臆病な魔女
奇襲の際、最も現場に残っていたのが『残虐の魔女』フランチェスコ。逆に最も素早く逃げたのが『鎧の魔女』ジャンヌだった。
彼女は今、エルヴィラを抱えながら街の中を走っている。
「まさかいきなり仕掛けてくるとは…ふむ」
「あっぶねー! 私の足じゃまず逃げられなかったわ! ありがとね『鎧の魔女』」
ジャンヌに抱えられながら礼を言ったエルヴィラは自分達が今までいた城に視線を向ける。あれだけの爆発があったというのに焦げや倒壊などの痕跡が一切なかった。
「気にするな、それより私が気になるのは他の魔女の安否だ…」
ジャンヌは走りながらチラチラと視線を移す。仲間の捜索の他に索敵を兼ねているのだろう。
「心配ないと思うよ? 私達以外にもだいぶ逃げてたし…って言うか助けてもらった身でこんなこと言うのもなんだけどさ、人の心配してる場合じゃなくね?」
「…そうだな、まずは身の安全を確保しないとな」
そう言ってジャンヌはゆっくりと足を止め、辺りを見渡す。休めそうな宿泊施設でもあればいいと思ったが、流石にそんな都合の良いことは起こらない。
この付近には宿泊施設どころか飲食店も無いようだった。
「変だな」
ジャンヌが辺りの建物の窓を眺めながらポツリと呟く。
「変って何が?」
「分からないか? 人がいない」
言われてエルヴィラはやっと気付く。ここに来る時はあんなに賑わっていたはずなのに、今は人の声どころか鳥の鳴き声すら聞こえない。
全員国外退去でもしたのだろうか。
「もしかして全員殺されたとか? いや、どっちにしたって時間が足りないか…万単位の人間を一瞬で消す魔法なんて…無くはないけど出来る奴がいないだろうし」
「消えたのは国民では無く私達の方じゃないか? 百人や千人は無理でも二十二人ぐらいなら術式さえ分かれば私や君にだって出来ると思うが」
言われてみれば確かにそうだが。
「仮にそうならここはどこさ? 私達が国から消されてどこか別の場所に飛ばされたにしたって…ちょっとさっきまでの場所と似過ぎてる気がするな」
街の雰囲気、建物の構造、その全てが酷似している。
いや、そもそも逃げてきた城がある時点で場所自体が変わってるとは考えにくい。
「ん」エルヴィラは足を止める。彼女の視線の先にあるのは親友ペリーヌの家、人気のお菓子屋さんだった。
ほんの数時間しか経っていないが、とても懐かしく思える。顔だけでも見ておこうと、エルヴィラはお菓子の家へと足を進めた。
「どうしたんだい? そこに何があるんだ?」
「別に…ただの友達の家だよ、顔ぐらい見せておこうと思って」
エルヴィラが言うとジャンヌはにっこり笑って「友達思いなんだな」と言った。
そのまま二人でお菓子の家に向かう。こんな事になってペリーヌは不安がってないだろうか。はやる気持ちを抑えながらエルヴィラはドアノブを握る。
しかし、そのドアノブを回そうとした時、エルヴィラは奇妙な事に気付く。それは同時にジャンヌにも伝わった。
回らない、ピクリとも動かない。
いや、正しくは右に回して捻ることが出来ない。
「なんだこれ…なんでドアノブが左に回るんだ…?」
「元からそうだった…と言うわけでもなさそうだね、その様子だと…ああ、おかしいのはそれだけじゃないな」
ジャンヌが指差す方を見ると、お菓子の家の看板があり、そこには
『家の子菓お』
と、書かれていた。
「なんか…分かってきたな」
エルヴィラは誰もいない親友の家を残念そうに見ながら、自分達に起こった事を理解する。理解はできるが、信じられない。
上には上がいるとはまさにこのことか。
確かに自分達は一人残らず強力な魔法に捕らわれている。『反乱の魔女』もまとめて全員。何が発動条件になったかはまだ分からないけれど、エルヴィラはベルナールに素直に感心する。
一体どこでどんな条件でこんな強力な魔法が使える魔女の協力を得られたのだろう。
まぁ、『反乱の魔女』と交渉する辺り、まともな神経は持っていないが、交渉術には長けているのだろうから、なんら不思議ではないのだけれど。
しかし、そうなるとこの状況はあまり好ましくない。一刻も早く他の『防衛の魔女』達と合流した方がいい。
