七つの魔力
血濡れで帰ってきた団長を見て、騎士達は慌てて駆け寄り、怪我の有無や、何があったのかを一斉に問いかけた。
苦笑いを浮かべながら、一人一人の問いに丁寧に答えた後、ジャンヌはエルヴィラの紹介とか、魔物の事とかよりもまず、先にやりたい事を全員に伝えた。
「ごめん、先にお風呂入りたい」
早速村にある宿の浴場を使わせてもらう事になって、足早にジャンヌとエルヴィラはそこへ向かった。
重い鎧と服を脱いで、熱いお湯をゆっくりと身体に流していく。
泥や血の汚れが、お湯に混じって溶けていき、やっと身体に清潔感が戻ってきたような気がした。
一通り身体を洗ってから、ジャンヌは湯船にゆっくりと浸かっていく。
「あふぅ…しあわせぇ」
少し熱めにしてもらった甲斐がある。眠ってしまいそうなほどの安堵感が、ジャンヌの全てを癒していく。
そんなジャンヌとは逆に、エルヴィラはひたすら水を混ぜたぬるま湯を身体にかけていた。
全身を洗った後も湯船には浸かろうとせず、浴槽に座って足を付けているだけだった。
「入らないの?」
顔だけエルヴィラの方に向けて、ジャンヌが静かにそう言った。
しかしエルヴィラは、不愉快そうな顔をして、
「熱すぎる、拷問じゃないの? これ」
と真っ赤になった足をバタバタさせながら言った。
エルヴィラの成長は十歳から止まっている、心は大人でも身体はまだ子供のままなのだ。
だから、というわけでもないが、彼女は極端に熱い風呂を嫌う。
本音を言えば、今すぐにでもここに氷を大量にぶち込みたいぐらいだった。
「え、そうなの? ごめんね、気が付かなくって…でもそんなにいうほど熱いかな?」
不思議そうに言うジャンヌだったが、現在、この風呂の温度は四十八度である。
人間は体温が四十二度を超えると、命の危険があるので、長時間熱湯風呂に入ることは体に良くないはずなのだが、ジャンヌはどうも例外らしい。
エルヴィラは悪戦苦闘した挙句、結局足湯で妥協することにした。
「ねぇ…えっと…『縄張りの魔女』?」
ようやく落ち着いたエルヴィラに、ジャンヌは遠慮がちに声をかける。
「エルヴィラでいい、つーかお前、さっき魔狼のトリックに気付いた時、エルヴィラって叫んでたじゃんか」
「ああ…そうだったね、ごめん。えっとね、エルヴィラ、貴女はあの戦争を生き残った魔女なんだよね?」
エルヴィラは小さく頷く。
「ああ、生き残ったっていうほど大したもんじゃねぇけどな、それがどうした?」
「えっと…じゃあ」
言いかけて、言葉に詰まる。ジャンヌは何度も思っている事を声に出そうとする。しかし、様々な不安がよぎってしまう。
聞きたいことがある。師匠がどんな風に戦って、死んでしまったのか。
でもそれを聞いて、尊敬する師匠に対して、自分がどんな感情を抱くのか分からない。
英雄だと思いつづけられるのか、情けないと思ってしまうのか、悲しくなって騎士なんてやめてしまいたくなってしまうのか、もう一度会いたいと愛おしくなって、後追い自殺なんて、考えてしまうのだろうか。
知らない事を知ろうとするのは、怖い。
戦う事よりよっぽど勇気がいる。
自分の中にいる『鎧の魔女』ジャンヌは、かっこよくて、勇ましくて、正しくて、強い。
そのイメージが崩れ去ってしまうかもしれないのが、怖くてたまらない。
あれほど知りたくて堪らなかったのに、いざとなるとこんな風になってしまう。
生き証人がいるというのに、あの戦争を記録した『魔女伝』にすら、書かれていないかもしれない事実を、目の前にいる魔女は知っているというのに。
散々悩んだ挙句、ジャンヌはゆっくりと声に出す。
「なんで…自分を死んだ事にしてたの?」
思ってもいない事を、作り笑いを浮かべながら声に出した。
「ん、別に…単純に、自分の身を守っただけだよ」
「身を守った?」
「仇討ちが来るかもしれねぇだろ」
言われて、ジャンヌは納得する。
あの十二人だけが『反乱の魔女』では無い。彼女達を支持する魔女も少なからず、いや、恐らく反対派より多く存在するのだ。
魔女の為に戦うと謳っていた彼女達が、同じ魔女に敗れ、全滅したとなれば、当然恨むだろう。
自分達の救世主を殺した魔女を恨み、仇を打とうとしても不思議では無い。
