マギア
「テメェ! 人を抱き枕みたいにしやがってこのヤロー!」
目が覚めたエルヴィラは、自分がまるでぬいぐるみのように、ジャンヌに抱きかかえられたまま眠っていた事に気付き、朝から怒声をあげる。
「知らないよ! いきなり私の膝に座ったかと思ったら、そのまま先に寝たのエルヴィラの方じゃん!」
理不尽に怒りをぶつけてくるエルヴィラに、まだ寝ぼけ眼のまま、ジャンヌも猛抗議する。
照れ隠し、というのもあるのかもしれない。
同性とはいえ、こんな形で夜を過ごすのは流石に思うところがありすぎる。
慌てて二人は身支度を整えて、宿を出た。もちろん今回は変装なしである。エルヴィラの転移魔法で、ジャンヌの防具も武器も全て揃えた。
「魔法効果も持続中、問題なしだな…今回は相手が魔女だから、思う存分魔法が使える」
エルヴィラは髪をくくるのに何度も失敗しながら、得意げに言う。
「先に仕掛けてきたのはあっちだからね、私達が武装していても文句は言わせないよ…まぁ、一応、交渉はするけど」
ジャンヌは剣を鞘に収め、装備を整え、ついでにエルヴィラの髪も整えながら、館のある方を見つめる。
交渉の余地が、あればいいのだが。
彼女が向けてきたのは紛う事なき殺意である。アレがエルヴィラの作った偽物でなければ、彼女は死んでいたし、そもそもエルヴィラが庇ってくれなければ、ジャンヌだって頭だけが床に転がっていただろう。
こちらがどうしようと敵対されている、だが、今回はそのおかげで動きやすくなった。
これで堂々と武装が出来る。
たしかにエルヴィラの転移魔法は便利だが、発動させてから、実物が手元に出現するまでに若干のタイムラグがある。ほんの一瞬であるが、それでも、不意打ちをされてしまえば対応できない。
最初からある程度武器を持っているのとでは、雲泥の差があるのだ。
魔法所有者がどのような人物なのか分からないまま武装していては、望んでいない戦闘に発展する場合も勿論ある、だが、全くの無防備というのも考えものだと、ジャンヌは思った。
「なんかガキっぽかったし、まともな話し合いが出来るとは思えねぇけどな」
「かもね…でも、話しかけてきたりとか、罪悪感を抱いたりとか、少なくとも人としての理性はあったと思う、言葉が通じるなら、思いを届けられるのなら、まずは話し合ってみないと」
呆れた様子で首を横に振るエルヴィラ。
先代ジャンヌも、やたら話し合いにこだわっていたが、代々ジャンヌの名を継ぐ者達は、平和主義者なのだろうか。
話し合いで解決するような事なら、そもそもこんな大ごとになっていないだろうに。
その甘い考えのせいで、余計な心配をかけられる者たちだっているかもしれない、自分は無茶をするけど他人にはさせない、というのは、なんともムシのいい話だ。
「ん、無茶といえば」
エルヴィラは辺りをキョロキョロしながら言う。
「今回はアイツはいないのか?」
「アイツ?」
「アイツだよアイツ、お前にやたら忠実な、あの白髪頭のモヤシみたいなガキ」
「それってもしかしてウルの事? ダメだよ、そんな言い方したら」
口の悪さを咎められ、エルヴィラは面白くなさそうに唇を尖らせる。
白髪の騎士。ウル・アルテミス。
まだ十五という、若いというより子供と呼ぶべき彼は、誰よりもジャンヌを慕っている。そして、この騎士団で、ジャンヌに次ぐ実力を持っている。
エルヴィラの中でも、彼の評価は高い方だ。
魔獣戦において、ウルは傷一つ負うことなく、人とは思えない動きで敵を翻弄し、圧倒的な力を持つ魔獣を瀕死にまで追い詰めている。
