表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/54

十三.忍び寄る耀蔵の陰

 正則は高熱を出し寝込んでいた、寝込みだしてから今日で五日目となる それでも昼過ぎから熱は幾分下がり半身を起こし粥ぐらいは食べられるようになっていた。


年末より休むことなく働きづめの毎日…過労と春先の気の緩みから風邪を拗らせ肺炎を患ったようだ。

熱にうなされ正則はいろいろな夢を見た、その殆どは元の世界で若い頃に経験した情けない想いの夢ばかりである。

設計工程の遅れに焦る夢、構想通りにメカが動いてくれず途方に暮れる夢、また予算オーバーに悩む夢など 数日オールナイト映画でも見ていた感覚に頭の芯に疲れの澱が漂っていた。


布団より半身を起こす、軽い寒気に丹前を肩に羽織った、そして真昼の陽光が眩しい南側の障子を眼を細めて見詰めた。


長いこと休んでしまった…工廠の方は事故無く無事に稼働しているだろうか、大学の方は滞りなく授業を進めているだろうか…そう思うとここでのんびり寝ている己に苛立ちさえ覚えた。


その時、勢いよく襖が開き長男の清太郎が飛び込んできた。


「父上、お加減はどうでしゅか」まだ辿々しい喋り方である。

実年齢六十六才で生まれた子供、そう考えると初孫のような我が子である、それはもう例えようのない可愛さなのだ。


「これこれ、清太郎や風邪がうつってしまうぞ、さぁ母上の所に行ってなさい」

と言っても素直に聞くわけはないのだが…清太郎にしてみれば父が日中これほど長く屋敷にいたためしはなく、この数日の間 嬉しくてたまらないのだ。


「志津江…志津江はおらぬか」開いた襖に向かって声を掛けた。


すぐに志津江が部屋に入ってきた「清太郎、父上のお邪魔をしてはなりません、遊ぶならお庭にしなさい」そう言いつつ布団にじゃれる清太郎を抱き上げ、慌てて襖を閉め連れ出していった。


正則も志津江も長男清太郎の罹患には神経を尖らせていた、それはこの時代 生まれた子供のうち半数が育てばよいほうと言われていたからだ、当時の乳幼児死亡率は五割前後であり幼い子供があっけなく死ぬのは日常茶飯事だった。


乳幼児・幼児の死因の殆どは疱瘡や麻疹などの伝染病と外来のインフルエンザである、特に伝染病に対しては当時の医薬はまったく無力であった。

そのため伝染病はすぐに蔓延し、親の教育水準や衛生水準また栄養水準などは低く、為に乳幼児の抵抗力も低下し罹患すれば瞬く間に死亡してしまう。


ちなみに人口がほぼ一定化した江戸期の平均死亡年齢は男女とも27・8歳前後であったという、飢饉・疫病の流行期には何と17・8歳まで下がったというから驚きだ。

現代からすれば異常な低さだ、この平均死亡年齢は零歳における平均余命で、この異常な低さをもたらしたものは乳幼児死亡率の異常な高さにあった。


長男清太郎は今春三月に三歳になったばかりであった、生まれるときは難産で僅か五百匁の体重で生まれ尻に皺を寄せるほどだった、ゆえに夫婦は清太郎が無事に育ってくれたことが今は何よりも嬉しかった。


志津江はやせ形で お産の際 産婆がもしものことが有るやもしれず、旦那様覚悟なされよと言っていた、案の定二刻もの間 もがき苦しみ、明け方にやっと生まれたときは青息吐息で生まれた子すら抱けなかった、また産後の肥立ちも悪く三ヶ月以上も寝込んでしまったのだ。


現代ならその症状から途中 帝王切開に切り替える程の難産であるが…この時代自然分娩に依るしか無いのである。


それゆえ正則は次の子供を作る勇気は無かった、この時代 乳児死亡率からすれば当然スペアは必須だろうが…妻の体を思う方が遥に勝った。


志津江は相変わらず美しかった、街に出ると すれ違う誰しもが振り返るほどだ。

この時代 結婚は親どうしが決め 子供の意見など反映されない時代である、しかし正則は志津江を相思相愛で貰ったのだ、それも『脳年齢』四十歳も年下の若く美しい娘を…ゆえに可愛くない筈がない、前妻にはもうしわけないが志津江を毎日抱いても飽きないほど愛していた。


その志津江が部屋に入ってきた。

「殿さま お体のかげんは如何でしょう」そう言いながら額に触れてきた。

「あっ、もう熱も下がったようですね、ほんに喜ばしい限りです…一時はどうなることかと気を揉みましたが大事にいたらなくて ほんによろしゅう御座いました。


でも…殿さまは少し良くなるとすぐに出かけると言い出すのではとハラハラしております、絶対にいやです…志津江はいやですからね、もう少し元気になられるまでここに居て下さらなくては…」と甘える仕草で頬を預けてきた、清太郎に限らず…こうした午後の陽光の下で正則と過ごす何気ない日々が志津江には何よりも嬉しかった。



