荼毘
意思のないゾンビのようなものを誰もが予想していた。
噛み付いたり、引っ掻いたり、そんな攻撃を繰り出してきて、動きは鈍いけどどこまでも追いかけてくる。
死体が動かされているのだから、誰だってそんなイメージを持ってしまうだろう。
しかし、現実はそう甘くは無かった。
常識を覆し、常軌を逸脱するのが特異魔法である。そんな魔法で動かされている死体が、まともなわけが無かった。
彼ら、彼女らの動きは、生前よりも遥かに俊敏で、その一撃は鉄槌よりも重いものになっていた。
受け流そうと下手に触れば指の骨が、最悪腕が引き千切られてしまう。
実際、エルヴィラの右手の指は全てへし折られ、ジャンヌに至っては左腕が逆さまにぶらりと捻じ曲がっている。
そしてさらに厄介な事に、死体になってなお、魔女は魔法を使えるのだった。
「死んだんだったら魔力は体から散ってるはずなのに…! こんなのさっきの魔獣戦の方が百倍マシだわ!」
目の前に立ちはだかるフランチェスコの死体。彼女の周りには異様な空気が漂っていた。
比喩では無い、彼女の特異魔法『罰蒸気』による文字通りの異様な空気。
「空気を操れる…というより、正確には空気中の成分を操れる魔法…今はシンプルに酸素濃度をかなり高めて、うっかり近付いたら酸素中毒でぶっ倒れるってトコか…?」
急性酸素中毒。
過剰な酸素が、生体の解毒機能を超えて有害な作用をきたした状態。障害の主な標的臓器は中枢神経系と肺である。
二〜三気圧以上の高い分圧の酸素を吸入する高気圧酸素療法では、生体の細胞代謝が障害され、心窩部や前胸部の不快感・嘔吐・めまい・視野狭窄など、時には短時間で痙攣発作と昏睡がみられることがある。
(今はまだ大体フランチェスコから半径ニメートルぐらいだけど…さっさとなんとかしないと部屋全体の酸素が…ジャンヌの剣も届きそうにないな…)
近付かなければ安心というわけでもない。しかもフランチェスコは両手を折って拳銃のような形を作り、指先から透明な塊を発射してくる。
正体は、圧縮した空気である。
実は、フランチェスコの空気による攻撃はどれもこれも魔女に対して致命傷を与えるものではない。呪いの効果などが含まれていれば別であるが、ただの空気の塊が血中に入り、血管を破って心臓を破裂させようとも、魔女は死なない。
しかし、想像を絶する苦しみを味わいのたうちまわるほどにはダメージを与える事が出来る。
死には至らない痛みは、恐らく不死でなければ決して分からないだろう。
死にはしなくとも、その場に留めておけばいい。恐らくフランチェスコの役割は足止めであろう。
(動けなくして…安全に殺すか…なるほど、私と似たような戦い方)
安全第一の効率優先。こんなにも鬱陶しいものなのか。
「そうやって動けなくなったところをトドメ刺すのがまさかのお前かよ」
空気弾を避けたエルヴィラに重い蹴りを入れた男の死体。
サリヴァンは死してなお、エルヴィラ討伐の任務を完遂しようとしていた。
「魔女めぇぇぇえんわるい悪い魔女めぇぇぇぇえんめぇぇぇえん胎児、対峙、退治してやるめぇぇぇぇえん!」
「っせーな! 山羊かお前は!」
腕にくくりつけた巨大な二本の大鉈、『愛炎鬼炎』でサリヴァンはエルヴィラの首を撥ねようと振り回してくる。
あの時よりもさらに素早く、そして重くなっている攻撃を、空気弾にも注意しながら避けなければならない。
一瞬も、気が抜けない。
何度か試しにナイフをサリヴァンやフランチェスコの頭に投げつけて見た。しかし、命中はするものの全く効いている様子は無かった。
そんな事をしている隙に、エルヴィラの肩に空気弾が命中する。血管を通り、空気の塊が心臓へ向かおうと動く。
「っ!」
咄嗟にナイフで腕を斬りつけ、心臓が破裂するのは避けた、しかしさらにその隙を逃さずサリヴァンが斬りつけてくる。
「ぐがっ⁉︎」
強烈な横薙ぎ、そこから続く鋭い突き。エルヴィラの柔らかい腹に鋭い傷と大きな穴が穿たれた。
咄嗟に跳び退いて、服を捲り上げて己のダメージを確認する。
「うええ…出ちゃいけないものが顔だしてるじゃん…」
