十一.技術の先駆け
庭に降り積もった雪を目の前にして 何気なく夏の日の謀反への誘いを回想していた正則は、ふと我に返りその寒さに気付いて肩をすくめた。
(うぅぅ寒い、太陽がこんなに間近に見えていてもやはり冬は冬なんだ、さてと昼には少し早いが腹も空いたゆえ飯にするか…)
障子を閉め再び座卓の前に腰を下ろし机上に散らかった書類を整理し始めた。
(久々の非番…贅沢だが昼飯の後は風呂にでもゆっくり浸かるか)
そういえばいつも非番の今頃は女中が昼飯をどうするか聞きに来ていたが…きょうはまだ声がかからぬ、が さてここで待つか台所へ行くか…結局空腹には勝てず台所へと向かった。
台所では下女ら数人が昼餉の用意に奔走していた、組屋敷詰めの組衆を除いても屋敷内には内与力や付侍下男下女ら総勢十五人ほどもおり、それら全員が食す飯の量は相当なものである、それら全てを賄うは正則が頂く御扶持からになろうが…小企業の社長の苦労が少しばかりは分るというものだ。
正則はしばしその慌ただしい光景に見とれていた、そのとき下女の一人が正則に気付き「あっ、お殿様だ」と声を発した、その声に女中頭が反応し「これは殿様!気が付きませんで、ほんに申し訳御座りませぬ…」と米つきバッタのように頭を下げながら走ってきた。
「ちと早いが昼飯にしたい、それと飯の後は風呂に入るゆえ用意してくれぬか」と用件を伝え、いつまでも恐縮する女中頭に「よいよい、書斎に居るゆえ早ようにな」そういうと踵を返した。
昼餉を書斎で済ますと午前中に書き上げた書類に目を通し転記ミスは無いかとiPadに表示されているexcel計算の数値と書類の数値を付き合わせていく。
しかしこの転記作業や付き合わせ検算などはつくづく無駄な作業に思える、だがexcel表計算をそのままプリンターで打ち出し提出するわけにも行かず、数値を書類に転記し転記ミスは無いかとチェックした後、表紙を付け袋とじする作業は全作業の半分もの時間を占めるため正則が無駄な作業と思うのも無理のない話である。
「御殿様、御湯が沸きましたゆえどうぞ湯殿へ」と襖外より声が掛かった。
「おっ!そうか」そう返事をすると立ち上がってiPadを書類棚の引き出し奥へとしまった。
湯に浸かると冷えた体が軋みの音を立て緩んでいく、その感覚に思わずうぅぅと声を漏らしてしまう。
昼の陽光が小窓から差し込み 湯に揺れる両の脚が浮かび上がった、若い脚だ…それが湯に映え まるで女人の脚と見間違えるような艶めかしさを覚えた。
その艶めかしさにふと志津江の貌が脳裏をよぎる、そしてあの柔らかな唇と舌の感触が朧によみがえった…。
その想いを探るように正則はゆっくり目を閉じる…すると天井から落ちる結露の雫が湯面に弾けて小さな音を奏で始める、瞼の裏に幾つもの滴の輪が現れ その輪は広がりを見せながらやがてまだ見ぬ志津江の裸体へと変化していく、と…一滴の雫が肩に落ちその冷たさで我に返った…。
股間が固くなっていた…それを感じたとき やはり若いのだと思え、少し嬉しくなって両手の掌で乱暴に顔を洗い、再び眼を閉じ切ない妄想へと融け込んでいった。
湯殿から出ると作務衣に着替え、その上から厚い丹前を羽織って渡り廊下を屋敷裏の蔵へと向かう。
三田家の屋敷裏には百年以上も経とうかという古い蔵が二つあり、先々月その二つの蔵のうち南側の蔵内に収納されていた蔵書や記録簿などを北蔵に移し、入りきらない書画骨董類は売却した、その売却した金で南蔵を改装し工場に仕立てたのだ。
蔵を工場に改装する切っ掛けは、庄左右衞門らに謀反の企てを明かされた数日後、謀反企ての首謀者「庄左右衞門・左太夫・幸右衛門」以下総勢十二人が集う会合に初めて招かれ、その席上で正則が十日かけ練り上げた新政府立ち上げまでのフローチャートを全員の前に提示したことに端を発する。
この会合で正則が提示したフローチャートを見た首謀者らは 最初何が書いてあるのか首をかしげるばかりであったが、正則が説明していくうち目から鱗が落ちるが如く彼らは驚嘆の眼差しでフローチャートを見つめ始めた。
