悪
マシューは、両手を高く上げて、掌を天に向ける。
急な動作だったが故に、ジャンヌは一瞬剣を抜きかけるが、彼がそれ以上の動きを見せなかった為、一時的に警戒心を下げる。
いや、嘘だ。警戒心を下げるなんて事は、マシューを目の前にしてから一度だってしていない。いつでもその体を貫く準備は出来ている。
場合によっては足を切断する事だって吝かではない。
警戒心は保ったまま、しかしそれでも、鞘を掴む手の力は少し緩めた。
「降伏?」
「何故我が降伏などしないといけないんだ、貴様が殺気に満ち満ちていて、ろくに話も出来そうにないから、わざわざ無抵抗である事を示したまでだ」
手を上げるという非常にシンプルで分かりやすいポーズだったが、しかし、正直そこまで信用出来ない。
と、言うのも、そのポーズそのものが攻撃の予備動作である可能性だって完全には否定出来ないからだ。
相手が異端狩りである以上、様々な可能性を想定しなければならない。相手が魔具という能力が未知数の武器を持っているのは確実、鞭はともかく笛なんてものまで武器として使えるのだから、何が起こっても不思議じゃない。
いや、それよりも、今彼は何と言った?
「話も出来そうにない? 何、もしかして…私達と話し合いをしに来たの?」
信じられない、驚愕を隠しきれず、思わず顔にも声にも出てしまう。そんな様子を怪訝な顔で見ながら、マシューはコクリと頷いた。
「貴様の好きな方法だろう? 事あるごとに、どんな相手だろうとまず和解しようとする…ふん、平和主義を気取っている態度は気に入らないが、我も基本は物事を穏便に済ませたい質だ、今回ばかりは貴様らに合わせてやろう」
その割には随分と傲慢な態度だが、それよりもきになるのはその目的の方である。
異端狩りが騎士団に話し合いを持ち掛けてきた。マーガレットの時といい、普通じゃない組織の上に立つ者というのはやはり普通では無いというか、どこか読めない性格をしている。
いや、マーガレットはまだ分かる。マギアと騎士団は別に敵対しているというわけではない。彼女らが関与していると思われる事件を解決した事もあるが、証拠が無いのであくまでも『疑わしくて怪しい組織』止まりだ。
それ故に、立ち振る舞いようによっては、騎士団と組織としての連携を取る事も、完全に不可能というわけでは無い。
勿論、ジャンヌとしてはそのような事はなるべく避けたいが、世の中何が起こるか分からない。
もしかしたら止むを得ず、マギアと手を組まねばならない状況だって来ないとは言えないのだ。
だがしかし、この異端狩りという組織は違う。
明らかな反社会的な存在で、騎士団だけでなく、様々な組織と対立している。
実際騎士団は、既に異端狩りの幹部の一人を拘束、幽閉している。彼は未だに組織の情報を何一つ吐こうとはしないが、今までの事件に異端狩りの関与をほのめかす発言をいくつもしている。
彼らの社会的立場は既に地に落ちていると言っても過言では無い、今更どう立ち振る舞おうと、既に手遅れと言える。
それは彼らが、特に幹部なら一番よく分かっているはずなのだ。それなのに、今更話などして何の意味があるというのだろうか。
「物事を穏便に済ませるための話し合い…って事は、騎士団と異端狩りのこれからの関係性についてって事で良いのかな? だとしたら…貴方達の魔女に対する無意味な攻撃を止めてもらう事が第一条件なんだけど」
「…一時的にであれば…それもやぶさかではないぞ」
驚かされるばかりだ。予想外の返答しか返ってこない。
「話し合いと言うよりは…提案だ。騎士ジャンヌ、現在我々が争っている大きな理由は…七つの魔法だろう? 争奪戦…とはいえ、我々は未だ一つも回収に成功していない」
「それは…悪いけど私達にとっては朗報だね」
「ふん、まだ後四つも魔法は残っている、巻き返すには十分だ…しかし、今この現状はどうしようと覆らん、貴様らがどうやって魔法を回収しているのかは知らんが、我はここで一つの提案を出したいのだ」
マシューはそう言って、上げていた手を下ろし、木陰に向けて手招きした。気配は感じなかったが、どうやら何者かが隠れていたらしい。
