フェンリル
ジャンヌがエイメリコと戦闘を繰り広げていたその頃、エルヴィラとウルは、魔獣と死闘を繰り広げていた。
ここで一つ、はっきりさせておくべき事がある。七つの魔法がどれほど危険で強力なものなのか、という事だ。
七つの魔法は、決してランダムに選ばれた魔法では無い。あのケリドウェンが、意図してこの世に放った、どうしても保存しておきたかった、特別な特異魔法なのだ。簡単には手が出せず、自分の後釜がしっかり回収できるように。
ケリドウェンの真の目的、それを知る者は少ないが、エルヴィラは部分的に聞いていた。
殺された夫と息子を生き返らせる。
つまり、死者蘇生の魔法を作ろうとしていたのだ。
ケリドウェンは、新たな特異魔法を瞬時に作り出すという恐ろしい特異魔法を持っていた。使えるのは一つだけだが、状況に応じて、様々な効果の魔法を最大限発揮できるという天才だった。
そして、その特異魔法を使いこなすのに必要な、膨大な魔力を、彼女は一人で所持出来ていたのである。その数、特異魔法で例えるなら、千個分。
そんな彼女が最も重宝して、自分の中から決して手放さなかった魔法、それはつまり、彼女の目的を果たす鍵になり得た魔法、という事になる。
今のところ、死人を生き返らせる魔法は存在しない。そもそも、肉体がこの世にない状態から、全てを元通りに生き返らせるなど、どう考えても不可能だ。
しかし、その不可能を可能にしたかもしれない鍵となった七つの特異魔法。
そんなものを宿した、魔獣や、魔具や、魔女が、他とは常軌を逸した強さになるのは必然だ。
もし、その強さを自分のものに出来れば、怖いものなど無くなると考えるのも、至極当然である。
既に国や組織が動き出しているのだが、そんな事を知る由もない、というか、そんな事を考える暇が、今はエルヴィラにもウルにも無かった。
「ああもう! だから魔獣は嫌いなんだよ!」
魔獣の狙いはエルヴィラに集中していた。青い炎が、巨大な口から吐き出される。
必死に避けるが、それが精一杯だった。魔法攻撃が効かない以上、魔女である自分に出来ることは、精々転移魔法でナイフや短剣を出現させて、投げつける事ぐらいである。
その投擲ですら、炎に触れれば飴細工のように溶けて、その威力を奪われてしまう。
だから、自分に出来る事は、精一杯逃げる事だけ。
幸い、狙いは自分に集中している、魔獣は、魔力の高い方を優先的に狙い、それ以外を度外視するという弱点がある。
魔獣がエルヴィラを襲っている隙に、ウルが攻撃をする。シンプルだが、単調な動きしかしない魔獣には効果的なはずだった。
戦闘能力を持った奴が二人いて助かった、とエルヴィラは思っていた、数分前までは。
「おい白髪! 何やってんのさ! たかだか足斬って動き止めるぐらいにいつまでかかってんだ!」
エルヴィラが、魔獣の足元で剣を振るウルにそう叫ぶ。
トドメを刺してしまえば、せっかくの魔法がまたどこかに飛んでしまうので、動きだけでも止めてしまおうとしたのだ。
しかし、魔獣の防御は意外にも硬く、昆虫の脚のような触手に、決定打を塞がれてしまうのだ。
「文句があるなら代わりますか? 貴女こそ、逃げてるだけじゃなくて、弱点か何か見つけてくださいよ」
ウルはそこから離れようとはせず、次々と攻撃を重ねていく。その速度は、もう目では追えないほど速くなっていた。
触手がウルを貫こうと飛び出すが、彼はそれを避けながら、更に剣で斬り裂いていく。
躱しながら、攻撃をするという器用な技が出せるウル、しかし、そんな彼の斬撃が、未だ魔獣の肉体に届いてはいなかった。
「ああ鬱陶しい…嫌なところを的確に防御してきますね…腹に目でもあるんでしょうか?」
まるで予知しているかのように、ウルの攻撃したいところに、触手が伸びてくる。おかげで満足に剣を振れない、無駄な動きばかりが重なる。