正則がフローチャートというものに初めて接したのは航空機製造会社に入社した半年後、当時ライセンス生産されていたナイキJミサイルの部品加工工程図を見たのが最初で、日本のJISX0121:1986に先立つこと30年も前に米国ダクラス社が独自のローカルルールにそって作成されたチャートであった。
以降正則は航空機部品開発プロセスの流れを文書化する構造化技法として標準化し、正則独自のローカルルールも加味し若い部下らの教育用として運用させた。
このチャートは複雑な加工プロセスやプログラム設計また文書化において何がどう行われどう処理していくかを視覚化し、読む者にプロセスの理解を促すとともにプロセスの欠陥やボトルネックさえも読み手に発見させることを狙ったもので、開発全体を理解しやすくしスケジューリングを早めるに効果的な入門手法の一つでもあった。
このフローチャートには工廠立上げから量産開始までを一次五カ年計画として、また軍政策定から準備・教育・整備そして陸軍を立上げ完全掌握するまでを二次五カ年計画、軍事クーデターから新政府立上げまでの三カ年を三次計画として計十三年で完了するチャートであり全十二頁に纏められていた、それらは各プロセスから今後発生する諸問題とその対策から解決手法まで克明に付記されたチャートだ。
倒幕主導者らはこのチャートに接し、これまでモヤモヤする革命への未整理な想いや気付かなかった諸問題の視覚化に目を剥いた、そしてその解決手法また工程が期限化さことで工程達成の意識化と確実に倒幕から新政府樹立までの道筋が図を以て知らしめられたことで、これまでの若年寄堀田摂津守の意識論のみの領域から視覚手法を応用した実行動指針を目の当たりにし、正則の能力に驚嘆し会合の終わりの頃には自然と堀田摂津守に代わる新たな革命盟主として正則が祭り上げられる結果となった。
蔵の工場改装についてはその席上で、工廠立ち上げには技術者が正則一人では到底覚つかず 各パートに一人ずつ配しても最低六人は必要との意見から当面は私塾として正則の屋敷で開発工場を立ち上げ、工廠に整備する設備の設計や試作を通し御先手組の中から有能な若者を選抜し技術者に仕立てようとの意見がまとまり、其の趣意に沿い早々に取りかかったものだ。
だが工場と言ってもまだ何もないがらんどうであるが、先月末に完成した木製の簡易旋盤と手製の工具類が壁に掛けられ そこには三田組の若い同心二名が既に詰めていた。
その二名とは三田組同心の加藤幸司朗と稲沢欣也である、この二名は三田組の与力同心四十二名の中で特に技術と算学に秀でた二十代の若者で、正則が教える工学技術を綿に水が染み入るが如く利発に吸収してくれる優秀な武士らであった。
「幸司朗、親螺子の出来は予定通り進んでいるかな」
「はっ、予定通りに御座いまする、昨日上質な弁柄が入手出来たのと、前回ピッチ精度が思わしくなかったラッピング用雌螺子ベースを欣也が十日かけて修正し、今朝方それがしがピッチゲージに光明丹をつけ擦り当てたところ三百六十度全方位中八割以上の面当たりに御座った、よってこの螺子ベースで親螺子を弁柄ラッピングすれば高精度な親螺子ピッチは保証出来ましょう」
「おおっそれは素晴らしい、欣也 お前の器用さには舌を巻くぞ、平キサゲとは違い笹っ葉キサゲは二十年ほども鍛錬し何とか使えるという技のもの、それを僅か二ヶ月そこそこで使えるとは…いやはやまぐれが九割としても凄いことよ」
「殿 まぐれだなんて…やっぱりまぐれですよね」欣也は言ってから顔を赤くした。
「いや、手先の器用さもさることながら根気が無くては出来るものではない、礼を言うぞ。
それと貴公らには前にも言ったが、親螺子が工作機械の要なんだ、高精度の親螺子が有れば高精度な送り機構が出来る、送りが正確ならば高精度旋盤や中グリ盤の製造が可能となる、高精度旋盤が有れば親螺子加工や軸加工が可能となり、それら加工部品の組合わせで割出機構を作れば平歯車などの歯面の高精度化も可能となる。
