紅い月
子供の頃と言って思い出すのは、優しく朗らかな女性の笑み。
彼女はいつも笑顔で、自分以外の多くの子供達からも愛されていた。
そんな周りと比べれば、もう自分は子供と呼べるほど幼い歳では無かったけれど、それでも彼女は変わらず接してくれた。
性格も年齢もバラバラな子供達、その唯一の共通点は、親が居ない、自分の居場所が無いという事だ。
彼女は、そんな自分達を笑顔で迎え入れ、優しく接し、そして居場所を作ってくれた。
家事や、幼い子達の面倒を見るという、簡単な役割も与えてくれて、全員が、必要な存在であると示してくれた。
何も知らない自分達に、愛と生きる意味を教えてくれた彼女を、当時のカーミラは心から慕っていた。
ほどなくして、彼女の正体が魔女だと知る。
名をフランチェスコと言う魔女は、自分の正体を隠していた事を全員に詫びた。
彼女は魔女故に、伴侶も持たず、子供を授かる機会すら与えられないという孤独に耐えきれず、身寄りの無い子供を集めては、孤児院の真似事をしていたのだと言う。
バレれば誘拐犯になってしまう、武装した兵士達を相手に出来るほどの魔法は使えないという彼女を、魔女狩りに告発する子供は一人も居なかった。
当たり前だ、世間がどんな目で魔女を見ようと、自分達にとっては、唯一無二の存在なのだ。
自ら母を処刑台に上がらせる子などいるものか。
いたとすれば、それはもう人ではない。魔女よりもバケモノだろう。
カーミラが積極的に指示し、フランチェスコが魔女である事を隠蔽しようとした。
フランチェスコは、薬を使っては、訪ねてくる者にソレを渡していた。彼女ばかりが接客していては、いつか姿が変わっていない事に気付く者が出てくるかもしれない。
そう思ったカーミラは、当番制にして、毎回接客する人間を変えた。フランチェスコに、少し老けて見えるような化粧が出来るように、他の子供達と試行錯誤した。
必死になる子供達を見て、フランチェスコは俯きながら肩を震わせていた。
その目は涙で潤んでいた。
今まで、こんなにも自分を守ろうとしてくれた人は居なかったのだと、彼女は涙目で笑いながら言った。
そして、子供達に、ありがとうと、笑顔で告げた。
初めて必要とされた気がした。生まれて初めて、誰かの役に立ててるんだと思った。
自分は、この世に生きてて良い存在なんだと、初めて認める事が出来た。
彼女の為に、これからは生きていこう。
自分達が一人にならないようにしてくれたフランチェスコを、今度は自分達が一人にさせないようにするんだと。
そう、決心していたのに。
愛していたのに。
しかし、その数年後、フランチェスコはあっさりと捕まってしまう。
作っていた薬の材料が、人間だったのだ。
しかも、自分が育てていた孤児を使っていたのだ。
それを告発したのは、他の誰でもない、カーミラだった。
(笑ってたんだ…)
あの時、顔を俯かせていたのは、肩を震わせていたのは、自分達を、笑っていたんだ。
薬の材料になるとも知らず、親だなんだと慕ってくる、哀れで愚かな人の子を、腹の底から馬鹿にして、笑っていたのだ。
カーミラは、犠牲になったかつての仲間の残骸を埋葬し終えると、その十字架の前で誓った。
「あの女は必ずそっちに連れて行くから、炭になって行くでしょうけど…あの世でも、地獄の業火で焼かれながら、永遠に償わせるから」
いや、フランチェスコだけでは無い。
魔女なんて、みんな化け物だ。
魔女を恐れる人々は、何も間違っていなかった。
信じてた、愛してた、そんな自分達が、馬鹿だったんだ。
その後、フランチェスコが国を守る『防衛の魔女』として釈放された事を知る。そして、呆気なく戦死した事も知る。
その知らせと同時期に、カーミラの身体に変化が起こっていた事には、誰も気付かなかった。
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「はぁ? 間合い?」
カーミラは立ち上がり、わざとらしく両手を広げて隙を作って見せた。
「アンタの間合いがなんだって言うのよ、ねぇ? 確かに腕は立つみたいだけど、そもそも身体能力に差があるのを忘れてない? 私は衝撃で吹き飛ばされたぐらいじゃダメージにならないし、アンタがいくら速かろうと私は避けれる、なんならカウンター決めましょうか? 間合いに入ったのは、アンタの方よ、この距離なら、私の爪も牙も届くわよ」
