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魔女伝  作者: 倉トリック
紅の月編
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鉄槌

 何度経験しても、慣れないものというのは誰にでもある。食べ物、人付き合い、勉強に運動、人によってそれは様々である。


 しかし、決して克服できないものではない。どんな事にも、必ず打開策があり、その方法もまた、人によって様々である。


 慣れない事にぶつかる、その度に苦戦しながらも乗り越えていく。

 そうやって人は、強く成長していく。


 なんて、そんなのは綺麗事だろうか。


 現実は、そんなに甘くは無いのかもしれない。


 弱い人弱いまま、強くなる前に、狩られてしまうのかも。


 ……自分はどっちだ?


 狩る側か、狩られる側か。


 ジャンヌは思う。先生と剣を振った十五年、団長として騎士団を引っ張ってきた三年。


 自分の敗北一つで、全てを無駄にしてしまうかもしれない。自分が一人死ぬだけで、積み上げてきたもの全てが、脆く、積み木みたいに、簡単に崩れ去ってしまうのだろうか。


 自分一人が死ぬだけならいい、なんて台詞を何度か聞いた。その度に、心の底から怒りが湧いた。


 そういう事を言える人間は多分、諦めきって歪んでしまった廃人か、自分を支えてくれる存在を故意に無視し続ける、自分勝手な人間のどちらかだ。


 死んでもいい、なんて、軽々しく思うべきですら無い。


 少なくとも、ジャンヌはそう思っている。


 何故なら、紛れもなく、自分も『奪う側』『狩る側』の人間だからだ。


 奪い続けて生きていくしかない、それはどんな人間にも共通する事だ。だから、当然、奪われる事だってある。


 奪い合って生きているのだから、自分が奪われる側になる事は、もはや必然だ。


 だからこそ、簡単に、いや、どんなに辛い選択をしたとしても、自分が自分として生きてきたその命を捨てるべきでは無いと思う。


 よく聞く話だ、散って行った者の分まで生きる。


 長生きしろというわけでは無い。ただ、死した者が出来なかった、続ける事が出来なかった、その先を生きていくだけでいい。


 その上で、自分のしたい事を出来たら、完璧だ。


 ジャンヌは思う。


 自分はどっちだ?


 狩る側か、狩られる側か。奪う側か、奪われる側か。


 守る者か、破壊者か。


 今まさに迫る危機と、絶望の淵に立つ一人の魔女を、自分はどうするのだろう。


 先生なら、どうしたのだろう。


「…どっちにしたって…見捨てないっていうのは、絶対条件なんだけどね」


 エルヴィラの魔力が、鎧からも消滅していくのが分かる。

 本当に、彼女は魔法が使えなくなっている。


 元より魔獣には一切の魔法攻撃は効かないが、己の肉体と物理攻撃を強化する魔法があれば、かなり楽に魔獣と戦えたはずなのだ。


 …頼り過ぎたか。


 この期に及んで、まだ魔法ありきで戦おうとしている自分がいる。エルヴィラと出会う前の立ち回りを、忘れたわけではないが、それで勝てるイメージがハッキリ湧かない。


「ジャンヌ様っ」


 ウルの声がしたと同時に、ジャンヌは魔獣に向けて警戒態勢を取る。しかし、先に動いたのは、三体の魔狼の方であった。


 猛スピードで、硬質化し、影に紛れて、噛み砕こうと襲いかかってくる。


 三位一体、まるで知性のある何者かが操っているかのように、三体は連携のとれた動きを見せた。


 しかし、それはこちらも同じ条件である。


「もう読めたよ、初撃は確かに驚くけど、やっぱり魔物とはいえ魔女や異端狩りとは違う…動きのパターン化を防ごうとしないよね」


 ウル! そう叫んで、ジャンヌは飛びかかってきた硬質化する魔狼を、剣の腹で持ち上げるように叩き上げた。


 一瞬、宙を舞ってバランスを崩すが、すぐに受け身を取ろうと身をよじる魔狼。しかし、その前に、白髪の少年が立ちはだかる。


 否、立ちはだかってはいない。彼の目線は宙を舞う魔狼と同じ目線、つまり、彼もまた、剣を構えたまま跳んでいるのだ。


「硬質化…簡単な魔法というにはどうにも強過ぎると思っていましたが…なるほど、先ほど一撃入れさせてもらって理解しました…これでどうですかっ」


 そのままウルは、魔狼の身体をズタズタに斬り裂いた。硬質化した毛や皮膚に弾かれ、剣の方が砕ける…かと思いきや、まるで水風船が破裂したかのように、全身から血を吹き出して、重力に逆らわず魔狼は力無く地面に落下した。


