魔女の住む森②
「素晴らしい」
帰ろうとしたエルヴィラの耳に、新しい男の声が飛び込んできた。
「……ん?」
寝ぼけ眼で声のした方を見る、そこには神父の様な格好をした初老の男が柔和な笑みを浮かべながら立っていた。
男はうんうんと頷きながらパチパチと手を叩く。
「今日は侵入者が多いな……あ、でも不思議……なんで私はアンタの存在に気付かなかったんだろ……?」
結界内にあった反応は確かにあのハンターだけだったはず、戦いに夢中で気付いて無かったのだろうか。いや、そんな夢中になる程の戦いでも無かったし、そもそも戦いですら無かった。
騙して、不意打ちで、殺しただけだ。
こんなものは戦いとは言わない、ただの殺人だ。
「ああ、お気にならず、貴女がその方を殺した事に関して心を痛める必要はありませんよ? ですからその様な悲しそうな目をする必要はありません」
普通に眠いだけだった。涙目で潤んでるかもしれないが、それもさっきのあくびのせいだ。というか、今更人の死に思う事なんて無い、まして自分で殺した相手に申し訳ないなんて全く思わない、縄張りを荒らしにきたのはコイツなのだから。
「ああ、自己紹介しますね、私はベルナール・ギーと申します。異端審問官と呼ばれる者です」
深々と頭を下げて、男は丁寧に挨拶する。
はて? 異端審問官? どこかで聞いた事があるような無いような…。
「あ……」とエルヴィラは気付く。魔女裁判で魔女を死刑にする人じゃないか。知り合いの魔女が確か話してた気がする…まぁその次の日にその魔女焼かれてたんだけどね。
というか、そうだ。そもそも魔女っていうのは捕まえて、ちゃんと裁判にかけてから殺すものじゃないのか? 何年も引きこもりすぎて時代が変わったのかな?
「そこにいる男さぁ……」と、エルヴィラはベルナールに気だるそうに「いきなり殺しにきたんだけど……何アレ、時代は変わって魔女はその場で駆逐されるようになっちゃったの?」と言う。
その問いに対しベルナールは「いえいえ」と申し訳なさそうに首を横に振りながら「彼は前から人の話をあまり良く聞かない性格でしたからね……今回も貴女の捕獲が依頼内容だったはずです」と答える。
うん、嘘だな。エルヴィラは結界内でのサリヴァンの行動をキチンと見ていた。魔女である証拠が無いと意味が無い、そんな感じの事を言っていたような気がする。
つまり、討伐自体禁じられていないという事だ。捕獲が絶対条件では無い。状況に合わせて殺しても全く問題無いという事だろう。というか、捕獲優先なら背中を斬りつけた直後になんの躊躇いもなく撃ってきたりしないだろう。
平気な顔で嘘を吐く目の前の男に対してエルヴィラは警戒心を少しだけ高めた。ほんの少しだけ。
彼女にとって、何の能力も持たない人間など敵では無いから。もし仮にここにいるのが同じ魔女なんだとしたら全力で殺しにかかっていただろう。
というか、別に魔女じゃ無くてもこの男も結界内に許可無く踏み込んだ侵入者、元より生きて帰すつもりは無い。
どうして殺してやろうかと考えていると、ベルナールの方から笑みを浮かべたまま口を開いた。
「では魔女エルヴィラ、貴女のその力を見込んで、少しばかりお願いがあるのですが」
「断る」
もちろん断る。断る一択だった。
人間の願いを聞き入れて、何かメリットがあった事なんて一つも無い。病気を治す薬を作って持って行ってやれば医者に『商売の邪魔だ』と煙たがられ、探し物を探してやれば『余計な物を見つけやがって』と石つぶてをぶつけられ、何もしなかったら災害が起きた時『どうして村を守ってくれなかった』と非難の雨あられ。
こいつらにギブアンドテイクの精神は無い、話を聞くだけ無駄だ。エルヴィラは断ってから、この男に呪いをかける準備をする為に家へと戻ろうと背を向けた。
「もちろんタダではありませんよ? お願いと言っても一方的なものではありません、キチンと貴女達への報酬も用意させていただきます」
聞く耳持たない。無駄だ。
「貴女達魔女が隠れ住んでいる理由、それは昨今の激化した魔女狩りの所為ではないですか? 貴女が協力していただければ、この魔女狩りを終わらせる事が出来るかもしれませんよ?」
聞く耳持たない。聞く気はない。無い、無いが。
「は?」とエルヴィラは足を止めた。
実際エルヴィラが結界内の隠れ家に住んでいる理由は魔女狩りとは関係無かったが、それでも確かに魔女狩り自体は迷惑だと感じていた。
知り合いの魔女も何人か殺されたし、ぶっちゃけもう勘弁して欲しかった。
終わらせようと思えば出来たが、多分なんの解決にもならないと思ってやめた…のではなく、ただ単に自分から動くのがめんどくさかった。
しかしいつかは決着を付けなければいけないと思っていたところに、そんな時に、向こうからその話題を持って来た。なんとも好都合。こんな美味しい話乗るっきゃない!
