鎧の魔女
ジャンヌは、有名なジャンヌ・ダルク、では無い。
ジャンヌの名前は彼女の一族で代々受け継がれるものなので、神からの電波を受信した聖女とは別物だ。
本物のジャンヌ・ダルクほど、美しく綺麗なものではない。
彼女は、いや、彼女の一族は、本来高貴な騎士の家系である。
国を防衛する騎士団を、一族で監督していた。
しかし、ある時その一族から魔女が出た。
当然すぐに処刑されるはずだったのだが、当時他国との戦争が激化していた国は、魔女を使って国を防衛させた。
それが、初代ジャンヌである。
彼女は支給された訓練用の剣一本で、迫り来る一万もの軍勢を相手に一人で戦い、そして勝った。
当時の国王はそれを評価し、魔女は処刑を免れた。
しかし、魔女が出た穢れた一族に神聖な騎士団を任せるわけにはいかないという事で、一族は、国専属の傭兵にまで成り下がってしまった。
国が危機に陥れば、どこからともなく現れて、勝利に導いた後人知れず消えていく。
ジャンヌの一族は、国が管理している唯一の魔女なのだ。
魔女が国を防衛する必要があるほど大きな戦いが終わるか、五十年という周期で次の娘に魔法を受け継がせていくという決まりを作り、まるで家畜のように種役や母体役に分けられて、今まで続いてきた。
ある時、一族に天才が生まれた。
彼女はたった十歳で、当時のジャンヌと互角に渡り合えるほどの剣の才能を持っていた。
当時のジャンヌはとても驚き、彼女に魔法を使って攻撃してみた。
なんと驚くべき事に、彼女は魔法の特性を理解して、一瞬で間合いを取り、剣先をジャンヌの首に突き付けたのである。
まさに、天才だった。
そして彼女が二十歳になった時、継承の儀が行われた。
「今日からお前がジャンヌだ、私の代わりにこの国と人を守ってくれ」
手を握りながら先代ジャンヌはそう言って、次の瞬間には自らの魔法で首を斬り落とした。
自分の体に不思議な力が流れ込んでくるのを感じながら、天才は静かに泣いていた。
魔力と共に流れてきた、過去の記憶。
そこには、命懸けで戦ったにもかかわらず、誰かも感謝される事なく、むしろ魔女だからと忌み嫌われてきた先代達の姿があった。
「こんな事が許されていいわけがない…私達はもっと陽の目を浴びるべきだ」
こうしてジャンヌとなった天才は、至る所で活躍した。
町で起こる小さな揉め事や大きな事件の解決などといった身近な事から始まり、同盟国が他国からの侵略を受けた際に誰よりも早く現場に駆けつけ勝利を収め、交渉して傘下に収めるなど。
彼女の活躍は市民を通じて徐々に広まり、町で見かければお礼だといって貢ぎ物をされるようにまでなった。
「私は守るべき者達を守っただけだ、気持ちは嬉しいが受け取れない」
そうは言うものの、ジャンヌは内心とても喜んでいた。
やっと認められたんだと、ようやく自分達は騎士としての誇りを取り戻せたのだと、ジャンヌは静かに喜び、微笑んだ。
しかし、どれだけ活躍しても、ジャンヌの心から不安が完全に拭える事は無かった。
何故なら、どれだけ頑張っても、五十年経ってしまえば世代交代をしなければならないのだから。
自ら命を絶たなければならない。
数々の死地をくぐってきたジャンヌだったが、それだけがどうしても心に引っかかる。
(いや、違うな…私は怖いんだ…死ぬのが)
認めざるを得ない、死への恐怖。
どれだけ強い戦士でも、天才でも、魔女でも、死ぬのは怖い。
そんな当たり前の恐怖が、日に日に大きくなっていく。
そして四十年ほど経った頃、次期ジャンヌを継ぐ少女が一族の中から選ばれた。
