのか脇差しに手を掛け三人を睨んだ。
「左太夫殿、出来た不良は致し方なし、これを肝に銘じ今後いかようにしたらこの不良を撲滅出来るかを考察せねばのぅ、雷管圧入の作業標準・検査標準と通止めゲージの策定をすぐにでも進めて下され」
「わかりました…おいお前ら もう行ってよし、今度このような不具合を出した胴と首が離れる事をよぉく肝に銘じておけ馬鹿者!」
正則が仲介に入ったことで振り上げた矛を下ろすきっかけを得…左太夫は安堵したように正則に微笑んだ。
「工廠員が急増し…教育が追いつかぬが正直なところ、彼奴らを怒ったところで奴らにしてみれば何故怒られたのかも理解してはおらぬのよ…ほんに伯耆守様良いところにおいで下された」
左太夫の言うことは理解出来た、正則とてこの時代に落ちて数年の間…品質の概念、規格遵守概念の浸透にどれ程苦慮したことか…正則はそれが昨日のように思い出された。
実際、今でこそ苦言を呈す左太夫本人も頭が固いというか…正則が教えるに苦慮した者の内の一人だったのだ。
「左太夫殿、話は変わるが 来月頭に予定されている組織指揮管理活動報告会に向けての報告書作りは進んでいますか」
「はっ、先期末に掲げ申した指揮管理活動目標の四半期分は上首尾に進んでおり、また予算削減目標も先期比較の二割減で推移して御座るが…如何せん出来高実績が伴いませぬ、つまり合理化が遅々として進みませぬのじゃ…。
出来高は毎月書類で副工廠長に提出いたしておりますが…そうですなぁ、これまでのところ…ざっとですが二分実包二十六万発、二分五厘実包八万発、六分六厘炸薬弾と徹甲弾の実包それぞれ五万発、二寸七分溜弾実包二百発…そんなところで御座ろうか」
「まだまだ五カ年計画の計画出来高量にはとても及びませぬのぅ、左太夫殿 期末までに間に合いますか」
「組立工を増員し鋭意努力いたしておりますが…如何せん生産の殆どが手作業に依存しているが実状、小銃弾は何とか間に合いもうそうが…機関砲弾と二寸七分溜弾については火薬の生産量と薬莢生産量が遅々として進みませぬ、何か手を打たなければ計画にはとても間に合いませぬ」
「火薬の方はやはり硝酸・硫酸の生産量でしょうね、そうとなれば白金触媒は必須条件…長崎辺りで輸入調達の可能性を打診するか或いは国内で極少量だが採れないこともないでしょう、上様の御上覧が終わったなら皆を集め相談致しましょう」
「わかり申した、それがしも生産方式合理化案を至急策定致しもうすよって また相談にのって下され」
正則は頷いてから二分実包(正確には5.56x45mm NATO弾を模したもの)の生産ラインに目をやった、およそ二十間ほどのラインが三ライン配され、一ラインに三十名程が就き 慌ただしげに作業をしていた。
ラインと行っても現代のようなスラットコンベアラインとかフロートチェーンコンベアラインにはほど遠く、小さな車輪が着いた治具パレットに必要部品を並べその上で順次組立を行い、完了順に左側担当者へ手で送る方式であった、またラインは一方通行でなく行ったり戻ったりで構成上の合理化余地はまだまだ残されていると正則は感じた。
それでも昨年の夏頃まで行っていた一人で最初から最後まで組立てる工法に比べたら現在の一人一工程方式の方が断然早く生産量は五割ほど伸びたのだ。
(システムを見直せば…まだ倍以上は望めるな、しかしこの様な簡単な単純作業に働き盛りの男性を使うのは余りにも勿体ないと思うのだが…)
この工廠だけでも見渡せば百五十人余りが働いている、この工廠棟だけは武士は棟長と班長のみで後は肌が日焼けした逞しい近隣の漁師や百姓の息子らで占められていた、確かに給金は安いが…それでも庄左右衛門に言わせれば野菜作りや漁に出るよりこちらの方が実入りはずっと良いとか…それは別として何と勿体ないものよと正則は逞しい男達を見て思った。
その単純作業とは以下の如くである。
一.一分(3mm)径の雷管キャップの内側に雷汞(雷酸第二水銀)を装入する。
二.その上に一分径に抜いた厚手和紙プロテクティブディスクを乗せる。