 夕刻、老中首座の水野越前守よりお見舞いの使者が来た。

使者は水野家公用人 田口平太夫といい正則とはこの数年昵懇の間柄であった。


正則は昵懇の間柄でも使者と言うからには客間で会うべきと着替えを始めたが志津江がこれを許さなかった、仕方なく療養室の布団の上で半身を起こし羽織を羽織って対面する羽目になった。


「田口様、この様な無様な姿でお会いするは誠に心苦しく申し訳御座りませぬ」


「いえいえ突然訪問したはそれがしの方、御休みのところ不調法致し誠に申し訳御座りませぬ、伯耆守様御病気の知らせを受け 主人越前守がいたく心配なされ、御顔の色だけでも拝顔しすぐさま報告せよと申され、拙者こうして参った次第でござる…しかし安堵いたしました、御顔の色もよく この分では大事に至らぬ模様、まずは祝着に存じ上げまする」


「御丁寧なる挨拶いたみいります、それがしのような軽輩が越前守様のような雲上人より御見舞いをいただくは我が家の誉れに御座る、何卒越前守様には御礼よしなに御伝えして下され、この通り御礼申し奉りまする」


「あい承知つかまつりました。

ところで伯耆守様、本日は御見舞いの他に殿よりの言上でお耳に入れたき事がござり罷り越したのでござるが…少々お人払いをお願い申し上げまする」


何か曰くありげな平太夫の様子…正則は入口近くに控える三田家用人 牛島外記に目配せした、外記は心配そうに立ち上がると部屋から去った。


襖が閉まったのを平太夫は確認し、膝を躙って正則に近づいた。

そして小声で「昨年睦月に大御所・家斉様の薨去を経て家斉旧側近らを罷免し、新たに遠山景元、矢部定謙、岡本正成、鳥居耀蔵、渋川敬直、後藤三右衛門らを登用し、殿が改革に着手されたは周知のことで御座るが、この登用したものの中で鳥居と渋皮ですが…こやつらなにやら貴殿の事を嗅ぎ回っておると殿が申されての、きゃつら誰それが己らより少しでも殿の覚えがよいと権謀術数を用いて引きずり落としに掛かる奴儕よ、殿はそれを心配なされ伯耆守様にはくれぐれも身辺を律するよう配慮なされよと申されての…。


殿もこの二人には虫酢が走るとて正直嫌われてはおるが…彼らの気性は別として確かに能力は優れ人材としては重宝、しかし三田伯耆守様はそれ以上の御人と殿は常々申されておっての、貴殿を近々奏者番に引き上げたいとも申されておるのよ。


奏者番と言えば大名にとって若年寄職への出世の登竜門、元禄四年に畠山基玄が大名でもないのに老中に登用された例が御座っての、今の殿の御威勢ならば田沼意次の特例出世が如く何としても通してみせるとまで言われておるのじゃ、そんな折りに御貴殿の事 耀蔵らに傷を付けられてはかなわぬとこうして拙者をよこしたので御座ろう、三田伯耆守様はほんに果報者。


ほんでの、話しというのは貴殿の出自のことよ、貴殿が御先手鉄砲組頭相続時に提出なされた覚書には三田家養子とあり、生国は筑前で実父は秋月藩鉄砲頭の浅尾六兵衛義知、文政二年 その筑前から豊前小倉に移り、小倉藩鉄砲組に仕官変えとある。


そのことであの二人が嗅ぎ回る前にと今年の初め、殿が密かに秋月藩と小倉藩の江戸屋敷に問い合わせたのじゃが、江戸屋敷では解らぬゆえ国元に問い合わせるとて今月の初めにようやくその知らせが来たのじゃ。


知らせでは確かに両藩とも書類上では浅尾六兵衛義知なる者の存在はあったが何故か細かな記録は無く、必要であれば詳細に調査するとの回答を得たのよ、そこで貴殿の出自にまず間違いはあるまいと殿は『調査及び今後の問合せ回答一切不要』との命令書を両藩に下されての、鳥居と渋皮の今後の探索を懸念し牽制されたよし。


ただ…あやつらは一筋縄ではいかぬ奴儕、くれぐれも気をつけなされよとの殿のお言いつけにござった。


またその件以外にも、貴殿にはいろいろ相談したき問題が山積みゆえ、病気が明けたら早々にもお会いしたいとのこと、そのことお伝え申し上げまする」


その後、田口平太夫は政治向きの事柄を四半時ほども話し込み、普段手に入らぬ高貴薬を見舞品として置いて 帰って行った。



 辺りは夕暮れに赤く染まっていた、正則は自失呆然の体で項垂れていた。

水野越前守は確かに正則の出自は怪しいと疑っている、そうでなければ両藩国元まで問い合わせなどしないだろうし…ましてや調査及び今後の問合せ回答一切不要などという命令書まで出すはずはない、それほどまでして正則を失いたくない越前守の思い入れは嬉しいと思うべきか、それとも……。


