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魔女伝  作者: 倉トリック
第2章 後始末編
36/136

原因

 仕留めた魔狼の亡骸を引きずりながら、ジャンヌが木につけた傷をたどって村へと帰る途中で、エルヴィラは少しずつ事の経緯を話し始めた。


 彼女が言うには、魔物が発生し始めたのには明確な理由があり、その原因を作ったのは自分かもしれないのだそうだ。

 そして、解決しようにも、自分だけではどうしようもなくなってしまったので、手を貸してくれる強い人間を探していたらしい。


「ここ最近の騒ぎは、誰かが意図的に起こした物だと思ってたけど…」


「当たらずといえど遠からずだね、原因は確かに私達魔女にあるけど、それは別に意図してやったわけじゃない…事故みたいなもんだよ」


 正直、この魔女の事はあまり信用できない。闇討ちしてくるような相手なのだから。

 並んで歩く事自体、本当は避けたいほどだ。


 それでも、ジャンヌがエルヴィラの話を聞く気になったのは、騎士団の団長として、この異常事態を収拾させる手がかりになるかもしれないと思ったから。


 だけではなく、私的な理由も混ざっていた。


(もしこの人が本当に『防衛の魔女』の一人なら…先代の話が聞けるかもしれない)


 すぐ戻ると言って戦場に向かった先代ジャンヌ。しかし、その二週間後に聞かされたのは、彼女が戦死したという信じられない報告だった。

 死に顔すら見ていない、最期の言葉すら知らないのに、いつの間にか自分がジャンヌの名を受け継いだ事に、彼女なりにやりきれない思いがあったのだ。


 出来れば、あの人に認めてもらって、名前を受け継ぎたかった。


 そんな思いを抱えて今日まで生きてきた。そこに現れたあの戦争の生き残り。

 このエルヴィラという魔女は、彼女の事を何か知っているだろうか。


 あわよくば、尊敬する師の戦いと最期を聞けるかもしれないという、期待があった。


「まぁ詳しい話は村に着いてからするとして…それよりも先に聞いておくべき事があるな…忘れ形見、アンタはどの程度魔女について知ってんの?」


 そんな思惑があるジャンヌの横で、エルヴィラは意外にも友好的に話しかけてくる。


「え、ええっと…結構知ってるよ、特異魔法の事とか…継承の儀の事とか…」


 指折り数えながら言うジャンヌを、エルヴィラは感心したように頷きながら見上げる。次々と魔女の特性や、弱点を上げていくジャンヌ、ほぼ完璧だと思っていたが、その情報の中に欠けている事があったので、エルヴィラは無理矢理言葉を遮った。


「待て待て忘れ形見、一つ大事な事が抜けてるじゃんか」


「大事な事?」


 首を傾げるジャンヌに、エルヴィラは自分が引きずっている魔狼に視線を移しながら言う。


「魔獣についてだよ…継承の儀のリスクに、魔獣化する恐れがあるって…教わらなかったか?」


 魔獣。

 魔法が効かず、魔女すら殺し、全てにおいて異常なステータスを待つ最悪の存在。

 騎士団が討伐に駆り出されたという記録は、過去に何回かある。全て討伐成功となっているが、その詳細は目を覆いたくなるほど悲惨なものだった。


 村は消滅し、山が出来るほど人が死に、騎士団も壊滅状態になっている。


 その正体が、魔力が暴走した魔女だと判明してからだった。魔女狩りが更に激化したのは。


「魔女がなんらかの影響で、魔力の暴走を抑えきれなくなって…魔力と呪力が混ざり合って出来た外殻に覆われた姿…それが魔獣…って事しか知らない…魔獣化…魔獣になる可能性があるなんて教えてもらってないよ」


 青ざめていくジャンヌを見て、大きなため息を吐きながら「抜けてんなぁ…」とエルヴィラは呟いた。

 先代ジャンヌ…つまり『鎧の魔女』ジャンヌは、愚直で、強く、常に正しくあろうとする、絵に描いたような真面目だったが、どこか抜けているところがあった。

 それを自覚してるのに、同じ失敗をたまに繰り返す。


 まさかそれを自分の後継者にもやらかしていたとは…。


(私がその尻拭いをする羽目になるとはね…なんとも皮肉だなぁ)


