魔具
エイメリコと名乗った青年は、ジャンヌとエルヴィラを交互に見てから、笑みを浮かべながら、呆れたように肩をすくめた。
「騎士団の団長様が、魔女に手を貸すとは…世も末だよな…本当に変な世の中になっちまった」
残念そうに言うが、彼はそれでも笑顔を絶やさずジャンヌに向ける。
ジャンヌの方はといえば、変わらず警戒は解かず、剣を構えたままエイメリコと魔狼を睨んでいる。
ジャンヌの殺気に気付いたのか、魔狼が低く唸った。それに反応して、エイメリコは「よせよ」と言って両手を上げる。
その様子を見て、ジャンヌはクスリと笑う。
「戦ってもないのに降参?」
「ちげぇよ、俺は団長さんと戦うつもりはない、つーか、俺たちは人間には手を出さない」
彼は鋭い目つきでエルヴィラを睨みながら、舌打ちをする。睨まれた本人は、既に興味を失ったのか、大きなあくびをしていた。
「俺らが狩るのは魔女だけだ、魔女はこの世から排除すべきなんだ、そんな異端、生かしておいたらロクなことにならない」
魔女は排除すべき、そう言い切るエイメリコの目には、憎しみの色がはっきりと出ていた。
その目を見て、ジャンヌは少し動揺する。魔女に向けられた憎しみが、あまりにも生々しいものだったから。
自分の知っている魔女は『鎧の魔女』だけ。自分の中で、魔女は頼りになる良き隣人だと思っていた。だから、今まで全く見てこなかったわけじゃないけれど、それでも、こんな風に心の底から魔女を憎む人間を目の前にすると、どうしても違和感を感じてしまう。
何があったのだろう、ここまで魔女を憎むほど、一体何をされたんだろう。
きっと深く絶望して、嘆き悲しんだのだろう。
しかし、だからと言って、あまりに思想が偏り過ぎている。
「貴方に何があったのか…私には分からない…でもきっと、魔女に酷いことされたんだよね?」
ジャンヌが静かにそう言うと、エイメリコの敵意が微かに薄らいだ。
「『反乱の魔女』どもに家族全員皆殺しにされたよ、まだガキだった俺を、兄貴がクローゼットに隠してくれたから、俺だけが助かった…アイツらはなぁ…どう見たって人殺しを楽しんでたぜ」
彼の震える声を聞き、ジャンヌの胸が再びズキリと痛む。
しかし、だからと言って、彼の行為が許されるのかと言えば、そんな事はない。
「貴方が魔女を憎む理由は分かった…でもやっぱりダメだよ、そういう偏った考えで、見境なく殺すのは、どう考えたって間違ってる…それこそ、そんなの『反乱の魔女』とやってる事は変わらないよ」
少し苛立ちを見せたが、エイメリコはジャンヌの言葉に取り乱す事も無く、ゆっくりとローブのポケットから長い筒のようなものを取り出した。
それは、どこにでも売ってあるような、木製の縦笛だった。
「まぁ、人それぞれ意見はあるだろうな、俺はそれを無下にしたりしない…だからこそ訂正させてもらうぜ? 団長さんよ、俺は『反乱の魔女』とは違う…無関係な人間を殺したりなんかしない」
「罪のない魔女もいるんだよ?」
ジャンヌが言うと、エイメリコは心底呆れたようなため息を吐いた。
「いるわけねぇだろ、全ての災厄は魔女が原因だ…人間を殺したりなんかしねぇ、でもな、邪魔するなら…ましてや魔女に肩入れなんてするのなら、二度と剣を握れないぐらいにはなってもらうかもな」
そう言ってから、彼は笛口を咥える。そして、息を送り込み、高い音を響かせた。
その瞬間、今まで低く唸って威嚇しているだけだった魔狼が、牙を剥き、ジャンヌに襲いかかった。鋭い爪が、ジャンヌの喉を引き裂こうとする。
しかし、ジャンヌも警戒を怠ってはいない。即座に一歩退いて、迫る爪を剣で薙ぎ払う。しかし、追撃をしようとはせず、そのまま回避の態勢を維持する。
「流石は団長さん、魔狼一匹じゃ歯が立たないな」
「…今日だけで五匹…あ、正確には三匹、一気に相手したからね、今更って感じだよ…それよりも、私が気になってるのは、やっぱり貴方だよ、魔物を操ってるなんて…絶対普通じゃない」
そう言われて、エイメリコはニヤリと口元を歪める。そして、見せびらかすように、縦笛を手元でくるくると回した。
「ひひひっ! そりゃ普通じゃねぇよ、異常も異常、この笛は忌々しい魔女の魔法を込めて作られた『魔具』なんだからよ!」
魔力が無い普通の人間にも、ある程度魔法が使える方法はいくつかある。その一つが、道具に魔力を込めて作る『魔具』を使う事だ。
魔女が高度な術式を、そして、その魔力に適合した道具、その二つが揃わなければ作れない代物だが、完成してしまえば、魔女顔負けの威力を発揮する。
