第1章 2-2 ひいぱあちゃん
「おつかれー」
テニサーみたいな日焼けした笑顔と白い歯で、明るい方が親指をあげる。蕗春雷。二十歳……だったかな。どっかの大学の三年生になったって云ってた。ピアスなんかしちゃって、かなりとっぽいけど、そこそこの大学らしい。たまに勉強も教えてくれる。ウチの道場生。紙切。
「お疲れさまでした。いよいよ正式に入門ですね」
もう一人が、無表情でぼそぼそと云う。イケメンメガネ男子なのに、この暗さはどっからくるんだろ。もったいない。こっちが春風眞。十六歳。高二。こっちもけっこうな進学校らしくて、同じく勉強を見てくれる。どっちも名前に春ってついてるのがミソ。ダブル春。春春コンビ。眞は、ひいばあちゃんが自らどっかからスカウトしてきたって聞いた。かなり強力なゴステトラを持ってるみたい。既に目録。
「大先生が呼んでるぜ」
雷がえくぼを浮かべながら片目をつむる。自然にそういう仕種が出来るって、ちょっとうらやましい。
「マジで? いますぐ!?」
少しくらい休ませろよババアー。と思っても口には出さない。それくらいは、できるようになった。
二人に連れられて、ひいばあちゃんの待っている道場の奥の部屋へ向かう。長いすべすべの廊下を何度も曲がって……まだ慣れない。一人では絶対に迷う。
「大先生、お嬢が戻られました」
襖の前の、廊下の床板に正座して、雷が声をかける。
「入ってちょうだい」
中から凛とした声がした。ウチで八尺天心流茶道も学んでいる二人がその所作でもって静かに襖を開け、あたしは慣れない動きで敷居をまたいだ。手前の部屋の畳の縁へ正座して、習った通りにお辞儀して挨拶をする。
「ただいま帰りました」
「ごくろうさま」
若い。何度見ても若い。美ババアーだ。九十三歳にはとうてい思えない。シャンと立派な着物を着こなして、背筋もあんまり曲がってない。どう見ても七十代にしか見えない。髪は見事に真っ白だけど、銀に染めているかのようにきれいに光っている。
「難なく、倒したようですね」
お華を活けていたひいばあちゃんが、青磁みたいな笑顔であたしを見る。背筋が凍りつく。すげえ殺気だ。いや、ひいばあちゃんのゴステトラがそうさせるのかもしれない。
ひいばあちゃん。天御門菫子。日本狩り蜂協会会長。天御門八尺天心守護闘霊宗家。元無敵の狩り蜂。倒した土蜘蛛はピンからキリまで二千を超えるという、妖怪ババアー。正月には、総理大臣も挨拶に来る。皇居にもフリーパスで行けるらしい。どんだけだよ。
「あ、はい……なんとか」
「…………」
慣れない。写真ですら見たことなかったし。ママがとにかくひいばあちゃんとソリが合わなくて……それでも結婚して、パパの名前にしなくて天御門の名前を残したのは、一人っ子だったっていうのもあるだろうし、やっぱり何か想いがあったんだろうと思う。それに、もしかしたらあたしがこうなることを分かってたのかもしれない。
「え……と……」
あたしが汗をダラダラかいて正座していると、
「入門を許可します。三戦三勝。三月から初めて二か月とちょっと。なかなかいないわ。おめでとう」
「え……」
思わずひいばあちゃんの顔をみつめた。見たことない笑顔があった。
緊張と照れで、赤くなって、うつむいてしまった。情けない……。
「蕗春、春風」
「はい」
また襖を開け、廊下で正座していた二人が礼をする。
「山桜桃子をよろしくね。頼んだわよ」
「おまかせください」
二人して、大まじめな顔と声でそろってそう云った。
あたしはおずおずと礼をして、足が痺れる前に立ち上がるとまた礼をし、下がった。襖の前でちょっと振り返ったけど、ひいばあちゃんは、もうあたしを見ていない。