送り螺子や歯車が出来ればフライス盤はもとよりブローチ盤・ホブ盤・長尺ガンドリルマシンなど高機能工作機械群を生み出すことも可能になってくるのよ、よってこの親螺子は今後この工場や工廠で作る数百数千の工作機械群の生みの母親、つまりマザーパーツと呼べる重要な部品になるんだ、分かるな。
貴公らには勉学を続けながらの物造り、誠に苦労は多いと存ずるが、どうかくじけず頑張って欲しい」
「殿、我ら好きでやってること、どうかお気になさいませぬよう」と幸司郎が意気込んで応えた。
「殿、ラッピング雌螺子ベースですが…本当にこのようなズク銑鉄で宜しいのでしょうか、どうせなら鍛えたハガネの方が摩耗が少ないゆえよろしいのでは…」と欣也。
「いやいやこのズクがいいのだ、見てみなさいこの肌具合、細かな気泡痕があるだろう、この痕が弁柄をうまく含むとともに磨き滓がこの痕に逃げる事が出来るのよ、それと銑鉄は炭素量が高く脆いが硬度は高い、よってラッピングベースには最適なんだ」
「勉強になります、殿もう二三日待って下さい、今度こそ必ず高精度な四尺親螺子を仕上げて見せますから」と欣也と幸司朗は眼を輝かせた。
この二人には選抜した十日後、庄左右衛門や左太夫らの反対を抑え正則の正体を明かしていた。
正則は二人の人柄を見極め吐露したのだが、正直…どう反応するかは見当がつかなかった、しかし危惧するに及ばず“光絵”を見て驚嘆し、翌日には正則を心酔する眼差しで見つめ教えを請うようになったのだ、やはり若さ故であろうか。
この日から二人の若者らにはパソコン内のファイルを片っ端からプリントさせ、下城してからは数学・物理・化学・電気電子工学・機械工学など様々な基本技術を夜遅くまで教授していった。
また40GB全てのファイルをプリントするまでパソコンとプリンターが壊れなければ良いがと思うも…全てのプリントを終えるに何ヶ月…いや何年かかるか、毎日薄氷を踏む想いでプリンターの電源を入れたものである。
工場奥には狭いながらも設計室を設えていた、その部屋には三つの机とそれぞれに製図板を配し、製図板上にはスポットライトならぬスポット行灯も配した。
そしてドラフターとはおよそ呼べない代物であるが、銅製の2アームパンタグラフに竹製の定規を取り付けた製図器も製図板上部に取り付けた。
現在正則の製図板には 作図途中の転炉組立図が貼ってある、また高炉の方は組立図と部品リストは既に出来上がっており、今は部品図と築炉図の三割ほどが欣也と幸司郎の手で進んでいた。
転炉の構造はトーマス転炉を模したもので工作機械が間に合わぬため、その殆どを柔らかな青銅製として仕上加工を最小限に抑えるべく要部は精密鋳造とした、そのため強度計算上 旋回軸や受け構造も太く厚く、前世の技術者が見れば吹き出してしまうほど無様な外観とも言えた。
(早く工作機械を作らねば…それと鉄鉱石の調達も急がねば、俺の知る限り鉄鉱石の鉱脈といえば北海道の虻田郡京極辺りしか思い浮かばない…それとクロム・マンガン・ニッケルの類いも北海道だったはず。
蝦夷地か…蝦夷は確か安政二年までは松前藩が管轄していたが、藩主は松前良広 冠位官職は何故か無冠であったから覚えていたのだが、松前藩にどんな手で接触するか…上屋敷は浅草下谷新寺町だったはず、さて…またぞろ若年寄様に頼むしか無いのか。
それと石炭調達の目処はついたから…早々にコークス炉を図面化しなければならぬ、コークス炉を高炉と転炉近くに建造すれば石炭ガスが生かせる、またトルエン、ベンゼンほか多くの化学物質も生み出してくれるから実に有り難い。
この炉群に不可欠なのは耐火煉瓦と送風機だが…耐火煉瓦と耐火モルタルの製法はパソコンに有ったはず、送風機サイズは炉の断面積1m2あたりの風塔速度から実効容量100~110m3/秒は欲しいため相当大きなものを作らねば…ファン単体の設計は流体力学が得意な俺にとっては造作もないが動力源が難問になろう…やはり蒸気に頼るしかないのか。
それにしても工作機械と発電機…それとモーターが今後の要になりそうだな…。
