残虐の魔女
「あらぁ? 誰も残ってないわぁ」
『防衛の魔女』一同を襲った業火はケリドウェンが指を鳴らすと一瞬で消えた。その焼け跡を確認しながらケリドウェンは首をかしげる。
「全員焼け死んだのかしらぁ?」
「それはないんじゃない?」
隣に立っている魔女が蝋燭を指差しながら言う。
「アイツらの蝋燭が一つも消えてない、誰も死んでないって事じゃない?」
言われてケリドウェンは辺りを探索する。するといくつか脱出に使われたであろう痕跡を見つけた。
破られた窓、床と天井に開けられた穴、出入り口から廊下へ続く足跡。
「あらあら……これは本当に全員に逃げられたみたいねぇ……あの一瞬でよくもまぁ」
「これぐらいで死んでるようじゃ国の防衛なんて任せられないんじゃない? それより私達もさっさと行動しようよ」
ケリドウェンは少し残念そうにため息をひとつ付いてから「そうね」と言って全員に向き直る。
「はぁい、じゃあみんな頑張りましょうねぇ〜! 期限は無いなんて言ってたけれどのんびりもしてられないわぁ〜、なのでぇ」
ケリドウェンは指折り数えながらニヤリと笑う。
「一日一人ずつ殺していきましょう! 確か相手は十一人だったからぁ……まぁ十一日、多めに取って二週間、この戦争は二週間で終わらせましょう!」
本当に楽しそうに、彼女は微笑みを浮かべながらそう言った。
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突然の奇襲に結局全員が離散してしまった『防衛の魔女』達だったが、全員が外に逃げ出したというわけではない。
咄嗟の行動だったので、冷静な判断ができなかったのは仕方ない事だとは思うが、こういう状況で外に全員がバラバラになってしまうという事態はなんとか避けるべきだったと彼女、『残虐の魔女』フランチェスコは思う。
(離散が目的だったのかも? 何人か死んだらラッキーって感じ?)
フランチェスコは城内の小部屋に逃げ込んでいた。集められた王室から廊下を右に進んだ突き当たりの倉庫。全員がコンマ単位のスピードで逃げ出していたのでわざわざ比較するのは意味のない事ではあるが、彼女はその中で、一番最後にその場から離れた魔女である。
誰よりもその場で正確な状況判断をしようとした。
(あと一歩遅かったら死んでたなぁ……髪の毛一本も残らなかっただろうね)
念の為にと魔法で偽の足跡をつけておいたけれど、多分意味が無いだろう。あの様子だと、既にここに誰か隠れていることはバレている。
(まぁ、好都合だけどね)
フランチェスコは自身の使い魔を通して部屋の周りを確認する。煙のような靄が廊下や別室をゆらりゆらりと広がっていく。
もちろん『反乱の魔女』達が未だ集まっている王室にも、目視できないレベルで薄く漂わせる。
これがフランチェスコの得意魔法、もとい特異魔法『罰蒸気』である。気体を操ることができ、その中にさまざまな成分を含ませる事だって可能である。
勿論他にも魔法は使えるがそれは基礎的なものばかり。強い魔女であれば基礎魔法から派生させた自分だけの特異魔法を一つ持っているものだ。
(空気の流れを変える魔法と濃度を調節する魔法の術式を混ぜたら偶然できたこの『罰蒸気』……まさかこれほどまで強力なものになるとはね)
生物にとって必要不可欠な『呼吸』。その為に必要なのは酸素、それは空気中に漂っている。空気とは気体。その気体を操れ、成分まで変えられる。
(自分で言うのもなんだけど……かなり完成された魔法よね? 呼吸を必要としない生き物なんて、それが魔女でも絶対にいないんだから)
欠点があるとすれば、射程距離が短いので、屋外での使用は向いていないということだろうか。しかしここは室内、自分の領域だ。
そんな事を思いながら、フランチェスコは目を閉じて、使い魔越しに『反乱の魔女』達の話に耳を傾ける。
どうやら二週間以内にこの戦争を終わらせようとしているようで、今から手分けして逃げた魔女達を探し出すとのこと。
なら必然的に来るだろう。この部屋に。
(ならおいでませ、私の魔法はこういう密室でこそ威力を発揮する、どんな魔法を持っていようと部屋に一歩足を踏み入れた途端酸欠で倒れて……あとはそうね、だんだん腐らせてしまおうかしら?)