ゲルダの回復魔法で治してもらった方が良さそうである。だが、そこに行けるかが問題だ。
「『縄張りの魔女』! 危ない!」
ゲルダの方に視線を向けると、咄嗟に彼女がそう叫んだ。
考えるよりも先に体を反らして、転がるようにその場から離れる。その直後、自分がさっきまでいた空間を巨大な二本の刃が大きく薙いだ。
ゲルダの回復魔法さえかけて貰えれば、全回復してベストコンディションで動く事が可能だ。
しかし、この状態では彼女の元へ向かう事も、彼女がこちらに来る事も出来ない。
ゲルダとカイの前には両手を巨大な樹木に変えて触手のように扱うレジーナが立ちふさがっていた。
こちらの死体と同様に、カイがレジーナの頭を撃ち抜こうとも、まるで効果は無いらしい。
ジャンヌやジョーンの援護にも淡い期待を寄せたが、やはりそれぞれにアリスの特異魔法で強化されたロザリーンとペトロが立ちふさがっている。
万事休す、そんな様子をニヤニヤと、楽しそうにモリーは見つめていた。
「んひょひょひょーっ! お国の防衛を任された偉大なる魔女様(笑)達がただの死体に苦戦死てるの超ウケるんデスけどぉ! ああわた死の可愛い死体ちゃん達! 貴方達はなんと健気で美死く儚げか! その姿にわた死…感動の涙がちょちょぎれそうデスYO!」
彼女にとって、こんな戦いは遊びでしかない。
彼女は好きなのだ、努力が一瞬で水の泡になるあの瞬間が。
積み上げて来たものが崩れ去り、絶望するあの表情を見るのがたまらなく好きなのだ。
「折角倒死た中盤のボスが、終盤になって強化されて帰って来た時ほど萎える展開は無いデスからねぇ? えええ! また同じ奴と戦うのめんどくせー! って思うのが当然デスから!」
それが苦労していればしているほど面白い。
まして今は命をかけた殺し合い。折角生き残ったのに、今までの強敵が再び命を狙って襲って来るのだ。
気力も魔力もズタボロだろう。
「せーぜー足掻いておくんなま死。アンタ達を殺死た後は…この国、世界全てで遊びますから! あひゃひゃひゃひゃひゃ!」
不愉快になりながらもエルヴィラは、落ち着いて思考をまとまらせる事に努める。
サリヴァンの猛攻がそれを許さないが、極力考えるのをやめないようにする。打開策は、どこかにあるはずだ。
まず最優先でどうにかしなければならないのは、この傷。
魔獣マリの時のように、小さな刺し傷程度であれば自分の回復魔法で十分治せる。
しかし、このレベルの重傷ともなると、自分の回復魔法では到底追いつけない。
(そりゃ時間があればある程度治るけどさ…)
死体に目くらましは効くのだろうか?
「試してみないと…ね」
いつものように、エルヴィラは深い闇を作り出してサリヴァンを覆う。
そういえばコイツは、闇で作った結界を見破った数少ない人間だったか。
視界を奪われたサリヴァンは、キョロキョロと辺りを見回す仕草をした。意外な事に、効果があったのだ。
不愉快そうに「ううう」と唸りながら、サリヴァンは鉈を振り回し、闇雲に斬り付けようとしている。
(魔力が探知できるわけでも無いのか…?)
試しに、闇の中で自分の姿をした使い魔を作り上げてみる。
魔獣マリは、これですぐに反応を見せていた。
しかしこれにも何の反応も無い。本当に視力だけを頼りに動いていたというのだろうか。
操っている側のモリーなら、魔力を追わせる事だって可能だと思うが。
(んん? っていうかそもそも…何でアイツ明かりをつけたりしないんだ?)
サリヴァンの十八番は、その特殊技術によって作られた火の灯る大鉈による斬撃だ。
魔女の弱点である火を纏った刃で斬りつけて致命傷を与える。引火しやすいように油だって塗っていたはずだ。
何より、火を灯すのに苦労がいらないのが最大のメリットである。ただ擦り合わせればいいのだ。それだけで、擦ったマッチのように容易に明るくその刃に火が灯る。
攻撃目的だけでなく、辺りを照らす事だって可能なはずなのに、彼は今全くそれをしようとしない。
(トドメ役っていうなら常に燃やしとかないと意味ないだろうに…何か…火を扱えない理由でもあるのか…?)