「随分頭のいい魔獣だなっ…! 魔女の弱点突いてくるのも、もしかして意図してなのか?」
正直言って、魔獣についてはまだ知らない事が多々ある。そもそも魔獣なんかに近寄らないようにしてるので、こんな風に対峙する事自体異常なのだが、それを想定して、敵の事を知っておくべきだっただろう。
魔獣にどれほど知性があるのか、これを知っているだけでも、かなり戦況が変わるだろう。
(そういえば、『皮剥の魔女』が変身した魔獣は、支離滅裂だけど、なんか喋ってた気がするな)
とはいえ、マリ・ド・サンスの魔獣化はかなり特別な能力なので、例外中の例外である為、比較対象には向いていない。
そんな事を言ってしまえば、魔力が暴走したケリドウェンが変異した魔獣は、はっきりと意味のある言葉を発していたのだ。
喋れる云々はこの際関係無いだろう。
知性があれば、魔獣の脅威は更に上がる。出来れば動物のように、本能的に動いていて欲しいというのが、エルヴィラの正直な思いだった。
単純なら、罠にだってかけやすい。
「…うん、まぁまぁ覚えました」
思考する最中、ウルがポツリと言葉を零す。
「魔女さん、貴方の物体転移魔法で、僕にナイフか短剣を渡す事は出来ますか?」
「出来なくはないけど、もうちょい近付かないと手元に渡せん、それが無理なら投げるしかない」
ウルは少し考えて、襲いかかってきた触手を斬り払ってから、エルヴィラに向く。
「では、僕が合図したら、どの方向からでもいいので、僕にナイフ…いや、出来れば短剣を投げつけてください」
「なんか案があるんだろうな」
「ありますよ、成功するかは、やってみないと分かりませんが」
そう言って、ウルは今まで潜り込んでいた魔獣の足元から抜け出して、そのままエルヴィラとは逆方向へと回り込む。
そして、追撃を仕掛けてくる触手を、次々と斬り裂いていった。
相変わらず魔獣は、エルヴィラから目を離そうとはしていない、にもかかわらず、魔獣の触手はしっかりとウルの急所を狙って攻撃を仕掛けていく。
だが、そんな攻撃をもろともせず、ウルは冷静に、人間離れした動きで、一本一本確実に斬り落としていく。
「…魔女さん、今です」
魔獣を挟んだ向かい側から、ウルがエルヴィラに合図を送る。
かなり距離がある、彼の手元に直接短剣を転移させるのは無理そうだ。
「どうなっても知らないからなっ!」
エルヴィラは、出来るだけウルの近くに探検の群を出現させ、彼に向けて弾丸のように飛ばした。次から次に、連鎖的に、一本動けば、それを追うように、宙にとどまっていた短剣もウルに向かって飛んでいく。
攻撃目的では無いが、速度が調節出来ない以上、こうするしかウルに届ける事が出来ない。
受け取るか、避けるか、防御しないと、ウルはあっという間にズタズタにされてしまう。
そんな状況だと言うのに、それでもウルは冷静に、無表情に、無感情に
「上々です」
と言って、当然のごとく飛んできた短剣を掴み、そのまま魔獣に向けて投げた。
一瞬身を引いて、自分の目の前を横切った物と、今まさに自分に向かってきた計二本の短剣を同時に掴み、更に投げる。
それらは全て命中し、魔獣はその巨体を大きく震わせて、四つある赤い瞳でウルを睨みつけた。
「触手で軽くあしらえる人間だと思わない事ですね、そっちの魔女さんは貴方が苦手かもしれませんが…僕は違うんですよ、昔から、魔獣の扱いには慣れてるんですから」
言いながらも、休まずウルは短剣を掴み、投げ続ける。
背後から飛んできたものを、見もせずに掴み取った辺り、尋常じゃない動体視力を持っている、どころの話じゃないと、エルヴィラは思った。
(マジでコイツ何者なんだ? どっかで見た事ある気がするし…それに…魔獣慣れ?)