 しばらくはピクピクと舌や牙を動かしていたが、すぐに動かなくなってしまった。


「あ、あんだけ硬かったやつを…どうやって」


 唖然とするクロヴィスに、ウルは血を払いながら冷静に答える。


「簡単ですよ、あの硬質化の魔法、地面に触れてないと発動出来なかったみたいです。しかも多分、足が地面から離れた瞬間から硬質化は解け、触れた途端に再度発動するという、極めて面倒くさい仕様だったようですね」


 だから、硬質化の魔狼は他の魔狼に比べて、極端に動きが少なかったのだ。


「そして、そのカモフラージュをする為に、あの魔狼がうろちょろしてたんですよ」


 ウルの視線の先に目を移す。


 今まさに、魔狼が斬り裂かれた瞬間であった。


 硬質化の後方から迫っていた俊足の魔狼を、あっという間にジャンヌが斬り捨ててしまったのである。


「防御役がいなければ、速いだけの相手なんて、ジャンヌ様の敵ではありませんよ。ましてや自分を襲って来るという予想が出来ているわけです、後は動きを読んで剣を添えるだけで、勝手に間合いに敵の方から飛び込んで来てくれるわけです」


「ま、マジかよ…」


 再度騎士二人の戦闘能力に、驚きを通り越して引いてしまうクロヴィス。


 そんな彼の反応など意にも介さず、ジャンヌとウルは魔獣ともう一体の魔狼に警戒する。


「さて…ウルの言う通り、ある程度動きの予測は出来る…けど、予測通り動いてくれたって、予定通りに攻撃出来るとは…限らないよね」


 こちらを睨み続けていた魔獣に、動きがあった。


 そばにあった木を掴み、根ごと引き抜いて、こちらに向けて投げつけて来たのだ。


「なんつう馬鹿力! 元の熊の面影なんか微塵も無いぞオイ!」


 それぞれ、咄嗟に木の砲撃を避けるが、しかし、攻撃はそれだけでは終わらなかった。


 木が宙を浮いている間に出来た影、その中に、影の魔狼が潜んでいたのだ。


 決して小さくない大木。横たわっていても、影は伸びる。


「攻撃だけじゃなかったのか…っ!」


 鉄槌のように変異した巨大な腕を振り上げて、魔獣がジャンヌに襲いかかる。咄嗟に身を翻して攻撃を避けるが、叩きつけられた地面は、まるで波打った水面のように砕け散った。


「ぐぅ…! 早いっ!」


 その巨大な体躯とは裏腹に、魔獣はかなり素早く、既に次の鉄槌を振り下ろしていた。


 間一髪のところで身を逸らし、直撃は免れるが、地面を割るほどの衝撃に突き飛ばされ、倒れた大木に背中を強く打ち付けられる。


「っ! つぅ…痛いなぁ…慣れるものじゃないね…」


 低く唸りながら、魔獣はこちらを睨みつけている。しかし、何故か殴りかかろうとはしない。


 身動きが一瞬でも取れなくなった今が、仕留める絶好のチャンスだろうに。


(何か考えてる…?)


 ジャンヌがゆっくりと立ち上がった瞬間、魔獣が巨大な咆哮を上げ、剛腕を振るった。だが、腕を振り上げたのではなく、ジャンヌを薙ぎ払う為に横に振るっていた。


「そう何度も何度も、文字通り同じ手にはやられないって!」


 迫る腕を、避けようとはせず、ジャンヌは強く踏み付けて、その勢いのまま木の反対側まで跳び移った。


(真正面から戦ってちゃダメだ…なんとかして死角を突かないと)


 大木を挟んだ向こう側で、魔獣の苛立った唸り声が聞こえてくる。


 多分、匂いとか音で大体の位置はバレてしまうだろう。しかし、はっきりと敵の姿が見えない以上、攻撃の正確性は格段に低くなるはずだ。


 相手が多少なりとも混乱している今、三人で畳み掛けたい。


「ウル! クロヴィーーーーーー」


 呼びかけようとしたその声は、その場全体を震わせるほどの轟音に掻き消された。内臓を揺さぶられたかのような不快感に襲われ、ジャンヌは耳を塞ぎながら、小さくその場にうずくまってしまう。