 エルヴィラはジャンヌの手を握る。


「えっなにっ⁉︎」


 急な出来事に驚いて、ジャンヌはその手を無意識に振りほどこうとしたが、強く握られていた為、それは失敗に終わる。

 そんな彼女に構わず、エルヴィラは話を始める。


「こうやって死にかけの魔女と手を繋げば、相手から魔法を引き継げる、これが継承の儀。これはつまり、魔女が他の魔女を殺して魔法を盗む事だって出来るわけだ、そういう事を繰り返してる魔女が、自分の許容量を超える魔力を溜め込むと、暴走して魔獣化する…魔獣化した後は大抵瀕死か…もしくは死ぬな」


 どっちにしろ、魔獣はロクなものじゃ無い。

 魔獣化するような魔女は、大抵魔法を私利私欲に使う悪魔女だ。


「普通は師匠が弟子に教えるもんだけど…どうもアンタの師匠はどっか抜けてるみたいだな、忘れ形見」


 呆れたようにエルヴィラが言うと、ジャンヌが突然、声を荒げて抗議する。


「あの人は抜けてなんかない! いつだって強くて正しくて…その説明だって多分…私がよく聞いてなかっただけで…とにかく! 何も知らないくせに軽々しくあの人を侮辱しないで!」


 どんな形であれ、尊敬する師を馬鹿にされると腹が立つ。誰よりも、自分があの人の事を知っているという自信があるジャンヌは、他人にあの人を悪く言われるのを酷く嫌うのだ。

 目の前にいる魔女は、何百年も生きているらしいが、関係ない。


 何を言われても仕方がない人というのは確かに存在する。だが、誰が何を言ってもいいという権利もまた、どこにもない。


 関係者ですらないくせに、口を挟まないで欲しい。

 ジャンヌは、自分が拗ねた子供のような態度を取ってしまっている事に気付いたが、それでもやめようと思えるほど冷静にはなれなかった。


 一方エルヴィラは、ジャンヌのキレ方が予想以上だった為、少し引いていた。

 しかし、すぐに手を離してから、


「ああ、悪かったよ、侮辱したつもりは無いけど…気に障ったんなら謝る、ごめんごめん」


 と、軽く謝っておいた。


 全く心のこもっていない謝罪が、更にジャンヌの気に障ったが、これ以上このやりとりを続けていても何も始まらないと、ようやく冷静になり、それ以上は何も言わなかった。


「で、話の続きだけど…本来魔力が暴走するなんて…魔女限定の話だったんだ…ついこの間まではね」


 エルヴィラが顎をしゃくり、魔狼の死体を指す。


「前例が無さすぎて私も困ってるんだけどな…最近女でも人間ですら無い、その辺の野生動物に魔力が宿った挙句暴走し始めたんだ…」


「ど、どういう事?」


 ジャンヌの問いに、エルヴィラはただ首を横に振るだけだった。


「仕舞いには無機物にまで魔力が宿って、魔具化してやがる…なんでそんな事が起こり始めたのか、私には分からない…でも事の発端は私達にあるのは確かだ」


「そこだよ、そこが一番重要でしょ…それを早く教えてもらわないと…協力も何も無いでしょ?」


「だから…話せば長くなるから…こんな風に歩きながらする話じゃ……あっぶねぇ!」


 突然、ジャンヌの足が動かなくなり、強制的に急停止させられる。

 あまりに不意な事に、油断していたせいで、予想以上に強い衝撃が体全体を襲った為、バランスを崩してしまう。それに加えて、襟首を掴まれ後ろに引っ張られた所為で、ジャンヌは盛大に尻餅をついてしまった。


「いったぁ…いきなりなに…っ⁉︎」


 文句の一つでも言おうとしたが、目の前を鋭い何かが遮り、彼女の言葉は途切れる。

 それは鋭い爪だった。


「諦めてなかったのか…いや、ついさっきなのに随分早い復讐劇だな犬っころ」


 呟くエルヴィラ。見回すと、二人を囲む四匹の影があった。

 赤い目を怪しく光らせ、牙をむき出しヨダレを垂らしながら低く唸る、魔狼の姿がそこにはあった。


 すぐに立ち上がって剣を抜き、ジャンヌは戦闘態勢に入る。


「守ってくれたの…?」


 警戒しながら、さっきの行動の真意をエルヴィラに確かめる。


「協力してもらおうとしてんのに、団長さんに死なれちゃ困るだろ」


 この魔女は、騎士団まるごと手伝わせるつもりらしい。


(ってか、一番最初に不意打ちで殺そうとしたの誰だったっけ?)