その子はとても弱気な子で、いつも泣いてばかりいた。
ジャンヌの残りの十年は、その子の教育に費やされる事になった。
剣の扱いは悪くない、どころか同年代の中は勿論、熟練の剣士でさえ相手にできるほどの実力を持っていた、動きも良いし体力もある。
しかし、稽古を続けるうちに明るみになっていく彼女の弱さ。
(なるほどな、彼女は命を奪うと言う行為が苦手なのか)
後一歩というところで踏み込めない少女に、ジャンヌはどうしたものかと困っていた。
「ジャンヌ様…私…本当は戦いたくなんてありません」
ある日、休憩中に少女がそんな告白をしてきた。
「ふむ、しかし戦わなければ守れないぞ」
怒られると思っているのか、それとも普段からなのか、不安そうに目を泳がせて俯く彼女に、ジャンヌは正直に思った事を言った。それは、自分がそう思って戦ってきたからだ。
しかし、彼女からは予想外の答えが帰ってきた。
「命をかけて守ったって…結局力を受け渡す為に死ぬんじゃ…意味がないじゃないですか…私は…誰かの為に死ぬんじゃなくて…誰かと一緒に生きたいです」
俯けていた顔をすぐにあげ、彼女は今にも泣き出しそうになりながら下唇を噛みしめる。
彼女の発言は、本人が自覚している通り、選ばれた人間が発していい言葉では無かった。
本来なら厳しい罰を与えなければならないかもしれない、しかし、ジャンヌは彼女に剣を突きつける事もなく、怒鳴る事も殴る事もしなかった。
ただ、ポカンとした様子で彼女を見つめていた。
「…ジャンヌ様?」
空気に耐えられなくなったのか、彼女が呼びかけると、ジャンヌは我に返り「すまない」と一言だけ言って彼女に向き直る。
「共に…生きたいと言ったか?」
「…あ、いえ…その…それは」
うろたえる少女に、ジャンヌは首を横に振りながら言う。
「構わない、続けてくれ、君の話が聞きたい…君は…何を願っているんだ?」
彼女から出た穢れのない純粋な言葉。
共に生きたいと言う、ごく当たり前のような願いに、ジャンヌはこれほどまでに無いぐらい、心を動かされた。
そんな事、考えた事が無かったから。
先代の記憶に埋もれてしまって、自分の気持ちが分からなくなってしまっていたからなのか、それとも、それは生き恥だと思い込んでいたからなのか。
「戦って…殺して…勝って…死ぬ…人間が生きていく上で、ある程度道が決められているのは仕方ないと思います…でも…私達はあまりに救われない…殺戮兵器みたいに扱われて、その重荷を次の世代に押し付ける為に死んでいく…こんな事に…何か意味があるなんて思えません」
「怖いんだな」
ジャンヌは彼女の方を向いて言った。
しかしそれは彼女に対して言ったのではなく、自分への言葉だった。
それほどまでに、彼女と自分の気持ちは一致していた。
「怖い…怖いな…そうだ、戦うのは、殺すし、殺されるかもしれないから怖い。嫌われるのは、悲しくて、辛いし、寂しいから、怖い。死ぬのは…自分の全てが無くなってしまう…怖いな」
彼女の、共に生きたいという願いは、どこまでも自分勝手なもので、無責任だととらえられるかもしれない。
結局は、自分が生きたいが為の理由づけ、こじつけ、方便だ。
誰だって恨まれるのも、恐れられるのも、殺すのも殺されるのも、自分で命を絶つのも、嫌なものだろう。
どれだけ強がっていようと、どれだけ冷血を装っていようと、どれだけ孤独が好きであっても、どれだけ壊れていようと。
何かを失うというのは、どうしようもないぐらい怖い事だ。
誰かや何かを理由にして必死に生きるのは、怖いものから逃げる為、きっとこれも間違いじゃない。