「そう、みたいだね」
ジャンヌはオーバードーズを下げ、いつもの剣に持ち替える。
やはりいつもの方がしっくり来る、多少は戦いやすくなったか。
しかし、カーミラの言っている事は恐らく事実だろう。本人は隙を見せているつもりらしいが、どこから斬りかかっても避けられるイメージしか湧かない。
騙し討ちが効く相手でもないだろう、それに、もし仮に今オーバードーズで貫けたとしても、魔力の全て奪い切る事は不可能に思う。
彼女は、魔力のストックを作っておく事が出来る。それを好きな時に、しかもどこからでも取り込む事が可能なのだ。取り切る前に、反撃されるのがオチだろう。というか、これが探知地図に探知されなかったカラクリの正体だろう。
魔力を分散させているから、正確な位置が掴めなかったのだ。
その上分散させた魔力の器には、それぞれの意思があり、あらゆるところへ散らばっていく。ここにいる器が全てでは無いのだ。
まだまだ彼女には余力がある。
普通に戦ってたってキリがない。その無尽蔵な魔力供給を断ち切らない限り、そもそも戦いが始まりさえしないだろう。
全て吸い尽くすには、動きを完全に止めてからじゃないと。
「そっちの坊やは」
カーミラが、顎でウルを指す。
「参戦しないの? 団長とポジションが逆じゃない?」
「僕が入ると、かえってジャンヌ様の邪魔になりますので」
そんな事無いんだけどなぁ、と、ジャンヌは思う。
しかし、確かに今自分と共にカーミラと戦ったところで結果は同じだ。
というか、魔力が消えて、一時停止状態のクロヴィスが、いつまた動き出すか分からない。そっちを見張っていてくれた方が助かるかもしれない。
「随分信頼されてるのねぇ、アンタ…ジャンヌ? だっけ? 部下にも、魔女にも…あそこで磔にしてやった魔女も、アンタを随分信頼してたわよ」
「エルヴィラが?」
意外な言葉に、ジャンヌは素直に驚いてしまう。
「真っ暗にして、目眩しのつもりだったんでしょうけど…私には効かないのよねぇ、匂いも足音も隠せて無いなら、丸見え同然でしょ、後は普通に串刺しにしてやったのよ…まぁ、その時に、ボソッとね、あの魔女が、『後は忘れ形見がやるだろ』って呟いてたけど、アテが外れたわねぇ、私の方が上すぎるわ」
「……?」
物凄く意味深だ。どうやら予想は当たっているようだ、エルヴィラには、何か作戦があるのだろう。しかも、こちらには何も伝えず、無言のままそれに協力させようとしている。
…なんか腹立ってきた。
前々から思っていたが、エルヴィラには協調性というものが欠けている。
後でお説教だ。
「アンタさ、周りから信頼されて…どう感じる?」
「…? どういう意味?」
「そのままの意味よ、アンタを信じて頑張ってくれる周りの連中…アンタさ、そいつらに対してどう思う?」
カーミラの言葉の意味がよく分からない。そんなの、答えは決まっている。
「そんなの、感謝しかないよ…私一人じゃどうしようもない事ばっかりなんだから…私を信頼してくれてるなら、それに答えたいって思う…それ以外に、何かあるかな」
「その言葉の真意って、誰にも分からないじゃない?」
カーミラは、馬鹿にしたように口元を歪めながら言う。
「口ではなんとでも言えるでしょう? 言葉巧みに人の心につけ込む奴は大抵『優しい良い人』よ、そうやって、周りを自分の都合の良いように利用していく、それの繰り返し」
「何が言いたいの?」
揺さぶりを、かけているのだろうか。怒らせて、冷静さを奪おうとしている、のかもしれない。
そう思っておこう、そうしないと、不快感に飲まれそうになる。
「別に、ただ…アンタだって、所詮他人を駒だとしか思ってないんじゃないかと思ってね。周りから絶対的な信頼を寄せられている、その立場を、悪用しようとは、微塵も思った事無い?」
「…無いよ、そもそも、自分がそんなに立派な人間だと思ってない、立派な人になりたいとは思っているけど…ねぇ、何が言いたいのって」
「アンタがそうじゃなくても、周りはどう? アンタはなんで魔法を集めさせられてるの? それを命じたのは誰? あの魔女はどう? アンタに何を期待してたのかは知らないけど、自分はあのザマ、身動きも取れずくたばってる…本当は迷惑だと思ってるんじゃ無いの?」
