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魔女伝  作者: 倉トリック
紅の月編
74/136

心を乱す赤い絶景

 あれだけ騒いでいた、エルヴィラ瀕死事件も無事解決した。しかし、何故あのタイミングで、しかもあの場所にペリーヌが現れたのか、移動方法は明かされたが、その理由までは分かっていない。


 本人曰く、エルヴィラを助けに来た、と言っていたが、そもそも彼女の危機をどうやって知ったのだろう。


 その答えは、実に簡単だった。


 場所は変わって王都、お菓子の家から騎士団本部までの帰路を、彼女は実につまらなさそうに歩いていた。


 黒く長い髪に、ビー玉のように潤った大きな瞳、新しく買ってもらった白いワンピースの裾をぎゅっと握りしめながら、彼女、『不可視の魔女』ドールは歩いていた。


 途中に落ちている小石を、八つ当たりするように蹴飛ばす。コロコロと転がる小石は、通行人の足にコツンと当たるが、通行人は不思議そうに一瞬小石の方に視線を向けただけで、ドールには一切反応を見せなかった。


 すれ違う人、追い越して行く人、客寄せをしている商人、誰一人として、ドールには目も向けない。


 それもそのはず、特異魔法『過不可視(フル・インビジブル)』によって、透明化したドールを、一般人が見つける事などまず不可能だからだ。


 彼女の美しくも可愛らしいその姿を見られないのは非常に残念だが、ドールはいつも、外に出るときは必ず透明化して出歩くようにしている。


 誰にも見えず、認識されないのだから、基本的にはやりたい放題。彼女がもう少し悪知恵を持っていたら、厄介な敵になっていたかもしれない。


 だが実際には、彼女が透明化してやる事など、子供の悪戯レベルなので、なんの心配もいらないが、今のドールには、そんな悪戯をするような気力も無いようだった。


 とぼとぼ進めていた足を止め、暗い表情で振り返る。


「むぅ…ジャンヌの意地悪」


 プイッとそっぽ向いて、再び歩き出す。


 王都に一人残された彼女、ドールはジャンヌから、お留守番宣言を受けていたのだ。


 つまり置いていかれたのだ。


 勿論意地悪でやったわけではなく、単純に、ドールの身を案じての事だったのだが、ドールは全く納得できていなかった。


「なんでエルヴィラは良くて私はダメなのー」


 その愚痴を、つい最近知り合ったお菓子屋の店主、ペリーヌに聞いてもらっていたのだ。


 騎士団までの道が分からず迷子になっていたところを、ペリーヌに助けられたのだ。


 話が長くなったが、つまり、ドールとの話の中で、ペリーヌはエルヴィラの危機を知り、ジュリアの手を借りて現場に現れたのである。


 ドールを残した事が、功を奏したのだ。


 だがしかし、ドールの不満は溜まりに溜まっている。


「ジャンヌが帰ってきたら、たっぷり遊んでもらお、仕事なんかさせないんだもん」


 たっぷり甘える予定を立て、ドールは騎士団までへの道を進んでいく。


 相手からは自分が見えていないので、どんどん突っ込んで来るが、それらを避けながら歩くのにも、随分慣れた。最初はジャンヌの背後に隠れながらでないと怖くて仕方なかったが、たった数日間で、随分成長したものだと、ドールは盛大に自画自賛する。


 そんな風に得意げになっていると、逆にドールの方から、ぶつかってしまった。


 顔面をモロにぶつけてしまい、咄嗟に鼻を抑えて蹲る。


 しまった、とドールは焦る。


 透明化は出来るが、透過できるわけではない。見えない何かにぶつかったなんて怪現象に遭遇したのだ、厄介な事になるかも。


 恐る恐る、ドールはぶつかった相手を見上げる。


 それは、おそらく少女だった。


 しかし、少女にしては、髪は白く乱れており、顔は酷くやつれている。


 まるで、老婆のような雰囲気だった。


 しかし、ドールが気になったのはそこではない。彼女の容姿など気にならないほどの、異常事態が、自分の身に一瞬にして起こっていたのだ。


「ぷわ…なに…これ…いてて…痛い痛い」


 意外と強くぶつかってしまったのか、かっこ悪い事に、ドールは鼻血を流してしまっていたのだ、しかし、その血が、地面に落ちることは無かったのである。


 まるで接着剤のように、抑えた手にくっついて、剥がれなくなっていたのだ。


 正確には、凍り付いて、張り付いていた。


 皮膚を引っ張られる痛みに耐えながら、なんとか引き剥がす。


 幸いにも、顔が剥がれるなんて事は無かったが、それにしたって異常な事だった。鼻血が、一瞬にして凍ったのだから。


 もう一度、彼女を見る。


 彼女は不思議そうに辺りを見回していた。どうやら、こちらの姿は見えていないらしい。向こうもきっと、何が起こったのか分からないのだろう。


 見えないのなら、今のうちだ。


 妙な不気味さを感じたドールは、足早にその場から去ろうとする。


(危険な感じはしなかったけど、不気味だったな…一応、ジャンヌが帰ってきたら教えてあげよ)


