目的
ジャンヌは酷く混乱していた。ほんの一瞬目を離した隙にエルヴィラは墓地へと消え、急いで追いかけた結果、目に映った光景は、怪しい男がグッタリとしたエルヴィラを抱えながら、その首筋に噛み付いているのだから。
何が起こったのだろう。何故、エルヴィラは動かないのだろう。
いや、息はしている、とても深く、ゆっくりとしているが、まだギリギリ生きている。
考えるまでもなく、犯人はこの男。
何があったのか問いたださねば、その為にもまずは、エルヴィラを取り返さないと。
これらの事を考えながら、ジャンヌは既に、クロヴィスに斬りかかっていた。
「うわぁあっ⁉︎」
咄嗟に身を引いてジャンヌの剣先を躱す。前髪が小さく散っていくのを見ながら、クロヴィスは戦慄した。
(み、見えなかったぞ…な、何となく殺気を感じてギリギリ避けれたから良かったものの…あのままだと確実に首を落とされていた!)
クロヴィスの目には、視界の隅に映った女が、一瞬にして目の前まで近付いてきたように見えたのだ。
そして斬りかかってきた、いや、現在進行形で、剣が襲いかかってくる。
「早い…立て続けに三回も避けられたのはなかなか無いかも…貴方は何者? どうしてエルヴィラに噛み付いてたの? どうしてエルヴィラは瀕死なの? ああ、もしかして『異端狩り』かな? それともそれ以外の何か?」
「こ、答えさせる気無いだろ! ちょっと待て…お前こそ何者だ! もしかして…騎士か⁉︎」
クロヴィスが必死に言うと、ジャンヌの鋭い眼光が、より一層険しくなった。
「騎士だよ、騎士団の団長、ジャンヌ…その子はね…エルヴィラは…私達の仲間なの…もう扱いは騎士と同じだよ、私の大事な仲間を傷付けて…ただで済むなんて思ってないよね?」
ジャンヌは再びクロヴィスに斬りかかる。その動きに、クロヴィスはジタバタと避けるのが精一杯だった。
現在クロヴィスは、エルヴィラから血を吸い取った事により、体力も傷も回復し、身体能力も跳ね上がっている。
エルヴィラを抱えたままとは言え、ただの強い剣士の攻撃程度なら、簡単に受け止めて、無力化する事など容易いはずなのだ。
そう、あくまでただ強いだけの剣士なら。
(こいつっ…! 動きが見えない…!)
右に振ったはずの剣が、左から襲ってくる、なんてなまっちょろいモノじゃない。右に振ったはずの剣が、左から上から下から、そして強烈な突きになって襲ってくる。
攻撃一つ一つの予備動作が全く読めないのだ。
構えることさえしていない。読めない動きに、いくら上がった視力でも見切れない。
考えが、追い付かないのだから。
「しまっ…! ぐっ!」
そしてついに、剣ではなく、ジャンヌの強力な蹴りがクロヴィスの足を捕らえ、彼は突き倒されてしまう。
思わず離したエルヴィラは、ジャンヌがすぐに受け止めた。
左腕でエルヴィラを抱え直し、そして、剣先をクロヴィスに突きつける。
「良かった…エルヴィラ…無事だ…さて、貴方は何者? こんな小さな女の子襲うなんてまともじゃ無いよね…そういう卑劣な真似は私絶対許さないよ」
ジャンヌの目は怒りに満ちている。
「待て待て話を聞け! 誤解だ! いや、確かに最初は襲ったけど…今は違う!」
「犯罪者はみんな同じ事言うよ、とにかく、まずはこの子に何をしようとしていたかだけ答えて」
今にも目玉を貫かんとするジャンヌの殺気に圧倒され、クロヴィスは慎重に答え始める。
「血…血を少し貰おうとしただけだ…最近街で噂になってる吸血鬼は…俺だ…定期的に血を吸わないと苦しいんだ…だから、今日はたまたまソイツが目に付いたから…」
「ふぅん…なるほど…血を吸わないといけないんだ…それで一人の時を狙ってエルヴィラを…待って吸血鬼?」
突きつける剣先がピクリと震え、ジャンヌの顔色が変わっていく。怒りに染まっていた目が、だんだんと引きつっていく。
まさかとは思うが、怯えているのだろうか。
「そうだ…血を吸う化け物…吸血鬼だ」
「ほ、本当にいたんだ…赤い目に鋭い牙…ま、まさか! エルヴィラを吸血鬼に⁉︎ さ、させないぞ! うわぁあん!」
「お前急にキャラ変わりすぎだろ! さっきまでの危ない雰囲気はどこいったんだよ!」
エルヴィラを大事そうに抱えながら、突然取り乱すジャンヌに、誰よりもクロヴィスが驚いていた。剣をブンブン振り回す様は、まるで野良犬を棒切れであしらう子供のようだった。
