迷路
ゲルダは天真爛漫な明るい性格だ。おそらくここにいる敵も含めた全員が、そう思っているだろう。
確かに人懐っこく、子供のように無邪気で、言いたい事は包み隠さずなんでも言う、そんなはっきりした性格なのは確かだ。
しかし、弟のカイだけは知っている。自分の姉が既に壊れてしまっている事を。
「カイ! また来た!」
振り下ろされる木の根のような触手を避けながら、カイは思う。
どうすれば、姉に少しでもストレスを与えずこの状況を打破できるのだろう、と。
いや、これはこの場だけに限った事ではない。
朝も昼も夜も、ずっとだ。寝起き、歯磨き、洗顔、着替え、朝食、職場にこっそり付いてくるとき、昼食、仕事(戦闘も含む)、帰宅時、夕食、入浴、着替え、寝る前の小話、歯磨き、そして就寝。
カイは姉にストレスを与えないように常に気を配り続けている。
(正直俺の足が吹っ飛ばされた時はかなり焦った、歩けなくなる事にじゃない、姉ちゃんが暴走するかも、という不安)
実際その不安は少し当たっていた。直後、ゲルダは一人で二人の『反乱の魔女』の討伐を成功させている。
いつもの彼女ではなく、冷血な目をした『凍結の魔女』と化したゲルダ。
姉のあんな姿は出来れば見たくないし、あんな姿にさせたくない。この戦争においてカイの目的はそれ一つである。復讐やら報復やらは似合わない、姉にはいつも無邪気に振舞って、明るく笑っていてほしい。
そもそもそうなった原因は父親にあるのだが、今更過去は変えられない。
ゲルダは防衛成功の褒美に叶えてもらえる願いで沢山のお金が欲しいと言っていた。カイもそれに同意していたが、本心は少し違う。
カイの願いはただ一つ。
姉に幸せになって欲しい。
それ以外の願いなんて頭に無かった。
「チッ! 隙がねぇよ姉ちゃん!」
レジーナの両腕から伸びる樹木の根のような触手は、徐々に根元から枝分かれして、さらにその手数を増やしてきた。
常に動く触手は、ゲルダが凍らせようとしても、全て凍りきるまえに割れてしまう。
止めるなら、やはり本体だろうか。
「つってもなぁ…!」
厄介なのは触手だけではない。レジーナ自身が、ちょこまかと動き回っている事もかなり問題なのである。
壁を蹴り、天井を這う姿はまさしく俊敏な猫そのものだった。
「やべっ!」
レジーナへと向けて居た銃口が、伸びてきた蔦に弾かれてしまう。その一瞬の隙をついて、レジーナ本人がカイの目の前に現れ、ガラ空きになった胴に鋭い蹴りを深く入れた。
「ぐっふ…! ギリギリ…だ」
咄嗟に身を引いて、直撃は免れたものの、触れた部分には鋭く重い鈍痛が残されている。
直撃して入れば、貫かれていたかもしれない。
しかし、間も無く次の蹴りがカイの頭部に繰り出される。
瞬時に反応し、その蹴りもなんとか避けるが、カイは自分の失敗にすぐに気付いた。
しゃがんで避けてしまったのだ。このままでは、次の行動に移るのにかなり時間がかかる。
回避にも攻撃にも即座に転じる事が出来ない。
「ヤベェ!」
案の定、レジーナはその大きな両腕でカイを潰そうと、大きく振り上げていた。
「姉ちゃん!」
必死の呼びかけに、ゲルダはカイの前に庇うように飛び出して、大きく分厚い氷の盾を作り上げた。
振り下ろされた巨大な木の腕が盾とぶつかり、重い衝撃が辺りの空気をも揺らす。
盾にヒビが入り、危険を感じた姉弟はすぐにそこから離れて、敵との距離を取る。
瞬時にレジーナに向けて発砲するが、彼女はありえない方向に身体をぐるんと捻じ曲げたかと思うと、素早い動きで弾丸を避けて、再びあちこちに移動を始めた。
錯乱目的なのか、隙を狙っているのか。
認めたくないが、どちらにしたって狙い通り、敵の思うツボだ。
素早く動き回る敵を常に目で追い続けて入れば、当たり前だが疲労がたまる。視界がボヤけて判断能力だった低下する。
そして一瞬隙ができる、その隙を逃さないスピードを彼女は持っている。
はっきり言って勘弁してほしい。
「あれ捕まえるの相当難しいよ…どうする? カイ…?」
不安そうにゲルダがカイを見つめる。
しかしカイはニコリと笑みを浮かべながら、ポンっとゲルダの頭に手を乗せる。
「大丈夫だよ姉ちゃん、なにも不安がる事は無い、姉ちゃんが心配してるような事は何も起きないから」