ジャンヌの剣が、一閃する。
当然の如くそれを避けて、カーミラはニヤけた顔を浮かべたまま喋り続ける。
「アンタさ、何を信じてるの? なんで信じられるの? 他人の心の中なんて、誰にも分からないじゃない? アンタが周りをどう思ってようとバレないけど、周りがアンタをどう思ってるのかっていうのも、知る由もないじゃない? そもそもさ…アンタはなんで騎士をやってるの? それ、自分の意思で決めた事? 今の立場は、アンタが望んで手に入れたもの? 本当は辛くて仕方ないのに、強制されたんじゃないの? 誰? それを決めたのは、アンタに戦う事を強いているのは、誰? ねぇ、誰?」
酷く、耳障りだ。
落ち着け、冷静になれと、心に言い聞かせるたびに、腹の底から不快感が込み上げてくる。
これではかえって逆効果か、ならば、攻めの姿勢。カーミラの問いに、自問自答も兼ねて真剣に答えてみるとしよう。
「…カーミラ、私はね、私が信じたいって思った人を信じてるよ」
出来るだけ声を落ち着かせて、冷静に、自分に言い聞かせるように、答える。
「エルヴィラの事も、騎士団のみんなの事も、国王様の事も、私に関わる全ての人を、私は信じてる…私は騎士だからね、守る為の剣が、疑心暗鬼になってブレてたら危ないでしょ?」
「あっははははははははは!」
突然、カーミラは弾けるように笑い出した。
「ま、守る為の剣? アンタが? 流石に爆笑を禁じ得ないわ! 私にはねぇ、アンタが戦う事を押し付けられた生贄にしか見えないわね、ね? そうじゃない? だって、騎士団の団長って、代々魔女が、その力を継承して続けて来たんでしょ? それぐらい知ってるわよ私だって、この間公にされてたし、種役に母胎役とかいたんでしょ? 戦う為だけに生まれて、望んでもいない力を死と共に押し付けられる…ねぇ、これのどこが剣なの? ちゃんちゃら可笑しいわ」
「…いい加減怒るよ?」
「はぁ? なにそれ、私はこれでもアンタを思いやって言ってるんだけど? 何回も何回も命のやり取りをやらされてるアンタが可哀想だわ…アンタはただ生まれてきただけなのにね、それもこれも、全部アンタに押し付けた奴の所為じゃない? こくおーさまとか、エルヴィラとか、それとも部下達? いやいや、もっと前にいるわよね、アンタに戦い続けなければならない、呪いとも取れる運命を押し付けた諸悪の根源が」
やめろ。やめろやめろやめろ。
その続きを言われたら、もしかしたら、殺してしまうかもしれない。
聞いちゃいけない。こんなのはただの、戯言だ。
「アンタの先代が今生きてたら、アンタも解放されたのにね、無能な先代のせいで、アンタは酷い目にあってーーヤバっ⁉︎」
再び、ジャンヌの剣がカーミラを襲う。今度は首を、確実に斬り落としにきた。
咄嗟に避けたが、回避行動が終わる頃には、喉元めがけて強烈な突きが繰り出されていた。
「私になら何言ってもいい…けど、先生への侮辱だけは本当に許さない…あの人は…何も知らない貴女なんかが軽々しく侮辱していい人じゃないんだっ!」
「ぷっ、ははははは! キレたキレた! なに、図星だった? そうよねぇ、怒るわよねぇ、人って、一番触れられたくない事実を言われると、ムキになるものねぇ」
ジャンヌの突きはカーミラの右腕を貫いた。彼女が自ら刺しに来たのだ。狙いは逸らされ、更に剣の動きを封じられる。
「この程度じゃあなんともないのよね、腕の刺し傷ぐらい数秒で治るもの…でも、アンタの傷は数秒じゃ治らないんじゃない?」
「っ!」
「遅いわ」
剣を振り落とされ、ガラ空きになった胴にカーミラの蹴りが繰り出される。鎧にヒビが入り、腹部に重い衝撃が走る。内臓を掴まれ揺らされているような酷い不快感に襲われ、目眩がする。
一瞬力が抜けたジャンヌを更に掴み、カーミラは拳による打撃を加えていく。
「ほら辛いでしょう、苦しいでしょう? なんでアンタがこんな目にあうのかしらね? アンタが信じた人は、助けに来ないじゃない、この程度なのよ、分かる? アンタは、利用されてるの、その力を、その優しさを、ずっと昔からね」