「『鎧の魔女』…急いで他の連中を見つけよう」
「…? 言われなくてもそのつもりだが…どうしたんだ? もしかして何か分かったのか?」
ジャンヌの問いにエルヴィラは気だるそうなため息と共に「ここは鏡写しの『反転世界』だ」と答え、舌打ちをした後続けた。
「この世界を作り出してる鏡が壊れたら、私達は永遠にここから出られなくなる」
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この世界が普通ではないということにこの時点で気付いたのは、実はエルヴィラ達だけではない。
「あ…あうぅ…外なんかに出るんじゃなかったぁ…」
大きな檻を背負った少女は店の看板の表記がおかしい事に気付き、その小さな身を震わせた。
『反転世界』の恐ろしさは、仲間だった魔女や自分の師匠から嫌という程聞かされている。この世界を作り出すことが出来る唯一の魔女の事も勿論セットで覚えさせられた。
『鏡の魔女』ジュリア。特異魔法の本質は知らないが、『世界を作る魔女』と恐れられている魔女である。
今自分達がいるこの世界は彼女が作り出した物にまず間違いないだろう。『防衛の魔女』の味方でも無く、『反乱の魔女』の味方でも無い。
この戦争を公平にいつまでも監視できる存在として協力を頼まれたのだろうか。
(い…いえ…恐らく愉快犯でしょうね…)
檻を背負い直した彼女、『幽閉の魔女』ジョーンは逃げてきたはずの城の方へ向かって歩き出した。このままでは永遠にここから出られなくなるかもしれない。
面白半分でこの戦争に手を貸すような魔女の事だ、気まぐれで自分達をここに残したまま魔法を解除する可能性だって十分にある。
(そうなる前にとりあえずここから脱出しないと…)
ジョーンの歩みは自然と早足になっていく。
自分の今までの長い人生を振り返って見てもはっきり分かる、こういう嫌な予感は確実に当たる。魔女の予知魔法など使った事も無い、無いが、嫌な予感だけはいつも決まって的中してきたのだ。
魔女に目覚める前、祖父の死をなんとなく予感できた。その次は祖母、叔父、仲の良かった近所のお婆さんも、なんとなく、もうすぐ死ぬんだと分かった。
しかしみんな老衰だと思っていた、随分しんどそうだったし、これは誰でもわかる事だと思っていた。
妹が事故で死ぬまでは。
その日妹は母の手伝いで森に薬草を取りに行くと言っていた。玄関から出て行く妹の背中が妙に暗く感じ、嫌な予感がした事を今でもはっきり覚えている。
ジョーンは私もついて行くと言ったが、妹は自信満々に胸を張って任せてと笑って出て行った。
その日の夕方、妹は冷たくなって帰ってきた。
恐らく狼か熊に襲われたのであろう、その死体は人間の形を保っていなかったが、いつもお気に入りだと言って首から下げていたペンダントがその死体が妹であるという残酷な現実を家族に突きつけた。
あの時無理矢理にでもついて行っていれば。
例えジョーンが付いて行っていたとしても、母や父が一緒だったとしても、野生の猛獣から助かる術なんか無かっただろう。しかし、だからといって後悔しないなんて事は出来ない。
悔やまない日は無かった、毎日泣いていた。母も父も、お互い悪く無いと分かっているのに、やり場のない怒りの矛先をお互いに向けあってばかりいた。
そして再び感じた嫌な予感。勿論それも的中した。
両親が、無理心中を図ったのだ。母が食事に毒を盛った。
急激な吐き気とめまいに襲われながら、ジョーンは同じように苦しむ両親を酷く哀れんだ。
何故あの子の分まで強く生きようと思えなかったのか。どうして幼い自分を殺す事に躊躇わなかったのか。どうしてそうやっていつも目の前の問題から逃げ出すのだろうか。
どうして。そう思っている内に彼女の意識は闇へと消えた。
しかしそれはほんの束の間のことで、ジョーンだけがすぐに目を覚ました。
幸か不幸かこの時既に彼女は魔女化していたのである。
魔女ゆえに、炎で焼かれるか呪いでしか死なない不死身となっていたため、たかが毒では死ななかった、死ねなかった。