例えばこの死体達も、火には弱いとか。もしくは強い光、明るいという環境が苦手なのか。
「そんな思考があるんだとしたら厄介だな…あんなイカレてんのに知恵まで回るんだとしたら…」
いや、待てよ。
知恵がある、と言うことは今コイツがしている行動は全て意味がある事なんじゃないのか。
火を使わないのも、魔力を追う事が出来ないのも、全て何かしら意味のある行為。
改めてエルヴィラは敵の死体達を観察する。
この広い部屋の中央に陣取ったフランチェスコ。その彼女の周りを覆う高濃度になった酸素。
彼女を守るようにちょこまかと動き回るサリヴァンの死体。しかしその武器の本来のギミックを全く使おうとはしない。
(あれ…? そういえば)
フランチェスコは一体いつから酸素の濃度を上げていたんだろう?
彼女の魔法なら即座にできる筈だ。
なのにこの部屋の空気は未だ特になんの異変も起きていないようである。つまり、いくらなんでも遅すぎるのだ。
「…ああ、なるほど…そういう事か」
エルヴィラは治癒魔法でとりあえず大きな傷を塞ぎ、応急処置をしてから一気に走り出す。
そして助走のついた渾身の飛び蹴りをサリヴァンの体に叩き込んだ。
「けられ蹴られあれあれあれ?」
サリヴァンはヨロヨロとよろけて、フランチェスコのすぐ側まで押し出されてしまった。
その直後、闇の中からエルヴィラが大量のナイフを二人に向かって投げつける。
ブスリとサリヴァンにもフランチェスコにも銀色に光る鋭いナイフが命中して、刺さっていく。
しかし、二人とも全く意には介さず、むしろ投げつけてきた方向からエルヴィラの場所を特定して、フランチェスコが空気弾発射を再開させてしまった。
しかし、己の結界に引きこもったエルヴィラは先ほどまでとは打って変わってかるい身のこなし方でその攻撃を避けていく。
途中使い魔が犠牲にもなったが、それでもエルヴィラは効果の無いナイフをひたすら投げ続けた。
そしてついに「っしゃあ」という声をエルヴィラがあげたその直後、彼女は再び駆け出して、サリヴァンに突っ込んでいく。
しかし今度は飛び蹴りをするのではなく、必要なものの回収のために走り出したのである。
「ちょっと下品なやり方になるけど…ごめんね『残虐の魔女』。でも私はこういうやり方しか出来ん」
向かってくるエルヴィラに対してサリヴァンは大きく鉈を振り上げる。
しかしその刃が振り降ろされる事は無かった。
もう一人のエルヴィラ、つまり使い魔が、その手から大鉈を奪い取っていたのだ。
すかさずオリジナルエルヴィラも、もう一本の大鉈を強引にひったくり、そのまま使い魔と二人でサリヴァンを蹴り飛ばした。
フラフラと後方へ下がったサリヴァンは、フランチェスコにぶつかりようやくその足の動きを止めた。
しかし武器を奪われてしまった、どうやって反撃すればいいのか分からない。
ここの死体に与えられている命令は『どんな手段を使っても防衛の魔女を殺せ』というものである。
ただの人間の死体である自分に、武器を取り上げてしまったらもう何も出来ない。
と、死体ながらに考えていたかもしれない。
しかし、意外にもすぐにサリヴァン愛用の武器である二本の大鉈は彼の手元に帰ってきた。
炎が灯った状態で。上から落ちて来たのだ。
「どっかで聞いた事あるけど…高密度の酸素って爆発するらしいじゃん? 火種があれば、かなり大きな爆発が起こるらしいね」
エルヴィラは不敵な笑みを浮かべる。
「あんたがその鬱陶しい鉈のギミックを使わなかったのはそれが原因だ、巻き込み事故なんて笑えねぇもんな」
使えなかった理由は仲間を焼いてしまう恐れがあったから。
サリヴァンは体を起こして逃げようとしたが、既に炎は大きくなり、一瞬のうちにフランチェスコごとその身は包まれてしまった。
酸素だけではここまで燃えない、エルヴィラは焼けていく二人に気だるそうに補足する。
「さっき突き刺したナイフにちょっと細工させて貰ってたんだ、アンタのやり方を真似したんだよ」
つまり、油を塗ったのだ。大鉈に仕込んである引火剤として使われていた油を、投げつけたナイフにも塗布していた。
「そしてオマケに、アンタらが死体だったいう事も利用させてもらった…アンタら二人とも…特にフランチェスコの方は随分溜まってたみたいだね…腹を突き刺したら案の定ガスが出てきたみたいだ」
火に油とメタンガス、引火させるには十分すぎるぐらいだった。
しばらくジタバタと暴れていた二つの死体だったが、やがてぐったりと鈍くなり、全く動かなくなってしまった。
「強引なやり方だったけど、これで成仏してくれよな…頼むからもう二度と起き上がるな」
エルヴィラは炭になっていく二人を見ながらそう呟いた。
 