三.その上に三つ叉一分径に抜き凸形状にプレスした金床板アンビルを乗せ雷管キャッ プ内側に軽圧入する。
四.出来た雷管プライマーを薬莢底部の雷管ポケットにハンドプレスで圧入する。
五.発射薬パウダーをハカリで正確に計量し、注ぎ用にプレスされた銅製皿に入れる。
発射薬はシングルベース火薬で、ニトロセルロースだけを基剤として膠化剤、安定剤、
緩燃剤、焼食抑制剤、消炎剤を添加した無煙火薬、静電気防止のために黒鉛光沢処
理を施されているので外観は黒色の顆粒状である。
六.薬莢の開放部を上に向け、銅製皿に盛られた発射薬を注ぎ込み軽く突き込む。
七.弾丸ブレットをハンドプレスで薬莢開放口へ規定高さに圧入する。
雷管・弾丸の圧入時には湿気防止のため気密用として膠に多めの明礬を溶かした封
止礬水を少量塗って圧入する。
この組立工程で最低七名の作業者が必要である、しかしこれに補助が各一名付いて十四名、一ラインは二組で形成されるため二十八名、さらに材料供給係と治具返送係及び完成実包箱詰め係に運搬係…計三十四名で一ラインが形成されていた。
この生産量ならば今の半分の作業員で充分事足りると正則は見た、つまり作業構成の見直しと工程の合理化で倍の生産量は達成出来るということである。
正則は振り返り左太夫に「まずは貴公なりの合理化案を出して下され、それを皆で検討しようではないか、また二分実包ラインの生産目標として今の人数で倍の生産量を確保する方法も案出して下され、よいかな」
「倍ですと……」左太夫は目を剥いて絶句した。
それを尻目に弾体実装棟を後にして試射場へと向かう。
試射場では多くの人足が慌ただしく幕張や床几を並べており、また簡易砲台として二門分の円形煉瓦座が組まれ、その周囲を数人の人足が土固めを行っていた。
また海側半町先(54m先)の湿地帯には高さ一間 横十七間の棚付きの塀が築かれていた。
その塀は丸太組で縦に五段の棚が配され、その棚に五百余枚の古瓦が立て掛けられつつあった。
これは二分口径自動小銃の試射的であり、明日の上様上覧で三段構えに射手を配置し六十丁の自動小銃(アーマライト社 AR-18アサルトライフルを模した銃)で五百枚の瓦群を瞬時に粉砕しようと用意させたのである。
自動小銃は三十発の弾倉が取り付けられ、六十丁×三十弾=千八百発を数秒で撃ち尽くし、アサルトライフルの弾幕威力を多くの見学者に知って貰おうと敬三郎の提案によって急遽用意されたものであった。
また六分六厘(20mm)機関砲用の的として煉瓦で造られた縦一間×横四間の塀状に成した的もその横に築かれつつあった。
正則は目を凝らしその作業状況を見ていると、一羽のカモメが甲高い鳴き声を発し耳元をかすめた。
正則は微風に羽ばたきもせず滑空しながら遠ざかるカモメを見つめる。
刹那、この情景と全く同じ感覚を昔 経験した想いが蘇り…正則はその記憶を辿った。
(そうだ…幼い頃初めて海を見たときカモメが耳元をかすめたんだ)
そのときも羽ばたきもせず強い風に静止するカモメを何故か不思議と感じたのだ、凧の様に糸の引きもなく空中に静止する不思議さ…。
その時大空に進駐軍のP38ライトニングが銀色に双胴を輝かせ飛び去っていった、それまで何気なく見ていた米軍戦闘機が、カモメの不思議さと相まって素晴らしい飛翔体と思えたのだった。
その日…家に帰りすぐ手に取ったものは父の書棚に有った木村秀政著の模型飛行機の理論(昭和五年発行)という本である、その日以来この本は正則の愛読書になった。
小学生の正則にとって漢字もひらがなも古く読み難い専門書であったが少しずつ読み進めていく内に自然と理解出来ていくのが嬉しかった。
本を読み終わり正則はすぐに設計と言うにはほど遠いかもしれないが十日をかけて図面を描き上げた また計算は父に教えて貰い、丸胴で翼長1200mm・翼型はクラークYの模型飛行機を造った、そして近くの神社の参道で飛ばしたのだ、それはゴム動力でありながら優に100m以上も飛翔した、そのときの感動は今も深く記憶に残っている。