と、言ったものの、打開策が思いつかない。
壁や天井だけで無く、自らの腕から伸びる太い木の幹まで足場にしてしまうのだからタチが悪い。
立体的に、しかも自由に動けるという恐ろしさを痛感させられる。
「…ん? 待てよ…」
自分の腕…では無い。正しくは、魔法で樹木に変えられているだけで、あの全てがレジーナのものでは無い。
「あ、そっか」
「カイ?」
不敵に笑うカイを見て、ゲルダは不思議そうに首をかしげる。
「単純な話だよ姉ちゃん、さっきも言ったろ? 本体を止めればいいって!」
そう言ってカイは銃口をレジーナでは無く、彼女が樹木の触手と化した自分の腕を不自然に固めている場所へと移す。
明らかに彼女はそこにいるのだろう。
「本体を止めるって言ったけどよぉ…あのネコ野郎の事じゃねぇぞ! あのウザい木を生やしてる奴が居たよなぁ!」
四肢の無い、ジャンヌがトドメを刺したという魔女が居た。
一斉に攻撃を開始した死体達の中で、唯一動かなかった魔女、動けなかった魔女。
魔法の力で異常な連射力を持つカイのマスケット銃から放たれる弾丸の雨が、繭のようになっている木の壁に次々と穴を開けて崩していく。
その中から、彼女はじっとこちらを睨みつけて居た。
「居たぞ…『樹木の魔女』ダイアナ!」
再びカイが声をかけるよりも前に、ゲルダが走り出し、ダイアナに近付いていく。
ランダやグローアを倒した時と同じように、直接掴んで粉々にする為に。
「アイツが消えればこの木の魔法も解けるだろ、そうなりゃあのネコは今みたいな立体移動は出来なくなる!」
ついでに氷を防ぐ手段も無くなるだろう。
ゲルダを止めようとするレジーナを射撃で遠ざけながら、カイは見えた希望に自然と笑みをこぼしていた。
そしてゲルダがその穴に両手を突っ込んで、ダイアナに掴みかかろうとした、その時だった。
「あ、忘れとったがな、ダイアナー! やってお死まーい!」
モリーがそう呼びかけた瞬間、レジーナの腕が異常に膨らみ、彼女の身体そのものが巨大な樹木へと変わっていく。
根や蔦があちこちに張り巡らされ、みるみるうちに広いロビーは植物で埋め尽くされる。
複雑に絡み合って出来た木の壁が、全ての退路を断ち、無造作に組み立てられた事により、その一帯はまるで迷路のような状態になってしまった。
「な、何⁉︎」
ゲルダは思わず手を引っ込め、背後を振り返る。
そこにはさっきまでとは全く違う、迷路のような光景が広がって居た。
ゲルダが手を引っ込めたのと同時に、ダイアナを覆って居た木の繭が修復され、穴が消えてしまった。
「あ、しまった!」
繭を凍らせ叩き割ろうとするが、その上にさらに蔦や根を被せられるので、ますます硬くなるだけで、まるで効果が無かった。
「か…カイ…どうしよう…あれ? カイ?」
ゲルダとカイの間には、大きな木の壁がそびえ立っており、お互いの姿が見えなくなって居た。
それだけでは無い、四方八方の壁は、さっきまで戦っていた仲間達の姿すら隠してしまっている。
完全に、ゲルダは孤立してしまった。
暗く、狭い、ひとりぼっちの空間。
ゲルダの心の奥底にしまっていた、嫌な記憶が蘇る。
暗い部屋で、自分と知らない大勢の男達。
あの時の恐怖の記憶がふつふつと、まるで水の底から膨れて湧き上がってくる泡のように現れては消えて行く。
フラッシュバックするトラウマをかき消すように、ゲルダは声を振り絞って震えながら弟を探し出した。
「ね…ねぇ…カイ…どこ…どこにいるのぉ…? 返事してよ…カイ…」
モリーの狙いは、図らずも再び、二つの効果を発揮していたのだ。
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「なんじゃこりゃあ!」
サリヴァンとフランチェスコの死体を処理したエルヴィラは、そのまま直接モリーを叩こうと、二階に上がる為の階段を上っている最中だった。
突然轟音がしたと思い、振り返れば大量の植物に覆われて、気付いたら全然知らないところに一人放り出されていたのだ。
「まるで迷路じゃん…勘弁してよ、私こういう体も頭も使うゲームって苦手なんだからさぁ」
手足に絡まる蔦を引き千切り、エルヴィラは辺りを見回す。
所々に道がある、自然そうなったのか、意図的なのかは定かでは無いが、進んで行く以外に道は無さそうだった。