「だから話を聞けって! そいつは…その魔女は、俺を助けてやるって言ったんだ…騎士団に行けば助けてくれると…吸血鬼と言ったが、正確には違う、俺は、吸血鬼になっちまった元人間だ」
ゆっくりと立ち上がり、両手を上げて降参の意を示す。
「俺はクロヴィス。あんた、団長だって言ったよな…魔女の言う事が本当なら…助けてくれ、俺だってもうこんな事続けたくない」
「エルヴィラが…貴方を…?」
ようやくジャンヌは、事の流れを掴み始めた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
真っ暗だ。
すぐに夢だと分かった。
周りが真っ暗なのに、自分の姿だけははっきりしているから。
(特異魔法に似てるな)
上も下も分からない、自分以外に何も見えない…でも何故か、とても落ち着く闇の中だ。
たまらなく懐かしい、ふんわりと包まれているような居心地の良さ。
(ああこれ…師匠の魔法か)
そっと目を閉じると、色んなことを思い出す。
師匠と過ごした、かけがえのない時間と、一人で過ごした、地獄のような日々。
侵入者を殺し、外界との接触を避け続けていたら、何故か戦争に巻き込まれて。
図らずも、師匠の言いつけを守る形になった。
外に出て、色んな人と触れ合って、馬鹿げた戦いを終わらせた。
自分の手柄なんて微塵も思っていないけど、結果的に、生き残った者が得た勝利扱いされている。
(私は…変わったな)
全てはあの戦争を経験してから。
騎士を頼り、弱い人間を守り、天敵の魔獣と戦い、襲ってきた魔女を仲間にし、そして、吸血鬼を助けようとした。
時代とともに、自分まで変わっていく。
(ちょっと…怖いな)
魔女は成長しない。七百年近く、エルヴィラはずっと十歳の少女の姿をしたままだ。髪や爪は伸びるけど、身長が伸びる事は無い。
変わらないはずだ、なのに、たった三年で、こんなにも変化があった。
私が私らしくなくなった。
(師匠は、こうなる事を望んでいたのかな)
多分そうだ、でもそれは、決して私を怖がらせたかったわけじゃない。
身体的じゃなく、内側の成長を、喜びたかったんだ。
師としてではなく、母親みたいに。
(師匠…私は…貴女がいないと…寂しいです)
やがて、ぼんやりとした光が、闇を取り払っていく。
どうやら目を覚ますようだ。
闇から抜け出すその刹那、懐かしい声が聞こえた気がした。
…いってらっしゃい。
目が覚めた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「エルヴィラ! 良かった! 大丈夫? 私が分かる?」
身を乗り出して、涙目で言うジャンヌをエルヴィラはぼんやりと見る。
とても騎士団の団長とは思えない、と、思うのは何度目だろう。まだ知り合って間も無いはずなのに、もう十年ぐらい一緒にいるような感覚に陥る。
エルヴィラはため息をついてから、顎に手を置いて考え込むフリをする。
「んー? 誰だっけなぁ、お前…いや、知らねぇなぁ…忘れちまったよ…お前は誰だ?」
「エルヴィラ…?」
「うっそー、マジで信じてんじゃねぇっつーの。あんな嘘くさい忘れ方見てビビってやんの、略して忘れ形見な」
「全然面白くない!」
心配もされず普通に怒られた。目元の涙はもう消えていて、むしろ若干引いていた。
「んだよ、ちょっとからかっただけじゃねぇかよ、ちょっとは笑えや」
「忘れ形見のくだりが引くほど面白くなかったんだから無理だよ」
ユーモアの無い奴、と言って、エルヴィラはベッドから出ようとする。しかし上手く力が入らず、その上酷い目眩にまで襲われて、結局その場でうずくまるだけになってしまった。
「エルヴィラ、まだ無茶しない方がいいよ。人間ならとっくに死んでてもおかしくない量の血が抜かれてたんだから…」
「マジかよ…あの野郎…加減しろって言ったのに」
不満げに呟いたエルヴィラを、ジャンヌは申し訳なさそうに抱き上げる。
「テメェこの野郎、これはどういうつもりだ」
「悪いけど、エルヴィラにも来てもらわないと事実確認出来ないんだよね、だから私が連れて行く」
「そうじゃねぇのよ、だったらせめておぶれよ、なんでこんな赤ん坊みたいに抱っこされなきゃならないんだよ、生き恥もいいとこなんだよ」