正則は瞑目する、もし己が鳥居耀蔵であるならば何処から切り崩していくか……。

出自に関しては、正則が三田家に養子に出る一月前、庄左右衛門らが御先手組内外より秋月藩と小倉藩に顔の利く者の協力を取付け、相当な裏金を用いて秋月藩の扶持人列席調書と小倉藩の諸向勤姓名帳に浅尾六兵衛義知なる者の名を加筆させたのだ、しかし姓名の加筆までが精一杯で詳細事項は添付できず上首尾とは言えなかった。


しかしこの憂いに対しては越前守が両藩に命令書を出し、出自箱に鍵を掛けてくれた、耀蔵とて怪しいと思うも度を超した探索は越前守の思惑を考えれば諸刃の剣になり、この嫌疑での追求は難しかろう、では正則のその後の経歴を辿っていけば…。


シーボルトの鳴滝塾は十五歳の時入塾し翌年には宇田川榕菴に預けられたことにしてある…この鳴滝塾の塾頭はたしか高野長英、三年前 高野長英・渡辺崋山らはモリソン号事件と幕府の鎖国政策を批判し捕らえられ 今は獄に繋がれているはず、この時の弾圧首謀者は鳥居耀蔵…さては長英らを拷問にかけ正則が鳴滝塾に存在していなかったことでも聞き及んだか…いや、その時正則はまだ十五歳の子供、それも一年足らずの在籍としたゆえ、長英とてそんな子供の存在可否など気にもとめないはず…。


では宇田川榕菴の筋からはどうであろう…私塾の塾頭になったと覚書きには記したが、榕菴は父親である玄信の私塾風雲堂には関与したが彼独自の私塾は明らかにされてはいない、鳥居耀蔵はこの点を怪しんだのか…。


宇田川榕菴と正則の親交は幕府でも周知の間柄…。

それは榕菴が日の本ではじめて近代化学を紹介する書となった『舎密開宗』の出版に際し、正則が造語した新化学用語も多く盛り込みまた出版資金の協力も惜しみなく行った、これは庄左右衛門の杞憂かも知れぬが正則の優れた能力の裏打ちに榕菴の存在をクローズアップさせておくことが肝要との意見に基づき行なわれたものである。

こうして正則が塾頭として榕菴に惜しみない協力を行ったは塾頭として当然の事と、庄左右衛門・左太夫らは意図的に幕府内外に喧伝していったのだ。


この喧伝は当然 鳥居耀蔵らの耳にも入っているはず…と正則は考えた。


鳥居耀蔵は天保九年江戸湾測量を巡って洋学者の江川英龍と対立する、この天才江川英龍との論争に全く歯が立たなかった遺恨と生来の保守的な思考も加わって洋学者を著しく嫌悪するようになり、翌年の蛮社の獄で江川の江戸湾測量に関わった渡辺崋山や高野長英ら洋学者を弾圧する遠因となっている、この洋学嫌いは実父の大学頭を務めた儒者林述斎の影響が相当強いと考えられるが…。


林述斎の三男 鳥居耀蔵…彼ほどの切れ者 只単に洋学を紅毛外道の学と切り捨て弾圧しているのでは無く、人の本能に根ざした…見たことも無い新しき物・便利な物に憧れる人心は社会秩序を変革する原動力にもなることを彼は肌で感じ取っていたからだろう。


現に歴史では、老中水野越前守を裏切り天保改革を挫折させた耀蔵を水野は許さず、全財産没収の上で讃岐丸亀藩京極家に幽閉処分とした、そして十三年後 耀蔵は赦免され世は明治となり東京と改名された江戸に戻り、落魄れ果てた幕府要人や旗本御家人の現状に慨嘆し「新しきを求め、我の言う事を聞かぬからこうなったのだ」と大いに憤慨したと言う。


