魔女の住む森④
「やりましたか?」
隠れていたベルナールがエルヴィラに声をかける。
「あーあ! やっちゃった! 同胞を殺しちゃったよお前のせいで!」
わざとらしく声を張り上げ、返り血まみれの顔でベルナールを見る。その目は苛立ちからくるストレスでピクピクと脈打っていた。
「これはこれは申し訳ございません、私にとっても予想外の出来事でございまして……しかし、だからこそ得られるものはありました」
「あん?」
ベルナールの含んだ言い方にエルヴィラは眉をひそめる。そもそもこの『黒猫の魔女』はこの男が差し向けてきた刺客か何かだと思っていたが、どうもそうではないらしい。
異端審問官の味方の魔女なんか、そもそも存在しないだろう。
想定外の出来事、本来あるはずのない戦闘。それを見て、得られるものは一つしかない。
「私の魔法か……そういや全部見てたんだっけ? 趣味悪いな……女の子の秘密を盗み見るなんて」
「おやおや、結界内に入った人間の動向を隠れて監視する貴女も趣味が良いとは言えないと思いますが?」
柔和な笑みを浮かべたままのベルナールの鼻先に、エルヴィラは一瞬で移動し短剣の先を突き付けた。もちろんエルヴィラも表情一つ変えていない。変わった事があるとすれば気が変わったぐらいだろう。
殺さない、という気が変わった。
「あの猫と戦って……アンタは絶対魔女の味方じゃないって分かった。魔女狩りを終わらせるなんて都合のいい話があるわけない」
そんな言葉、もう二度と信じない。
「私を殺しても、ほとんど意味はありませんよ? まぁ今しばらくは貴女の言う平穏は保たれるかも知れませんが、また新たな異端審問官が来るでしょう」
討伐隊と共に、と付け加えてベルナールはエルヴィラから短剣を取り上げる。しかし気が付けば、周りに無数の剣が漂っており、その刃先は全てベルナールを捉えていた。
「次ナメた真似してみろ、蜂の巣にするから」
そういう台詞は銃を持ちながら言うものでしょう、と言いたくなったがベルナールは堪えた。蜂の巣にはなりたくなかったし、なによりまだ交渉の途中だ。
「分かりました、もう抵抗はしません。ですが本当に私を殺しても構わないのですか?」
「逆になんで私が躊躇うと思う? 言っとくけど私、人を殺す事なんてなんとも思ってないから」
それはついさっき証明済みだ。既に二人を殺した後とは思えないほどエルヴィラは冷静だったし、なにより殺す直前に眉ひとつ動かさなかったのをベルナールは見逃していない。
どんな悪人でも、死刑執行人でも、人を殺すときはそれ相応の覚悟がいるし、動揺がある。それは同情だったり、罪悪感だったり、後悔だったり、嫌悪感からだったりと理由は様々だが、とにかく普通は心が多少乱れるものだ。
こんなにも簡単に、作業のように、人を殺せる存在を、かつて見た事がない。
人を殺す事に躊躇いがない。幼い姿をしてはいるが魔女は魔女、その言葉に嘘は無いだろう。
「そうですね、先程私をこの場で殺すメリットについて話しましたが、デメリットの方に少し目を向けて見ましょうか」
しかし、それでもベルナールは口調も態度も一切変える事なく話を続ける。何故ならまだ自分が喋ってもいい時だと分かっているから。
自分を囲む刃物が刺しに来ないのがいい証拠だ。
エルヴィラは確実に、ベルナールの話に少しは興味を持っている。ならば分かりやすく道を引いてやるまで。
「私を殺せば確実に討伐隊がこの森に来るでしょう、その数千人はいると思ってください。それにつられて今度は先程のような魔女が貴女を殺しにきます、もっともっと強い魔力を持った魔女がね」
「はいはーい、おかしいところ発見。なんで魔女が私を殺しに来るの? アンタそんなにモテそうには見えないけど? 百歩譲って魔女が来たとしても、それは恐らく私の救助に来るでしょう? だったら」
「魔女が貴女を殺しに来る理由、それは貴女自身が先程作ってしまったからです」
エルヴィラの言葉を遮って、ベルナールは倒れているレジーナの死体を指差しながら言う。
「貴女が先程命を奪った魔女、彼女は『反乱の魔女』の一員だったからです」
「『反乱の魔女』……? 聞いた事ないなそんな奴」
「いえいえ、これは個人の肩書ではなく、組織の名前でございます」
ぜひご説明させてください、と言って、ベルナールは両手を上げて跪き、降参の姿勢を取った。相変わらず笑みを浮かべたままだったのでイマイチ真剣味にかけるが、エルヴィラはため息を一つ吐き「どうぞ」と発言を許可した。
「そうですね、どこから話しましょうか? まず我々人間の失敗からですね」
ベルナールは、まるでお芝居でもするかのような、芝居がかった調子で語り始める。
人と同じ形をしながら人とは異なる力を持ち、老いもせず生き続ける異形の存在、魔女。恐れをなした人間は先手必勝と言わんばかりに次々と魔女を捕らえては裁判にかけ、火刑に処した。