それ以来…何機の模型飛行機を造ったろうか、「ゴム動力に始まりゴム動力に終わる」と言った父の言葉が思い出される、確かにその後 Uコン・ラジコンと幾多の大会に出場し何度も優勝したが…二十歳を越える頃には結局またゴム動力機造りに熱中していた、それは力業で飛ばすエンジン機より、航空理論に忠実な低動力ゴム巻き機の方が面白いと感じたからだが…そしてその後は模型グライダーの妙味も知りそれへと傾倒、結局は模型より実機が作りたいと航空機製造会社に就職を決めたのだ。
正則は海を見ながら知らぬ間に過去の想いに耽っていた、その視野に瓦を立て掛ける人足の動きが目に入り、夢から覚めた感覚に我に返った。
俺は…今何をしているのだろう、いや何をしようとしているのか…。
武器を造っている、それも何万という人間を殺せる武器を、それを造ってお前は何をしようというのだ。
航空機を造るため工作機械を造り始めたのではないのか…しかし気がつけば武器を造っている、庄左右衛門・光右衛門・左太夫の感化なのだろうか…いや違う、数百トンの金属塊を空に浮かせる航空技術の妙味…それと目視に堪えない遥遠くの土塁を一発の砲弾で消し去る妙味…一見全く異なる事柄なれど俺の心の内では完全に同化している、これら二つは人間の考え得る技術妙味の極地と言えるから…いや違う他にも技術妙味の極地などはいくらでも有るではないか…。
正則は首を捻った、どうしてこうも武器造りに興味が涌くのかと…武器は人を殺傷するために存在する…などとは考えずその殺傷機構を日夜工夫している自分、概ね技術屋とはその様なものと正則は想いを打ち切った、アルフレッド・ノーベルもF.アーベルも、またミニエーもガトリングも人を素早く大量に殺したいから一生懸命ダイナマイトや銃砲を工夫したのではあるまい、ただ工夫妙味を得たいがために行ったのだろうと、それを人がどう使うかを考え多少なりとも躊躇はしただろうが、それよりも工夫妙味が勝ったのだ…俺のように。
そう考えていく内に正則は次第に恐怖に駆られてきた、技術の妙味を得たいが為に殺人兵器を無造作に造り出している…。
正則は思わずブルっと震えた、そして遙か彼方の品川沖を見つめた。
目を凝らしても見えないが品川と深川の中間点に今 千石船を繋留しつつあるのだろう、それは二寸七分榴弾砲の的としての繋留である。
正則は目を凝らしたとき…己の精神の異常性を少なからずも認知した、しかし同時にその想いに蓋をした、俺は技術妙味を得るだけに武器を造っているのでは無いと…。
(用意はほぼ調った…いや畳の件が残っていたか)正則は海を見ることはもうやめ後方を振り返った、砲台の完成度を確認しそして工廠長室へと足を向ける…歩き出したときには既に先ほどの想いは完全に脳内からは消失していた。
工廠長室に戻ると大目付の跡部信濃守と庄左右衛門がなにやら小声で話していた。
「跡部様、庄左右衛門殿と何をお話ししているのですか」
「おおっ、伯耆守殿参られたか いやなにいつもの南町奉行のことじゃよ、何やら庄左右衛門がここで鳥居めに辱めを受けたとて…その愚痴話を聞いておったのよ」
この大目付 跡部信濃守は老中首座水野忠邦の実弟である、この跡部良弼は旗本の跡部家に養子入りしたが、兄の威光を背景に周辺とのトラブルは絶え間ないという。
駿府、堺の両町奉行をへて大坂東町奉行となったが、在任中には米価が暴騰し、多数の餓死者が出たというに打開策を立てることもなく豪商らによる米の買い占めを傍観し、与力で陽明学者の大塩平八郎が提案した救民計画を無視、江戸に米の廻送を命じ米価はますます高騰したという。
そして大塩平八郎の乱後も跡部は咎められることなく大目付を経てのちに勘定奉行に栄進している。
そんな彼は、天保の改革を失敗した兄・水野忠邦が失脚した後も なんと政治的命脈を保ち続けたというから強運の持ち主と言うべきか。
正則は昨年の春、水野忠邦の引き合わせでこの跡部信濃守と昵懇の間柄になった、正則より丁度一廻り上の年配者であったが、同僚と話すように正則には妙に親しげであった。