彼女の嗜虐心がくすぐられていく。一方的に攻撃するのは好きだ。派手な戦いよりも、圧倒的な力の差を見ることの方が気持ちが昂ぶる。自分が差を見せつける側になれたなら、その悦は最高のものになる。
彼女、フランチェスコが『残虐の魔女』と呼ばれている所以はそれだった。いわゆるサディストなのである。
幼少期からどうしても覆ることの無い『力の差』というものに異常なまでの興味関心を持っていた彼女は、よく原っぱなどで捕まえたカマキリと蝶々などを同じ虫カゴに入れ、目に見える分かりやすい『力の差』を楽しんでいた。
蜥蜴と蝿を、ヤゴと小魚を、魚とミミズを、蛇と蛙を。何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も決して覆ることの無い自然の弱肉強食を、食う食われるを、殺し殺されるを、毎日観察していた。
そんな彼女を周りが快く思うはずもなく、当然迫害の対象となった。
両親すらも我が子の正気を疑い始めた頃、フランチェスコは幼い自分はこの世界で『食われる側』の存在である事を悟った。
父は毎日の力仕事で得た屈強な肉体を持っている。母は毎日の家事で得た生活の知識に富んでいる。近所の子供達は群れることでそれぞれの地位を自分で確立し、その小さな社会から爪弾きにされることのないようにする調和性を持っている。
何もかも自分には足りないものである事に気付いた時、フランチェスコはこれ以上ないほど絶望した。今まで見てきた数々の『食われる』瞬間。あの最期を迎える虫達が、何故か自分に思えてきて、震えるぐらい吐き気が込み上げてきた。
このままでは自分は生きていけない、もっと強くもっと狡猾な『捕食者』にならねば。
とても幼い少女がするものでない決意を、彼女はこの時していた。
その思いを持ったまま成人し、そして唐突に手に入れた魔女の力。
体の成長は止まり、何十年経とうと二十歳前後から見た目は変わらない。そっと手で触れた物はまるで命を吹き込まれたかのように動き出す。
人と違う能力に目覚めた時、彼女は自分が本物の『捕食者』になれたのだと思った。
そこから先は善行と悪行を交互に行なった。
私の知ってる『捕食者』は、本能のままに獲物を食い尽くしたりしない。ある程度生かして、許して、信用させてから、必要分殺す。
フランチェスコの場合、それは薬だった。人間を殺し、その死体から作った万能薬を町で売る。
薬を求め、次々に来る人間達を見ていると、彼女はとても満たされた。己の嗜虐心を満たす為だけに殺されてくれる獲物の方から自分のところは来てくれる。こんな愉快な事は無かった。
しかし唐突にそれも終わりを告げる。薬の材料が人間だとバレたのだ。
まだ『罰蒸気』を生み出していなかった頃のフランチェスコはあっという間に捕まってしまい、長い間幽閉される事になった。
すぐに処刑されなかったのは、他の魔女や魔法について聞き出す為だったのだろう。
勿論何一つ話さなかった、どんな拷問を受けようとも、ひたすら沈黙を続けた。
否、それは話さなかった訳ではない。ただ単に、激痛と怒りで声が出なかったのだ。『捕食者』である自分に生意気にも痛みを与える下衆な『餌』どもに対するシンプルで純粋な怒り。
この獄中で彼女は自身の特異魔法を発動させ、無事に復讐と脱出を成功。
しかし逃げ出した後も、懲りずに自分を討伐しようとするハンターが後を絶たなかったので、今回、勧誘に来たベルナールの話に乗ったのだ。
魔女狩りが中止されれば自分の趣味を邪魔される事も無くなる。おまけに自分の願いをなんでも聞いてくれるというではないか。
だったら望む事はただ一つ、自分の趣味を許してもらう。自分の殺戮だけは全世界で公認してもらおうと、彼女はこの戦いに参加し今に至る。
(んん?)