実際、『凍結の魔女』ゲルダの弟カイは、人間でありながら、あの『最後の魔女狩り』に参加し、敗北はしたものの十分に戦えていた。それは他ならぬ、魔女である自分の姉と共に作った、無間射撃のマスケット銃という『魔具』があったからである。
アラディアの『サルベーション・モルス』や、エルヴィラの『オーバードーズ』などの、魔力をそのまま武器として具現化したものとは違い、元の実態がある分、魔法を強制的に解かれたとしても、武器が消滅する事はないというメリットもある。
当時は、魔女と協力する事自体禁忌とされていたから、世の中に出回る事は少なかったが、魔女狩りが廃止され、魔女と人が良くも悪くも関わりを持つようになったこの時代では、誰がどんな『魔具』を持っていても不思議ではない。
「だからと言って、まさか魔女嫌いの『異端狩り』が、ソレを使ってるなんて思わなかったけどね」
魔女と手を組むぐらいなら、手首を切り落とした方がマシだとか、平気で言いそうだし、やりそうだと、ジャンヌは呆れ気味に思う。
「うっせーな、俺だって不本意の極みなんだよ、だが、魔女相手に人が使う武器では限界があるのは確かだ、だったら使わざる得ないだろう? 魔女を殺すために利用できるものはなんだって利用するさ…例え魔女本人だったとしてもなぁ!」
再び笛を吹き、魔狼に指示を出す。
すると、今度は魔狼の周りに、不自然な風が漂い始める。風は、うっすらと渦を巻き、徐々にその勢いを強めていく。
「やべぇぞ忘れ形見! 一旦外に避難するぞ!」
狭い部屋の中で、つむじ風が現れる。しかし、その勢いは衰える事なく、ぐんぐんと成長していく。
ビリビリと感じる嫌な予感に、エルヴィラは咄嗟にそう叫び、玄関へと駆け出した。
その後を、村長を抱えたジャンヌが追う。
外に出た瞬間、背後で轟音がする。慌てて見ると、内側から破裂したように、宿の屋根が吹き飛んでいた。
巨大な竜巻が、木製の宿を粉々に砕いていく。
「しまっ…皆!」
見張りで外にいた者以外、宿で就寝中だった騎士達が、竜巻に巻き込まれ、空高く舞い上がっていく。
落ちれば命は無いだろう。
「ちっ! 世話がやける!」
エルヴィラは、空でもがいている騎士達の人数と位置を素早く確認すると、地面に手を当て、早口で呪文を唱える。
魔力が込められると、突如地面が隆起して、巨大な掌が出来上がった。掌は落ちてくる騎士達をしっかり掴むと、地面に下ろし、そのまま元の土へとなって崩れ落ちた。
怪我はあるが、全員命は助かっていた。
「す、すごい…ありがとうエルヴィラ!」
目を輝かせてお礼を言うジャンヌを、エルヴィラは息を切らしながら睨みつける。
「ア…アホか! ちゃんと仲間に連絡ぐらいしてやがれ…! 今のでかなり魔力を使った…特異魔法ですらない…使い魔を作るただの魔法で、地面を丸ごと操ったのなんか初めてだよ…!」
エルヴィラの額に、ジワリと嫌な汗が滲む。まるで、長距離を休まず全力疾走した後のような、とてつもない疲労感がエルヴィラを襲う。
強い魔女とはいえ、その魔力が無限にあるかといえば、そうではない。
魔力の使い方を間違えば、たった一回の魔法で、満身創痍になってしまうほど魔力を失ってしまう。焦っていたエルヴィラは、慣れない魔法に、普段使う特異魔法を遥かに凌駕する魔力を使ってしまったのだ。
「ただでさえ…『オーバードーズ』の為に魔力を使った後なのに…ほんっと…やらかした…」
「そ、そんな…エルヴィラ!」
しゃがみこむエルヴィラに、ジャンヌは手を伸ばそうとした、しかし、凄まじい殺気を感じ、ジャンヌは咄嗟に剣で防御態勢をとった。
直後、剣に何かがぶつかったような衝撃が走り、腕がビクンと震えた。
「な…何…? 何なのっ⁉︎」
見えない何かが次々と剣にぶつかる。何度も繰り返される衝撃の正体を、懸命に見破ろうとするが、透明ゆえに、予測がつかないので、そちらに意識を集中してしまい、全く思考がまとまらない。
「あの竜巻からだ…」
顔だけ上げて、エルヴィラが呟くように言う。
「竜巻から…刃物みたいな風が飛んできてる…言わなくても分かると思うが、もちろん魔法だ…アイツのあの笛…どうやら魔物の魔力すら操れるみたいだな…」
「ま、魔法…あ! だったらこの剣で吸収したり出来ないの?」
鋭い風を防ぎながら、ジャンヌは提案する。しかし、エルヴィラは顔をしかめる。
「無理だ…『オーバードーズ』は魔法として放出された魔力は奪えない…あくまでも、蚊みたいに、本体に突き刺して魔力を吸い取る剣なんだからな…」