工作機械の動力は初期的には水車でもよいが…兵器量産ともなればとても水車では間に合うまい、蒸気タービン式大型発電機とモーターを作るまでの間 工作機械の動力は銅製ピストン式の蒸気機関を急造し、天井設置式ベルト車で増速配給し間に合わせるか…。
そうだ、先の送風ファンの動力も蒸気ピストン方式でギヤ増速するか、しかし回転速度が足りるだろうか…断然蒸気タービン方が効率的であることは分かっているが…静翼・動翼共に均一製作するには工作機械が必須、ブレードのダブテールとシュラウド加工には低温溶融金属の保持治具やハイス鋼のクラッシュローラー、それを加工する投影機付き工具研削盤、ダブテール加工用平研などが必要になってくる……。
あぁ、次から次へと作るものだらけで頭が痛い…結婚などしている場合だろうか。
それに設計者も増員しなければ、自分が言い出しっぺの第一次五カ年計画など頓挫してしまう、軍事クーデターまであと十年…それまでには高性能ライフルや機関砲、大口径野砲はもちろんのこと航空機までは必ず作って見せると“光絵”を三人に見せ 意気込みを語ったのは先月のことではないか、もう弱音を吐き始めるとは…。
情けないが明日にでも増員の件、庄左右衛門様に相談してみるか。
それと先にはなるが陸海空各々の軍創設とそれぞれの軍政及び独自工廠の整備も急がねばならない…あと十年、技術が進めば急加速するはずと…期待を込めるしかあるまいなぁ。
それにしてもやはり蔵の奥…きょうはやけに寒い、これでは湯冷めしてしまうぞ)
正則は椅子に座ると先月急造した鋳物火鉢二つを縦に結合工夫した「だるまストーブ」の火口に薪を数本放り込み火蓋を閉じた、やがてみるみるうちに火の勢いが増し身の震えは次第に収まっていった。
さて、ぼやいていても仕方ない、図面を進めねばと正則は左胸を押さえた。
これは正則の癖である、若い頃よりシャープペンと計算尺は左胸のポケットにいつも入れていたから図面を書き始める際の己への合図でもあるのだが。
(あっ、そうかシャープペンはもう無かったんだ…)
製図道具の要であるシャープペンの芯が先月の中頃にとうとう切れてしまったのだ、そのため代用として細筆を工夫しいろいろ試してみたが均一な線を引くにはほど遠かった。
そして思い出したのがカラス口である、昔 測量士だった父親がカラス口で器用に図面を引いているのを興味深く見ていた記憶があった、正則はこれだと思い…以前ゼンマイバネを作ってくれた鍛冶屋に絵図面を持って頼みに行き、今月の初め柄付きカラス口五本とコンパスカラス口五個が出来てきたのだ、それらは期待以上の出来でブレード先をほんの僅か砥石で仕上げれば良質な極細線から極太線まで引けたのだった、正則はあの鍛冶屋だけは大切にしなくてはと驚くほどの代価を支払っていた。
ただブレード隙間の調節螺子が無いためクサビコマ式とした、そのため微妙な調節には感が頼りとなりこれには困った、そのため急遽木製の簡易旋盤を造り何とか小径螺子タップを作り上げ、そのタップでダイスも作り上げた、これによりカラス口ブレードもようやくネジ調整が可能となり作図作業も楽になっていった。
正則は煙管にキザミ煙草を詰めストーブ上部の赤くなった天蓋に煙草を押し付けけた、そして思案顔で製図板前に進み一服吸うや 鷲の尾羽根で作ったハケでまずは図面を掃き、おもむろに椅子に座る。
ドラフターの竹スケールが基準線と狂ってないか確認しカラス口を手に取る、そして両のブレード隙間に墨汁を付けた堅紙をくぐらせ行灯に透かして見る、墨が適量と見てドラフターの握りを左手に持ち、描きかけの転炉組図に墨入れを施していった。
翌日、躑躅間で庄左右衛門と話しているところに左太夫がやってきた。
「正則どの、ちと尋ねたき事がありまして、組頭様とのお話はもうお済みでしょうか」
「おおっ左太夫いいところに来た、お主の所に技術好きの良き若者はおらぬかのぅ」
庄左右衛門は左太夫を見上げながら袴の裾を引き、座るように促した。
「組頭様、藪から棒に何の話でしょう」と左太夫は怪訝な顔で庄左右衛門の隣に座る。