 滅茶苦茶で矛盾だらけだが、それでも助けてもらった事実に変わりは無い。受けた恩は必ず返すのが騎士というものだ。


 それにしても油断した、真正面からの攻撃に全く気付かなかった。


「注意を怠ったつもりは無かったんだけど…目の前にいる敵に気付けないほど冷静じゃなかったのかな…私」


 悔しいやら恥ずかしいやらで、剣を握る手に力がこもる。

 いけない、さっきからどうも感情的になってばかりだ。戦場で、冷静さを失えば確実に敗北する。


「いや、気にすんな…むしろ勝ち気のままでいろ、じゃないと精神やられるぞ…めんどくせぇな…こいつら()()()使()()()()()()()


 舌打ち混じりに言って、あからさまに不機嫌になるエルヴィラ。

 そんな彼女の発言に、ジャンヌは目を丸くして、慌ててエルヴィラに聞き返す。


「ま、魔法って…こいつら魔物でしょ⁉︎」


 魔法とは、簡単に言えば術者本人のイメージ通りに魔力をパターン化して放つ方法である。

 しっかりとしたイメージと、自分の中にある魔力を理解していないと発動する事は不可能だ。


 理性を失った魔物に使えるとは思えなかったのだ。


「複雑な魔法は使えない…コイツらにあるのは私達を喰い殺すっていう純粋な殺意だ、そのドス黒い感情を自分達から漏れ出る魔力に乗せてるだけだよ…ああだからこそ…予測不能な魔法を使ってくるだろうから普通の人間にとっては脅威なんだろうけどな」


 美味しそうな食べ物を見て、口の中に涎が溜まったり、こけそうになったら両手を前にして体を支えようとしたり、反射的に取る行動。

 魔狼達が今使っている魔法は、まさに反射的なものである。


 目の前に獲物がいる、だから狩りやすいようにする。

 単純ながら明快な思考なら、誰にだってあるのだ。ましてや野生動物なら、人間や魔女より感覚が研ぎ澄まされているだろう。


「アンタがさっきからちょいちょい取り乱してるのも多分魔法のせいだろうな、私もさっきから妙にイライラする…おかげで魔法が使いにくい」


 この四体の中のどれかが、冷静さを欠く魔法でも使っているのだろうか。


「な、なるほど…理屈は分かった…じゃあその対策だけど…私には魔法どころか魔力なんて無い…だから魔法関係は貴女に期待するしか無いんだけど…」


「だと思って…防御魔法を張ったよ」


 エルヴィラとジャンヌの足元に、魔法陣が浮かび上がっていた。防御魔法が二人を包んだ瞬間、二人の妙な不快感は消え去った。


 一安心するジャンヌだったが、エルヴィラの顔からまだ不安が消えていない事に気付いた。


「どうしたの」


「いや、防御魔法を張ったのはいいが…実は私達はここから出られない、この魔法の効果があるのは、この魔法陣の中だけなんだ」


「それはつまり…ここから出ないように攻撃しろってこと? なん…」


 言いかけた言葉を飲み込んで、ジャンヌは魔狼達への警戒を高めた。剣を構えて、辺りに気を配る。


 話していた、ほんの一瞬。囲んでいる魔狼の内、一匹から目を離した隙に。四体いたはずの魔狼が、いつの間にか三体に減っていたのだ。


(おかしい…気配を感じない)