流れが変わり、どうやら彼女達は別行動を始めたようだ。外に出るのが大半だったが、二人だけ手分けしてこの城内を探索する事にしたようだ。
まとめて来て欲しかったが、そうは問屋が卸さないようで、その二人すらも別行動を取ってしまった。
(ちぇっ、なんだか面倒くさい……一人殺したらとりあえずここから出て誰かと組もうかな)
フランチェスコのそんな思いに応えるように、足音がこちらに近付いてくる。
コツリコツリと、ゆっくりと歩いてくる。
フランチェスコは毒霧を部屋に充満させ、向かってくる敵を待ち構える。無論自分に毒は効かないようにしている。単純に自分の周りだけ空気から毒素を取り除いてるだけだが。
足音はフランチェスコが篭っている部屋の前で止まり、直後「出ておいでよ」と若い女の声がした。
「安全地帯からわざわざ出て行くわけないでしょう?魔女の戦いってのは本来こういうものなんだから……用があるなら自分からその扉開けて入って来たら?」
顔見えない相手にフランチェスコは挑発をしてみる。しかし全く動じた様子もなく、扉の向こうの彼女は寧ろ申し訳なさそうな声色で「いや、でもね?」と続ける。
しかし敵の言葉に耳をいちいち貸すはずもなく、フランチェスコはさらに毒の濃度を上げて行く。相手がその扉を開けて入って来たらもう終わり、全身から血を吹き出して死ぬだろう。
魔女は炎で焼かれるか魔女の呪いでしか死なない。フランチェスコの毒は高濃度の呪いである。普通の人間はもちろん、いくら強い魔力を持った『反乱の魔女』だろうとひとたまりもないだろう。
何故ならこうして防御しておかなければ、自分も死んでしまうレベルの毒だから。
だから。
「ーーあれ……なんか……おかしぃ?」
視界が歪み、めまいを感じ、ついには膝から崩れ落ちる。
「ーー⁉︎」
口元を生暖かいものが流れる、その違和感に恐怖しながらフランチェスコは霞む視界で自分の口元を拭いそれを見る。
手にはべったりと血がついていた。
「ーーゴホッ!」
叫び声よりも先に血を口から吐き出す。いや、口だけではない、目から耳から鼻から全身から血が吹き出して来た。
「なんていうかさぁ、気分悪いんだよねぇ……こういう勝ち方」
扉の向こうでは心底うんざりしたような声で魔女が言う。決して扉を開けようとはせず、一方的に喋り続けていた。
「ああ、これ私の特異魔法じゃないからね? 魔力のパターンが分かるっていうのはただの特技、こんな風に他人の魔法パターンを捻じ曲げたりなんてエグい真似出来ないよ」
魔力のパターン。確かに魔法を使う際は魔力が一定のリズムを刻むように体から放出されるが、それを読んだというのだろうか。
しかも捻じ曲げる?
「ラジオとか電話とか電波が混線することあるじゃん? アレと一緒、アンタの魔力の流れに私の魔力を乗せて少しだけいじったの……制御が効かなくなるようにね」
言われてフランチェスコは気付く。もう今更遅いが、気付いてしまう。
自分の魔法のコントロールが全く効いていないことに気付いてしまった。毒の濃度を濃くする事だけ出来るが、薄めることができない。
ただひたすら濃度だけが高まっている。
「あう……あぁえ……!」
「あんだけ魔力の痕跡残してもらえたら今までもこれからも楽なんだけどなぁ……ああ、名乗ってなかったね」
扉越しに姿も見せず、彼女はスカートの裾をつまみながら言う。
「『芸術の魔女』ロザリーン」
「『残虐の魔女』フランチェスコ」
と、本来なら返ってくるであろう名乗りは、当然聞こえてくるはずもなく。わずかな呼吸音すら、部屋の中から聞こえなくなった。
「よーしまず一人目」
ロザリーンは口と鼻を手で押さえながら扉をゆっくりと開ける。目的は死体の確認だ。
「蝋燭見れば手っ取り早いんだろうけど、アレあんまり信用できないんだよねぇ」
ロザリーンは辺りの空気が既に無毒化している事を確認すると、部屋の真ん中で倒れている血塗れのフランチェスコに早足で近付く。
うつ伏せの彼女を足で仰向けにしてから、顔を覗き込む。
瞳孔は開いているか、呼吸は停止してるか、心臓は止まっているか。
それらを確認する為に、しゃがみこんだ。
その瞬間。
「あーーむぐぅっ⁉︎」
突如目を見開き、フランチェスコが飛び上がった。そのままロザリーンを押し倒し、唇を彼女の唇へと押し当てた。
『残虐の魔女』の最後の足掻き。
(あーあ……まさかラストにしてファーストなキスが女同士なんて……ほんと馬鹿みたいな死に方だ)
どう転んだって最終的には『捕食者』も食べられる。命を食べれば命に食べられる。ずっと見てきたくせにいつのまにか自分だけは特別だと勘違いしていた。
フランチェスコは口に含んでいた血をロザリーンの口内へ流し込む、猛毒をたっぷり含んだ血はフランチェスコが息を吹き込む事により容赦なくロザリーンの体内へ侵入してくる。
「ごぼっ! やっ……ょぐ」
ロザリーンはしばらくドタバタと対抗していたが、やがてぐるんと白目を向いて動かなくなってしまった。時間差でフランチェスコと同じように目や鼻から大量の血が流れ出る。
(とりあえず一人倒しといたから、あとは頑張れ)
誰にも理解されず、誰にも許されなかった『残虐の魔女』は、誰にも何にも、自分にすら許されないまま、一切の救いなんてないまま、その命に幕を下ろした。
これにより『反乱の魔女』と『防衛の魔女』。それぞれ一本ずつ、蝋燭が同時に消えた。
『反乱の魔女』残り蝋燭十本。
『防衛の魔女』残り蝋燭十本。