彼が失脚せず幽閉もされなかったら…明治の世はもう少し遠のいたであろうか…

この見たことも無い新しき物・便利な物を創り出す能力…正則の奇跡的な科学技術の結集である『幕府銃火薬工廠』などは鳥居耀蔵が最も忌み嫌う牙城であろう…。


正則は己の身辺に刻々と迫り来る妖怪の触手を感じ、背筋をぞくっと震えさせた。

そして奇妙な寒気が全身を覆い 吐き気さえしてきた、正則はたまらず羽織を撥ね除け布団に潜り込んだ…そして強く膝を抱え震えながら眼を瞑った。


見舞いを受けたその夜 正則は再び高熱にみまわれた、そして高熱にうなされ妖怪に囚われ激しい拷問を受ける夢を何度も見た。

そして熱が引きようやく本復したのはその5日後であった。



 西ノ丸御殿に出仕を始めた初日、躑躅間で正則・庄左右衛門・光右衛門・左太夫の一同が久々に揃った。

そして幕府銃火薬工廠や大学の近況を聞いた、また正則が病気中 水野越前守より御見舞いが有り、その際に鳥居耀蔵らが正則の身辺を探っていると言う水野家公用人 田口平太夫の情報も彼らに伝えた。


「ふむぅ…御老中は何もかも知った上で正則様に助言を下されたのじゃな…それほどに正則様を大事に想ってくれているという証…それに報いねばのぅ……。

それよりじゃ、渦中の鳥居耀蔵よ…六日前 正則様が居ないことを見計らったのか突然銃火薬工廠に供廻り五人ほども引きつれ押しかけて来よったのよ。


昔は儂の使いぱしりのくせしおって…今じゃ老中の威を借る狐、偉そうに踏ん反り返っておったわ、そしての 幕府御用をちらつかせ書類のことごとくを検分 工廠棟の隅々まで大凡二刻程も掛け見て行きおった。


きゃつの帰り際に「何の御用向きで」と聞いたら「幕府御用筋、組頭風情が与り知らぬことじゃ!」とほざいたのよ、儂はカッとなって刀の柄に手が掛かったが光右衛門が抑えよって…ほんにあやつ 切捨てても腹の虫は収まらん奴」庄左右衛門はよほど悔しかったのか額に汗さえしていた。


「儂がその場におったなら…確実に斬り殺しておったわ!」と物騒なことを言う左太夫、この男…いずれこの血気が災いを呼びやせぬかと正則は常々心配しているのだが…。


「それと話は変わるが、先日鋼板製に改修した大型転炉の調子が今一すぐれんのよ、おおかた送風量が足らぬと思うのじゃが正則様 一度見てくださらんか」と庄左右衛門、次に光右衛門がグローバー塔が悪いのか鉛室が悪いのか…硫酸濃度がどうも上がらんのじゃ、それも見て欲しい、その次は左太夫の新型薬莢プレスのトラバースカム偏摩耗問題と絞り亀裂が完全に解消出来ず生産遅れが著しいため従来の胴部紙製の薬莢に戻したいとか…その他同室の組頭から矢継ぎ早に工廠設備の諸問題が提示された。


問題の殆どは正則にしたら問題とも呼べない軽度な事柄ばかりなのに…彼らはたった十日の正則不在でこれほど怯えるとは…大学の方も聞かずもがなであろうか、正則はこの日ほど問題解明能力と胆力を備えた優れた人材に飢えた日はなかった。


二日後、老中首座水野越前守より本丸御殿ではなにかと手続きが面倒につき夕方申の刻に屋敷の方まで御足労願いたいと水野家公用人より連絡が有った。


水野家上屋敷は正則が毎朝下馬する西ノ丸大手門の正面北側 馬場先御門の手前にあった。

歩いて一町半ほどにつき下馬所で待つ供の者に暫しここで待てと伝え、供の内与力一人を連れ徒歩で水野屋敷に向かった。


屋敷入口で案内を請うと水野家公用人の田口平太夫が現れ「伯耆守様お体の具合は如何で御座りましょう」と聞いてきた。

「はっ、もうすっかり良くなり申した」


「それはよう御座った、貴殿の御本復 殿は首を長うしてお待ちでしたぞ」


平太夫の先導で書院へと向かう、さすが老中主座の上屋敷…広大である、桜の花びらが午後の陽光を浴び舞い散る庭を横目に、幾つもの廊下を抜けようやく書院に到着する。

平太夫が襖を開け「伯耆守様ご到着に御座ります」と平伏する。

「おお来られたか、お通ししなされ」の言葉で正則は書院に一歩踏み進み、その場に平伏し「お呼び出しにより参上仕りました」と応え面を上げた。


「ささっ、こちらに参られよ」と座布団の置かれた座を示された、正則は腰を屈め進みより座布団を外し再度平伏する。


「伯耆守殿ここは本丸御殿じゃなかろう、もそっとゆるりに過ごされい、さっ座布団を当てて足も崩されよ」と促され、ようやく正則は緊張を解き座布団に正座し越前守に対峙した。


