輪音
危機的状況に陥った時、何故かジャンヌはいつも同じ事を考える。
平和を作る、時代を動かす、歴史に名を残す、富と名誉を得る、この世で偉業を達成する為に必要なものは、やはりどうしたって戦争だ。
多くの命を奪い、見境なく行われる破壊行為、非生産的で、凄惨で、酷く、無残で、人道に反する最低最悪の行為である戦争、己の正義を突き通したいという承認欲求、全てを手に入れたいという支配欲、人に欲望がある以上、決して戦争は無くならない。
しかしそれが、世界を前進させ、人の暮らしを豊かに導いているという、覆らない事実、認めざるを得ない真実。
戦争を肯定する事は出来ない、だが、完全に否定する事も、ジャンヌには出来ない。
例えば、魔女狩り。
魔女に対する認識の違い、それよって起こる衝突の結果、魔女は駆除すべきであるという、最悪の方向へ思想が向かってしまったが故に引き起こされた戦争。
無実の魔女が、魔女のレッテルを貼られた女性が、理不尽に殺された。
その結果、現れたのがあの『反乱の魔女』。
そして彼女達の侵攻を防ぐ為に、国が集めた『防衛の魔女』。
二つの戦いは、『防衛の魔女』が勝利を収め、その結果、魔女狩りは無くなり、魔女と人が共に生きていく今が出来た。
不完全ではあるが、世界はゆっくりと、魔女を認めつつある。
戦争によってもたらされた共存の道、不謹慎ながら、ジャンヌは時折感謝するのだ。戦ってくれた魔女達に、『反乱の魔女』も含めた、全員に。
戦争は必要悪であるという意見には、賛否両論、いや、否定する意見の方が多いのだろうけれど、今の豊かな暮らしがあるのは、間違いなく戦争があったから、という他ない。
ジャンヌは思う、もしも世界に管理者がいたとして、この事実を知っているのだとすれば、どう思っているのだろう、と。
何かを求めて殺し合うことが、繁栄への近道だという事に対して、一体何を思うのだろう。
悲しむのか、哀れむのか、怒るのか、馬鹿な奴らだと嘲笑うのか、それとも、いい余興だと言って、楽しむのだろうか。
純粋に、効率的だという理由で、戦争をそそのかしたりするのだろうか。
世界が前進していくのなら、多少の犠牲は必要だと、目を瞑るのだろうか。
今まさに起ころうとしている、魔法の争奪戦、これは、管理者が意図的に起こしているものではないのだろうか。
そんな事を考えてしまう。
もちろん単なる空想だし、管理者なんているわけないと分かっているけれど、『最後の魔女狩り』からわずか三年で立て続けに起こる争奪戦に、何者かの意思を感じずにはいられないのだった。
理不尽な争いを、誰かのせいにしようなんて、とんでもない悪人だと責められるかもしれないけれど、でも、原因がいた方が、救われる人がいるのではないだろうか。
この場合の原因とは、彼ら『異端狩り』をはじめとする様々な組織や個人に対して、七つの魔法に対する情報を与えた存在。
気になるが、エイメリコから話を聞き出すのは無理そうである。
「このままじゃ…ね…!」
次々と繰り出される爪や牙を躱し、反撃のチャンスを伺う。
鎧には、読み通り、引き寄せの魔法以外にも、身体能力を強化する魔法もかけられていた。鎧を着ている限り、ジャンヌの体力も筋力も、普段よりも何倍も上がっている。
しかし、それでも、今は魔狼達に押されていた。
「動きが…分かりにくいな…!」
規則性があるわけでもなく、かといって滅茶苦茶に動いているわけでもなく、まるで誰かの、文字通り、手足のように攻撃を縦横無尽に繰り出してくる魔狼達に翻弄され、反撃に転じる事が出来ないのだ。
