そこにある
夜が明けると、二人は急いで準備をして、地図に記された矢印の示す方へとジャンヌとエルヴィラは向かった。
準備、というのは、つまり変装である。二人は姉妹という設定で、普通の農民のような格好をしたまま、馬車も使わず徒歩で目的地まで向かっていた。
「なんでこんな面倒くさいことするんだよ」
そう言いながら、エルヴィラは恨めしそうにジャンヌを見る。
「仕方ないでしょ、エルヴィラが生きている事も、私達の行動も、なるべく知られるわけにはいかないの」
エルヴィラが生きている事がバレるのがまずい、というより、実は生きてきたエルヴィラと騎士団が、手を組んでいる事がバレるのが良くない、と言った方が正しいだろう。
前回の村長のような例もある。魔女批判派は少なからず存在しているのだ、彼らの妨害を受けて、もし騎士団の行動が制限でもされたら元も子もない。
そして、なにより自分達の行動がバレるとまずいのが、ほぼ確実に『異端狩り』がやって来るだろうという事である。
捕らえたエイメリコは、仲間の情報を未だに話そうとしない。
まだ敵が何人いるのか、どんな魔具を持っているのか、何も分からないままなのである。
もしかしたら既に後を付けられているのかもしれない。
時折ジャンヌは、周囲に気を配るが、特に怪しい気配はないので、今は安心だろう。
しかし、もし自分達が、はっきりと七つの魔法の在処が分かっている事がバレてしまえば、『異端狩り』は全力でこの地図を奪いに来るだろう、それを阻止できたとしても、今度はこの地図を作った魔女を探し出すはずだ。
そうなれば、ペリーヌも危ない。
遭遇してしまえば、彼らとの戦闘は避けられない。ならば、せめて被害を最小限に抑える努力をすべきだと、ジャンヌは思っている。
無論、一番良いのは、誰も血を流さない事だが、魔女絡みとなると見境と容赦が無くなる『異端狩り』には、難しい話かもしれない。
だからこそ、自分達の正体を隠して、隠密に慎重に行動すべきなのだ。
起きてしまえば、解決が難しい問題があると分かっているなら、そもそも問題にぶつからないようにすればいい。
自分達の正体と居場所がバレず、敵と遭遇しなければ、そもそも戦いなど起こらないのだから。
「だからって、なんで徒歩なんだ、馬は無かったのか」
「馬車に乗ったら記録がつくでしょ、無論、馬だけ借りても同じ事、歩くのが一番いいよ、健康にもいいし」
「ちっ、めんどくせぇ、魔女の立場は魔女狩り時代となんも変わってねぇじゃねぇか」
「そんな事ないよ、少なくとも、三年前までは、私達がこんな風に手を組めることなんて無かったんだから、堂々と借りれる手が増えたっていうのは、メリットなんじゃないかな、お互いにとって」
「でもまだ命は狙われる、割りにあわねぇよ」
ふて腐れたように頬を膨らませるエルヴィラ。彼女のいう通り、命というたった一つしかない、かけがえのないものを奪われようとしながらも人間に協力している魔女にとっての現状は、あまり公平とは言えないだろう。
そういう条件なら、魔女に味方する人間が、一方的に魔女達を保護するぐらいでないと、彼女達にかかる負担があまりにも大きすぎる。
不老不死とは言え、殺されて死なないわけじゃない。
不老不死とは言え、殺して死なせていいわけじゃない。
エルヴィラの口調で、若干わがままっぽく聞こえるが、彼女の言っている事は、決して間違いではない。
「じゃあ、私はエルヴィラに何をすればいい? 貴女が割りに合うと思えるような、手助けと他にあと一つ、私達はどうすればいいのかな?」
ジャンヌが言うと、エルヴィラは顎に手を当てて、しばらく考え込むような素振りを見せてから、ため息を一つ吐いた。
「特に思い浮かばねぇな、大抵のことは自分でどうにかなるし…むしろ、数少ない自分ではどうにもならない事の全部を今お前らにやってもらってる状態だし」
「それでも割りに合わない?」