そのほとんどが無実だった事は言うまでもない。さらに魔女ではない普通の女性までもが犠牲になっていった。
恐怖はさらなる恐怖を生み出す力を人間に与える、その結果何百何千という人や魔女が殺されていった。
そんな事が百年二百年と続き、最早魔女が殺されるのは当然の事だと思われ始めた頃。突如として現れた十二人の魔女がいた。
彼女達は強力な魔法で、押し寄せる国の兵士達を一掃し、そして堂々と国王の前に出た。
そして一人の魔女が、こう言った。
「今すぐ捕らえた者達を解放し、魔女狩りなどという忌々しい行為をやめなさい、もし魔女狩りをやめて私達と共に生きる事を選ぶというのでしたら、今よりももっと豊かな暮らしになるよう私達の力と手を貸します。しかしもしやめなければ、あなた方が最期に見る光景はどんな悲劇よりもおぞましく、どんな絶望よりも深いものになるでしょう」
国王は了承し、一度は魔女狩りを止めた。しかし国の次なる討伐対象はその十二人へと移り変わった。
魔女狩りは終わらなかった。それどころかどんどん激しくなり、遂にはその十二人を誘き出すために国中の女性を人質にするという行為にまで発展した。
なんて事はない、彼女達の言葉と行為は全く意味をなさず、逆に分かりやすい敵が現れたと思われただけだったのだ。
その結果人質の約五万人が犠牲になり、現れた十二人の魔女の内四人が殺された。
残された八人は手負いのまま逃走。その戦いは人間が勝利を収めたとされている。
「そしてそれからさらに百年が経ち、今だに魔女狩りは続いております……その最中、妙な噂が流れ始めました」
あの十二人が帰ってくる、と。
噂が流れ出した直後、数々の不可解な出来事が起こり始めた。
『魔女狩りに出たハンターがたった一晩で骨になって広場にばら撒かれている』『罪のない女性を魔女だと言って貶めようとした女が全身から血を吹き出して死ぬ』『異端審問官が何もない場所で溺死する』など、到底人の手では行えないような不可解な死が続いた。
そして噂は確信へと変わる。
「ええ、実に分かりやすく確信へと至りましたよ、何せ現れたんですから、十二人の魔女が再び王の元に」
百年前と同じように、十二人は現国王の前に姿を現し、そして言った。
「貴様らに最早言葉などいらん、目にもの見せてくれる。我らは『反乱の魔女』この国に調和をもたらす存在である」
それだけ言って、彼女達は去って行った。彼女達が去った後には三つの生首が残されていた。
現国王の、妻と子供二人の首。
「今まさに私達の国は存亡の危機なのです。偉大なる『縄張りの魔女』エルヴィラ、どうか私達をお救いください」
「…………」
エルヴィラは目を閉じて、しっかりと、さっきまで聞いた事を思い出す。魔女狩りを止めるために魔女が動いて、でも人間はそれを無視って魔女狩りをを続けて、そしたら正義の魔女さん達がブチ切れて。
エルヴィラはカッと目を見開き叫ぶ。
「結局私にメリットがねぇじゃん!」
びっくりするぐらい自業自得だった。いやいや滅びてしまえそんな奴ら、死んだほうがいいってマジで、その十二人の方が普通に正義だわ、英雄だわ。
「なんなら私今からでもそっちの集団に入ろうかな! 英雄として名を残せる気がする!」
「そう仰らずどうかお願いしますエルヴィラ様、貴女達が勝利したあかつきには必ず魔女狩りを廃止する事を約束します、そして貴女達の望む物をなんでも叶えてさしあげましょう!」
「いらないいらない、いらないし信用できない。だったら百年前にやめとくべきだったね、時すでに遅し、さよなら」
エルヴィラはベルナールを殺す事も忘れスタスタと闇の中に帰っていく。
付き合ってられなかった。人間というものはここまで自分勝手なのかと心底呆れ返っていた。
「仕方ありません、諦める他なさそうですね……ですがやはり収穫はありました、復活した十二人の内の一人を倒してくださったのですから!」
ベルナールが演技がかった大袈裟な動き共に声を上げる。
その言葉に、無関心だったエルヴィラの顔がみるみる内に青ざめていく。『黒猫の魔女』が言っていた言葉の数々が次々と頭の中を駆け巡る。
「……? っ! や、やらかしたぁ……!」
やってしまっていた。これではまるでこちらから宣戦布告したようなもの。今は大丈夫でも確実に仇を討ちにくるだろう。魔女の集団というのは異様に仲間意識が強い。確実に来る。仇討ちのための刺客が。
常にその刺客に怯えながら暮らす生活など、平穏を第一に求めるエルヴィラには耐えられない苦痛だった。
これにより、エルヴィラに残された道はただ一つとなった。
十二人の全てを倒し、自身の平穏を取り戻す。
此度の『反乱の魔女』討伐作戦。『縄張りの魔女』エルヴィラ、強制参加となった。
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師匠。今まで破り続けてきた約束ですが、今日一つだけ守れそうです。
私は外に出ます。