「正則殿の方で今いろいろと設備の設計を行って貰っておろうが、じゃが人手が足らぬのじゃよ」
「人手ですか…我が組には与力が五名と同心二十名ほどがおりますが…手先が器用な者なら大勢おりますが絵図面を描けるは…んん、数人はおりますが正則様の御要求する水準にはとても及ぶまいかと……。
そうそう!田付殿の所には鉄砲磨同心が十二名ほどもおり、その中に若いが頭の切れる者が三名いると光右衛門殿が以前自慢しておりましたぞ、何でも三人中二人は絵図面の腕はなかなかのものとか」
「そうか、それはよい事を聞いた、光右衛門はきょうは出仕しておったかな」
「はっ先ほど若年寄様からの御呼び出しで本丸の御用部屋に出かけましたが…もうそろそろ戻るころと存ずるが」と言いながら左太夫は正座を胡座に組んだ。
「あい分かった、正則殿ちと光右衛門の所にいってみるかの」
光右衛門と正則が立ち上がりかけると。
「これっこちらの話しが済んでおりませぬ」と左太夫は口を尖らせた。
「おおっ、すまんすまん、では儂は先に行っておるから左太夫の話しが終わったら正則殿も来られよ」と言い、庄左右衛門は立ち上がって鉄砲組の席間へと歩いて行った。
「正則様、相談ともうしますは遊底嵌合公差の件で御座る、過日正則様のもうされた『えいち八対えふ七』が良いと申され…その際のアルファベットは、穴は大文字で軸は小文字で書くと申されたが話が早ようて公差の概念が未だようわかりませぬ、何か公差の考え方を詳しく記した書物などは御座らんかのう」
「これは申し訳ない、話が早う御座ったか、公差の概念は過日“大きい光絵”で御見せした工学便覧に詳しく記載されており先日写しを作ったばかりで御座る、明日にでも持参しますよってその時に詳しく説明し便覧の写しは差し上げます」
「これは有り難い、拝聴し理解しがたき箇所が有りましたならまたその時に質問致したく存ずる」
二人は立ち上がると鉄砲組の席間へと歩き出す。
現在、左太夫には三角法製図及び規格概念の習得のため、歩兵用小銃の図面を描いてもらっている、先月組図が終わり今は部品図を作成中のはずであったが…。
だが左太夫に支給するはずのドラフターができていないため、正則が以前使っていた製図板とT定規および三角定規を渡していた、またカラス口も一式渡してあるため図面は描けようが、相当苦労しているだろうと想像はしていた。
また製図に関しては、尺から粍への単位変更と規格の統一を今後は徹底していこうと考え、先月左太夫・光右衛門及び欣也と幸司朗の四人を集め、規格の概念と寸法公差の考え方を二日間かけて教育したのだ、この時感じたは若者二人の吸収の早さである、それに対し左太夫と幸右衛門他は飲み込みに時間を要し、結局は若者らの速度で講義を進めた結果…先の左太夫の概念が分からなかったに現れていようか。
規格の統一に関しては、旧日本軍の三八式歩兵銃などでよく言われた話であるが、複数の職人が同時に同じ銃を完成させる場合、当時の日本工業製品には「規格」の概念が未熟であったため銃職人がその場で部品を個別に微調整するため、同機種銃器の部品に互換性がないという現代では考えられない現象が起きていたのだ。
この問題は日本に限らず、当時諸外国でも同様で兵器・武器の部品の『相互互換』は大きな問題として各国も認めていた。
正則はこの点を憂慮し、技術者には初期段階より規格概念及び表現とその実施方法については徹底的に教育し、工業における規格統一がいかに大事であるかを彼らに理解させるべく、学習として左太夫には小銃・大砲の設計製造、光右衛門には銃砲の弾及び薬莢と火薬の製造を依頼したのだった、そして二人にはパソコン内の武器ファイルより第二次大戦以前の武器図面集及び火薬と薬莢製法集をプリントして渡していた。
正則は彼らがこれらをどう読みどう解釈し、必要技術が如何なるものか…その理解力レベルと創意工夫の能力を推しはかるため渡したのだが、彼らが正則の期待値レベルにない場合は切り捨てもやむを得ずとさえ考えていた、それほど正則は急いでいたのだ。