「いや、おんぶは怖い。だって今のエルヴィラにしがみつくだけの力が残ってるか怪しいんだもの、こっちの方が持ちやすくて楽なんだよね、エルヴィラ軽いし」
言いながら、ジャンヌはスタスタと早足で歩き出す。
途中、微笑ましいとでも言わんばかりの顔で、数人の騎士に見られたが、エルヴィラの恨みに満ちた視線を向けられたせいか、その内誰も目を向ける者は居なくなった。
「つーか、なんの事実確認だよ、私なんも悪い事してねぇぞ」
「吸血鬼さんがね、エルヴィラが血をくれたって言ってるんだけど、本当かなって」
「それなら本当だ、クロなんとかっていう吸血鬼だろ? 私がアイツにここまで来るように言ったんだ」
エルヴィラが言うと、ジャンヌは目を丸くして驚いた。
「えーっ…すごい…私、エルヴィラの事だから、吸血鬼なんかに襲われたら、殺しちゃうと思ってたのに」
「いや、殺すつもりだったんだけどな…なんつーか、まぁ、気まぐれだ」
「ふーん…あ、もしかして…」
ジャンヌは突然ニヤニヤとした怪しい笑みを浮かべる。
「彼に恋しちゃったとか? 確かに顔も整ってて、スラッと背が高くて、あれこそカッコイイ男の人代表みたいな…っていたたたたたたた! 痛い! 痛い!」
エルヴィラに編んだ髪を強く引っ張られ、ジャンヌの妄言は悲鳴に変わる。
「ふざけた事言ってねぇで真面目に今後の事考えろ、あの吸血鬼、どう考えたって七つの魔法絡みだろうが」
「痛い痛い! …そ、そうだね…普通じゃありえない…でも、七つの魔法かどうかと言われたら…ちょっと微妙かも」
「あん? どういう事だ?」
「地図…あるでしょ? ペリーヌさんが作ってくれた、魔力探知地図。あれがね、彼に反応しないの」
そんな話をしている間に、ジャンヌは目的の場所まで辿り着く。目的の場所、と大層に言ったが、そこはいつも通りの団長室だった。
エルヴィラが今まで居た医務室から、階段を登ってすぐのところ。エルヴィラはよくここで勝手に紅茶を飲んだり、お菓子を食べたりしてグダグダしている。
ジャンヌはノックをし、「入るよ」と言ってからドアを開ける。
自分の部屋なのにわざわざノックする必要とかあるのか、とか思いながら、エルヴィラは室内にいる三人を見た。
椅子に座らされているのはクロヴィス。噂の印象とすっかり変わって、借りてきた猫のように大人しい。
そんな彼を見張るように左右にいるのは、ウルとドールだ。
平然とした様子に見えたが、しかし、ウルの右手は既に剣の鞘を掴んでいる。
「おまたせ、いい子にしてた?」
ジャンヌが言うと、ドールが勢いよく抱きついてきた。
「ちゃんと見張ってたよ…ウルお兄ちゃんも優しかったから仲良くできたよ」
「そうなんだ、偉いね、ありがとうドールちゃん」
そう言って頭を撫でられたドールは、満面の笑みを浮かべて、ジャンヌの腹に顔を埋める。
「彼女…ドールはとても面白い子ですね、興味深い話も聞けましたし、はい、すごく良い子です」
「ウルがそんな事言うなんて珍しいね、仲良くなってくれてなにより…さて、二人がなんの話で盛り上がってたのか気になるところだけど、早速本題に入ろっか」
ジャンヌは、クロヴィスと向かい合うように座ると、エルヴィラを膝の上に座り直らせた。「別の方法は無かったのかよ」とエルヴィラは小声で抗議したが、残念ながら椅子の数が足りないらしい。
「魔女…無事だったか」
まだどこか気の抜けたような顔をしているので、少し心配になったが、声をかけたクロヴィスに対し、エルヴィラは、
「当たり前だろうが」
と、素っ気なく返した。
「えっと…こうして本人に来てもらったわけだから、とりあえず事の起こりを最初から話してくれる?」
「あ、ああ、もちろんだ」
クロヴィスは、昨日エルヴィラを襲った事、そして返り討ちにあった事、何故かエルヴィラが助けてくれた事を事細かに話した。
その間、話の要所要所で、ジャンヌはエルヴィラに「本当?」と確認を取っていた。
その後、一連の吸血鬼事件の犯人はクロヴィスである事も確認した。
「そういうわけで、血を飲まないと俺の体はみるみる衰弱していくんだ」
「不憫っつーか不便っつーか、パワー以外にメリットねぇな、吸血鬼って」
首筋の傷を撫でながら、エルヴィラは言う。
「なんでそんな体になっちゃったの?」
ジャンヌが尋ねると、クロヴィスは静かに首を横に振る。