つまり、止める為方法は、魔狼か、それを操るエイメリコ本体を叩くしかない。
その為には、竜巻に突っ込む必要がある。
「うう…ちゃんと鎧着てくれば良かった」
騎士団の鎧はかなり丈夫に作られている。その分重量があるのだが、防御力にはかなり長けているのだ。
もしジャンヌが今鎧を着ていたなら、飛んでくる風を防ぎつつ近寄れたかもしれない。
しかし、今のジャンヌはほとんどパジャマ同然の姿である。
防御をやめた途端、ズタズタに引き裂かれるだろう。
「ヤベェな…打つ手なしだ…ナイフ投げても風に防がれる…」
ジャンヌもいつまで防ぎきれるか分からない。防戦一方、しかしこのままではやられるのは時間の問題だった。
すると、ジャンヌ達の背後で、気絶していた騎士達が目を覚ました。
「皆…良かった、無事だね」
「団長…これは!」
状況を把握しきれた訳ではないが、決して自分達が優勢でない事を察した彼らは、迷わずジャンヌの前に立った。
「団長! ここは私達に任せてください!」
「な、何やってるの! ダメだよ! それは普通の風じゃない! 斬り裂かれるよ!」
「ですが団長、今鎧を着ているのは私達だけです」
言われてジャンヌは言葉を失う。この場において、誰よりも足を引っ張っているのは、他ならぬ自分だと気付いたのだ。
「忘れ形見…コイツら別に弱い訳じゃねぇんだろ? だったら私の魔力が回復するまでコイツらに防いでもらうのが最善だと思うぞ」
そう言って、エルヴィラが騎士達に目を向けると、彼らの口元が微かに緩む。
「私が特異魔法を出せるようになれば、なんとか反撃出来るだろう、それまで全力で耐えろ」
「偉そうに言うなよ魔女、立場は同等だ、お前こそ特異魔法とやらで、あの竜巻を止めれるんだろうな」
騎士が言うと、エルヴィラは嘲笑うように「ナメんな」と言って舌を出す。
全力で耐える、とは言ったものの、飛んでくるのは人を斬り裂けるほどの、強力な風。若干空間が歪んでいるのが分かるぐらいで、ほとんど透明な攻撃を防ぎきるのは至難の技である。
「ぐっ…反応が…遅れる!」
唯一判別できる空間の歪みでさえ、見えるのは自分達の二歩手前ほどに来た辺り、素早い判断を連続で必要とされる状況に、騎士達の疲労はみるみる溜まっていく。
竜巻はその規模を更に大きくし、宿を丸ごと飲み込んでしまうほど巨大になっていた。
そして巨大になった分、攻撃の手数まで増えていく。
限界は近かった。
騎士達の壁が崩れてしまっては元も子もない。エルヴィラは、まだ完全に回復しきっていないが、残った魔力だけで、特異魔法を発動させようとした。
ほとんど捨て身だが、竜巻さえなんとかなれば、後は魔狼一匹と人間一人、ジャンヌ達騎士団で十分なんとかなるだろう。
エルヴィラが立ち上がり、特異魔法を発動させようとした、その時だった。
突如、竜巻が収まった。
まるで吹き消された蝋燭の火のように、いきなり消滅したのだ。
「な…何が」
騎士達が困惑する。しかし、それはエイメリコも同じだった。
「クッソ! もう寿命かよ! 後少しだったのに!」
苛立つエイメリコの視線の先では、さっきまで風を纏っていた魔狼がぐったりと倒れていた。
情けなく舌を垂らし、死んでいた。
何が起こったのか、理解するのは後だった。この機を逃すまいと、ジャンヌとエルヴィラは一気にエイメリコへと駆け出した。
「そうやすやすと捕まるかよ!」
エイメリコは短く笛を吹く。すると、別の魔狼が建物の陰から現れ、エイメリコを背に乗せると、素早く森の中へと消えて行った。
「…流石に…アレは追いつけない…というか今はそれどころじゃない」
ジャンヌは辺りを見回して、悔しそうに歯をくいしばる。
竜巻が発生していた周囲は、何もかもが破壊されていた。
「何が人間に手は出さない…だよ…」
エルヴィラが呆れたようにそう言った。
エイメリコは一時撤退、一見すると騎士団が勝利したかのように思えたが、しかし実際は、これ以上にないぐらい敗北していた。
「あの魔物使いのガキの狙いとか、色々謎が残ってるが…とりあえず今は、この惨状をどうするか、だな」
壊れたのは村だけではない。
「魔女がこの村に来たから、『異端狩り』が暴れたんだ!」
「騎士団は魔女の味方か!」
村のあちこちから、声が聞こえる。
騎士団の信用と、魔女への印象が、音を立てて崩れていくのが分かった。
「これは…苦労しそうだな」
怒りが込められた大量の視線を浴びながら、満身創痍のジャンヌに、エルヴィラは小声でそう言った。
遠くで、狼の遠吠えが聞こえた。