「合わねぇな、命は軽くねぇんだよ、普段は深く考えないくせに、なんなら自ら捨てようとするくせに、いざとなると、他のことがどうでもよくなるぐらい重たい…あ、じゃあよ」
エルヴィラは思いついたようにジャンヌに向いて、邪悪な笑みを浮かべながら言った。
「私はそんな重たいものを背負いたくない、だから忘れ形見、私の前で、いや、この魔法集めの途中では絶対に死ぬんじゃねぇぞ」
絶対にだ、と念を押すエルヴィラに、思わずジャンヌは笑ってしまう。
「何がおかしいんだよ」
みるみる内に不機嫌になっていくエルヴィラをなだめるように、まだ笑いが完全に治らないままジャンヌは言う。
「あはは…ごめんね、いや、普段チンピラみたいなエルヴィラが…あまりに真剣な顔で言うもんだから…ギャップがおかしくて…あははは、そうだよね、なんだかんだ言って、エルヴィラだって、誰にも死んで欲しくないんだよね、つまり、エルヴィラも私や騎士団の皆が大好きって事だよね」
「そんな深い意味で言ってねぇよ!」
怒鳴るエルヴィラの顔は、少し赤い。こんな状況だと言うのに、こんな他愛の無い会話で、あろうことか和んでいる自分がいる事に、エルヴィラ自身が誰よりも驚いているのだ。
いつの日だったか、ずっとずっと前にも、こんな風に誰かと笑い合った気がする。
曖昧になっている記憶の中で笑う、綺麗な人。
「エルヴィラ?」
「…あん?」
いつの間にかぼーっとしてしまっていたようだった。エルヴィラは動揺を隠す為に、わざと不機嫌そうな返事をする。
完全に思い出したわけじゃ無いが、確かにある、あの人と過ごした日々。
エルヴィラは、自分にとってあの人が、ちゃんと大事な人だと思えている事に、心底安心していた。
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どれぐらい歩いただろう、朝早くから出たはずなのに、既に日が暮れはじめている。
しかし、広げた地図には、まだなんの変化もない。
「疲れた! どんだけ遠いんだよ! 私は日帰りで行けるぐらいの甘い見通しだったってのによ!」
「確かペリーヌさん、まず一番近くにある魔法に反応していくって言ってたよね…これだけ歩いてまだって事は、他の魔法はどこまで行ったんだろう」
ジャンヌはぐったりした表情で地図を見つめる。
ペリーヌが作ってくれた、魔具の探知地図は、いわばナビのようなもので、ジャンヌ達が移動すると、自動的に描かれているはずの地図も変わっていく。まるで真上から自分達の様子を自分達で見ているような気分になる。
さらに、一度二つに折りたたんでから、再度開けると、地図が拡大され、範囲は狭くなるが、より正確に自分達がどこにいるのか分かるようになる。
そんな便利な魔具をフル活用しているというのに、一向に二つ目の魔法がどこにあるのか分からない。
一日中歩いた疲労も重なって、ジャンヌもエルヴィラも既に満身創痍だった。
「やっぱり馬ぐらい借りるか買うべきだったかなぁ…でも、どこから情報が漏れるか分からないしなぁ…」
「ペット用のポニーと称してでっかい白馬でも飼ったらどうだ? 私憧れなんだよ、白馬に乗った王子様って」
エルヴィラがわけのわからない冗談を言い出すあたり、もう限界なのだろう。今日はもう諦めてどこか宿を探して休んだ方が良いだろうと、ジャンヌは諦めのような、安堵したような、複雑な気持ちになりながら、地図を拡大して、近くに宿がないか探す。
地図は本当に正確で、民家一件見逃す事なく描かれている。
どこか休めそうな場所は無いかと、ジャンヌは地図のあちこちに目を移す。
その時、妙な違和感を覚えた。
「ん…? なんか…変」
ずっと地図を見ているせいで、目が疲れているだけかもしれないが、実際の風景と、地図に描かれたこの辺りの地理が、どこか違うように見える。
間違い探しでもしているような気分だ、ただの勘違いかもしれないが、胸につっかえる違和感が消えない。
ジャンヌは何度も何度も地図と、目の前の風景を見比べる。
「何してんだお前」