光右衛門と庄左右衛門が辺りを窺いながら、密談調に会話をしていた。
「お主ら何をそんな小声で喋っておられるのか」と左太夫が無遠慮に二人の間に割って座り込む。
「おっ、正則様も来られましたか、これ左太夫…おぬし顔が近いわ」
光右衛門は左太夫を押しのけ正則が座る隙間をあけた。
「話の続きになるが…お主が若年寄様より伺ってきた内容を正則殿と左太夫にもう一度最初から話してはくれぬか」と庄左右衛門は促した。
「話と申してもただ聞き取っただけの事…大した話では御座りませぬ」と前置きし光右衛門は小声で語り始める。
正則は周囲をあらためて見渡した、四人集まっての密談…目立ってはいないかと注意深く見渡すも…こちらを気にかける気配は窺い知れなかった。
庄左右衛門や正則らは布衣役である、旗本役の最も格の高い役職は諸大夫役で、位は従五位下と小大名並みである、諸大夫役より一つ格下の彼ら布衣役は六位相当でいずれも旗本役中でも数は少なく顕職であり高級官職と呼ぶべき存在であった。
左太夫・光右衛門ら鉄砲方も正則らと同じ布衣役で、江城西ノ丸の躑躅間を詰間としている。
躑躅間は西ノ丸御殿の中程手前 北側に面し、十~二十畳ほどに区分けされた数部屋で構成されていた、その一部屋の鉄砲方席でいま四人が何やら小声で話し合っている、この部屋は鉄砲方以外に小十人頭・船手頭の寄合所帯のため正則は気が気ではない。
組違いの先手鉄砲頭二人が勝手に入り込み、白昼堂々人目を憚らないひそひそ話、目立たぬわけがない…それでも庄左右衛門はお構いなしに光右衛門の語りに夢中になっているからだ。
躑躅の間に限らず、詰間内での寄合談合や組違い者との話し合いは固く禁じられていた…しかし庄左右衛門の態度を見るに彼に限っては例外にあるようだ。
彼は組頭を二十年以上勤め七年前には火付け盗賊改役を兼ねたことから躑躅の間では武辺者の長老格として幅をきかせていた、故に庄左右衛門に対し注意をしようなどという武者はいなかったのであろうか。
四人の輪の中 光右衛門は得意げを抑え、さらに小声で語りを継いだ。
「例の亜米利加のモリソン号が水無月二十八日に浦賀港に侵入し浦賀奉行が砲撃したことは覚えておろう、そして文月十日にはまたもや薩摩山川沖に出没し薩摩藩家老の島津久風が退去させたのは耳新しきことであるが…そのことで先頃十二代将軍に就任された家慶様が痛く不安に思われていること、皆も知って御座ろう。
ほいでの以前若年寄様より我ら鉄砲方に対し火縄を使用しない新式銃の考案と製造を急げと命じられ儂等がゲーベル銃で失敗した件は正則様もご存じと存ずるが、先月の終わりに儂と左太夫の連名で、少々重き建言書となりもうしたが『言上書』の体裁で、黒色火薬の数倍の威力がある新しき無煙火薬と、画期的な元込め銃を発案したと記し、銃火薬工廠建設の仮承認を本承認いただけるよう嘆願と各絵図面を添付し提出したので御座るよ。
その件で先ほど若年寄様に呼ばれての、例の言上書が老中井伊掃部頭様がえらく感心され、若年寄様に「工廠建設の本承認を急ぐよう儂が申していたと老中首座に申し聞かせよ」と御命じなされたと今し方御伺いしたばかりじゃ」
「と言うことは、言上書が御裁可の運びになり工廠建設も承認されると言うことか」と庄左右衛門は意気込んで膝を躙り寄せた。
「いえいえ、ですから掃部頭様が直接老中首座に御命じされるのでは無く、若年寄様に そんなことを言ってたよ程度に伝えてこいと言うほどのことですわい、それとまだ話しの続きが御座るのよ」
「ええい、まどろっこしい 光右衛門勿体付けずと一気に申せ」
「はいはい先を続け申す、若年寄様が申されるには井伊掃部頭様は今年老中首座になられた水野忠邦様にえらく御遠慮なされ、ご自分で工廠建設承認する権限はあるものの裁可は水野様に一任すると申され、若年寄様には老中首座の水野様に早期にお目に掛かり何とか承認を得るようにと補足されたそうじゃ」
「井伊掃部頭様と申せば大老、なんで水野様に御遠慮などなさるのか!とっとと己で承認すればよいものを…訳が分かり申さぬ」と左太夫が鼻白んだ。