 背を向けあっているとはいえ、エルヴィラだって敵の数くらい把握しているのだから、この変化には気付くはずだろう。

 涎を垂らし、赤く目を光らせる魔狼達の存在感は圧倒的だ。そんな彼らに動きがあれば、真っ先に反応しているはずなのだ。


 しかし、エルヴィラも、ジャンヌも、魔狼がいつの間にか一体消えている事に、全く気付かなかったのである。


(これも…魔法かな)


 ジャンヌは冷静になった頭で今までの事を整理する。


 最初に襲ってきた魔狼は全部で五体、その内一体を討伐する事に成功。

 そして二回目は、四体、明らかに最初の群れと同一個体。彼らの最初の攻撃は、意外にも真正面から。


 気付かなかったのは、冷静さに欠けていたから。


 冷静さを失った原因は、激昂したり、混乱したり、短時間で色々あったせいだと思っていた。でも、もしかしたら既に、魔法をかけられていたのかも。


 それはいつから?


(…あれ、でもそれだとおかしい)


 精神を逆撫でし、冷静さを奪う魔法が既にかけられていたのだとしたら、エルヴィラはわざわざ自分を助けるだろうか。

 つい先ほど自分を怒鳴りつけた相手を、暗闇の中にいる敵の攻撃を察知して、冷静に、助ける事が出来るのだろうか。


 いや、この考えには大きな穴がある。エルヴィラは魔女なのだ、魔力を察知することぐらい出来るだろう。魔法をかけられそうになっている事ぐらい、気付くはずなのではないだろうか。


 しかし、彼女の発言から察するに、精神異常の魔法は彼女にも効いていた。

 魔法が使いにくくなるほど、不安定な心で、真正面からの不意打ちなどというイレギュラーに対して、冷静に判断し、仲間を助けたというのだろうか。


 考えにくい、ならば、つまり、エルヴィラと自分が魔法にかけられたのは、奇襲より後。


(だとすれば、私が気付かなかったあの真正面からの攻撃は)


 なるほど、冷静になって、冷静に戻って考え見れば、こんな単純な話は無い。

 理解した瞬間、闇の中から鋭い牙がジャンヌの首を噛み砕こうと襲いかかってきた。


「っ!」


 剣で防御し、相手の姿を確認する。そこには歯をむき出しにして、剣に噛みつき唸っている、獰猛な魔狼が確かにいた。

 しかし、これほどまで近くで魔狼を見ているにも関わらず、ジャンヌは酷く落ち着いていた。


 それどころか、戦う気すら、失せてくる。


「ああなるほど…ほんと簡単…要するに、魔法を使う魔狼は最初から複数いたんだ」


 冷静さを欠く魔法、そしてこの奇襲を仕掛ける魔狼が使っているのは、恐らく気配を消す魔法。


 否、気配だけでは無い、殺気も感じないところをみると、どうやら自分という存在を、相手に認識させないという魔法を使っているようだ。


「魔法も使えない私からすれば…十分複雑で高度な魔法なんだけど…これ本当に簡単な魔法なの?」


 剣で魔狼を振り払い、魔狼が闇に溶け込むようにして消えていくのを睨みながら、ジャンヌはエルヴィラの方を向かずに言う。


「正直基準が曖昧なんだよ、こんな事初めてなんだから…でもそうだな、魔女化したらまず最初に使えるレベルの魔法だ、なるほどな、認識阻害の魔法か…持ってて損は無いかもな」


 練習してりゃ良かったと、エルヴィラは皮肉交じりの苦笑いを浮かべながら呟いた。


「貴女の魔法でなんとか出来ないの?」


「悪いが期待すんな、私の魔法は複数人相手だと効果が薄くなるんだよ…二匹までならまだなんとかなるかもしれないが…それにな、魔物は魔獣より劣るが、それでも一つめんどくさい特性を持ってるんだよ」


「めんどくさい特性?」


 ジャンヌが繰り返すと、エルヴィラは小さく頷いて、自分の首に親指を突き立てながら言う。


「コイツらも魔獣と同じで、魔女を殺せるんだ、しかもコイツらから受けるダメージは中々治らない、首なんか噛まれて骨折られてみろ、後は喰い殺されるのを待つだけになっちまう…」