浮かんだ疑問はいくつかあったが、それを深く考える余裕は無い。魔獣が身を翻し、ウルに向いた瞬間、大きく口を開け、炎を吐き出した。
「森を焼く気ですか…自然を破壊するのは…別に人間だけじゃなさそうですね…っていうか、人間だって自然の一部ですし、そもそも…って、おっと」
ウルは避けながら、炎が燃え移った木を見て、少し焦りを感じた。
湿り気がある分、広範囲では無いが、徐々に火の手が広がりつつある。
早急になんとかしないと、森全体が焼け野原になってしまうかもしれない。
その間、避け方にも気を使った方がいいだろう。
「確かに魔女さんの言う通り、魔獣というのは、いつだって手間がかかるものですね」
ウルは剣を構えると、一気に魔獣との距離を詰める。
吐き出される炎を避け、魔獣の喉元まで行くと、勢い良く剣を振り上げた。
しかし、咄嗟に魔獣が跳躍した事で、喉を斬り裂く事はなく、剣先がかすめる程度になってしまう。
「っと、流石、一筋縄じゃ行きませんね」
エルヴィラと合流できたウルは、短剣を返しながら言う、
「やっぱ普通の魔獣より頭いいっぽいな、って、魔獣に普通とかないけどさ」
二人は追撃を警戒する、しかし、何故か魔獣は、触手を伸ばしたり、炎を吐いたりしなかった。
攻撃は避けた、だというのに、魔獣は苛立ったように体を震わせて、ウルとエルヴィラを睨みつける。
「何やってんだ? こいつ」
エルヴィラは首を傾げているが、ウルが疑問を持っている様子は特に無く、むしろ満足そうに小さく頷いていた。
「作戦成功…というか、読みが当たって良かったです…アイツはもう、触手を使えませんよ」
「は? 何言って…ああ⁉︎」
言われてエルヴィラは初めて気付く。魔獣の体から生えていた触手が、まるで縫い合わされているように、短剣を何本も打ち込まれ、固定されていた。
「あの触手が鬱陶しかったんですよ…だからとりあえず封じさせてもらいました、もっとも…あれだけの短剣が手に入ったのは、貴女のおかげですけどね、素直に感謝しますよ、魔女さん」
「お前…全部計算して投げたのか…あれ全部?」
「ランダムに生えているわけでは無さそうだったので…触手が生え変わってくる部分を暗記して、そこを押さえ込むように投げただけですから…そんなに驚くほどの事では無いかと」
ますます分からなくなった、ただはっきりと確信できた事が一つだけある。
ウル・アルテミス、コイツは人間じゃ無い。
「さて…一番厄介な炎がまだ残ってます…あれも封じないと、捕まえられませんよね…一応考えはあるんですが…魔女さんにも頑張ってもらわないと…」
「…この際なんでもやってやる…喰い殺されたり、焼き殺されるよりマシだ…けどな、何度も言うけど、魔法だけは頼るなよ?」
「大丈夫ですよ、魔女さんには魔法を使わず頑張ってもらいます」
そう言って、ウルは、まるで小さな子供を抱き上げるように、エルヴィラを持ち上げる。
「おまっ…なんのつもり」
「死なないように、頑張ってください」
言うが早いか、ウルはあろうことか、エルヴィラを魔獣に向けて、乱暴に投げた。
「テメェこの野郎!」
悲痛な叫びも虚しく、エルヴィラの小さな体は宙を舞い、魔獣の目の前に投げ出される。
魔獣は即座に反応し、餌に喰らい付く犬ように大きく口を開けて、エルヴィラに襲いかかった。
「ぐぅっ!」
咄嗟に、特異魔法『剥がれた爪』を発動させ、両手の爪を鋭く伸ばし、魔獣を押さえつける。
爪が深く体に食い込み、喰らい付かれるのは免れた、と思った直後、魔獣の大きく開かれた口の奥が、明るく光り始めた。
「おい、おいおいおい待て待て嘘だろっ!」
魔獣を押さえつけているせいで、自分も動けない、しかし、向こうにはこの距離からでも攻撃できる方法がある。