魔法も魔具も持たずにあの強さ、それに加えて、彼は敵に対して容赦が無い。
ジャンヌ以外に、余計な感情を持ち合わせないからこそ強いウルを、エルヴィラは高く評価しているのだ。
……あくまで戦闘面だけでだが。
「アイツとは合わねぇ、気に入らねぇ、気に食わねぇ、あのスカした態度とか、普段の言動見てるだけでイライラするんだよな、稀にいるんだよ、マジで気が合わない奴、アレがまさにソレだな」
「そんなになんだ…」
止まらない愚痴に、ジャンヌは苦笑いを浮かべるしか無い。
「そんなに嫌いなウルを、どうして今気にしてるの?」
「単純に戦力にならねぇのかなって思っただけだ、アイツの評価できるところなんて、戦闘面以外にねぇだろ?」
ウルが戦力になる、その意見にはジャンヌも同意だった。出来ればこの場にいて欲しいぐらいなのだから。そのぐらい、彼は頼りになる。
だが。
「残念だけど、今回は私たちとは別行動だね、彼には違う仕事を頼んでるから」
「違う仕事?」
エルヴィラが聞き返すと、ジャンヌは神妙な面持ちで答える。
「うん、大きな声では言えないけどね、ウルには『異端狩り』の調査をしてもらってるの」
「ほぉ、そりゃ随分なヤマだな、あのガキ一人でか?」
「うん、戦闘はせず、調査だけこっそりしてきて欲しいって頼んでるからね…ウルは小柄だし、要領もいいから、ピッタリだと思ったんだけど…でもその…ねぇ」
ジャンヌは途中で言葉を濁す。何か問題が起きたのだろうと、エルヴィラは察して思わずニヤける。
「なんだ? なんかやらかしたのか?」
嫌いな相手の失敗を笑うエルヴィラに呆れながら、ジャンヌは「違うよ」と首を振った。
「ウルは何も失敗してない、ただ、想定外の事が起こったって、この間手紙が届いたの」
「想定外の事ぉ?」
ジャンヌは不安そうな顔をしながら頷く。
「ウルを調査に向かわせた、それとほぼ同時期に、同じく『異端狩り』を探り始めた組織がいるんだ…」
それがちょっと厄介で、とジャンヌはそこで言葉を止めた。
目的地に辿り着いたから、では無い。
そこで言葉を強制的に止めざる得なくなったからだ。
「…あん?」
不自然に喋るのをやめたジャンヌを不審に思ったエルヴィラは、ジャンヌが見つめる先を見て、その原因がなんなのか理解した。
まるで自分達を通せんぼするかのように、道の真ん中に女が一人立っていたのだ。
ただの女では無い、そんな一般的な存在なら、わざわざ足も言葉も止めたりしない。
まず異様なのはその姿。長い紅色の髪を、膝までダラリと伸ばした彼女は、両目と胸と下半身を包帯でぐるぐる巻きにして、羽衣のような薄い布を首からダラリとかけているだけで、その他の衣服らしいものは何も身につけておらず、ほぼ裸のような状態だった。
しかし、裸と言っても、柔肌の色はほとんど見えない。何故なら、全身にびっしりと何か文字が書かれていたからだ。
顔面には、魔法陣が両頬に描かれている。
魔女であるエルヴィラには、それがなんなのか、なんとなく理解できた。
一見すると、それは魔法の術式のようだった。しかし、何か妙だった。魔力も感じなければ、効果も分からない、術式のようなもの。
そもそも、魔法の術式は本来、地面や紙、体に書くにしたって、手のひらや腹など、平行な場所や部位に書くものであり、あんな無造作に書かれたものに効果や意味があるとは思えない。
つまり、そこに書かれているのは、術式を模した何か。
それを解読した瞬間、エルヴィラは背筋が凍るような、得体の知れない恐怖を感じた、否、それは恐怖というよりも、不気味とか、気味が悪いといった、気持ち悪さ。