いや、意図は分かる。
モリーは今までの戦いを蒸し返すと言っていたのだ。つまりこの状況は、あの『反転世界』での作戦をもう一度再現したのだろう。
離散させて、一人になった奴らを殺す。
「飽きたっつーの…その展開」
そして、あの作戦の再現という事は。
「当然来るよな…一人になった奴を狩りに来る奴が…」
モリーが操っていた死体は七体。そのうち二体を始末して、さらに二体が行動不能。
残り三体、それに対して自分達『防衛の魔女』は五人フルで生き残っている。
補充が現れる事はもはや確定であろう。
死体を操っているモリー自身が降りて来る可能性も捨てられないが、限りなく低いだろう。
「ああいうタイプは直接戦闘は苦手と見た、だからここで問題視すべきは…やはり新手の出現」
向こう側だって残っているのである、大きな戦力、切り札を。
「まぁ…こういう限られた空間で私一人なら、なんの問題もないけどね」
安心して本領を発揮できる。
「へぇ…じゃあその本領…発揮してもらおうじゃない?」
驚く様子も見せず、冷静にエルヴィラは声のした方向を見る。
「あんた達ってさぁ、もっとこう…捻りのある登場の仕方とかないの? どいつもこいつも物陰から現れて…隠れてる癖に喋りかけて来るのは自分からっていう」
うんざりしたエルヴィラの前に現れたのは、この薄暗い部屋の中で何故か星のように明るい光を放っている不思議な姿をした魔女だった。
「『流星の魔女』パリカー」
「『縄張りの魔女』エルヴィラ」
名乗り終えると、パリカーは得意げにクスクスと笑いだした。
「貴女の今までの戦いはじっくり観察させてもらったけど…ちょっと芸がなさすぎるんじゃない? 私達の登場の仕方とか言えた立場じゃないでしょ」
「私は別にこの戦いを見せ物にしてるつもりはないからな、得意な方法でさっさと片付けてるだけさ。まぁそれ言っちまえばあんた達もそうなんだろうけど」
エルヴィラの言い分に、パリカーは哀れな人を見下すような嘲笑を浮かべながら、吐き捨てるように言う。
「ビジュアル気にしない人ってほんとダサいわよねぇ…私達魔女なんて、いつどんな風に殺されてもおかしくないって言うのに…今みたいな状況ならなおさら…死ぬかもしれない危険な状況、もし死ぬのなら…せめて、夜空に輝く明るい星のように華々しく綺麗に美しく散っていきたいって思うのが普通じゃない?」
当然のように言われたが、エルヴィラにとっては全くと言っていいほど興味の無い話だったので、黙って首を傾げておく事にした。
しかし、それがパリカーの機嫌を損ねたようで、不愉快そうな顔をしながら彼女は続ける。
「ほんと理解できない…貴女とは気が合いそうに無いわね…だからさっさと終わらせようじゃない? 全く…なんでモリーの代わりを私がしなきゃいけないのかしら…」
そう言いながら、彼女は全身に強い光を纏い始める。
「私の特異魔法『ザ・ユニバース』は物体や空間を拡大する事が出来る能力、炎や光なんかにも有効なのよ、だからこうやって小さなランプの灯りを拡大して強い光にする事だって出来るわ」
魔力によって広げられた光は、魔力によって作られるエルヴィラの闇をも照らせる。
「つまり貴女の十八番が台無しって事ねぇ」
「…別に私の魔法はそれだけじゃ…うおっ⁉︎」
投げようとしたナイフを思わず落としてしまった。それもそのはず、ナイフが手に収まりきらないサイズへと拡大されてしまったのだ。
「私の能力…ちっぽけに見えるけど全然そんな事無いじゃない? この狭い空間だって、私の魔法に有利に働く」
パリカーは二本の長剣を取り出して、妖しい笑みを浮かべる。
アレも恐らくは、拡大した普通の短剣だ。
しかしその刀身には呪術式が彫られていた。
「呪いで命を貪れば魔女は死ぬ、まず貴女からよ」
エルヴィラは「ふーん」と興味無さげにその長剣を見つめて、自分が落とした短剣を残念そうに見下ろしながらパリカーに言う。
「御託はいいからさっさと来なよ。見せろって言ってたよね? 見せてあげるよ、私の本気…ここなら巻き添えの心配ないし…それに…この狭い空間が自分だけに有利だとか自惚れてんじゃねぇぞ…」
エルヴィラの目の色が変わる。
人数的にはもう終盤、それでも魔女達の殺し合いはまだ続く。