「どこが魔獣より劣ってるの⁉︎ むしろ群れ作る分魔獣より厄介じゃん!」


 再び襲いかかってくる、気配を消した魔狼の攻撃を防御しながら、ジャンヌは自分達が予想以上にマズイ状況にあると知る。

 魔女をも殺せる魔物。エルヴィラが魔法で取り出し、投げつけたナイフも軽々避けてしまうほどの身のこなしを持ち、更には魔法まで使ってくる。


 そんな化け物に、囲まれている。


 せめて一対一なら、とジャンヌは思うが、そんな期待に応えてくれるはずもなく、魔狼達は闇の中に消え、再び彼女達を撹乱し始めた。


「いや、魔獣よりは弱い…なぜならコイツらには魔法攻撃が効くからだ」


 消えた魔狼に警戒しながら、エルヴィラは魔力を込めたナイフをジャンヌに見せながら言う。

 魔法が効く、これだけで格段に戦いやすくなる、はずなのだが。

 それでも、当たらなければ意味が無い。


 獲物を狩って生きる野生の動物だからこそ、自分達にあった、上手い魔法の使い方を本能的に理解している。


 今この時も、魔狼は闇の中から突然現れては攻撃を仕掛けてくる。

 いつ当たってもおかしくない、スレスレのところで、ジャンヌもエルヴィラも攻撃を避けたり、振り払ったりしているが、それもいつまで持つか分からない。


 わざと攻撃を外し、消耗させようとしているのかもしれない。


(普段ならこんなに手こずる相手でもないのに…)


 戦うたびに、戦略が、攻撃方法が、変化している。

 魔物は、特に魔狼は、戦いの中で成長しているとしか思えない。


(さてどうするか…見えない相手にどう戦う)


「二体ずつだ」


 突然ジャンヌがポツリと呟く。


「あ?」


「二体ずつなんだよ、さっきから攻撃を仕掛けてくる魔狼が…四体一気にじゃなくて、二体ずつ」


 言われてエルヴィラは気付く。さっきから攻撃が、右か左、正面か後ろか、などの、二つしかない事に。


「何か理由があるのか…? 手数を増やさない理由」


 再び攻撃が繰り出される。爪の攻撃が真正面から、ワンテンポ遅れて噛みつきが右側から繰り出される。

 寸前で察知して、それらの攻撃を回避するが、ガラ空きになるはずの下半身部分への追撃がない。

 ここまで統率の取れた群れならば、互いの邪魔になる事なく、他の二匹が攻撃に参加できるような方法を取ってきてもおかしくないというのに。


 ジャンヌも攻撃の正体を見破ろうと、懸命に思考する。

 何かあるのだろう、手数を増やさない理由。


「増やさないんじゃなくて…増やせないんだとしたら…」


 ジャンヌは、自分の剣にべっとりとついた魔狼の唾液を嫌そうに見つめる。

 噛み付いた時に口内を斬ったのであろう、唾液に混じって、赤い血が滲んでいた。


「…ん、あれ?」


 今までの攻防を思い出す。自分に攻撃を仕掛けてきた魔狼、姿形が瓜二つだが、分かりやすい目印がついてるんじゃないのか、とジャンヌは思う。


 その答え合せのように、再び魔狼の攻撃が繰り出される、襲いかかる鋭い牙、大きく開かれた口、その口元にある、パックリと切れた傷。


 ジャンヌはそれを見逃さなかった、そして確信に至る。


 二体ずつ、じゃない。


「さっきから同じ魔狼が攻撃してきている…!」


 傷がある魔狼、そしてもう一体襲いかかってくる魔狼。四体の中で、交互に攻撃しているのかと思っていたが、全て同一個体のようだ。


 じゃあ、残り二体はどこにいる。


 牙を跳ね返して、ジャンヌは思った事を口に出してみる。


「最初から…魔狼は四体じゃなかった」


 認識阻害の魔法。相手に自分の姿を認識させなくする事が出来るなら、逆に一体の魔狼が二体いるかのように()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 数が多ければ警戒する、しかし複数体への警戒は、一体に集中するよりも格段に緩くなる。