両親の死と行いを受け止めきれず、魔女である自分自身に恐れを抱いて、彼女はそこから数百年、家に閉じこもった。
外に出れば魔女狩りが行われている、嫌な予感しかしなかった。不本意だとしても関係ない、魔女は全て狩られる存在。
彼女は無意識に家全体を結界で囲み、周りから見えないように隠していた。案の定その間、彼女の住む村にも魔女狩りの手は回っており、村はほぼ壊滅状態になっていた。
後にジョーンはこの場所を訪れたとある魔女の弟子となって暮らすことになる。その時に自分の魔法の特性も教えられた。
いつも感じるあの嫌な予感は、そういうことだったのかと納得して、彼女は自分が随分前から化け物になっていたのだと知った。
(無意識とはいえ多くの人を殺した私の魔法だけど…今回ばかりは存分に使って良さそうかな…)
妹が死んだのも父と母が死んだのも、村が壊滅したのも、全部自分のせい。自分の魔法のせい。
(この戦いを最後にしよう…もう誰にも関わらないでおこう…どうか私を一人にしてほしい)
罪の意識から、責任から、全てのことから逃げたかった彼女の願いはたったそれ一つだった。
その為にも、『反乱の魔女』を一人残らず殺さなければならない。どんな卑怯な手を使おうと、最終的に生き残れば良いのだ。
自分の持つ特異魔法、『転嫁人』があれば…例えどれだけ強い魔法だろうと呪いだろうと負ける事は
「『破壊の魔女』ランダ」
無いはずなのだけれど、しかしそれでも、不意に名乗られれば誰だって驚くだろう。
建物の陰から彼女は突然現れて、そう名乗った。あまりに突然のことだったので、その魔女と顔を突き合わせる形になってしまう。
「…っ⁉︎ ゆ『幽閉の魔女』ジョーン」
驚きながらもしっかり名乗って、ジョーンはそこから飛び退き下がる。ランダと距離を取り、様子をうかがう。
ああ、最悪だ。こんな直接戦闘は出来るだけ避けたかったと言うのに。よりにもよってこんな危険そうな相手と戦わなくてはならないなんて。
「ああ…ええっと? あんた『防衛の魔女』の一人よねぇ? ふんふん…とりあえず殺さないとね」
「ひっ…ひぃ! ま、待ってくださいよ!」
ジョーンは背負った檻の中に素早く入り、攻撃を止めるようランダに呼びかける。
赤い手が煌々と光るランダに明らかに異質な、今までと違う嫌な予感を感じた。
だからこそ、先手必勝と行かせてもらう。
「待ってって言われて素直に従うほど、私律儀でも余裕持ってる人でも無いのよね」
ランダはそのまま早歩きで近付いてくる。
「私の特異魔法は『バッド・クラフト』って言って…まぁ簡単に言っちゃえばこの手で触れたものはなんであれ爆散して破壊するっていう魔法、それは相手の魔法を一時的にぶっ壊すことも可能なのよ」
そう言ってランダは檻の柵を掴む。
「この檻になんらかの魔法を使った仕掛けがある事は読めてるわよ、だから遠慮なくあんたの武器を破壊させてもらうわねっ!」
ランダの手の輝きが強くなる、そしてボンッという破裂音と共に檻が跡形もなく破壊
「…あれ?」
されず、逆にランダの両手が粉々に吹き飛んだ。
「だ…だから言ったじゃないですか…! ま、待ってくださいよって…!」
自信なさげな表情を浮かべながら、しかしそれでも口元だけは頑張って不適に笑おうとしながらジョーンは言う。
「私の特異魔法『転嫁人』は自分がどこかに籠っていると自分に降りかかる災難を、他人に押し付ける事が出来るんです」
ランダは特に慌てる風でもなく、それでも不機嫌そうな表情は浮かべながらジョーンを睨みつける。
まだ何か策はあるのかもしれないが、不機嫌になっているあたりダメージはそれなりにあって、攻撃が無効というわけではなかったようだ。
ジョーンは自信がついたのか、柵を握り、ランダを強く見つめながら言った。
「舐めてたら本当に死にますよ? 私はすごく臆病なんです…臆病者は、加減なんて知りませんからね?」
最後の魔女狩りが始まってから一時間も経たないうちに、早くも第二ラウンドが開催されようとしている。
彼女達はまだ、お互いのチームで既に死人が出ている事を知っていない。
知る由も無い。