「お主らそんなこともわからぬのか、井伊掃部頭様は先代の家斉様の寵愛深く大老に就かれた御方、しかし今は家慶様の世、その上様寵愛深き水野様が主流なのじゃ、皆も裏で囁かれておる粛正のこと一度は耳にしたことが御座ろう、これで先代様がもしお亡くなりなられてみろ、旧家斉派は次々と粛清されるは必定だて、掃部頭様はそれを恐れており勝手に承認など出来ぬのよ」
「そんなもので御座ろうか…儂ら下っ端役にはとんと覇権争いなど分かりもうさんわ、結局口先だけで依然承認権は老中首座の水野様の手の内にありというわけか」と左太夫は鼻を鳴らし光右衛門を見た。
「そうじゃのぅ、水野様と申せば重農主義を基本に今や華美な祭礼や贅沢・奢侈はことごとく禁止されている御人…飢饉が騒がれる昨今 井伊掃部頭様が後方支援してくれたとて金のかかる工廠建設の本承認などすぐには難しいわなな」と光右衛門は肩を落とした。
「いやいやそうとは限らんぞ、先頃水野様は西洋流砲術を導入させ近代軍備を整えさせるが肝要と申されたとか…それは昨日摂津守様から儂と正則殿が聞き及んだばかりじゃて、これはひょっとしてうまく運ぶやもしれんぞ」と庄左右衛門は瞑想げに眼を閉じた。
「だといいですが…それはそうと話しは逸れ申すが、若年寄様が申されるに水野様が最近 江川英龍・高島秋帆殿にいたく感心をお持ちとか、先頃もこの二人を本丸に呼び西洋砲術の事などを御下問されたとか、そこで鉄砲方もこれら江川英龍・高島秋帆殿に近づいておくと水野様の覚えも目出度いやもしれぬ申されての……そう言えば左太夫はこのお二人をよう知っておったな」と光右衛門は左太夫を脇からこづいた。
「左様、江川家と我が井上家はもう百年以上も前よりのおつき合いに御座る、江川家は平安以来の名家で始祖が清和源氏源経基の孫・源頼親で、相模・伊豆・駿河・甲斐・武蔵の天領五万四千石分の代官で御座るよ、我が家などは足下にも及ぶものでは御座らんが。
また高島秋帆殿は英龍殿に以前お引き合わせ頂いた御方で、長崎町年寄の高島茂起殿の三男にして、出島のオランダ人らを通じて和蘭語や洋式砲術を学び、私費で銃器等を揃え三年前に高島流砲術を完成させ申したとか、また二年前には自作第一号の青銅製モルチール砲を肥前佐賀藩に献上したと聞いて御座る。
彼らは頭脳明晰にして武士としての胆力は並々ならず、それがしの尊敬する御方らで御座り、彼らより学ぶ近代銃器の先進性には常々感服致しており申した、しかし正則殿を知った今…彼らなどは遠い霞にさえ感じるが本音、彼らより学ぶものは皆無と言え申そう」
「そう言ってしまえば…その通りであろう、しかしじゃ若年寄様の御命令なのじゃから、近々にでも我らにその御二人方を引き合わせよ」と庄左右衛門は左太夫の肩をたたいた。
それでひそひそ話には区切りが付き、庄左右衛門と正則は鉄砲方の席を辞去し、御先手鉄砲頭席に移動した。
「正則殿、彼らもやり申すのぅ、何とか銃火薬工廠の建設本承認が取れ申さば 我らが進めておる幕府陸軍及び陸軍工廠の創設にも弾みが付くというもの、彼らの手に余ると申さば我らが裏より後押ししてやらねばのぅ、それと江川英龍・高島秋帆との件はどうしたものであろうか、儂も彼らとは幾分面識は有るが…油断ならぬ人柄と見たのじゃよ、うかうか信用は出来ぬと存ずるが…正則殿はどう思うか」
「はい、それがしも彼らを後の歴史書でよく知っております、特に高島秋帆殿は長崎の一介の町年寄が砲術の専門家として幕府に重用されるは…よほどの出来物なのでありましょう、現にこれより五年後、鳥居耀蔵の妬みをかい讒訴により長崎奉行の伊沢政義殿に逮捕・投獄させ、後に赦免されましたが高島家は一度は断絶処分になっています。
彼らほどの能力者が得られるのなら我々の改革は一気に加速する気がしますが、しかし彼らの底は知れません…彼らが未来の科学技術を吸収したとき とんでもない怪物に変貌する…そんな気もするのです」