逃げれば、目を瞑れば済む話。
だけど。
「でもその生き方は、私は好ましくないと思う」
ジャンヌは自分の剣を握り、そして、彼女に突きつけた。
「っ⁉︎」
咄嗟に彼女は跳び退いて、自分を貫こうとしていた剣先から逃れる。
しかし、ジャンヌの剣は止まらない。
ジャンヌの的確な剣さばきが、彼女をどんどん追い詰めていく。
ジャンヌが近付けば近付くほど、彼女は慌てふためき、許しを乞いながら、それでも必死に攻撃を避けている。
「生きたいと願う事は間違いじゃない、君のおかげで、私は今まで思いつかなかった事を考えさせられたよ、君は立派だ」
ジャンヌは、彼女は曖昧でも自分というものを持っているのだろうと思った。
自分を持っていない人間は、何か支えを欲しがる。決して転ばないように、落ちてしまわないように、崩れてしまわないように、自分を守ってくれる支えを、探し求める。
流行り、宗教、武器、知恵、技術、才能。
他人に認められ、多くの人が『正しい』と認識するような、強くて太い支え、それにすがって生きていく。
決して悪い事じゃない、他人と同じものを感じ、それ共有する事、それは『協調』と言うのだろう。
大事な人との繋がりを守る為に必要な、立派な支え。
でも、頼り過ぎてしまったら、もしその支えが何かが原因で忽然と無くなってしまったら、その人は、もう一人で歩けなくなる。
立てなくなる、考えられなくなる、戦えなくなる、自信がなくなる、心が無くなる、五感が鈍感になる、声が出せなくなる、泣く事も笑う事も出来なくなる、愛せなくなる、死にたくなる。
逃げるしか、なくなる。
「君はそれに気付いたんだ、この一族は、魔法という支えによって生かされているんだと…とても賢い子だ…頼らなければ生きていけない…そうだ、私もそうなんだ」
ついに、彼女は壁際に追い込まれてしまった。
震える彼女にジャンヌは続ける。
「しかし、君の生き方にはいくつか不審な点がある…誰かと共に生きたいと願っているのなら戦うべきだ、争うんじゃない、戦うんだ、逃げ続ければ生きられる、確かにそうだ、間違いない、だが…その逃げる生き方に人を巻き込むな」
それは、共に生きているんじゃない。
ただの…道連れだ。
「やっぱり…戦って誰かの為に死ぬ事が正義だって…おっしゃるんですか?」
彼女が諦めのような感情を混ぜながら言う。
ジャンヌはそれに対して「いいや」と答えながら剣を振り上げる。
彼女は賢い、リスクを考え、誰も傷つかないように行動しようとする事が出来る、優しい子だ。
甘いんじゃなくて、優しい。
優柔不断なんじゃなくて、慎重。
臆病なんじゃなくて、人の痛みを分かる事が出来る。
他人から弱く見えても、ちゃんと自分を守ってあげる事の出来る彼女だからこそ、もう答えは分かっていると、ジャンヌは信じた。
他人の為に死ぬんじゃない、自分のせいで誰かを殺すんじゃない。
死ぬ為に生きるんじゃない。
「生きる為に逃げるんじゃない、生きる為に戦え」
振り下ろした剣は、彼女の身を、
「う、うああああああっ!」
斬り裂く事は無く、彼女の振り上げた剣によって弾かれた。
「…それでいい、どうせ死ぬなんて考えるな、私達は、生きる為に戦うんだ」
そんな事を自分で言っていた。
ジャンヌは、突き刺した魔獣を必死に押さえつけながら、彼女の事を思い出していた。
継承の儀をする前に、こんな事になってしまって、あの子は今一体どんな風に思っているのだろう。
(私は、彼女の手本になれるような戦い方が出来たのだろうか)