戦闘能力は高そうに見えるが、実際の『縄張りの魔女』エルヴィラは、用心深いだけなのだ。
となれば、別の疑問が出てくる。
「じゃあ…なんで今回、堂々と自分から生きてる事をバラしちゃったの? 三年経った今だって、貴女の身の安全が保障されているわけじゃ無いでしょう?」
するとエルヴィラは、頬を膨らませ、みるみる不機嫌な、というか、拗ねる子供のような顔をしながら渋々理由を答えた。
思わずジャンヌが「は?」と言ってしまうほど、呆れる理由を。
「友達に怒られた、生き残った責任は果たすべきですよって…自分でしでかした事の後始末は、自分でしなさいって」
「…は?」
あまりに幼稚な理由に、ジャンヌは沈みそうになる。
見た目通りの子供みたいだった、いや、成長できない不老不死の魔女なのだ、もしかしたら精神だって子供のままなのかもしれない。
そう思うと、少し不憫に思えた。
「んで、怒られた内容、私がしでかした事、それが結構、アンタ達にとっても重要なんだ」
「…? あ! もしかして魔物の事⁉︎」
突然声色を変え、真面目な話に切り替えられた為、ジャンヌは少し反応に遅れる。
しかし、彼女の話は、やはり自分達にとってかなり重要な内容である事を再確認した。
先代のことも確かに聞きたいが、それにはまだ自分の心の準備がいりそうだ。
今は、各地で広がる魔物の被害を防ぐ事と、その原因を突き止める事が何よりも優先だろう。
「それだよ! 早く教えて! 貴女だって私達に協力して欲しいって言ってたよね!」
立ち上がり、ジャンヌはエルヴィラの肩を掴んで力強く言う。
「おお、急に熱入ったな、いや、熱いのは風呂のせいかもしれないけど…けど、アンタ一人に話しても意味ないだろ? 風呂から上がってから全員の前で」
エルヴィラが全て言い終わる前に、ジャンヌは肩を掴む手に力を込めて、言葉を被せる。
「確かにそうだけど、でも少しぐらい情報をくれないと信用できない! 貴女の良いように使われて、騎士団を危険な目に合わせるわけにはいかないの! 私は騎士団の団長だから、国の安全も、騎士の皆も、守る義務があるの!」
話しているうちに、ジャンヌは無意識にエルヴィラの肩をグラグラと揺らしていた。
ただでさえ濡れた浴槽に座っているエルヴィラは、不安定になるバランスに焦り始める。
「分かった! 分かった! 話す! ちょっとぐらい話すから! 話すからまず手を離せ!」
悲鳴のように言うエルヴィラに納得したのか、ジャンヌはパッと明るい笑顔を見せてから、パッと手を離した。
いきなり解放されたエルヴィラは、重力に逆らえず、あろう事か、熱湯風呂へと落ちていく。
「あ、ごめ」
あの戦争の時ですら、悲鳴をあげなかったエルヴィラの絶叫が、村中に響き渡った。
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「魔女が死ぬと、そいつが溜め込んでた魔力が一気に放たれる」
食事を終え、宿の一室で騎士団員達に、エルヴィラが説明を始めた。現在ここには、ジャンヌを含めた騎士団十一人と、エルヴィラを含めた十二人が集まっている。
ジャンヌがエルヴィラを魔女だと紹介した瞬間、全員の顔から笑顔が消え、逆に妙な強張りが見えた。
それも無理はないだろう、魔女狩りは無くなった、それでも、魔女への意見は様々なのだ。
魔女を信仰する宗教が出来たりもする一方で、未だに魔女撲滅を願う過激な集団もいるのだ。
例を挙げるなら、『防衛の魔女』十二人を信仰する『マギア』という宗教団体があるし、過激派集団には『魔女狩り』ならぬ『異端狩り』と名乗る連中も存在する。
この二つの組織は対立しており、ジャンヌ率いる騎士団も、暴動の鎮圧に乗り出した事があるぐらいだ。
魔女狩りが終わっただけで、争いは終わらない。とどのつまり歴史とは、戦争によって動かされている。
それは今も昔も変わらない。
戦争は命を多く失う虚しいものだが、人の考えや行動を変えるのもまた、戦争だ。
話がズレたが、要するに、いくら魔女の歴史を持つジャンヌが統率している騎士団とはいえ、魔女に対して友好的かといえば、そうでもないという事である。