「ふむぅ、正則殿もそう思うか…儂もそんな気がせんでもない、じゃが彼らとじっくり差し向かい その人なりを確認するまで偏見は棚上げしておくかの、彼らとの面会は儂と左太夫の方で段取りを付けるよって、その時は光右衛門も交え 忌憚のない話合いを致そうではないか」
「はい、ではその件は庄左右衛門様にお任せします」
「相分かった、それと話は変わるが光右衛門が申しておった無煙火薬とは以前正則殿が申しておった『こるだいと』のことかの」
「そうですが…」
「左様か…正則殿、あの火薬製造は非常に危険と以前申しておったが…光右衛門に出来るかのぅ、粗忽な彼では非常に危ういと懸念するのじゃが…如何なもんかのぅ」
「そうですね、それがしも初っぱなからコルダイト製造は荷が勝ちすぎると彼には申しましたが…彼はどうせ作るなら最終形のものがよいと聞き入れません…もし製法のみを教え彼に製造全てを任せたなら、ニトロ生成の際の爆発は免れませんでしょうなぁ」
「おいおい正則殿そんな他人事のように、そのような危険な物を粗忽な光右衛門に教えるなどは軽率では御座らんか」
「そうは申してもいずれ誰かが製造しなければなりません、安全については安全手引書を作成し彼に渡してはありますが…正直それがしも心配です。
よって爆発物取扱責任者を検定化し試験制度を実施したいと考えています、早々にも試験の問題策定を始める予定ですが、銃器製造・試射も同様に危険物取扱責任者を検定化していくつもりです」
「さすが正則殿、儂が憂慮すべき事柄ではなかったようですな、ではその件はそちに任せるとして、火薬製造に必要な薬品生成の目処はもう立ちましたかのぅ」
「いえ…未だ立ってはおりませぬ、グリセリン製造は酒の製造と同様 糖を酵母によってエタノール発酵させ、それへ亜硫酸ナトリウムを加えてグリセリンを生成しますが、これは多摩川上流左岸の福生村名主 田村酒造に製造を依頼し目星はつけました…が、問題は硝酸と硫酸の生成です、これには古来より幾通りの方法が有りますが量産となればやはり白金による触媒法が不可欠でしょう。
硝酸はアンモニアを白金触媒で酸化させるオストワルト法、硫酸は硫黄の燃焼ガスを白金触媒し水に吸収させて得る方法が一般的ですが、問題は白金です それがしの時代では安価な酸化バナジウムを白金の代替えとしていますが…バナジウムはこの日の本ではほんの僅か上州で産出する程度、とても工業化の水準には及びません。
ましてや白金となればさらに希少金属で日の本ではまず入手は不可能でしょう、この白金については先日 宇田川榕庵殿の屋敷を訪問し、国内産出の可能性などを御相談致したが…榕庵殿が著した化学書で、以前庄左右衛門様にもお貸しした「遠西医方名物考補遺巻八」に記載の通り、この日の本ではやはり不可とのことでした」
「そうか…それは困ったのぅ、正則殿 他に手立ては御座らぬのか」
「有りますが量産工業化となれば…しかし計画はもう進んでおりますゆえ出来ないとは今更言えるはずもなく…何とか手を尽くし他の方式で量産の手がかりを掴むつもりです」
「正則殿、取り敢えずは大砲用ダブルベース火薬『コルダイト』の量産は後ほどとして、まずは小銃用のシングルベース火薬『綿火薬』であればそれほど量産にこだわらずともよいのでは御座らぬか」
「しかし庄左右衛門殿、例の第一次五カ年計画では大砲用火薬は日産百貫、小銃用火薬は日産二十貫と決めたはず…これでは量産達成は画餅というもの、始める前からこの体たらくでは恥じ入るばかりです」
「正則殿、そんなに気負うことはなかろう、取り敢えずは小銃用の二十貫程度ならば何とでもなろう、大砲用は数年も考え込めば何とか手筈は見つかると言うものよ、のぅ」
「そんなことでよいのでしょうか……」
庄左右衛門の楽観な物言いは正則を気遣ってのこと…それに甘えてはならぬとも思った。
学生時代…もう少し化学の勉強をしておくべきだったと正則は悔いた、現にパソコンには工学関連ばかりが詰め込まれ化学関連はほんの僅かな量だ、まさか江戸時代に落ちるとは考えもしないからこれは仕方の無いことと思ってはみるが…。