なんと抜け目のない。ふと気付けば、ジャンヌ達は既に囲まれていたのだ。
(十人ぐらいかな…部下が全滅したわけじゃなかったんだね…微量な魔力を感じるから全員魔具持ち…その中でも強めな魔力が三人…幹部クラス、私一人じゃ敵わないな)
様子を伺うジャンヌだったが、木陰に隠れていたらしい人物が現れても、その人物に対して剣を構えても、特に動きを見せなかったので、とりあえず、再び警戒心を下げる。
それに、咄嗟に剣を構えたが、現れた彼女を見た途端、ジャンヌは無理にでも警戒を解かねばならない状態に陥ったのだ。
たとえ敵でも、相手が年端もいかない子供だったなら、剣を突きつけるなんて行為は、騎士として出来ない。
「リオ、挨拶するんだ」
言われて、黒いクローシュを目深に被った少女は、おどおどとジャンヌの前に進み出て、弱々しく小さな声で名乗りあげる。
「あ、あ、あの…わ、わ、私は…その…え、えっと…うう…さ、『錯乱の異端狩り』リオと、言います…」
「騎士団の団長…ジャンヌ…と言うか…え、子供…?」
「何か不思議か? 貴様とて、幼き頃から剣を握っていたのだろう、コイツも境遇は同じだ」
ジャンヌが混乱している事など気にもとめず、マシューはリオの両肩を掴みながら言う。
掴まれたリオは、「ひいっ」と、情けない声を上げて驚いていた。
「我々は確かにまだ一つも魔法を回収は出来ていない、しかし、コイツの特技のおかげで場所だけは特定する事が可能なんだ、そこで…ああ、ここからが相談なんだが」
マシューは不敵にニヤリと笑いながら続ける。
「我らの仲間が大量に殺されたのは知っているだろう? 探りを入れてたんだからなぁ」
バレている。騎士団の動きを、敵は把握していた。
「昨日も我らはその謎の敵に襲われた、仲間の一人が足止めをしてくれているが、未だに帰ってこない…恐らく、生存は絶望的だろう」
「何が言いたいの」
ジャンヌが冷たく言うと、マシューは不機嫌そうに唇を歪ませる。
「ふん、察しの悪いやつだ。要するに、その敵から我らを守って欲しいのだ。その代わり、我らは、このリオが持つ魔法の在り処という情報を真っ先に貴様らにくれてやる。お望みとあらば、魔女に手出しもしないし、魔法だって貴様らよりも後に回収に向かってやる」
一時休戦というやつだ、と、マシューは得意げに笑う。
回収を諦めると言わないあたり、ちゃっかりしているが、言いたい事は大体わかった。かなり上から目線の言い方だったが、随分と弱気になっているようだ。
素直に騎士団を頼ってくれるのは、こちらとしてもありがたい。異端狩りだけで無く、未知の敵の事も同時に調査出来るのだから。
無闇に争い事を起こされ、それから行動するよりも、予め両者の行動を制限、管理出来るなんて、なんて楽な仕事だろう。
しかし、それでもジャンヌは、即答する事は出来なかった。
これからの事を考えれば、異端狩りの動きをこちらが掴めるというのは願っても無い状況だ。しかし、それでもジャンヌの判断を鈍らせる要素がいくつかある。
そもそも魔法の在り処、その情報をこちらに流すと言う話から胡散臭い。仮に、そのリオの特技とやらで本当に在り処が分かったとして、その正しい情報をこちらに与えてくれる保証はどこにも無い。っていうか、そもそも彼女がそんな力を持っている証拠だって無いのだから。
それぐらい彼らは信用ならない。理性的に会話しているように見せて、今この時も、ジャンヌの首を狙っているかもしれないのだから。
「残念だけど、その提案に、今は乗れない」
「なんだと?」
ジャンヌは迷ったが、正直に答える事にした。
「理由は明白、貴方達の情報が信用に足るものでは無いから。その子の力が本物だったとしても、私達にそれを確かめる術はない、今までの事もあるし、そんな危険な誘いに安易に乗れるわけが無い」
「そんなにか」
「当たり前だよね」
両者、お互いの目を見つめ合う。この後どうするか、相手がどう出てくるのか、手の内の探り合い、無言の戦闘が続けられる。
「なるほど…残念だな…」
落胆の声をあげたのは、マシューだった。
「大丈夫だよ、私達は貴方達を襲った敵についても調べてる…結果的にだけど、守ってあげられるかも」