「伯耆守殿、御顔の色も良く本復いたした様じゃな、これは良かった なに貴殿が重病と聞いての…えろう心配しておったのよ、まっ我ら重席に有る者健康が一番じゃて」


「越前守様、格段の御配慮誠に有り難く、お陰をもちましてこの通り本復いたし候上は遅れました御奉公直ちに取り戻す所存で御座りまする」


「そう固くならずともよい、ここでは良き友人として接して下され、そうでのうては屋敷に呼んだ甲斐がないわ、のう伯耆守どの…いやここでは正則殿と呼ぼうかの」


「痛み入って御座る」


「正則殿本日貴殿を呼んだのは貴殿から上申されておる幕府軍政改革のことじゃ、この案件は上様の耳にも届いており貴殿が出された幕府陸海軍創設の建白書じゃが上様がお読みになられ いたく感心されての、上様は貴殿には一度本丸座敷の黒書院でお会いなされたが覚えが薄いとて再度直に合って軍政改革のことなどゆるりと聞きたいものと申されてな。


貴殿も御承知と思うが上様は大の紅毛嫌いじゃ、それでのうても昨今の異国船の近海出没…阿片戦争やモリソン号事件など対外的事件も含め西洋列強の脅威を感じておられてのぅ、これまでの外国船に対する打払令を改め薪水給与令を御考慮され、燃料・食料の支援を行う柔軟路線に転換せねばなるまいとまで気弱になられておられるのよ。


またつい先日、和蘭通事からの情報では英国艦隊がこの春、インド人傭兵セポイ六千七百人、本国からの援軍二千余人、また新たな汽走砲艦などの増強を受けて北航を再開したよし、五月にも清が誇る満洲八旗軍が駐屯する乍浦を陥落させべく揚子江に進入を開始するは必定、清国はこれに抗するは不可との見解まで聴取されておるのよ、このアヘン戦争で清国が負ければ英吉利は次ぎにはこの日の本に食らい付くは必定、上様の御不安は察して余り有るものと言えようが。


そこでじゃ貴殿の建白書である、幕府創建以来 戦がのうてただ形骸化した番方の諸部署を解体し、新たに警察・陸軍・海軍と三つの組織を立上げ強力なる治安組織と西洋列強に打勝つほどの軍事組織を創設し、富国強兵化を計る案は上様が感心なされるは当然のこととて、是非にも貴殿の創案を詳細に検討せよと申されておるのじゃ。


この件につき先日の老中会議の席で創案者の貴殿をその創設の任に当たらせたらどうであろうとの意見が出ましての、儂としては適任じゃと思うが…なにせ貴殿は御先手組頭と工廠長及び大学総長と兼任が多すぎる…結局は体を壊す羽目になったので有ろう、故にこれ以上の任は無理と考えるが如何であろうのぅ」


「はっ、お心遣い有り難く痛み入ってござる、その任…上様の御裁可がもし頂けましたならば創案者の責任で御座る、命を賭してもこれを全うする所存、何卒今後お引き回しの程宜しくお願い申し上げまする」


「おおっよう言った、それでこそ儂が惚れる正則殿、兼任の問題は後々考慮するとしてまずは軍政改革の検討じゃ、近日中にも本丸の御用部屋で他の老中・若年寄を集めこの件詳細に合議し詰める予定なのじゃが貴殿にもこの合議に加わって貰うが異存はござらんじゃろうな」


「はっ、それはもう…しかしそれがしのような軽輩者が合議に加われるもので御座りましょうか」


「よいよい、儂が特別に推挙するのじゃ誰が不遜などと言うものか 任されよ、それと貴殿には近々上様より奏者番就任の御達しが出るはずじゃ、心して待たれよ。


それとの、話しはもう一つあるのじゃ…それは銃火薬工廠を上様が見たいと申されておるのよ、これは上様に貴殿の能力をつぶさに見て頂く絶好の機会とて儂は盛大に執り行うつもりでの、先日鳥居耀蔵らに銃火薬工廠の安全性を見聞するよう命じたのじゃが。


しかし…あやつ何を見て参ったのか、『凄い』の一点張りでの…要領を得んのよ、あのような設備は十年いや百年学者らを総動員しても完成は覚束無いと訳の分からぬ事を申しての、して安全性はどうなのじゃと聞いたなら…それどころでは有りませぬと返しよった、ほんに使えぬ奴じゃて。


奴は貴殿のことを手妻遣いか狐狸の類いと申しおっての、儂がそれを天才とは何故考えられぬのじゃと申したら、だったらそれを証明してみせるとて拙者に伯耆守の調査を命じて下されというのよ、あやつ以前より折りに触れそのことを儂に願い出るが…貴殿の何が気に入らぬのかのぅ…。

取り敢えずは出過ぎた真似をするでないと叱っておいたが、奴のこと…何を考えておるのかよう解らん、正則殿も気をつけるが肝要、もし奴が直接貴殿に接触してくるような事があれば儂に言うて下され、奴は儂の三羽烏とまで世に言われておるようじゃが…事と次第によっては切り捨てもやむを得ぬとさえ考えておるのじゃ」