わざわざ魔女が書く術式を模して作られた、文字の羅列。しかし、それは文章になっており、まるで小説のように書かれていた。
自分が男だったらという設定で書かれた、『防衛の魔女』十二人との官能小説。
もちろんその中に、エルヴィラも含まれていた。
なるほど、普通の人間には読めないようにしてるわけだ。
でも多分それは、恥ずかしいからじゃなくて、魔女にだけ読めるようにしているのだろう。
心底気持ち悪いと、エルヴィラは不快感で顔を歪ませる。
そんな事は御構い無しで、彼女は、不気味な笑みを浮かべながら、ユラリユラリとこちらに近付いてくる。
「おい忘れ形見、アレはなんだ、知り合いか? もし知り合いでもなんでもない、ただの野生の不審者なら、速攻で串刺しにしてやりたいんだが」
「ダメだよ、エルヴィラ…不審者っぽいけど、彼女は敵じゃない…今はね」
そう言って、敵意をむき出しにするエルヴィラを制止するジャンヌ、しかし、その目にも、恐れのような、負の感情が見え隠れした。
異様な女はピタリと止まると、ぐにゃりとお辞儀をしてクスクスと笑い出した。
「お久しぶりですお久しぶりですお久しぶりですぅぅ…ああ、偉大なる『鎧の魔女』…その名を受け継ぐ高貴なる高貴なる高貴なるぅぅ騎士団団長の…ジャンヌ様ぁぁ…こんなところでお会いできるなんて…この下賤な身にあまる幸福幸運…」
「お久しぶりですね…継承式にもいらしてくださりありがとうございます…ですが、ここで出会ったのが偶然とは、私はとても思えないのですが?」
ジャンヌが言うと、異様な女は、垂らすように下げていた上半身を、跳ねるように持ち上げて、一層強く、口元を歪ませて不気味に笑う。
「貴女には…貴女には貴女にはぁぁ…全てお見通しなのですねぇ…はぁあ…なんという素晴らしい推理力洞察力考察力…その通りでございますぅぅ…下賤な私は恐れ多くもここで貴女をお待ちしておりましたぁぁ…」
異様な女は媚びるような甘い声で、愛おしそうにそう言って、ジャンヌの前に跪く。
そして顔をエルヴィラの方に向けて「はてはてはて」と不思議そうに首を左右に揺らす。
両目を包帯で隠しているというのに、こちらの姿がはっきりと見えているかのような、迷いのない動きだった。
「見覚えの無い顔聞き覚えのない声嗅いだことのない匂い…はてはてはて? 貴女は誰ですかぁ? ジャンヌ様とは…どのようなご関係で?」
後数ミリで密着してしまうほどに顔を近付けて、彼女はエルヴィラに言う。
その声色には、明らかな嫉妬の色が見えた。
「人にあれこれ聞くならよぉ、まず最初に名乗ったらどうだ」
しかし、それでもエルヴィラは動じず、睨みつけながら、声を低くして言った。
「……」
しばらく沈黙が続いたが、先にその空気を破ったのは、異様な女の方だった。
「…あは」
スッとエルヴィラから離れると、彼女はまるで魔女のように、羽衣をつまんでお辞儀をしながら名乗る。
「はじめましてはじめましてはじめましてぇぇ…下賤な私の名はアレックス・マーガレットと申しますぅぅ…恐れ多く浅はかで身の程知らずなのですがぁぁ…魔女信仰宗教団体『マギア』の教祖をさせていただいておりますぅぅ…お気軽にお手軽に馴れ馴れしく、マーガレットとお呼びくださいませぇぇ」
これが、魔女エルヴィラが、約七百年間生きてきて、初めて出会う、魔女を信仰する者の姿であった。
そしてこの『マギア』との接触が、この先の旅を更に過酷なものにしていく事を、まだ誰も知る由もなかったのである。