ジャンヌの異変に気付いたエルヴィラが、怪訝な顔を浮かべながらこちらを見上げている。
それとほぼ同時に、ジャンヌの視線は一箇所に止まった。
目の前に広がる山々。しかし、地図には、その場所に山なんて描かれていない。
描かれているのは、大きな館である。
「エルヴィラ…これどう思う?」
ジャンヌは、エルヴィラにも、地図と目の前の景色を交互に見せる。
「…あ? ああっ⁉︎ そういう事かよ、なんだよめんどくせぇ! おい忘れ形見、気付いてると思うが、これ見てみろ」
エルヴィラが地図の矢印を指差す。自分達を表す矢印は、ずっと目の前にある山の方を指していた。
しかし、地図上では、そこに山なんかなくて、代わりに大きな館がある。
自分達が見ている景色と、魔具が描く地図とのズレ、ジャンヌは未だに混乱しているが、エルヴィラにとっては実に分かりやすい謎だった。
ずっとそこにあったのだ。
謎が解けたのと同時に、エルヴィラは心底うんざりする。
自分が思った通りなら、そこにはつまり、自分達の仲間がいるという事だ。
いや、この場合の仲間というのは、友達や戦友といったような、仲間という意味ではなく、同類という意味の、仲間。
「忘れ形見、私達は既に辿り着いてたんだよ」
「ん? どゆこと?」
だからぁ、とエルヴィラは気だるそうに言う。
「あの山は幻覚だ、私達はずっと、結界に阻まれてたんだ」
ようやくジャンヌも理解した。
今度の魔法の持ち主は、魔女なんだと。
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そこからは、自分達が見ているものは何一つ信用せず、地図だけを見て一心不乱に進み続けた。
やがて、自分達を表す矢印が点滅し始めた地点で立ち止まり、エルヴィラが地面にさっさと魔法陣を描いてから、それを思い切り踏み付けると、辺りの風景がまるで霧が晴れるように消えていった。
「乱暴な解除だね」
「うっせー、イライラしてんだよ、お上品に魔法なんか使ってられっか」
エルヴィラが一度でも上品だった事があるだろうか、などとジャンヌは思ったが、余計な事は口に出さなかった。
それよりも、今は目の前の景色の変化に驚いていた。
周りの木々が消え、いきなり殺風景になったかと思うと、自分達の目の前に、巨大な館が姿を現したのだから。
「私がこの前村で使った結界と同じだな、対象物を見えなくする結界魔法、魔物が村に辿り着けなかったのと同じように、私達は、この館が見えなかった」
エルヴィラは、何かを探すようにあちこちに視線を移してから、チッと不機嫌そうに舌打ちする。
「この結界魔法は魔女が使うものとしては初歩の初歩だ、しかも私が蹴っ飛ばしただけで解除できた辺り、覚えたてほやほやの魔法と見た…だからここにいる魔女は、別に大した魔力を持っているわけではない…力の弱い魔女…の、はずだ」
「はず…? でもまぁ、だったら戦わなくて済むかも、魔法の所有者が温厚な子なら、別に無理に回収しなくても、定期的に様子を見にくれば…」
「問題はそこじゃねぇよ…ったく」
エルヴィラは館を指差しながら言う。
「もし本当に弱い魔女なんだとしたら、そんな雑魚がケリドウェンを体に宿し続けて平気だとはとても思えねぇ、精神が崩壊して正気を失ってる…だけならまだ問題ないが、私が心配してるのは、それが暴走する事だ、つまり…魔獣化してる可能性がある事にうんざりしてるんだよ」
魔獣、魔法が効かない、魔女にとっての天敵。
前回の戦いで、その脅威は嫌という程身に染みている。
まさか二回連続で魔獣と戦う羽目になるかもしれないとは、不運にもほどがある。
「わざと弱く見せてるって可能性もあるが…だったら最初から人を遠ざけるような結界を作るとは思えない、経験上、人を遠ざける結界を張るのは、決まって力の弱い魔女だ」
やれやれと言うふうにエルヴィラはジャンヌに向き直って、大きなあくびを一つしてから言う。
「ここまで来たがどうする? 場所は分かったんだし、一回帰るか? それともこのまま突っ込んでいくか?」