「危ないから、気を付けなよ」


 不意に背後から聞こえた声に、ドールはピタリと足を止める。


 いや、自分にかけられたわけでは無いはずだ、だって今自分は見えないのだから。だから、きっと、自分以外の誰かが同じようにぶつかって注意されただけ。


「前をよく見ておかないと…何にぶつかるか分からないよ? 怪我したら大変、透明化なんてしてたら、誰にも気付いてもらえなくて、動けなくなるかも」


 たまらずドールは振り返り、先ほどの女性を確認する。


 先ほどの彼女は、死んだような目で、しかし、しっかりとこちらを見ていた。


「あ…え…わ、私が…見えて…」


「…いや、見えないよ…見えないけど…気配でなんとなくわかる…というか、ボソボソっと声も聞こえたし…何かいるんだろうなぁって…」


 彼女は小さく手を振って、「今度から気をつけてね」とどけ言い残して、フラフラと何処かに行ってしまった。


 ドールはしばらくその場から動けなかったが、やがて逃げるように走り出し、騎士団へと向かった。


 背筋が凍るように寒いのは、恐怖感だけのせいじゃない。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 ドールから話を聞いた、という話を聞いて、ジャンヌは喜ばしさ半分、後悔が半分という微妙な気持ちになっていた。


 あれだけ引っ込み思案だったドールが、自ら外に出て、他人と交流を持ってくれた事は本当に喜ばしい事だが、しかし、それが自分に置いていかれたという寂しさからきた行動なのだと思うと、胸が痛い。


 帰ったらたくさん遊んであげよう。


「そんなに思うなら、なんで置いてきたんですか? わざわざ話し合いにも参加させたって聞きましたけど」


「え、ああ、それは…ドールちゃんって、なんかすごく子供っぽいっていうか…戦闘向きじゃないと思ったんですよ、危険な目に合うかもしれないから、良くないかなって」


「ああ、そういう…」


 ペリーヌは納得したように頷いてから、エルヴィラの方を向く。


「エルヴィラさんはどう思いますか? ドールさんは戦えない魔女だと思いますか?」


 先ほどまで歩けないほど弱っていたのに、今はあちこちを探り周っているエルヴィラは「んー」としばらく考えるような素振りを見せてから、肩をすくめた。


「一応、身を守る程度には戦えるんじゃねぇかな。『無冠城』の時だって、あの館に魔力を吸われながらもある態度特異魔法は使えてたし…潜在能力は高いと思う、が、いかんせん戦闘経験不足だろ? 私もそうだったが、強い魔法が使えるからって、必ず勝てるわけじゃない、戦い方を知ってる奴の方が強いし、確実に勝つんだよな」


 例を挙げるなら、『黒猫の魔女』レジーナ。彼女の魔法は爪を自在に操れるという、他の魔女に比べれば意外性も特異性も無い、言ってしまえば何の変哲も無い魔法だったが、それでも彼女は『反乱の魔女』のメンバーとして活躍していたし、エルヴィラも倒すのには苦労した。


 自分の持ち味を生かした戦い方が出来る者は、例外なく強い。『反乱の魔女』には、そういう魔女が多かったように思う。


(まぁ、そうじゃねぇと、国を滅ぼそうなんて思いついても出来ねぇだろうからな)


「だから、忘れ形見があのガキを置いてきたのは正解だと思うぜ。結果として、私は助かったし、なんなら超強力な助っ人が登場してくれたわけだ、出来る事をちゃんと出来る奴ってのが、結局一番役に立つんだよな」


「私は助かった…って、エルヴィラさん、だからアレは本来命の危機に陥るようなものじゃないんですってば」


「ごめんて、今度から気を付けるから」


「あ、でも治療と称してエルヴィラさんを好きなだけフワフワ出来るので、エルヴィラさんさえ良ければ、いつでも死にかけてもらって大丈夫ですよ」


「死にかけなくてもフワフワぐらいさせてあげるから、怖い事いうのやめて」


 相変わらずエルヴィラはペリーヌに弱い。いや、それはペリーヌにも言える事ではある。


 女子同士で変な話だが、もはや相思相愛と言っても過言では無い二人の馴れ初めに興味を持ち始めたジャンヌだが、今はそれどころではないので、話を真面目な方向へ修正する。


「でも、七つの魔法がここに無いとすれば、ここで起きる怪現象って、なんなのかな? 自然に魔力が暴走する事なんて、あり得ないと思うんだけど…」


「そもそも土地や物に自然に魔力が宿る事があり得ませんよ、宿るとすれば…人為的に、ですかね…魔女が作る魔具のように」


 ペリーヌは小首を傾げながら、考えている。


「魔獣化する魔物が発生する程ですので、ここがなんらかの魔力の影響を受けているのは確実です…ですが、七つの魔法の反応は無い、けれども、並みの魔力ではこんな大規模な事は出来ない…なるほど、順序立てて考えていけば、意外とまとまるものですね」