「本当に身に覚えがないんだ、何かを入れた覚えも入れられた覚えもない」
「魔物か魔獣に襲われたとか」
「いや、そんな化け物今まで見た事ない」
一通り話を聞いたが、特に有益な情報は得る事が出来なかった。この結果に、流石のジャンヌも「うーん」と不服そうに唸る。
「エルヴィラ、やっぱり今回は、七つの魔法は関係無いんじゃないかな…今だって彼に反応は無いし…」
「ありえねぇな、魔法ってのは基本魔女が使うもんだ、コイツは男だぞ、男に魔力の伴った異常現象が起きてるっつーなら普通の魔力じゃ無い、ケリドウェンの魔法だ。コイツには確実に七つの魔法が絡んでる」
悶々と二人が考えている中、ドールがこっそりとクロヴィスに近付いて、小さな声で尋ねる。
「ねぇ…貴方は…元々旅人さん…? だったんだよね」
「ん、ああ、そうだが?」
「じゃあさ、色んな場所に行ったんだよね」
それだけ聞くと、ドールは再びジャンヌにくっついて、袖を引っ張った。
「ねぇ、ジャンヌ?」
「うん? どうしたのドールちゃん」
「あのね…私の無冠城に…魔法は取り憑いてたよね…? あの館そのものを、巨大な魔具に変えてたんだよね?」
住む者の命を蝕みながら、住む者を守る危険な防御魔法。命を吸われ続ける居住者は、酷い倦怠感に襲われ、出て行くことすら億劫になる。
「無冠城の魔法は…攻撃魔法を一切使用不能にするフィールドを作り出す魔法だった…もしかしてね、今回も同じ様な事が起こってるんじゃないかな…」
「…と、言うと?」
「クロヴィスは元々旅人で、色んな場所に足を運んでる…その中に、人間の体を変化させてしまう場所があったとしたら…どうかな」
「物や人じゃなくて、場所そのものが、七つの魔法に取り憑かれてるかもしれないって事?」
「…うん、まだ可能性だけど…どうかなって思って」
全く否定は出来ない。何せ、不可能を可能にし、常に想像を超えるのが魔法だ。ましてやケリドウェンが細工した魔法の一つ、その土地全てを犯していたとしても不思議じゃない。
「クロヴィス」
ジャンヌは地図を広げて、クロヴィスの前に突き出した。
「貴方が吸血鬼になった日、この国に入る前、どこに行ったかとか覚えてる? その場所は、この地図に描かれてる?」
「ふん、地図なんか見なくたって覚えてるさ、旅をした場所は全て手帳に記録してる、この国に入る前は確か…そうだ、不思議な絶景が見れると言う廃村に行ったな」
クロヴィスは、ポケットから手帳を取り出し、ページをめくりながら言う。
「不思議な絶景?」
ジャンヌが首を傾げると、クロヴィスは満面の笑みを浮かべながら「気になるかっ?」と身を乗り出す。
どうやら、旅先での話をするのが好きらしい。
「そう、俺も運が良かった…あの日の夜は、雲一つない夜空だったから…ハッキリと見えたさ…満月の夜、あの村では、それはそれは不思議で綺麗な…真っ赤な月が見れるんだ」
「真っ赤な…月?」
「ああ、すごかったぞ、今にも落ちてきそうなぐらい大きくて、血みたいに真っ赤な月…不気味だって言う奴もいるが、俺は違う、とても綺麗だった」
とても良い思い出に浸っているところを邪魔するのは心苦しいが、話に進展が見え始めたジャンヌは、脱線する前に強引に進める。
「その場所は、なんていう場所なの? 名前とかないの?」
「ん? ああ、あるぞ…まだあそこが廃れる前…人がいた頃にあった…名前…えっと確か…と、…と…」
クロヴィスはページをめくりながら呟いて、やがて「これだ」と、あるページに辿り着く。
「桃月郷、あの景色にあった素晴らしい場所だったぞ」
クロヴィスが差し出してきた手帳を受け取って、ジャンヌはその内容に目を通す。
注意すべき場所や、月が良く見える場所、そして、村への行き方が事細かに書いてあった。
「行ってみる価値有り…だな」
ひょっこりと覗き込んできたエルヴィラが言う。
「そうだね…この場所にきっと、何かある」
騎士ジャンヌ一行、次なる目的地が決まった。
赤い月が見れると言う桃月郷。
ようやく一つ、進展した。
「というか、俺からも一ついいか?」
クロヴィスがジャンヌの顔色を伺いながら言う。
「どうしたの?」
「お前、もう吸血鬼は平気なのか?」
「え、大丈夫だよ、正体は人間だったし、私が剣で勝てたし、もうへーき」
こっちも一応、進展していた。