現在戦っているのは十匹の魔狼。
しかし、ジャンヌにはまるで、十本の指のように見えた。
「何か…秘密が…?」
「おうら! 余所見してんじゃねぇよ団長さんよぉ!」
その場から動かず、笛を咥えたまま睨みつけていたエイメリコが、突然怒鳴る。
直後、ジャンヌの背中に強い衝撃が走った。
「ぐぅっ!」
魔狼の一匹が、体重を乗せて思い切り体当たりを繰り出してきたのだ。
崩れた姿勢、その隙を逃すはずも無く、ジャンヌの両腕に二匹の魔狼が喰らいつく。
「ああっ! ぐぅうっ!」
咄嗟に腕を振り、引き離そうとするが、一向に魔狼は噛む力を緩めようとはしなかった。いやむしろ、どんどん歯を食い込ませ、ついに鎧にヒビが入っていった。
「とんでもねぇ女だなぁ…あれだけ綺麗事抜かしといて…あんな裏技隠してやがった…武器が手の中に吸い込まれて行ったぞ…磁石でも埋め込んでんのかと思ったよ」
「いや…私もあの力については今初めて知ったんだよ…ほんと、びっくりしてる!」
ジャンヌは再び腕を振り、今度は魔狼同士を強くぶつけ合わせる。多少怯んだそぶりを見せたが、噛む力は緩まない。
それでもジャンヌは冷静に、今度は、逆に腕を喉の奥深くまで届くように突っ込んだ。
背後から襲ってくる魔狼に蹴りを浴びせながら、その勢いも利用して、魔狼の口内を自分の腕で埋めていく。
すると、ついに一匹の魔狼に限界が来たようで、えづきながらジャンヌの右腕から口を離した。
その瞬間に、ジャンヌは右手でえづいた魔狼の鼻先を思い切り殴りつける、そのまま左腕の魔狼にも同じように二発、鼻先を拳で叩いた。
けたたましい悲鳴をあげ、魔狼はついに両腕から離れる。自由になった腕を少し気にしながら、ジャンヌは今がチャンスとばかりに、魔狼達に斬りかかった。
「動物を傷付けるのは趣味じゃないんだけど!」
「うるせぇばーか、魔狼どもをナメんな」
ジャンヌの正確かつ素早い剣撃が、魔狼の眉間を貫く寸前に、魔狼は素早く身を屈めて攻撃を躱し、そのままジャンヌへと再び体当たりする。
「っ!」
予想外の動きに多少驚いたが、すぐに回避して、姿勢を元に戻す。
結局、振り出しに戻ってしまった。
(なんて動き…全然読めない…次の手には全く違う動きをしてくる…これだけの複雑な指示をあの笛一本でしてるの…?)
チラリとエイメリコを見る。相変わらず笛を咥えてこちらを睨みつけている。
しかし、先程よりも、どこか様子が変だった。
エイメリコの頬が、薄く濡れている。
(あれ…もしかして汗?)
すぐに魔狼の攻撃が繰り出され、彼の顔を見る事が出来なくなってしまったが、間違いなく、あれは汗だった。
ここは、森の中、陽の光も届かず、むしろ寒いくらいだ。寒がりのジャンヌには正直キツい。
汗をかくこと自体は変じゃない、体温調節のために起こる生理的なごく自然な現象だ。
しかし、この状況で、汗をかく環境がおかしければ、必然的に流れてる汗がどんなものなのか、なんのために流れているものなのか、という問題にいきつく。
体温調節以外にかく汗、今ジャンヌが流しているのは紛れもなくソレである。攻防を繰り広げ、どんどん体が温まって来ているのだ。
それ以外の原因、理由、状況があるとすれば、例えば冷や汗だろうか。
驚いたとき、恐怖した時、自然に流れる嫌な汗。
(何かに驚いた? 私が武器を手の中に引き寄せた事が…そんなに衝撃的だったのかな?)