それ以降、水野越前守は鳥居耀蔵の猜疑的性癖は気に入らぬが目付や奉行をやらしたら彼に敵う者はまずこの幕府には見当たらぬと誉めそやしてもいた、だが正則はそんな褒めそやす耀蔵にあなたはもうすぐ裏切られますよと言いたかった…。

(これはなんとかするべきか、それとも放置するか…)


話はその後、銃火薬工廠には既に三十万両もの大金が注ぎ込まれ、未だなお予算要求が止まらず この件には他の老中が越前守の独断専横有りと陰で囁き始めているとか、この上の軍政改革・軍工廠の建設となればさらに百万両を越える予算を計上しなければならないとか、自然と話は越前守の繰り言に変わっていった。


「何をするにも金じゃなぁ、水戸様がうるそうて適わぬが…やはり上知令を断行しなければ幕府は火の車じゃ、さぞや大名・旗本や領民双方より反対が出るであろうがのぅ」

越前守は独り言のように呟き「儂は貴殿のみを頼みにしておる、そこを忘れ無きよう」

と意味深に正則を見つめた、その眼の奥に青く小さな焔が揺れたのを正則は見逃さなかった。


越前守の話しは一刻程で終わり屋敷を辞去した、辺りは夕日に染まり江城富士見櫓の左半分が燃えるように赤く染まっていた。

西ノ丸の大手門近くで待つ供連れは正則を待ち疲れたのか一同無口に行列を組み、桜田御門より夕日に染まりながら帰路に就いた。



 次の日、十数日ぶりに銃火薬工廠に赴いた、久々の鉄の焼ける匂いには心が和み、ほんに自分が生きる場所はやはり物作りの現場なのだと思える正則である。


すぐに各工廠棟の棟長を集め、病欠の詫びと上様が来月十日この銃火薬工廠を御上覧される吉報を伝えた。

これを聞いた一同は有難やとばかりに興奮し、左太夫などは江城に向かって平伏するほどであった、この時代まだまだ将軍の権威も捨てたものではないと妙なところで感心したものである。


その後、工廠着に着替え精力的に設備不具合を見て回り、整備班に的確に修理改造を指示していった。

そして各設備の諸問題は数日で修復と調整が終わり、又元のように各設備は順調に稼働しだした。


正則は工作工廠に向かった、それは休んでいる間 二寸七分榴弾野戦砲の製作がどれほど捗っているか熱に魘されながらも布団中で悶々と気になって仕方なかったからだ。

この野戦砲はかれこれ一年半もの歳月を要し、この春ようやく仕上げ行程に進んだ大砲である。


幕府は初め四寸榴弾野砲を指定してきた、だが四寸溜弾砲製造の最大問題は砲身の長さにあり、有効射程6里という途方もない要求から命中精度を鑑みれば砲身長は5m弱にもなろう。


昨年夏の技術会議のことである、以前艦用スクリューシャフトの製造にも必要になろうかと二年前 砲身加工用五十尺長尺旋盤を設計した、そして昨年夏その旋盤を完成させた、因みに旋盤ベッドの断面構造は英吉利式とし、長尺旋回ブローチと共用化すべくヘッドストックはベッドから外せる構造としテイルストックは回転機能を付帯させブローチ牽引応力時の傾きモーメントに充分耐えられるようスライド部を長尺に取り、且つスティクスリップを最小限に抑えるスライド機構を装備した。


この旋盤で4寸野戦砲の内筒砲身外径五寸三分 長さ十五尺の炭素鋼棒に三寸六分の下穴加工を夏の終わりの頃より開始した。

そして若干の芯直誤差は有ったものの両端からの加工でなんとか下穴を貫通することが出来た、しかしここからが問題で砲身内径加工用の中グリアーバーがテイルストック側のみの片持ち構造のため、切り込み量を極小にしてもアーバーのビビリは抑えられず加工の表面粗度は最悪で仕上加工は断念するしか無かった。


やはり正則が危惧した通り、片持ちアーバー…それも十七尺近いアーバーでは無理が有った。

すぐに技術会議が開かれ両持ちアーバーに変更しようと決まったが…ヘッドストックスピンドルには貫通穴が無く、今から穴明きの主軸を製作し 取り替えるとなると一ヶ月を要すことは必至のため正則はこれを否決した。


この時工作棟の棟長である敬三郎が己で己を削る案は如何で御座ろうと発案した、それを聞いた正則はそれは名案だ、確かにあの旋盤を作り出した春には三十寸もの長さの主軸に精度良く大口径穴が開けられる旋盤が無かったから主軸はムクとしたが…今ならあの旋盤のティルストックには自動送り機構が付帯しているよって加工は可能だ、深穴にはなるが精度が欲しい所は四爪チャック元の三寸もあれば充分…敬三郎!よくぞ気が付いたこれなら行ける。