今のままでは避けられない、だからといって爪を解除してしまえば喰い殺される。
まさに絶体絶命。為すすべもなく、魔獣が炎を吐き出す。
その瞬間だった。
「流石ですね魔女さん、動きまで止めてくれるなんて」
ウルの声が頭上から聞こえる。
その直後、魔獣が炎に包まれ、果ては身体中から血を吹き出して倒れた。
魔獣の口は、ぴったりと閉じられている。よく見ると、上顎と下顎が、剣で貫かれていた。
「…暴発か」
ボロボロと爪が崩れ、エルヴィラはようやく体の自由を取り戻す。
「ええ、炎を吐き出す直前に、口を閉じさせる事ができれば…と、考えたのですが、その為には、魔獣の気を逸らす必要があったんですよ」
「で?」
「それで、少々乱暴な手を使ってしまいました」
「少々?」
「少々」
言葉を繰り返すウルに、エルヴィラは笑顔を向けながら、同時に伸びた爪と転移させた短剣を向ける。
「じゃあ私も『少々』乱暴な手を使って仕返ししても文句言わねえよな?」
「え、嫌ですよ」
「ざけんなクソガキコラァ!」
キレた。ついに魔女エルヴィラがキレた。
だが、今回は無理もないだろう。いきなり放り出されたのは、自分を殺せる要素を二つも合わせ持っている化け物の目の前だったのだから。
「何が、考えはあります、だ! ほとんどヤケクソじゃねぇか! ヤケクソどころかあのままじゃ私は今頃焼死体になってたところだよ!」
「そうならないように、僕も急いで木に登って飛び降りたんですよ、助かったんだし良いじゃないですか」
悪びれないウルの態度に、エルヴィラの怒りは収まらない。
「もう二度とお前とは組まない、忘れ形見の方がよっぽど私に気を使ってくれる」
エルヴィラが言うと、ウルは突然駆け出し、崖の下を覗いた。
「それよりもジャンヌ様ですよ、魔女さん、あの人が無事か確認しないと」
言われて、エルヴィラも一度深呼吸をしてから崖の下を覗く。
「…ああ、そりゃそうだな…真っ暗でどうなってんのか分からねえけど…無事なんだろうな…アイツ…」
ジャンヌに預けた『オーバードーズ』が無いと、魔法を回収出来ない。鎧に防御魔法もつけているから、本人が死んではいないと思うが、あの剣が無事かは保証できない。
「ってか、そっちの魔獣も死んでねえよな? こっちが死んでたら魔法の回収どころの話じゃねぇや」
エルヴィラが確認の為に、振り返ろうとした瞬間。崖の下が、稲妻でも走ったかのように、青白く輝いた。
立て続けに、轟音が鳴り響き、狼のような咆哮が聞こえた。
「おい…まさか…戦ってんのか、アイツ」
下からわずかに感じたのは、いくつかの魔力。その中に、エルヴィラがジャンヌの鎧に付けた魔法の魔力が混じっていたのだ。
「急いで援護に行きましょう、戦っておられるという事は、ジャンヌ様は無事…しかし無傷ではないはずです」
「分かってるけど、どうやって下に降りるんだよ、飛び降りたら、私もお前もタダじゃ済まないんだぞ」
「でもそれ以外に手っ取り早い方法はありませんよ、それこそ魔獣戦じゃないんですから、貴女の魔法でなんとかしてくださいよ、モタモタしてる暇はないんですよ」
ジャンヌの事になると、冷静さを失うウル。
しかし、それでも、彼の言っている事は正しかった。
モタモタしている暇など、無かったのだ。
エルヴィラとウルの頭上を、大きな影が通過する。
手っ取り早い方法で、二人よりも早く、崖の下に向かった存在がいた。
「嘘だろ⁉︎ まずいぞ!」
振り返ると、血痕こそあるものの、そこに横たわっていたはずの魔獣の姿が無い。
わずかな魔力を感じていたのは、エルヴィラだけでは無かった。
戦慄する二人。
影が崖下に落ちた直後、聞き覚えのある、爆発音のような咆哮が、空気を震わせた。