「だが、我らの現状は何も変わらんだろう? 貴様らと手を組んで一時休戦、と行かないのであれば、我らの敵は増えるだけだ。この戦争で、どこよりも不利な状況になってしまう」
「それは…自業自得じゃ無いかな、今だって逃がすつもりは無いんだけど…」
ジャンヌが剣を構えるのと同時に、マシューは怒りに満ちた視線を向けながら、リオの首を両手で掴む。
「コイツの能力が唯一の交渉材料だったのだが…役に立たないのであれば仕方ないな」
「な、何をしてるの」
ジャンヌがそれ以上言葉を口にするよりも先に、マシューはその両手に力を込める。
幼い少女の細い首を、大人の両手が力一杯締め付けていく。
「かっ…⁉︎ がはっ!」
苦しそうにもがき、リオは懸命にマシューの両手を振りほどこうとしている。
明らかに、彼女にとって予期せぬ行動だったようだ。
「何をしてるの⁉︎」
声を荒げるジャンヌとは裏腹に、マシューは酷く冷静だった。
「何って、言ったろ? コイツの能力が交渉材料だった。しかし、それも破棄されてしまえば、もうコイツに用は無い。どのみち我らに勝ち目は無いのなら、敵に惨たらしく殺される前に、せめて我が終わらせてやろうと思った、何も問題はあるまい?」
「そんな拗ねた子供みたいな理由で…!」
「そうだ、たったそれだけで子供が死ぬ…貴様の行動ひとつでな」
「ーーーーーーーーーーーーーーっ!」
正真正銘の悪だ。
こうなる事を最初から読んでいたんだ。
敢えて仲間にも教えず、あくまで自分だけの考えで、敵も味方も飲み込もうとしている。
勝ち目が無い? 諦める気なんかない癖に、何もかもが嘘だ、嘘にまみれている。
ジャンヌがどういう性格かも、ちゃんと調べた上でのこの作戦は、噛み締めた下唇から血が垂れるほど悔しいが、実に効果的だった。
こんな状況を作られては、ジャンヌに選択の余地など無くなる。
例え罠だと分かっていても、子供を見殺しには出来ない性格なのだから。
「ーーーーー分かった! 分かったよ! 一時休戦! 私達騎士団は、貴方達から手を引く、貴方達を狙う未知の敵からも守ってあげる…だから早くその子から手を離して!」
恐らく、自分は今、泣きそうな顔をしているのだろうと、ジャンヌは思う。
マシューの実に邪悪な笑みを見ると、今にも悔しさで地団駄踏んでしまいそうになる。
「そうかそうか、すまんな、話が分かる団長様で…とても助かる、ああ、助かったな、リオ、感謝するといい、この素晴らしき騎士様にな」
解放されたリオは、その場にしゃがみこみ、酷く咳き込みながら、つかえつかえにジャンヌに礼を言った。
しかし、その声はジャンヌには届かない。今の彼女にあるのは、どうにかなってしまいそうなほどの怒りと、罪悪感だけだ。
自分の甘さが命取りになる、まさにその典型的な例だ。
「いいから早く目の前から消えて、顔も見たくないし声も聞きたくない」
「ああ、仰せのままに、作戦は終わった、行くぞ貴様ら」
そう言って、マシューはリオを抱えて立ち去った。その後を追うように、周りの気配も消えて行った。
後に残されたジャンヌは、しばらく動けず、ただその場でジッと俯く事しか出来なかった。
「一本取られたな」
いつのまにか馬車から降りたエルヴィラが、ジャンヌと並んで言う。
「向こうの作戦自体は…それほど完成度の高いものじゃなかったよ…誰にでも通じる方法じゃない…私だから、通じたんだ…私の弱さに、付け込まれた」
「有名になっちまってる以上仕方ねぇだろ、こうなったら、アイツらをトコトン利用してやるまでだ…つーか忘れ形見、今は落ち込むより先に、魔法の回収だ、早く乗れ。それが終わってからいくらでも自己嫌悪に浸ればいい、私も付き合ってやるよ」
エルヴィラなりに、励ましてくれているのだろう。
ジャンヌは小さく頷いて、再び馬車に乗り込んだ。
今回現れた異端狩りの目的はコレか、と、エルヴィラは思う。
休戦の提案などではない、真の目的は、騎士団の団長を使い物にならないようにする事。
なるほど、効果抜群だ。
衰弱したメンタルのまま、一行は目的地へと向かう。
桃月郷に到着するまでの間、馬車の中で会話が交わされる事は、一度も無かった。