私的には寝たい、とエルヴィラはもう一度大きなあくびをする。
ジャンヌは館を見上げながら考える。
エルヴィラの言う事が本当なら、魔獣化していることを前提にして動いた方が良いのかもしれない。
だったら、一度戻って作戦を立てた方が安全だろう。
そもそも、この場所についての情報が皆無である以上、何をどうすれば正解なのか見当もつかない。
しかし、もし仮にこの館の主人が正気を保っていたとして、急に武装した集団が侵入してきたら、それこそこちらから宣戦布告したと取られても言い訳出来ない。
だが、自分達の正体がバレていないのなら、迷ったという事にして、様子見だけするのも一つの手だろう。今自分達は、農民、というか、村娘みたいな格好をしている。騎士と魔女の二人組だとは思わないだろう。
もっとも、館の主人が迷子に対して寛容かどうかは別の問題だが。
「…エルヴィラはさ、私の他の装備を転移させる事って出来るの?」
「容易いな」
なるほど、装備ならいつでも整えられるという事か。
ジャンヌはしばらく考えてから、小さく頷いて決心する。
「とりあえず様子見だけしよっか、どちらにせよ情報不足なわけだし、私達二人だけの方が、動きやすいかもだし」
「人はそれを勇気とは呼ばず、無謀と言う」
選択を迫ってきたくせに乗り気じゃないエルヴィラを引きずって、ジャンヌは館の玄関をノックする。
返事はない。
ジャンヌはゆっくりと扉を押して、中の様子を確認する。
真っ暗で何も見えない。
引き返すべきかどうか、思考がぐるぐる回り続ける。
少し動きを停止させてから、意を決して中に入る。
「…こんばんわー…誰かいますかー?」
暗闇に声をかけながら、ゆっくりと一歩ずつ進んでいく。
その足に、コツンと何かがぶつかった。
「…?」
ぶつかったものを拾い上げるが、よく見えない。
丸い、ボールのようなもの。しかし、完全な球体ではなく、楕円形で、跳ねて遊ぶには向いていないような気がする。
そもそもこんな廃墟に、空気の入ったボールなんていう新しいものがあるだろうか。
そして、さっきからボールと表現しているが、それにしては、どうも質感がおかしい。
空気が入っているというより、何か詰まっているような感じだ。
「…っ⁉︎」
持ち方を変えた瞬間、今までとは違う感触が伝わり、ジャンヌは思わずその物体を再び落としてしまう。
ゾワゾワとした、まるで髪の毛のような感触と、生肉を素手で触ったかのような、ぶにっとした感触。
やはりボールのようには跳ねず、その物体は、鈍い音を立ててゴロゴロと転がった。
「…ボールじゃ…ない…エルヴィラ、明かりとかつけられる?」
「…ん、ランプ持って来ればいいか」
エルヴィラが転移魔法でランプを出現させ、明かりを灯す。
それを受け取ったジャンヌは、自分が今まで持っていたものの正体を確かめるため、ランプで照らした。
照らして、確認して、後悔した。
「う、うわぁああああああああ⁉︎」
そこに転がっていたのは、ボールなんて平和なものなどではなく。
苦痛に歪んだ顔をした、人間の頭だった。
そして、直後、ジャンヌは背後から仰向けに押し倒される。
「な…なに…なにっ⁉︎」
体を床に押しつけるように、エルヴィラがジャンヌの背中に乗っている。
怖がらせようと悪戯したわけではない、エルヴィラは、庇ったのだ。
ジャンヌに向かって飛んできた、得体の知れない円形の何かから。
「…な、何が…え…エルヴィラ…? エルヴィラっ⁉︎」
返事はなく、エルヴィラは、その場にぐったりと倒れてしまった。
その胸に、まるで風車のようにいくつもの刃物が重なった凶器が、深々と突き刺さったまま。
「エルヴィラ…! エルヴィラ! エルヴィラぁ!」
抱き起こし、何度も名前を呼ぶが、返事はない。
血塗れのまま、エルヴィラはピクリとも動かない。
「あと一人」
暗闇から、鈴のなるような少女の声だけが聞こえた。
暗闇から現れたいくつもの刃物が、一斉にジャンヌに向いた。