敵対はしないが、警戒ぐらいはする。
ましてや、今回の騒動に魔女が絡んでおり、事の解決を自分達に協力しろと言うのだから、警戒しない方がおかしいぐらいだろう。
そんな緊張感漂う空気の中、構わずエルヴィラは説明を続けた。
放たれた魔力は、次の持ち主を探して彷徨うことや、選ばれた女性が魔女になる事などを、事細かに、離していく。
「そして、私も参加したあの戦争、お前らもよく知る『最後の魔女狩り』でも同じ事が沢山起こった、そりゃそうさ、あれだけ力のある魔女が死んだんだからな」
様々な特異魔法が、その形を保ったまま、世の中に放たれた事だろう。いつか彼女達の魔法を宿す少女が、どこかに現れるかもしれない。
「そして、私達が最後に戦った『反乱の魔女』のリーダー、名前は『才能の魔女』ケリドウェン、知ってるよな?」
彼女の名前を口にして、エルヴィラは少しだけ俯いてから、軽く頭を掻き、そして言葉を続けた。
「アイツを殺した、魔力を回収する事もなく、ただ殺した…問題はそのあと、ケリドウェンだって魔女なんだ、死んだら魔力が飛び散る…それ自体は普通なんだが…アイツは、持ってる魔法の数が普通じゃなかった」
小さな魔法から強力な特異魔法まで、彼女がその身に所持していた魔法は、なんと千を超えていたのだ。
普通ではまずあり得ない量の魔力が、世界中に解き放たれたのである。
「その時点で嫌な予感はしていたんだが、見事に的中、アイツは死ぬ直前、迷惑な置き土産をしていきやがった…どんな特異魔法を使ったのか知らないが、流れ出ていく自分の魔法に、最期の力を振り絞って作った特異魔法をかけやがった…その効果っていうのが」
魔力が宿る対象の制限を無くす、というもの。
つまり、女性じゃなくても、動物や、無機物にまで、魔力が宿るようになった。
最後の最後で、あの魔女は、世界の法則を変えたのである。
「そのせいで、各地で魔物が発生し始めたんだ、その危険性を考えずに殺した私にも非がある…だが、大半の原因はあの『才能の魔女』だ…このままだと、魔物から魔獣へと変化する個体が現れて、さらにとんでもない事になっちまう」
耐えきれなくなったのか、騎士の一人が声を荒げて言う。
「それをどうしろって言うんだ! 俺たちは普通の人間なんだ! 見えない魔力の流れなんか分かるわけがない…解決方法が無いじゃないか!」
半狂乱で叫ぶ騎士に便乗し、他の騎士も騒ぎ出す。
魔物だけならいざ知らず、魔獣が大量に現れるとなれば、話は別だろう。
しかし、エルヴィラは一切表情を変えず、
「話はまだ終わってねぇんだ、黙って聞いてろ」
と言って、騎士達を黙らせた。
「ケリドウェンは確かにスゲェが、別に万能というわけじゃない、放たれた千を超える魔力全てに、その無制限の特異魔法をかけたわけじゃない…この辺は私の友達に調べてもらったから間違いない」
エルヴィラは右手を広げ、左手の指を二本だけ立てながら続ける。
「全部で七つ、特に強力な魔法を無制限にしたんだ、その魔法が宿った生き物か物体が、この国のどこかにあるはずだ、そして、ソレらから放たれる魔力に影響されて、その一帯は魔物が発生しやすくなる」
各地に飛び散った魔力も、自然とそちらに吸収される。窓ガラスを伝う小さな雨粒が重なり合っていくように、大きな魔力に引き寄せられるからだ。
その分強力な魔力にはなるが、まとまっているなら対処はしやすい。
「つまり、その七つの魔力を回収して封印してしまえば、この騒ぎは解決する、綺麗さっぱりな」
色めく騎士達だったが、解決の糸口が見えたと言われ、どことなく安心した様な雰囲気になっていった。
しかし、その中の一人が「ちょっと待て」と声を上げる。
「回収に封印って…そんな簡単に出来るものなのか…? それに、魔法を持っているのが魔女ならどうする? 継承の儀で回収するには、相手の魔女を殺す必要があるのだろう? 今の時代、魔女を殺すのはかなり難しいぞ」
「そうだ、それに、もし仮に魔女が凶悪な奴だったとしら、討伐が許可されて、魔法が回収できるだろうが…無機物ならどうする? 手もなければ命もない物体から、一体どうやって魔力を取り出すんだ?」
次々と投げかけられる質問に、エルヴィラは「心配すんな」と言ってから、両手を上げる。