がっしりと首を掴み、ジャンヌの体を持ち上げる。
膝を地面につき、ゆっくりと押さえ込まれていく。
「ねぇ、アンタさ、何の為に戦ってるの? それに、意味はあるの? アンタが死んで、何の意味があるの? 世の為人の為に、アンタが死ぬの? そんな運命を押し付けた奴らの為に、死ぬって虚しくない?」
カーミラが、ずいっと顔を近づける。
「アンタ達の過去なんて、何にも知らないわよ、でもね、何も知らない第三者から見て、客観的に見て、アンタって可哀想なのよ、いやマジで。それが世の中の認識、世の中の認識っていうのが、世間一般では正しい事なのよ、アンタがいくら身内の内情を知った上で、それを否定しようが、それを知る由もない人間からすればアンタは哀れな悲劇のヒロインなわけ、ほんっと、可哀想、可哀想可哀想可哀想、信じた結果馬鹿を見て、惨めに死ぬのね」
カーミラの手を掴み、首から引き剥がそうとするが、指先から力が抜けていく。
なるほど、力の差だ。彼女の言葉に嘘は無い。
だが、真実はそれだけだ。彼女の言葉で正しかったのは、あくまでそれだけ。
「知ら…ない…でしょ…! 貴女は…なんっ…にも!」
満足に呼吸すらできない状況にも関わらず、反論をしてくるジャンヌにカーミラは不快そうに舌打ちをした。
「先生の事も…! エルヴィラの事も…ウルの事も…みんなの事も…私の、周りで…私を、さ、支えてくれてるみんなの事を…貴女は…なん…にも…知らないでしょ…!」
必死なジャンヌに、カーミラのイライラは増していく。
「じゃあアンタがどれぐらいそいつらの事を理解してるっていうのよ、どれだけ綺麗事並べても所詮他人は他人、信じあうなんて無理な話なわけ、私達が愛してたって、アイツは私達を人とすら思ってなかった…信じてたのに、みんなみんな信じてたのに!」
感情的にそう叫んで、カーミラはジャンヌを放り投げる。
落下のダメージは受けたものの、締め付けから解放されたジャンヌは、咳き込みながらも立ち上がり、剣を握った。
「…なる…ほどね…貴女が…人を信じる事をやめたのは…それが原因…? 裏切られたんだ、大事な人に」
息を切らしながら、ジャンヌは、弱々しくもクスクスと笑いだす。
「なんだ…貴女…本当はまだまだ人を信じたいんだね」
「はぁあああああ?」
怒りを露わにするカーミラに、ジャンヌは更に挑発するように言う。
「裏切られて辛かった、自分はその所為で人を信じられなくなった…って、その苦しみを、分かってもらいたいんでしょ? 分かってくれる人がいるって、信じてるんでしょ? そうじゃないと、あんな風に同意を求めるような言い方しないよ」
「なにそれ、なにが言いたいわけ? 人の事分かった気になってんじゃ無いわよ! 私はただ馬鹿な奴に事実を突きつけてやりたいだけよ! 目を覚まさせてやろうって思ってるだけよ! 他人に! 私の事が! 分かるわけ無いじゃない!」
「当たり前でしょ、人に人の事は分からないよ…貴女が言ったんじゃない、貴女こそ、人の事分かった気にならないでよ…でも、それでも、目を覚まさせるって言うなら、私だって貴女に気付かせてあげる、貴女がしらない、貴女の本音」
ジャンヌは、さっきまでの仕返しと言わんばかりに、得意げに言う。
「貴女は、一人が怖いんだ…他人は裏切るかもしれないけど、自分は裏切らないよって、本当はそう言いたいんでしょ? だから、私の友達になってって、言いたいんでしょ? なんて事はないよ、貴女はただの、寂しがり屋なんだ、裏切られて辛い気持ちを分かり合える、仲間が欲しいだけなんだ」
「し、しぃ…しっ、知ったような口…聞いてんじゃないわよ!!!!!」
半狂乱のまま突っ込んでくるカーミラに対し、既に冷静さを取り戻したジャンヌは、剣を構えて迎撃態勢を取る。
突こうが振ろうが、痛みなんてものともしないで彼女はガードしてくるだろう。そうしてこちらの動きを封じようとしてくる。
防御に使う腕は右腕一本だった、今も右腕を前に出している。
…あえて乗ろうか。
ジャンヌは剣を突き出し、わざとカーミラの右腕を狙った。
「ハッ! 馬鹿ねぇ! 意味なんて無いわよ! さっきと同じようにぃっ⁉︎」
さっきと同じように、右腕を貫き動きを止めたが、しかし、ジャンヌの動きはさっきとは違った。当たり前といえば当たり前だが、カーミラが驚いたのはそこでは無い。