しかし急に敬三郎の顔が曇った

「殿…砲は強度上焼嵌め二重筒になり内筒はよしとしても外筒の内径加工は五寸三分にもなりもうす、それに対し旋盤主軸の外径は六寸 外筒内径が五寸三分であれば仕上げアーバー径は切削応力上四寸近くになり旋盤主軸にはアーバーガイドブッシュ用に五寸以上の穴を明けなければなりません、しかしそれでは旋盤主軸は薄肉となり重切削には耐えようも御座いませぬ…」


「…そうよのう、敬三郎 直径七寸・切込量一分・回転当たりの送り量一厘・切削速度四千四百寸、バイトノーズRを一分とすれば必要駆動馬力は幾らになる」


敬三郎はすぐに算盤をはじき「機械効率係数七割と見込めば約八馬力ほどになり申す」と答えた。


「八馬力か…んん 単純ねじりならば問題ないが、主軸にはオバーハング荷重が掛かり且つ重量物チャック時の衝撃荷重を考慮すると相当曲げ・ねじりモーメントに衝撃係数を乗じて計算する必要が有ろうかの」


「殿、すぐに計算しますのでお待ち下され」と計算を始める。

暫く待つと敬三郎が内径四寸五分穴が限界ですと答えた。


「よし分かった、四寸砲はあきらめよう…二寸七分砲に今より切り替える、皆の者それですぐにも手配致せ」と言い放った。


まず眼を剥いたのは左太夫である。

「正則様…四寸榴弾は既に二百発ほど出来上がっておりますぞ、今更これを捨て二寸七分弾に切り替えよと申されても…治具やら専用ハンドプレスを最初から作らねばなりませぬ、設備を作り変えるだけでも二ヶ月以上は掛かりますぞ」


「皆の者には散々苦労を掛けての急な変更…誠に心苦しく思うのじゃが、四寸砲の反動を逃がす油圧ダンパーを私が今設計しているが圧力が高くロール成形シリンダーの肉厚では耐えられないのだ…つまり砲を作るが如く削出しシリンダーにしなくてはならぬのよ、結局問題をもう一つ作ることになり工期は遅れるばかりだ、二寸七分砲であれば工期は一気に短縮出来る、のう皆の者堪えて下され」


左太夫もこれを聞くと渋々といった体で「分かり申した、すぐにも取りかかりもうす」と言い、薬莢雷管成形棟へと走って行った。


「敬三郎、主軸穴を加工する準備をせよ、それと両持ち二寸七分用アーバー荒・中・仕上げの三種とブローチツールの製作を急ぐよう手配を頼む。

…そうじゃな神無月までには設備を整え霜月には砲身5本を製作せよ、部品はそれからでもよい、完成は春としようかの」


「承知仕った、すぐにも設変に取りかかりもうす、砲身図面は出来次第持参いたしまする」敬三郎は図面を抱え会議室を出て行った。


「正則様、敬三郎は逞しくなりましたのぅ、もう光右衛門の域を越しましたか…」

「そうですね…計算にかけては彼の右に出る者はもうこの工廠にはいないでしょう」


「左様でござるか、では大事に使いませんと…榴弾砲の完成は春になりますか、さてと儂も老体に鞭打ってがんばりますかの。


しかし…正則様この銃火薬工廠はいつも金欠ですわ、金のやりくりを正則様に仰せつけられたときは楽でいいわいと思いもうしたが 何の…幕府勘定方とは行くたびに喧嘩沙汰じゃて遠山様の時はよろしかったが佐橋様に変わられてからというもの…緊縮財政は儂ら勘定方には痛う御座るわ…。


正則様、水野越前守様に今度お会いしたなら言って下され、大奥なんぞに湯水の如く使う金が有ったならこちらの方に少しは回されよとな…まっ冗談じゃがの。

しかし砲の作り変えとなれば…五基であれば最低千五百両は引っ張りださんといかんじゃろう…先月も八百両引き出したばかりじゃのに…頭の痛いことよ」


「庄左右衛門殿…ほんに苦労御掛けもうす、越前守様にはそれとなく言いますよって何とか堪えて下され」


庄左右衛門は項垂れて会議室を出て行った、正則は皆に苦労を掛けているなぁとこの時は痛切に感じた、工廠員や棟長…勘定方の庄左右衛門ら、皆 俺に付いていこうと必死なのが伺われる。