「まとまる?」


「今回の吸血鬼騒動も含めて、なんとなく真相が見えてきたような気がします、ですが…確信が持てないままですので、今はここまでですね…とにかく、早くクロヴィスさんが月を見た場所まで行きましょう、あとどれぐらいですか?」


 先頭を歩くクロヴィスに尋ねると、先を指差しながら「この坂を上がったところだ、もうすぐだ」と答えた。


 結構距離がある上に、中々キツイ斜面だったので、かなり体力が削られてしまった。それでなくても戦闘後の疲労が残っているのだから、既に限界が近付いている。


「お腹空きましたね…何か甘いものが食べたくなってきました」


 ジャンヌの後を追うように歩いていたウルが、独り言のように呟いた。


「確かにお腹空いたね、帰ったら何か作ってあげようか」


「あ、ジャンヌ様もお疲れでしょうし、お構いなく…」


 ウルの言葉に、若干の焦りを感じたが、特に気にすることもなく、ジャンヌ達はそのまま進み続ける。


 進めば進むほど、足場が段々と悪くなっていく。石は多いし、ぬかるんでいる。全く舗装されていない道を、バランスを取りながら慎重に進んでいく。


「おい吸血鬼! 前来た時もこんなに劣悪だったのか⁉︎」


 スカートの裾に泥が付くのを気にしながら、エルヴィラは声を荒げる。


「前回もこうだったよ、まぁでも、この苦労を越えた先に、絶景が待ってんだぞ、月は昇ってないが、月無しでもここから見える景色はすごいぞ」


「すごい絶景より、今は山盛りのサラダの方が食いたい、それかペリーヌのお菓子」


「エルヴィラさん、お肉も食べましょ?」


 そんな雑談がしばらくは続いていたが、しかし、頂上が近付くにつれて、もう誰も喋らなくなっていた。


 疲労と相まって空腹が酷いのだ。


 もう三日も何も食べていない、そんな気分になるほど、登れば登るほど空腹は強くなっていく。


 なんでもいい、何か食べたい。


「お前ら…腹減らないか?」


 不意に、クロヴィスがこちらを向かずに言う。


「お腹…空いたねぇ…もしかして、何かあるの?」


 淡い期待を持ったが、残念な事に、クロヴィスは首を横に振る。


「俺は何も持ってない…だがな、前回来た時もそうだったが…この先に、デカい木があるんだ、そこには、かなり大玉の桃が山ほど実ってるぜ、『お菓子の魔女』、アンタのその髪の色みたいな、綺麗な桃が沢山な」


「褒めても何も出ませんよ、私は髪の色より髪質の方が自慢ですし」


 と、言いつつも、ペリーヌは嬉しそうに髪の毛をくるくるといじりだす。その様は、とても可愛らしいかった。


 しかし、桃。しかも、大きな桃。


 分厚い果肉を噛みちぎって、溢れた果汁で喉を潤したい。


 食欲が一気に増してくる。


 最早登っている理由が、桃を食べる為、に変わり始めていた。


 鼓動が高まり、一同は吸い寄せられるように頂上への歩みを早めた。


 そして。


「着いたぞ!」


 クロヴィスの声と共に、現れた景色に、全員が圧倒された。


「なんだぁ…これ…おい、忘れ形見」


 エルヴィラが感嘆の声を上げる。


 そこは、先ほどまでの劣悪な足場とは違って、色取り取りの草花が生い茂る広場のようになっていた。そのちょうど真ん中に、まるで登りきった者を盛大に迎え入れてくれるかのように、巨大な樹木がそびえ立っていた。