この男は兄が重用する鳥居耀蔵とは反りが合わず常日頃から敵対関係にあった、故に庄左右衛門の鳥居に辱めを受けた話しなどは…さぞ憎々しげに聞いたのであろう。
「三田伯耆守様、大目付様と本丸に走った光右衛門が丁度入れ違いになりもうしてのぅ、例の工廠員拝謁の件…大目付様が申されるは やはり布衣役以上の者でしたわ、ほんに取り越し苦労を致しました」
「さようか、これは済まぬ事を…」正則は庄左右衛門が三田伯耆守様と言ったのを初めて聞いた、庄左右衛門もやはり他人の前では身分制度には忠実なんだと妙に感心した。
「ところで跡部様…今日は何用でこんな遠い工廠までご足労されたので御座ろうか…」
「伯耆守殿、何用は無かろう 明日の上様上覧の下検分じゃよ 今頃儂の手下が各工廠を検分して御座ろうよ、いやなに形式じゃて兄上が鳥居めではあてにならんとて儂を走らせたのじゃが…と言うか、儂もそこもとに久々に会いたくなってのぅ、元気そうで何よりじゃ」
「そうでしたか、でっ見られた感想はどうで御座りましょう」
「いや、まだ全てを見た訳では御座らぬが…ただ驚きいるばかりですわ、改めて伯耆守の天才ぶりが伺われるというものです、いやしかし凄いの一言ですな 明日の上様上覧が楽しみですわい」
それから一刻ほど二人の談笑は続き、昼餉を済ましてのち跡部信濃守は部下の目付らを伴い再び工廠の検分に出向いていった。
翌日、講堂においての厳かなる上覧式典が何事も無く無事終わり いよいよ工廠見学となった、上様は歩いてゆるりと見たいと申されたが…老中らが無理にも御輿に乗せ、四半時遅れでようやく工廠見学に出発した。
まずは講堂に近い製鉄棟から始め、順次 工作棟・銃器保管庫・化学棟・薬莢雷管成形棟・弾体実装棟へと見学は進められる。
警護には目付、南北町奉行及び閣老らが輿の前後に付き、先頭・後尾を御先手鉄砲組と弓組の与力同心ら百名近くが警護に当たった。
その行列は六十間近くにもなり、先頭が製鉄棟を出る頃に最後尾がようやく製鉄棟に入るという長さであった。
そして杞憂していた製鉄棟での上様は、近代化された各設備の稼働状況に驚き、輿から膝立ちされ興奮を隠すことなく魅入っていた、しかし多くの閣老らは壁際に逃げるように腰を屈め自然と急ぎ足になっていくのを南北両奉行がそれを抑えた、南北両奉行とは遠山左衛門尉景元(金さん)と鳥居甲斐守忠耀(耀蔵)である。
上様は製鉄棟を出られても興奮は隠せない、輿のすぐ横に従う正則に「伯耆守、実に見事じゃ これほど凄いとは思ってもみなかったぞ」と連発し誉めそやしたのである。
次の工作棟の工作機群にも眼を剥き、組立完了の小銃をもてと目付に命じ、それを手に取り正則に仕様・諸元をつぶさに聞き、構えて撃つ真似をしたりして興に入っていた。
そして砲組立場で二寸七分榴弾砲を見た瞬間、上様はとうとう周囲の制止も聞かず輿を降り、榴弾砲に走り寄ると砲口に廻りそれを覗いた、驚いたのは砲の近くに控えていた敬三郎らであった、突如の上様の接近で尊顔を拝するのは恐れ多いとて逃げることも叶わず…その場に倒れるように土下座し、額を地に擦りつけたのであった。
上様は砲の廻りを何度も回り、油圧ランマ・復座駐退装置を直に手で触れ、正則を手招きして小銃と同様に正則が説明する仕様や諸元に聞き惚れていた。
「伯耆守、これがお主が工夫した野戦砲か、ふむぅ…実に見事じゃ これは儂の見知っている大砲などとはもう別物じゃ、もはや絡繰りそのものじゃのぅ…見事じゃ、試射が楽しみじゃのぅ」上様は満足そうに頷くと、平伏に畏まる正則の肩を抱いて立ち上がらせ「これから後は平伏不要、聞き取り辛うなるからの」と仰せ、輿へと戻って行った。
それを見た耀蔵の目は羨し光りに流れ、握り拳が震えていた。
上様の興奮を隠さぬ興入りはその後も続き、銃器保管庫・化学棟・薬莢雷管成形棟・弾体実装棟へと順次見学は進んでいく、特に銃器保管庫内の夥しい新式銃の数に眼を剥き「頼もしいかぎりじゃ…これで恐れるものは何もないぞ!」と仰せられ満足げに何時までも見ていた。