元世もそうだった、何の得、何の喜びが有るのか分からねど部下は必死に付いてきた、残業・徹夜になろうとも付いてくる、自分は先頭を走るため己の体調で加減し行動できた…しかし後ろを付いてくる部下らは俺の動きが予測できないから疲労はひとしおだったろう、サラリーマンと認識すれば給料分以上の過度な仕事に何の思い入れがあるというのだ…それでも彼らは必至に付いてきた、それは母にはぐれまいと必至に縋る子のように。


そんな部下らが一人一人落伍し最後は己一人になろうとも寂しいなどは思わず、ましてや後ろを振り返って反省するなどあり得なかった、これが技術馬鹿たる所以、高慢そのものであろう。


また昔 課長だった頃、営業や管理に「なぜ君は儲かる設計をしてくれんのだ、それと管理がなってない」とよく言われたが無視を決め込んでいた。


それは彼らは勘違いをしている思っていたからだ、儲けたければ俺の技術をどう生かしどう管理し、それを儲ける企画に繋げていくことこそ君らの使命ではないかと、それを技術屋に儲けろと言うことは己の怠慢や能無しを吐露しているようなものと俺は決めつけていた。


その想いは何万時間も俺は技術に苦しみ錬磨してきた、時には震えながら問題を技術でねじ伏せ幾多の航空機を開発してきたじゃないか、君らは本当に俺と同様に何万時間も営業技術・管理技術を真剣に磨いてきたのか、もし君らに真剣に磨いた「自負」があるなら技術屋に人事・営業・管理が何故出来ないのかと愚問は問わないはず、それは俺がなぜ君たちには設計・製造が出来ないのかと問うのと同じだぞ。

しかし君らは設計など出来るはずがないと当たり前の顔で言うだろう、まっ そう言われるのも泥臭い技術屋の宿命さ と嘯いてもいた。


しかし…この時代に落ちて己の考え方を改めねばならないと気付いた。

この時代は管理とか技術とか分業とかそれ以前の問題で、改めてこの時代に合う管理手法を作り上げねばと考えたとき、技術屋だから管理下手と嘯いていても先へは進まず、あの時代はだれかが俺の尻拭いをしていたんだと初めて気付かされた。


またこの時代、彼らが付いてくる意識は元の世界とは覚悟の程が違った、彼らは落伍すれば命さえ絶つ覚悟なのだ。


今までこの奢りの性癖で…どれほど多くの人々を傷付けて生きてきたのだろうと、そう思えば今この俺を指導者として仰ぎ盲従する人々に労りの気持ちを忘れてはならないと痛切に感じる正則だった。



 春の海を工廠長室の窓辺に佇み茫洋と見ている、春の嵐か遠くの波間に浮かぶ千石船を大きく揺らし、海鳥が荒れる波頭に見え隠れしていた。


その波頭に耀蔵の貌が急に浮かぶ… 熱に魘され何度も見た貌である、その貌に穿たれた穴のような無機質な眼、その眼の奥には陰湿な焔が燃えていた…正則は刹那に あの時水野忠邦が見せた青白い焔に似ていると思った。


忠邦は俺の能力を欲しがっている、故に耀蔵から庇護する口振りでだった、しかし…真意は忠邦のみぞ知る…であろうか。

利用するだけ利用し、不要となれば路傍の石のように捨てる…いや…耀蔵に引き渡す、そんなところであろう。


逸話では、忠邦は幕閣に昇進する事を強く望み、多額の費用を使っての猟官運動の末、文化十三年に奏者番となった。

以降 忠邦は奏者番以上の昇格を望んだが、自藩が長崎警備の任務を負う御役がら昇格困難と知るや、家臣の諫言を無視し翌文化十四年 実封二十五万三千石もの自藩から実封わずか十五万三千石の浜松藩への減転封を願い出て実現させている。

この国替顛末の際、水野家家老・二本松義廉が忠邦に諌死をして果てている。

この逸話だけでも忠邦は出世欲に目が眩んだ餓鬼亡者の化身ぶりが見て取れるだろう。


天保十四年閏九月十四日 忠邦は老中職を罷免され失脚する…後一年半の余命、彼が失脚すればタガが外れた耀蔵は一気に俺を捕縛するだろう。

さて…どうしたものか、殺られる前に殺る…正則の頭が白く濁った、その時何故か殺気立つ左太夫の貌が脳裏を過ぎった。


正則は想いを打ち切るように頭を振った。

上様上覧まで後十六日、今仕上げに入っている二寸七分溜弾野戦砲の完成は何としても達成させねば…。


二里先に千石船を浮かべ、それを木っ端微塵に打ち砕く光景…これまで類を見ない恐るべき新式火薬を搭載した溜弾の破壊力と腔旋砲の命中精度、それを目の当たりにして上様以下各老らが恐れ戦く姿が目に浮かぶ…さて越前守から将軍に乗り換えるには…。


上様御上覧の日は晴れると良いが…と正則は薄く濁った春の天空を仰いだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