 鮮やかな緑色の葉の間から、チラリと見える桃色の果実。


 店に並んでいるものより、一回り、いや、それより大きなものもある。


 はちきれんばかりに大きく太った果実が、まるで食べるのを促すように、ポトリと木から落ちた。


「ははっ、見ろよ、本当は月の綺麗な夜に来たかったが、これだけでも十分価値があるだろぉ? まさに完璧な絶景スポットだぜ! はははははっ!」


 気分が高揚したのか、高らかに笑いながら、クロヴィスは真っ先にその桃の木へと走り出す。


「わ、私も…」


 もう足に力が入らないほど疲れていたはずなのに、不思議と立ち上がる事が出来た。そのまま自然に桃の木へと進んでいく。


 早く食べたい。


 この渇きを潤したい。


 早く、早く早く、口の中に。


「…!」


 不意に、強烈な痛みを頬に感じ、ジャンヌは足を止める。


 痛いなぁ、邪魔しないでよぉ…もうすぐ…美味しい美味しい果実が。


「目ぇ覚ませ馬鹿野郎! これのどこが絶景なんだボケッ!」


 耳をつんざくようなエルヴィラの怒号が響き渡り、ジャンヌはぼんやりと、意識を覚醒させていく。


 意識を、覚醒させていく?


「あれ…? 私…寝てた?」


 ぼんやりとした視界で、ジャンヌは冷や汗をかくエルヴィラの顔を見る。


「どうしたの…? エルヴィラ…こんなに綺麗なのに…」


「これはまた…凄まじいですね…いや、前言撤回です、これは七つの魔法以外の何物でもない、どうやって私の探知魔法から逃れてたのか、疑問ですけど…」


 隣で、引きつったペリーヌの声が聞こえる。


 凄まじい? それは、綺麗すぎて凄まじいと言う意味?


 あれ? なんで私は今、こんなにも意識が曖昧なのか。


「まだ寝てんのか、だったら現実見せてやろうか、これの、どこが、絶景なのか言ってみろ」


 もう一発、ジャンヌは頬をエルヴィラに叩かれる。


 もう、痛いな、やめてよ、どこがって…綺麗な花畑が…。


「…⁉︎」


 再び景色に目を向けた時、その表情はガラリと変わっていた。


 花畑などどこにも無い。あるのは朽ちた木片に、人が生活していたであろう痕跡ばかり。ここに来た最初の場所と、なんら変わらぬ廃村が広がるばかりだった。


 そんな中で、唯一変わらずあったのは、巨大な樹木。


 確かに桃は実っているが、今見てみると、明らかに不自然な大きさで、不気味ささえ覚える。


 絶景などどこにも無い。あるのは、朽ち果てた、ただのだだっ広い場所。


「なに…これ…どうなってんの…」


「どうなってるか? お前もさっきまでアイツと一緒だったんだ」


 エルヴィラが、引きつった顔のまま指をさす。


 その先には、なんとも言えない幸福の表情を浮かべながら、高らかに笑い続ける、異様なクロヴィスの姿があった。掴んだ桃を食べようとしているのを、ウルが必死に止めていた。


「あは、あはは、アヒハハハひははは! み、みみ、ミロよぉ! こんなに、こんなにこんなにキレイだろぉ? 美味いぞ! 食べてみろよぉ? おい、見ろよ! 月だ! 赤い赤い、アカイアカいあかあかあかあかあか、真っ赤な月が登ってるぞ! ひははははははははははははははははははははは! 綺麗だなぁ?」


 錯乱している、としか言いようがない。


「ジャンヌ様! ここから離れましょう! この場所はヤバすぎます! 我々の手に負える事じゃありませんよ!」


 暴れるクロヴィスを木から引き離しながら、ウルは言う。


 一瞬遅れて反応し、黙って頷きながらウルの元へ駆け寄る。


 異様な光景に脳の処理が追いつかない。


 そんな状態だと言うのに、更に追い討ちをかける自体が発生する。


「おい、誰だお前」


 エルヴィラが木の上を睨みながら言う。


 見上げると、そこには、一人の女が立っていた。


 白銀の髪に、透き通るような白い肌、まるで日光を防ぐかのように着ているフード付きの黒いマント。


 こちらを憎たらしそうに睨みつけるその目は、血のように真っ赤で、不愉快そうに歪ませる口からは、白い牙が覗いていた。


「アンタ達こそなんなのよ! せっかく下僕が増えると思ったのに! なんでそこの二人には、幻覚が効かないわけ⁉︎」


 怒りをぶちまける彼女。誰なのかは分からない、しかし、その正体は、すぐにわかる事になる。


「大当たりですね」


 苦笑を浮かべながらペリーヌが言う。


 彼女が持つ、七つの魔法探知地図。


 魔法の反応が、彼女から出ていた。


「じゃあ…あの人が…⁉︎」


 驚愕するジャンヌ一行を、ツンと突き刺すように見下ろしてながら、女は木から飛び降りる。


「ったく…なんなのよ! 私が自分でやらなきゃならないなんてめんどくさいわ! まぁいいわ、すぐにアンタ達も私の下僕にしてやるんだから!」


 白い牙を覗かせながら、彼女はそう宣言した。


 赤い月は見えなかったが、赤い瞳が、こちらを見つめていた。

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