 ウルもクロヴィスも同様に、全員が、強制的に行動を遮断された。


 だが、それだけでは無かった。またも、魔獣の行動の真意は別のところにあった。


「い、今のは…」


 ウルが冷や汗を垂らしながら、周囲を警戒する。()()()()魔獣に詳しいウルは、今の魔獣の咆哮が何の為のものか、誰よりも早く理解したのである。


 理解した上で、魔獣ではなく、周囲を警戒したのだ。


 多方向から、連続した足音が聞こえてくる。


 自分達を取り囲む様に、再び魔狼の群れが現れたのだ。


「仲間を呼んだのか!」


 その数、およそ百匹近く。


 魔狼達は、赤い瞳でジャンヌとウル達を交互に観察するように見てから、狙いを定めて、一斉にウル達に襲いかかった。


 違う、正確には、狙っているのはウル達じゃない。


「ウル! 狙いはエルヴィラだよ! なんとしても守って!」


「了解です…世話の焼ける魔女さんですね、吸血鬼さん、申し訳ないんですが、頼みますよ」


「俺がお前らと同じように戦えるとか、変な期待はするなよ…?」


 自分の側を走り抜けていく群れ、本当は自分も一緒に戦いたいのだが、それは目の前の怪物が許してくれそうになかった。


 魔獣は、倒れていた木を再度持ち上げ、生えていた時と同じ様に立て直す。巨大なキノコか、もしくは傘のようにそびえ立つ大木は、自分達を覆う巨大な影を生み出した。


 一瞬影が揺らめく。中には魔狼が潜んでいるのだろう。


「…人の事、心配してる場合じゃないか…」


 剣を構えたジャンヌに、魔獣は両手を大きく広げて威嚇する。いや、威嚇というよりは、ここで殺してやるというアピールだろうか。


 広がる影、どこから攻撃が来てもおかしくない。


 魔獣に魔狼、どちらの攻撃を受けても致命傷は確実だ。たった一撃、おそらく、受け止めることすら許されない。


 魔法を駆使して襲ってくる二匹に対して、こちらは剣一本しか持ってない女騎士一人。


 なるほど、勝ち誇りたくもなる。自分達に有利な状況も作れたのだ、勝利を確信したのだろう。


「わかるけど…でもやっぱり甘く見られてるのって感じ悪いな…()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 魔女でも魔具使いでもない人間だが、何もしてない人間じゃない。剣以外に取り柄のない自分だけど、逆に言えば、剣を握らせれば誰にも負けない自信はある。