……と、そんなわけにはいかず。
「嘘つきは泥棒の始まりって知ってる? まぁ異端審問官なんて詐欺師みたいなもんでしょうけど……あんまりいい加減な事ばっかり言ってるとかなりキツイ呪いをかけるよ?」
案の定、エルヴィラは全く信じなかった。むしろ機嫌が悪くなったようだった。
しかしベルナールは全く動じず、むしろ顔の皺をさらに濃くしてにんまりと微笑む。
「否定的ではあるものの、反応はされましたね?」
「びっくりするぐらい信用できなかったもんでね」
「しかし魔女狩りを終わらせたいとは思っている、もしかしたらという期待があったからこそ、足を止めていただけた…そういう解釈でよろしいでしょうか?」
どこか挑発じみた言葉遣いにエルヴィラの機嫌は更に悪くなっていく。
魔女狩りを終わらせたいと思ってるとか、そんなの当たり前だ。魔女のレッテルを貼られて無実の罪で殺される若い女だっているのだ、彼女達も含めてこの魔女狩りの終わりを願わないはずがない。
当たり前の事を一々聞かないと分からないのか最近の若い奴は。
しかし、あわよくばやもしかしたらの期待が全くなかったわけではない。それ自体はベルナールの言う通りだったし、時代が違えば二つ返事で了承していたかもしれない。
あくまで時代が違えばの話だが。
「めんどくさくなった……アンタもう帰りな、今日だけは特別に殺さないであげる、別に討伐隊とか連れてきても良いけど……そん時は皆殺しにするからね? とにかく、私はその話パス」
「そうですか……残念ですね」
ベルナールは本当に残念そうに苦笑いを浮かべた。
今の話に乗る魔女なんてのはいるのだろうか? エルヴィラは気まぐれにそんなことを考える。
(まぁ……アイツ辺りなら了承しそうだけど……どちらにせよ、誰が乗ろうと、私はパスだな)
さて、もうこの話は終わり。帰って紅茶でも飲もう…そう思ってエルヴィラが足を一歩踏み出した瞬間。
彼女の今まさに踏もうとした地面が爆発した。
正確には、何かが噴き出したように破裂した。
「ちょっと……! 殺さないであげるって言ってんだから大人しく帰れよ……! って……あん?」
エルヴィラは振り返り、短剣をベルナールに投げつけようとしたが、目の前の光景に驚き攻撃を中断した。いや、攻撃自体は中断していない、ベルナールへ向けた短剣を、別の標的へと変更したのだ。
てっきりベルナールの仕業かと思ったのに。
エルヴィラの投げた短剣はベルナールの頬をかすめその背後にいた影に一直線に飛んでいく。
「ほんっと……今日は客が多いな……いや、客って言ってももてなす気なんてさらさら無いけどね」
「おや……コレは失礼しました……尾行には気をつけていたはずなのですが……どうも……つけられていたようですね」
ベルナールは特に慌てる様子もなく、自然にエルヴィラの背後へと駆け寄り下がっていく。
「……って隠れんのかい」
「当然ですよ、化け物同士の戦いに巻き込まれたくありませんから」
化け物同士。彼が言うところの化け物とはつまり魔女の事で、この状況、先程までエルヴィラしか魔女がいないこの状況で同士という言葉を使う意味。
それは相手も魔女である事を示していた。
「にゃンセンス! にゃンセンスにゃのよんベルナール! そういう作戦に出るのはちょっとムシが良すぎるってものにゃのよん!」
当たり前のようにエルヴィラの投げた短剣を受け止めて、直後粉々に爆散させながら、暗闇から現れた彼女はそう言った。
猫耳がついたカチューシャがなんとも印象的な、真っ黒な髪の少女。
エルヴィラが抱いた第一印象は『猫』だった。まぁ、カチューシャからのイメージが大半なのだろうが…。よく見ると尻尾のアクセサリーまで付いているので意図的に猫を思わせているのだろう。
彼女はスカートの裾をつまみ、淑女らしくお辞儀をしながら挨拶する。
「にゃにゃにゃあ……はじめまして『縄張りの魔女』エルヴィラ、私は『黒猫の魔女』レジーナっていうのよん、仲良くしてね」
「『縄張りの魔女』エルヴィラ」
にゃししし、とレジーナは変な笑い声をあげてエルヴィラを指差す。
「アンタ、そのおっさんの話に乗る気? だったら早いとこ始末しといた方が良いと持ってるのよん……話は全部聞けてにゃいんだけど……どっちにゃのよん?」
「……仲良くしてね……とか、真っ先に攻撃仕掛けといてよく言えるね……お前……礼儀ってもんを知らないの?」
話どうこうより、この魔女の態度がそもそも気に入らない。初対面の相手にいきなり攻撃を仕掛けて悪びれもせず好き勝手に質問をぶつけてくる。
基本魔女に対しては寛容なエルヴィラだが、ああいうタイプは反吐がでるほど大嫌いだ。
「っていうか喋り方がまず嫌い、私を不快にして私に害をなした、よってお前は敵、縄張りを荒らす奴は誰であろうと許さない」
「にゃっはー! やる気まんまんにゃのよん! まだおっさんの仲間ににゃるかどうかは聞いてにゃいけどとりあえず痛めつけておくのよん!」
二人の魔女が睨み合うのその様を怪しい笑みを浮かべながらベルナールは見ていた。
とても満足そうな顔だった。