見学は一刻の予定であったが…半時も延長してしまった、閣老らは実射演習見学は割愛しようとの意見に纏まったが…上様はこれを聞かれ一蹴、続けよと命じられた。
これに喜んだのが左太夫と敬三郎である、一生一世の晴れ舞台…割愛と聞いて落胆の極みに涙さえ浮かべていたのだ。
試射場では幕内中央の床几に上様が着座され その両翼に閣老らが居並んだ、上様の「始めよ」との御言葉で六十名の濃紺に統一された軍装に身を包んだ鉄砲組同心が自動小銃を肩に掛け整然と行進し、伏せ・膝立ち・立ちの一列二十名、三段構えの総勢六十名が陣形を組み照準を海側半町先の瓦的に合わせた、そして正則がその陣形の側方に立ち、上様に一礼し「撃てぃ!」と大声を発した。
六十名はその合図で一斉に引き金を絞る、辺りに轟音が響く…その音はバーンでなくブーンという音に聞こえる、それほどの高速周波音となり瓦群は瞬く間に消し飛んでいった。
轟音は数秒で終わった、瓦五百余枚は見事にかき消え、丸太棚のみが現れていた。
それを見ていた上様始め閣老らは唖然と息を呑み、目を見開き暫し声も出なかった、そして最初に声を発したのは上様である「見事じゃ」と三回繰り返し溜息をつかれた。
次ぎに機関砲の実射である、機関砲はスイスのエリコン社が開発したものを模した砲で、バネ式の駐退復座機がついた重揺架の上に据えられていた。
性能は毎分250発を初速820m/sで撃ち出し、最大射程は4,400mである。
その機関砲二門には二名ずつが取り付いた、一名が射手でもう一名が弾帯補助である、弾はそれぞれ百発で炸裂弾が弾帯に装填されていた、
射手二名が煉瓦塀に向け的を絞った、次いで正則の射撃合図で引き金が引かれた。
またもや轟音が辺りに木霊す、その音は先の軽快音とは異なり腹にずっしり響く重低音の響きであった、射撃時間は二十数秒で終わり静けさが戻る、実射を見た者はその恐ろしいほどの破壊力に舌を巻いた、あの厚い煉瓦塀が瞬く間に吹き飛ばされ…今は土台を残すのみで煉瓦は完全に消失していたのだ。
見た者は誰しも想像する、この砲が人馬に向けられたなら肉体は完膚なきまでに四散するは必定…例え物陰に隠れようとも物陰ごと破壊し尽くすだろうと…。
この世に何と恐ろしげな武器が出現したのであろうと全員が震撼したのだ、もう上様とて言葉さえ出なかった。
その震撼にとどめを刺すように榴弾野戦砲二門にかけられていた覆いが静かに外され、午後の陽光に其の威容を顕したのだ。
カーキ色に照り映える威容は近代砲の機能美を遺憾無く観衆に誇示し、砲門は品川方向に向けられ発射の時を待っていた。
そして予め用意された二十倍地上望遠鏡が上様始め閣老らに配られる。
配り終えると左太夫と敬三郎が進み出て、砲横に取り付けられた測距儀を覗き、作成されたばかりの距離角度対照表を一瞥、砲身角微動ハンドルを少し回した、次いで望遠照準を覗きながら砲横角を微動させる、その照準あわせを二人ともほぼ同時に終え正則に一礼し撃針拉縄を握った、装弾数は五発 砲に装填済みの一発と弾倉に四発、弾種は榴弾と曳光弾が交互に入れられていた。
正則は上様に向かって一礼すると「撃て!」と叫んだ。
其の合図で二人は同時に拉縄を引いた、轟音が辺りに響く…その音の凄まじさに観衆は床几から腰を落としそうに怯え望遠鏡どころではなかった、初弾は曳光弾を放った…赤い火矢を引きながら低い弾道で海に吸い込まれていく、左太夫と敬三郎は五十倍の望遠鏡で着弾を確認すると手を大きく掲げ再び粒縄を引いた、初弾の轟音で慣れたのか二弾目の音では腰退けもなく皆望遠鏡をしっかり握り、喰い入るように二里先の千石船を見つめていた。
水柱が立ち 次いで煙が上がるのが肉眼でも僅かに望めた、二人はそれを確認すると同時に残り三弾を立て続けに撃ち出した、望遠鏡を覗く観衆から「おおっ」という怒濤の歓声が沸き起こった、その声で正則は再び望遠鏡を覗いた…先ほどまで繋留されていたはずの千石船は海の藻屑となって消えていたのだ。
正則は胸を撫で下ろした…そして左太夫と敬三郎の方に目を向けた、二人とも静かに泣いていた、正則も自然と涙がこぼれ落ちた。