 そこで生じる隙を狙っている。


 自分ならどうする、自分の思い通りに罠にかかった獲物を、確実に仕留めるために、自分が魔狼ならどういう行動を取るだろう。

 ジャンヌは考え、そして別の方向へ視線を向ける。


 そこには横たわっている魔狼がいた。

 最初に自分を襲い、目を突いて殺した個体。


 自分ならどうする。


(私が魔狼なら…安全な場所で攻撃出来る決定的な瞬間を待つ…木の陰は余計な動きが出る、自分が作り出した囮で警戒されているから、闇の中に隠れるのも得策じゃない…もっと確実に、警戒されず、攻撃対象としても見られない方法)


 例えば死体なら、確実に戦力には数えられない。


 確かにあの時、絶命を確認した。しかし、あの時から既に魔法をかけられていたのだとしたら、生きているのに死んでいると、トドメをさせたと、誤認識させられていたのだとしたら。


 横たわる魔狼の、目の傷が、微かにブレた。


「エルヴィラ! あの魔狼だ! 魔狼の数は三体だけだ!」


 ジャンヌが叫ぶと同時に、エルヴィラは即座にナイフを数本出現させ、一斉に死んだ魔法へと放った。

 ナイフの先が突き刺さる直前に、横たわっていた魔狼は信じられないほど素早い動きで起き上がり、地面を蹴って高く飛び上がり、攻撃を回避した。


「なるほどな、そういうことか、最初からそこにいたんだな」


 見破られた魔狼は、不機嫌そうに歯を鳴らし、木の枝に飛び移って二人を睨みつける。

 そして怒気のこもった低い声で二回吠えると、闇の中から四体の魔狼が現れた。しかし、その内二体の姿が霞み、ずれた焦点が元に戻るように、お互いの体に重なっていく。


 ジャンヌが傷を付けた個体と、もう一体。


 認識阻害の魔法を使っていた魔狼。


 群れは最初から、たった三匹だったのだ。


「でも、これももしかしたら誤認識かも…」


「そりゃねぇよ」


 不安そうな声をもらすジャンヌに、エルヴィラはニヤリと笑いながら言う。


「コイツらの使う認識阻害魔法はそんな高度じゃねぇ、ただの勘違いや思い込み利用してるだけの詐欺占いみたいなちゃちな魔法だ、私達が自力で正しい認識を取り戻せた瞬間、魔法の効力は無くなるよ」


 エルヴィラの防御魔法によって冷静さを取り戻し、ジャンヌの観察力と推理力で魔法の正体を暴いた。

 野生動物だけではない、生存本能なら誰にだってある。


 そこに知恵があるかないか、それだけでの事で、どんな状況でも逆転は可能になる。


 空腹が限界なのか、魔法を暴かれた事による怒りが頂点に達したのか、魔狼達はさきほどとは打って変わって、なんの捻りもなく、唸りながら一斉に二人に飛びかかった。


 そんな魔狼達とは逆に、さきほどまで防戦一方だったエルヴィラとジャンヌが、一気に反撃に転じる。

 ジャンヌは、闇から攻撃を繰り出していた二体のうち、一体の首を素早く斬り落とし、突撃してきたもう一匹の攻撃を寸前で避けてから、背中から心臓を貫いた。剣を捻り、確実に鼓動を止めてから、ジャンヌは一気に剣を引き抜いて、血を振り落とす。


「正しい数も来る方向も分かってるような攻撃で、殺せるなんて思わないで、伊達に十五年も修行してたわけじゃないんだから」


 その内の十年は、魔女に鍛えられたのだから。


 認識阻害の魔法を使っていた魔狼は、空中でエルヴィラのナイフを避ける事が出来ず、サボテンのような姿になって地面に横たわっていた。


 念のため、そう言ってジャンヌとエルヴィラは残る魔狼の首を斬り落とす。


 お互いの血濡れの顔を見合わせて、エルヴィラは鼻で笑い、ジャンヌは自分にこびりついた死臭にうんざりしたように肩を落とした。


「協力とか…魔物の出現理由とか…ほんっとに聞きたいことがたくさんあるけど…」


 ジャンヌは自分の顔についた血を拭ってから、ため息混じりに言う。


「先にお風呂入ろっか」


 エルヴィラも小さく頷いて、賛成した。

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