何事かと見上げていると、何もない空間から、一本の剣が現れ、エルヴィラの手の中へと収まっていく。
握られた剣は、まるでガラスのように透明で、光をかざすと虹色に反射する美しい剣だった。
「『最後の魔女狩り』の最後の最後で私が使えるようになった特異魔法だ。この剣は相手の魔力を吸い取ることが出来る、これがあれば、私が直接魔力を吸収した挙句、許容量をオーバーして魔獣化する心配もない、この剣で魔女を刺せば、その魔女は怪我はするが死ぬ事は無く魔法を吸い取れる、この剣で魔力を宿した物体を壊せば、その魔力を回収できる」
完璧だろ? と、エルヴィラはしたり顔で言った。
エルヴィラの言いたい事も、これからするべき事も、全体に伝わった。
要するに、魔法回収の旅が始まるという事である。
ほとんどしくじった魔女の尻拭いだが、何度も言うように、騎士である以上放っておけない。
騎士達は顔を見合わせ、お互いに頷いた。
「話が早くて助かる、つまりお前達にやって欲しい事は」
「貴女の護衛…って事でいいのかな?」
ジャンヌはエルヴィラの方を真っ直ぐに見つめながら言う。
なるほど、強い人間を探しているとはそう言う事だったのかと、納得できたのだ。
人間よりも、魔女の方が強力ではあるが、彼女の立場上、同じ魔女にうっかり声をかける事は出来なかったのだろう。『反乱の魔女』の残党である可能性が高いから。
だからといって、人を雇えるほどの金を魔女が持っているとは思えない、ならば、普通に騎士団に頼むのは至極当然の事と言える。
横暴で、無気力で、いい加減で、どこか幼稚で、平気で人の命なんか奪ってしまいそうなエルヴィラだったが、なるほど、考えなしというわけではなさそうである。
怒られたから、という子供みたいな理由であるが、自分で解決しようとしている姿勢には好感が持てる。
一生懸命、全力で尽くす相手なら、全力で守り通し、その気持ちを尊重するというのが騎士というものであろう。
ジャンヌは大きく頷き、エルヴィラの手を取った。
「共に頑張ろう! 私達は貴女を全力で守るから! 貴女には傷一つつけさせない!」
「…? 何言ってんの?」
にこやかなジャンヌに反して、エルヴィラは不思議そうな顔をして、ジャンヌの顔を覗き込んでいる。
「…? 何って…だから、貴女がその剣で魔法を回収するから…私達がその手助けをすると」
「私剣なんか使えねぇよ」
当然の如く言うエルヴィラに、ジャンヌは嫌な予感がした。
そして、もう一つ、エルヴィラが強い人間を、その中でも騎士を選んだ理由が思い浮かんだ。
剣の扱いに長けた騎士、騎士団の団長であるジャンヌを試した理由。
顔を引きつらせるジャンヌに、エルヴィラは、今までに見せた事も無い満面の笑みを浮かべながら、猫なで声で言った。
「忘れ形見、お前の方が剣の扱いは上手いよな? だから、お前がこの剣で戦ってくれ、魔力を回収して、世界を救うんだ。安心しろよ、私がちゃんとフォローするから、やってくれるよな? だって」
守るのが、騎士の勤めなんだろ? と、エルヴィラの言葉が、脳にまで染み込んで来る。
信じられない依頼と、信用できない言葉に、ジャンヌの頭は真っ白になっていく。
再び、ジャンヌは理解した、納得した、辻褄が合った。
(全ては、この為だったのか)
魔物を村に誘き寄せて、騎士団が来るように仕向けたのも。団長のジャンヌを森に誘い込んで、いきなり襲いかかって実力を試したのも。
全ては、自分の代わりに戦わせる為。
騎士なら、断れないから。理由を説明すれば、国を、人を、見捨てる事なんて、出来ないから。
ましてや、それが団長ともなれば、なおさらだろう。
「…っ!」
間違いない、この魔女は、正義の味方でも、善人でも、無邪気な子供でもなんでもない。
悪魔のような心を持った、少女の姿をした、人外の存在。
「…魔女…!」
ジャンヌが力無く呟くと、エルヴィラはニヤリと笑って剣を差し出す。
「そうだな…魔女にとって致死量になる魔力をも吸い取れるこの剣は、きっと毒にも薬にもなる、じゃあこいつには…『オーバードーズ』と名付けよう」
新たな戦いの、幕開けであった。
 