自分でも驚いた、しかし、それでも冷や汗をかくほどでは無いだろうし、すぐに乾いてしまいそうなものである。
あの濡れ方は、たった今流した、という感じだった。
笛を吹くのに体力がいるのかもしれない、あり得ない話ではない。魔具は人間が使うと、体力をどんどん消費する代物だ、それで疲労が溜まっているのかも。
疲労が溜まる、つまり、この魔狼達は、長時間操るのには向いてない、という事だろうか。
(いや、でもそれだと、エイメリコはとっくに効果が切れて喰い殺されてるはず、一日や二日じゃない、彼はもっと長い期間、魔狼を操り続けてるんだから)
それに、そんな弱点があるのならば、それこそもっと対策をしてくるはずである。
対策が出来ず、疲労が顔に出てしまうほどの体力を消費した原因。
「まさか…」
ある可能性を感じたジャンヌは、喰らい付こうする魔狼を咄嗟に踏みつけ、跳躍した。
強化された脚力で踏みつけられた魔狼は、衝撃で後ろに仰け反り、ヨロヨロとよろめいていた。
ジャンヌの狙いは丈夫な木の枝に跳び乗ること、だったのだが、頭上にある巨大な木の枝は、ギリギリ届かない高さにあった。
「うっ…お願いっ…!」
ジャンヌは咄嗟に手を伸ばす。すると再び、武器を引き寄せた時と同じ魔法が発動した。
しかし、今度は枝が折れてこちらに来るのでは無く、ジャンヌの方が、まるで引っ張り上げられるように、木の枝に吸い寄せられて行った。
「えっ⁉︎ うわぁっ!」
まさかの出来事に動揺しながらも、きっちり枝を両手で掴み、反動をつけて大きな木の枝によじ登った。
「テメェ! いきなり武器奪い取っておっぱじめた挙句、今度は逃げんのかよ! 騎士として恥ずかしくねぇのか!」
赤い目を煌々と光らせ、エイメリコは叫ぶ。その声には、明らかな苛立ちと、焦りが見えた。
「逃げないよ、それに、いきなりこんな事になったのは謝るよ…でも私だって予想外だったし、それにさ、遅かれ早かれこうなる予定だったよね? 貴方あのまま私を無事に帰してくれるつもりなんて無かったでしょう?」
「ふざけんな! 詭弁じゃねぇかそんなもん! やるなら正々堂々としやがれ!」
やんわりと挑発して来るジャンヌに、エイメリコはさらに怒りをヒートアップさせていく。
それと同時に、十匹の魔狼達も、エイメリコと同じようにジャンヌを見上げて吠えていた。
「…正々堂々って…魔狼をこんなに操っといてよく言うよ、多勢に無勢って言うんだよ? 噛まれたのすごく痛かったし…このぐらいのハンデが無いと割に合わないよ」
っていうかさ、とジャンヌは剣先をエイメリコに向けて言う。
「なんで魔狼を使って私を落とそうとしないの? 魔狼の跳躍力があれば、こんな枝の上なんかひとっ飛びじゃない? 多くは乗れないけど、足場悪いし、一匹でも私をここから引きずり下ろす事ぐらい出来るかもよ?」
剣を振り、更に挑発を続けるジャンヌに対して、エイメリコは奥歯をガチガチと鳴らすほど怒りの感情を募らせていく。
しかし、何故か、ジャンヌの言う通りに魔狼を木の上に登らせようとはしなかった。
どころか、悔しそうに魔狼を自分の元に集めている。
「どうしたの? 来ないの?」
「魔狼一匹じゃアンタに殺されるのがオチだ、今日のところは見逃してやる、アンタは逃げた、今回は俺の勝ちだな」
全く納得していない様子だが、エイメリコは魔狼にまたがりさっさと去ろうとしていた。
「待ってよ、私別に逃げて無いよ? 避難しただけ…それに、不謹慎というか、心無い事言うけどさ、貴方にとって魔狼がそんなに大事だと思えないな…別に子供の頃から一緒に過ごしてきた家族ってわけでもなさそうだし、代わりなんていくらでもいるでしょ?」
「うるせぇ愛着湧くんだよ」
「そうかな? でもだとしたら、最初の村で死んだ魔狼、あの子の亡骸とかさ、なんで回収してあげなかったの? おかしいよね? あの子はいらない子だった?」
「お前らがいたからだよ! お前らのせいで、回収できるもんも出来無くなっちまっただろうが!」
声を荒げるエイメリコ、その態度に、ジャンヌは自分の予想があながち外れてないと確信する。
的中はしていないが、恐らくは。
それをエイメリコ自ら告白させるため、ジャンヌはわざと煽っていく。
「ううん、やっぱり変、あの竜巻の子の代わりはすぐに用意できて、今は無理? いくらでも代わりがいるのに? その子達に愛着がある…っていう可能性も捨てられないけど、私はもっと別の理由があるんだと思ってる」
ジャンヌは、しっかりとエイメリコを見据えたまま言う。
「その子達を失うわけにはいかない理由、いや、正確には、私にその子達を殺されるわけにはいかない理由があるんじゃないの?」
エイメリコが大きく目を見開き、唇を悔しそうに噛み締めた。