生きる為の、戦い。
生きたいと、願うだけなら自由だった。
「『縄張りの魔女』…すまない…私に出来る事は…今はこれが精一杯だ」
「『鎧の魔女』…お前…」
魔力を込めていない普通の剣なら、かなりの強度と力が必要であるが、魔獣の体を貫く事は出来る。床に体を固定して、剣を抜かせまいと、ジャンヌは必死に押さえ込んでいた。
「おそらく…倒す方法はこれしかない…」
「……」
ジャンヌは自分の頭上を指差す。
「君の…特異魔法で…あの時の業火を呼び出し、『才能の魔女』を焼き殺すんだ」
ジャンヌの提案に、エルヴィラは一瞬大きく目を見開いて、大きなため息を吐いた。
エルヴィラも、同じ事を考えていたからだ。そのリスクも当然分かっている。
自分より頭のキレる『鎧の魔女』が、分かっていないはずが無い事も、分かっていた。
「アンタはさ、いつ逃げるのさ? そいつ押さえたまま、そこにあのでっかい火の塊落としてみなよ、確実に死ぬぞ」
すると、ジャンヌは静かに微笑みながら、柄を握る拳に力を込める。
「私は逃げない、戦い続けるんだ、守る為にな…それが、騎士だ」
ジャンヌは、守る事を選んだ。
国を、人を、そして次期ジャンヌ候補の彼女を。
自分がここで消滅して、魔法が一族から無くなれば、きっと戦いの呪縛から解放されるだろう。
自分は死ぬが、自分の願いは叶う。
「言っとくけど…私にももう余裕が無い…決めれるんならマジでやるぞ」
エルヴィラは残りの魔力を使って、過去を探る。
初めてここに集められた日、最初に自分達を襲ったのは、巨大な炎だった。
あんなものに当たってしまえば、魔女どころか魔獣だって消し炭になってしまうだろう。
「…! 早くしろ! 『縄張りの魔女』!」
焦るジャンヌの声が聞こえる。彼女の体は魔獣に取り込まれつつあった。
魔女や人を喰らう事によって、魔獣は巨大化していく。
もはや選択肢は残されていない。
「…何か言い残す事はある?」
エルヴィラが言うと、ジャンヌは目を瞑って天を仰ぎ、そして優しい笑みを浮かべながら言う。
「君達に出会えて良かった、この国とともに君達が救われる事を切に願っているよ」
特に何の反応も返す事なく、エルヴィラは過去から引きずり出した巨大な炎をジャンヌとケリドウェンに向かって落とした。
この部屋一面を覆うほどの業火を、あの日自分達を焼き殺そうとした『反乱の魔女』の炎を、今、その最後の一人に向かって落とした。
エルヴィラは飛び出すように部屋から出たが、直後巨大な爆風に巻き込まれて、廊下の壁に激突する。
石を焦がし、鉄すら溶かすほどの炎が魔女と魔獣の身を焼いていく。
終わっていくのを感じながら、それでもジャンヌは、一切の後悔も、無念も無く、清々しい気持ちのままだった。
生きる為に戦って、守る為に死ねる。
最期まで自分らしくあれた彼女は、かつて無いほどまでの幸福感に包まれて、その命を燃やした。
魔獣の殻が破れ、炎に包まれたケリドウェンは、その揺らめく炎の中に二つの影を見た。
お疲れ様、頑張ったね。
おかあさん。
「二人とも…そんなところにいたのねぇ…」
思いがけない再会に、胸をときめかせながら、ケリドウェンの体は炎の中に消えていった。
後には何も残っておらず、焼け焦げた部屋の中で、たった二本の蝋燭に灯る炎だけが、ゆらゆらと揺れているだけだった。
魔女による魔女狩り、『反乱の魔女』と『防衛の魔女』の戦いは、こうして幕を閉じたのだった。
『反乱の魔女』残り蝋燭無し。
『防衛の魔女』残り蝋燭二本。
勝者『防衛の魔女』。
防衛成功。