カーミラは、ジャンヌが突き刺した剣を抜きに来ると予想していたのだ、連続した突きが来ると、だからこそ、一度引く態勢を取っていた。
しかし、ジャンヌは剣を抜く事はなく、突き刺したまま、一度剣から手を離したのだ。
そして、カーミラの動作が遅れた瞬間、素早く剣を掴み、右腕に突き刺さったまま、左腕をも貫いた。
「なっ! 両腕…⁉︎」
身動きを封じられたカーミラ、その隙を、ジャンヌが逃すわけも無く。再び抜いたオーバードーズでカーミラの胸を突き刺した。
「カハッ! 魔力が…! でも…でもでも忘れたのかしらぁ⁉︎ 私には魔力のストックが」
「分かってるよ…それより、貴女に教えてあげようと思ってね…信じ合う力がすごいって事」
ジャンヌは、カーミラを突き刺したまま突進していく。
その先には、桃の木が立っていた。
小さな魔女が貼り付けられている、大きな木が。
「っ⁉︎」
カーミラは、その異変にすぐに気付いた。
磔にされている魔女が、居ない。いや、正確には、磔にされた場所にいないのだ。
魔女自体はそこにいた。今自分を突き刺している、透明な剣と同じ物を持って、不敵な笑みをうかべたまま、こっちに突っ込んでくる。
「アイツっ…! 生きてたのかっ!」
抵抗しようにも、両腕は剣で貫かれ動かせない。蹴りを入れようにも、押されているので、バランスを崩せない。
なす術もなく、カーミラの身体は背後からも貫かれた。
十字架のように重なり合う二本の透明な剣。カーミラの力が、瞬く間に消えていく。
「やっぱり生きてたんだね、もうその辺の心配はしてないけど…それでも、後でたっっっっっっっっっぷり話があるから」
微笑みながら怒りマークを額に浮かべるジャンヌに、エルヴィラは悪びれもせず、フンッとそっぽ向いた。
「別に良いだろが、結果的に勝てたんだからよ、こんな奴の動きについて行けるわけないんだから、不意打ちしかねぇだろ、お前らなら分かってくれるかなって、信じたんだよ、私は」
「都合が良いよね! もしかしてエルヴィラだけは私を本当に利用してるだけかな⁉︎」
カーミラから力が抜けたのと同時に、オーバードーズも引き抜く。
カーミラから、二つの魔法を抜き取ったのだ。
いくらストックがあろうと、それを取り込む為の魔力が無くなれば意味が無い。つまり、魔力を与える魔法と、吸収する魔法があったのだ。
それらの魔法全てが集まって出来た、いわば複合魔法の結果が、吸血鬼化という一つの能力のようなものになっていたのだ。
オーバードーズは、一度に大量の魔法は奪えない。いくつもの魔法が重なり合ったままでは、効果が無かったのだ。
だが、一本がダメでも二本なら、絡まった糸を解くようにそれぞれの魔法を奪い取れる。
(こんな思いつきみたいな作戦を…打ち合わせも無しに理解しあったていうの…この二人…!)
カーミラの腕から、剣が引き抜かれる。
飛び散った血の雫が、一瞬、赤い月のように見えた。
「私達の勝ちだよ、カーミラ…これで…」
これで、三つ目の魔法回収。
したのだが。
「…あ…甘いのよ!」
「あ⁉︎」
「なにっ⁉︎」
再びカーミラの瞳に赤い光が宿り、一瞬で高い木の上に逃げられてしまった。
いや、それよりも。
「なんで…魔力が無くなって、魔法が使えないのなら、カーミラはもう普通の人間でしょ⁉︎」
「どうやら…吸血鬼化っつーその力そのものもは、アイツの中に残っちまったみてぇだな…魔法は使えないが、だからと言って、アイツが普通の人間に戻ったわけじゃなさそうだ」
カーミラ自身も、不思議そうに自分の体を見つめながら、不敵に笑って二人を見下ろした。
「やっぱり、私は魔女じゃなくて吸血鬼だったみたいね! 忌々しい魔女の魔法なんかくれてやるわよ!」
「カーミラ!」
ジャンヌが叫ぶと、カーミラは赤い瞳でジャンヌを睨みつける。
「覚えてなさいよ、アンタ…今度は決着つけてやるんだから…」
そう言って、彼女は姿を消した。
「回収完了…だがよ、任務完了って言って良いのか、コレ」
七つの魔法。
三つ、回収完了。
しかし、吸血鬼騒ぎの真犯人を取り逃がしてしまった為、この旅が始まって初めて、任務に失敗するという結果に終わってしまう形となった。