 自分には剣しかないから、その腕だけは、疑わずに信じ切っている。


 だから、剣一本をしか持っていない女騎士、ではなく、女騎士に剣を持たせてしまっている、ぐらいに、警戒した方がいい。


 ウルとクロヴィスに加勢したい、エルヴィラの事も心配だ。


 考え事が沢山ある時こそ、集中しろ。一旦、目の前の事だけに集中しろ。


「ふぅ…そう、私はそもそも剣士…魔法じゃなくて剣で戦う存在…最近魔法ばかりに頼って、ちょっと浮気しすぎたな…かかっておいでよ、剣士としての私の力、見せてあげる」


 ジャンヌは、両手で構えた剣をスッと下ろし、これまでとは違う構えを取る。


 一見居合斬りの構えのように見えるが、刀身はむき出しにしているし、なにより姿勢が低過ぎる。よく見ると、いかにもこれから突撃するとバレてしまうような、奇妙な構え。


 決着は、一瞬でつく。両者ともに、攻撃を受けてしまえばそれで終わりだ。


 喰い殺されるか、潰されるか、もしくは斬り刻まれるかのどれか。


 …先生がよく言っていた、膠着状態で、先に動いた方が負けるとよく言うが、実際は違う。


 正確には、先に冷静さを取り戻した方が勝つのだ。冷静に、的確な動きが出来た方が、先後どちらだろうと勝てるのだと。


 そう言って、あの人に何度も木刀で叩かれたっけ。


 痛かったけど、傷は不思議と残らなかった。それは、先生の優しさだったのかもしれない。自分の後継者である前に、一人の少女の体を労わってくれていたのだろうか。


 先生の稽古は厳しかった、でもそれは、期待してくれていた何よりの証。痛い事も辛い事もあったけど、先生を憎んだ事なんて一度も無い。


 多分、愛されていたからかな。


 貴女みたいには、動けませんよ。私は、ただの人間ですから。


 それでも、貴女の期待には、答えたい。


 先に動いたのは、魔獣に見えた。


 両腕を大きく振り上げて、凄まじい勢いで叩きつけてきたのだ。


 ごしゃっ、という何かが潰れたような音が、魔獣の振り下ろした腕の下から聞こえた。


 容赦無く、二撃、三撃と叩き込み、潰れた何かをミンチにしていく。


 内臓も肉も全てミックスされた、赤黒い半固形の物体が辺りに飛び散る。


 やがて、満足したように魔獣は攻撃をやめ、一応確認するように、自分が潰した赤黒いシミに顔を近付ける。


 自分が攻撃を外した時のために魔狼を忍ばせていたが、必要無かったらしい。自分だけで十分だった、たかだか女一人、しかも何の能力も持っていないただの人間。


 多少の腕は立ったようだが、自分の腕には勝てなかったのだろう。


 群れまで呼んだが、杞憂だった。


 そう、思っていた。


 だがすぐに、異変に気付く。


 何か変だ、自分が今潰したモノ、何か変だ。


 敵は女だった。成人の女、人間の女。


 違う、こんな臭いでは無かった、戦闘で返り血を浴びてはいたが、こんなにも獣臭くは無かった。


 自分が潰したモノは、人間の匂いなど微塵もしない。まるで獣そのもののような、強い刺激臭。


「先生みたいには、上手くいかないな」


 声、女の声。人間の、ある意味探していた、しかし、聞こえるはずがない、だってさっき潰したのに、でも、潰したモノから人間の匂いはしなくて。


 魔獣は、魔力の影響で、見た目で思うよりもしっかりとした思考を持っている。作戦を考えるし、他の魔物に指示を出すし、相手を見下したり挑発したりも出来る。


 魔獣化した途端に目覚めた思考で必死に考えたが、どう考えても、腑に落ちない。


 突然、魔獣はバランスを崩し、そのまま顔面を地面に叩きつけるように倒れてしまう。


 足が滑ったのか、とにかく起き上がらなくては。そう思って力を込めるが、どうにも上手く立ち上がる事が出来ない。


 そもそも、力が入らない。


 それはそうだ、だって、力を込める腕が無ければ、どうしようもない。


 武器として使った、自慢の鉄槌のような剛腕は、自分から切り離されて、ボトリと両脇に落ちていた。


 何が起こったか分からない、分からないまま、魔獣の意識はそこで途絶えた。


「…剣技・『刀影』」


 魔獣の首を斬り落とした後、ジャンヌは静かにそう言った。


 先に動いたのは、魔獣でも、魔狼でもなく、ジャンヌだったのだ。


 ジャンヌの動きに反応して、影から飛び出した魔狼。


 しかし、そこにジャンヌの姿は無く、その代わりに、鉄槌が振り下ろされた。


「要するに目の錯覚。ほんと、一瞬なんだけど、私は剣を振っただけなんだよね、その後すぐに、反復横跳びするみたいに、その場から離れただけ、そうして、隙を作っただけ」


 剣を振る、という行為は、イコールで攻撃、という事ではない。だが、大抵の場合、刃物を振られれば、攻撃されたと思うのは無理のない事だ。


 魔獣を攻撃したと錯覚した魔狼は、その隙を突いて攻撃しようとした。しかし、実際に隙を作られたのは、魔獣と魔狼の方なのだ。


 全ては勘違い、たった一つの勘違いで、勝負はついた。


 魔法は一切使っていない。ジャンヌが習った、剣だけで戦う、剣士としての技術。


「大層な名前付いてるけど、要するにただのだまし討ち、しかも、相手に行動を読まれてたら使えない、格下専用の訓練技なんだけどね、コレ」


 もっとも、とジャンヌは得意げに、既に終わった相手に言う。


「先生が使った場合は別、先生はすごいよ? そもそも相手が『攻撃した』と錯覚するんじゃなくて、『いきなり消えた』って、錯覚するの、勘違いさせるレベルが全然違うんだ、速すぎて」


 ジャンヌは剣を振り、ウルとクロヴィスの加勢に向かう。


 先生、貴女みたいには戦えないけれど。



 それでも、貴女の真似事ぐらいは、出来たでしょうか。



 敵を斬る、紛れもなく自分は破壊者だ。


 だけど、誰かを守る為の、破壊者でありたい。


 願わくば、先生のような騎士に。

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