どうやら推測は当たっていたようだ。
彼が自分の言葉で語らずとも、態度で教えてくれた。
ずっと疑問だったのだ、何故これだけ魔狼がたくさんいるのに、彼のようなタイプの人間が、捨て身の作戦を取って来ないのか、と。
剣にわざと魔狼を串刺しにさせて、攻撃手段を奪うとか、色々方法はあっただろうに、それをして来なかった理由。
やらないんじゃなくて、できなかったのだとしたら。
「貴方の笛の能力…私達の解釈がちょっと間違ってたんだね…笛の音色で操るんだと思ってたけど…全然違うんだよね?」
ジャンヌは、改めて考えると、恐ろしい能力だと、顔を引きつらせながら言った。
「正確には…その笛の音色を聴いた魔物と感覚をリンクする魔法、じゃないの? 視覚も、聴覚も、嗅覚も、貴方が魔狼そのものになって、手足のように扱える…だからあんな風に、変則的なのに全く乱れない、まるで巨大な手のひらに襲われてるみたいな、奇妙な攻撃が出来た…違う?」
「化け物かよ…アンタ…そんな事普通に戦ってたら分かんねえぞ?」
頭を掻きながら、鬱陶しそうにエイメリコは言う。
彼の魔具、『輪音』の効果を言い当てられたのは、これが初めてだった。
ジャンヌの言う通り、笛の音を聞いた魔物、あるいは普通の動物は、エイメリコとリンクする。いや、リンクと言えば聞こえはいいが、要するに意識を乗っ取ってしまうのだ。
本体の意思は、本体に残したまま、他の動物の意識も共有してしまうのだ。
まるでモニタールームで監視カメラ映像を確認し、角度を操作するように、エイメリコにはいくつもの情報が感覚として伝わってくる。
だからこそ、操った対象に余計な感情を持たせず、本来なら出来ないような反応も、指を動かすほどの感覚で出来てしまう。
「最初は一匹しか無理だったんだ、脳がパンクしそうになってよお…でも、数を重ねていくうちに、だんだん慣れてきて…今じゃ俺の指の数と同じ、十匹の魔狼を、つか、魔物を操れるようになった」
だが、感覚をリンクしていると言うことは、当然魔狼が感じている疲労も、痛みも、全てエイメリコに行ってしまう。
普段は移動手段ぐらいにしか使わず、戦闘も一瞬で終わるようなものばかりなので、あまり気にしていなかったが。
ジャンヌの予想外の動きに、これまでに無いほど体力を消費させられたのだ。
更に言えば、喉に手を突っ込まれるというハプニングまで起きた、それ故に、流石にダメージを隠しきれなくなったのだ。
そして、何よりも、共有しているのが痛みだけでは無いと言うことを、ジャンヌは気付いたのだ。
エイメリコが、魔狼を一匹でジャンヌに挑ませなかった理由、捨て身の作戦を実行しなかった理由。
共有しているのだ、全てを。
「つまり、魔狼が殺されたら、貴方もタダじゃ済まないって事だよね?」
寿命で朽ちるのはまだ回避できるが、殺されるという予期せぬ死に対しては、共感覚を解除するのが遅れる可能性がある。
そうなると、エイメリコ自身も、確実に死んでしまうのだ。
「なんてハイリスクな魔具…そんなものを平気で使ってる貴方も正気じゃないよ」
いくら魔女を憎んでるからといって、自分が命を落としてしまっては何の意味もないというのに。
行動の一つ一つが自殺行為のようなものだ。
そうせざるを得ないのなら、やはり彼も被害者だ。
「ねぇ、エイメリコ、私と一緒に来て?」
ジャンヌは、剣を鞘に収めて言う。
「貴方が憎んでる『反乱の魔女』はもうこの世にいないの…貴方が、魔女を憎んで戦う理由なんてもうないんだよ? もう自分の命を投げ出さなくてもいい、悪い事もしちゃっただろうけど…生きてれば償えるから、だから、ね?」
復讐にとらわれる彼を、助けたい、ジャンヌは自分の本心を言葉にした。
エイメリコは俯き、ゆっくりと魔狼から降りた。
そして、悲しそうな目でジャンヌを見上げると、笛を差し出すように突き出した。
ジャンヌが微笑む、地面に降りて、それを回収しようと近付いていく。
彼女を、ようやく自分と同じ高さの目線で捉えたエイメリコは、ひっそりと目を閉じて。
そして、再び見開いた。
「うるせぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
直後、一匹の魔狼から、激しい青白い光が走り、ジャンヌに向かっていくつもの電撃が発射された。
「っ!」
防御も回避も間に合わず、ジャンヌは背後の木に叩き付けられるように吹き飛ばされた。
「エイ…メリコ…!」
「うぜぇ、超ウゼェ、何も知らないくせに、偉そうにしやがって、俺の戦う意味がねぇだ? そんな事お前に決められたかねぇんだよ」
もう決めた、と、エイメリコは笛をジャンヌに突き付ける。
「アンタは例外だ、確実に殺す」
エイメリコの目が、真紅に染まる。




