気付き
シェイネが運び込まれたのは、ボロボロに破壊された飲食店だった。
とはいえテーブルや食器がなければ飲食店だとは分からないほど、原型をとどめないほど床や壁や天井が破壊されている。
何があったのか、ところどころ凍った跡まである。
「あ、金髪幼女が帰ってきた」
「ほんとだ…っておいおい、怪我人背負って来てるぜ」
エルヴィラ達を出迎えたのは、ある意味一番目立っていて、ある意味一番浮いていたあの姉弟だった。
(確か…ゲルダとカイだったか?)
ジャンヌはかろうじて形を保っていたテーブルを二つ並べて、綺麗に埃を払ったテーブルクロスを引いて簡単に作ったベッドにシェイネを寝かせ、濡らした布で傷口の汚れを拭き取っていく。
「無茶をするな、私達魔女は不老不死だが…殺されても死なないという事は無い…魔法同士をぶつけ合えば、呪術で魂を喰われれば、業火で体を焼かれれば、死んでしまうんだから」
ジャンヌは子供を諭すようにシェイネに言う。シェイネ本人はなんとも言えない複雑な顔を浮かべていた。
油断で受けた傷、彼女なりに思うところがあるのだろう。
「そういう意味じゃ私らも人間じゃない? 死ぬ条件がちょっと少ないってだけで異物扱いか…ほんと、『反乱の魔女』とか関係無く絶滅しないかな、人間」
奥の壁にもたれかかりながら、心底うんざりしたような表情を浮かべてエルヴィラは言う。
あの大広間でのフランチェスコとの会話を聞いていても思ったが、このエルヴィラという魔女、おそらく見た目以上に長生きしているのだろう。
言動が見た目の幼さと比例していない。
長く、魔女なら終わりなど来ない気が狂いそうになる永遠の月日の中で、一体どんな事を体験して、どんな光景を見てきたのだろう。
シェイネの目には一瞬、エルヴィラが妙齢の女性の像と被って見えたような気がした。
彼女が人間で、本来ちゃんと成長していたらあんな風に育っていたのかもしれないという、もしかしての想像だったのだのろうか。
「綺麗になったー? じゃあ私が治しちゃうよー!」
ジャンヌとシェイネの顔を交互に見ながら、ゲルダが言う。
「…あ? アンタが?」
人間の弟がまだ生きているという事はこのゲルダという魔女は他の魔女と比べてもかなりの若手なのだろう、弟と比べたその容姿や背丈から察するに魔女化して二十年かそこらだろうか。
こう言ってはなんだが、滅茶苦茶不安だ。とてもじゃないが、高度な治癒魔法が使えるほど利口にも見えない。
「アンタ…本当に治せんのか…?」
疑いの眼差しを向けてくるシェイネに、ゲルダはニンマリと笑って首を縦に降る。
「ゲルダ姉さんに任せなさーい! ついさっき才能に目覚めたのさ!」
不安要素をたっぷり含んだ一言に対してシェイネが「は?」と怪訝な声を上げるよりも先に、ゲルダの両手が傷口に触れる。
「ちょ…! もっと丁寧に…って…あれ?」
「どんどん行くよー!」
アイロンがけでもするかのように、スルスルと両手を傷口へ滑らせて行く、そして触れた後にはまるで最初から何も無かったかのように、跡すら残さず、傷は綺麗さっぱり治っていた。
そして一分もしないうちに全ての数が完治した、なんなら体の悪いところを全て治してもらったかのように体が軽い。
信じられなかった、こんないかにも大雑把そうな小娘にこんな器用な事が出来るなんて。
「失礼な事思ってる! 顔で分かるよ!」
どうやら表情に出ていたようで、シェイネは慌てて「すまん…助かった」と言って頭を下げる。
「ふふん! それにしてもすごいなーこの治癒魔法! なんで急に出来るようになったのかな?」
「俺の粉々になった足すら治しちまうなんてな…今までこんなのやった事無かったのに」
「やった事無いじゃなくて…本当は、本来は、出来るはずのない魔法だったんじゃないの? それ」
不思議そうに手のひらを見つめる姉弟に、エルヴィラが言う。その顔は、先ほどよりなお不機嫌そうだった。
「うん、そもそも習得してないよ、だから本当なら出来るはずないんだけど…弟を治してやりたいという姉の愛の力なのかな!」
「おお、そうだとしたら姉ちゃん、俺は姉ちゃんを生まれて初めて尊敬するかもしれねぇぞ」
「お前マジか」
そんな茶番に付き合ってられなくなったのか、エルヴィラはズンズンとゲルダに向かって歩き出し、そして彼女の腕を掴み上げた。
「アンタ…もしかして『反乱の魔女』の一人を倒す時にこの手で相手の手を握ったりしたか?」
エルヴィラの質問に、ゲルダはキョトンとした表情を浮かべる。
そしてしばし「うーん」と唸った後に何かを思い出したかのようにパチンと指を鳴らした。
「握ったねー、そういえば! どうも手のひらから魔法を放ってたみたいだから、それを抑える為に」
「そのままトドメを刺したと? 手を握ったまま」
「うん、シャーベットにしてやったよ…って、それがどうしたの?」
ゲルダが首を傾げると、エルヴィラはしばらく考え込むように黙った後、「別に」と何事も無かったかのようにそのまま元の位置に戻った。
そして
「アンタがその治癒魔法を使えるようになったのはアレだよ…愛の力、うん、それしか考えられない」
と、ニヤリと小さく笑いながら言った。
「お前、今あからさまに何かをはぐらかしたよな」
まぁ当然すぐに弟にはバレていたが、それ以上エルヴィラがその話題に触れることは無かった。
「あ、あのう」
物陰から一人の少女が現れる。ダメージを受けて倒れていた『幽閉の魔女』ジョーンだった。
彼女もその傷をゲルダに治してもらい、さっき目を覚ましたばかりである。
おどおどとした態度と不安げな目でその場にいる全員を見つめながら、それでも精一杯声を上げてジョーンは言う。
「わ、私達、とりあえず合流できたわけじゃないですか…だ、だからその…あの…念の為に…あの…えっと」
「なんだよ、別に怒らねぇから思った事があるならはっきり言え」
煮え切らないジョーンに、怒らない、と言いながらカイは若干の苛立ちを見せている。
「ひっ…! す、すみません…! じ、自己紹介とか…しておいた方がいいんじゃないかと思いまして…ま、魔女同士ですし…お互いが誰か分かってないと…個人的に不安で…」
ジョーンの提案にカイは「ああ…そうだな」と頷く。
実際名乗り合っておいた方が安心安全だった。『誠実の魔女』アリスは自分の弟子に化けた魔女に敗北した、その原因は無論正体を把握していなかったからである。
親しき仲にも礼儀ありという言葉通り、いくら師弟でも出会ったら名乗り合いを行うべきだったのだ。
例え変装していたとしても、名乗り合いの際は自分の肩書きと名前を偽ることは出来ない、それほどまでに魔女にとっては大切で神聖な行事なのである。
「まぁなんでそこだけ律儀なのかは分かんねぇけど…俺達の安全に関わるなら安いもんだろさっさとやっちまおうぜ」
カイが言うとその場の魔女達はそれぞれ敬礼の姿を取り、名乗り始めた。
「『幽閉の魔女』ジョーン」
「『凍結の魔女』ゲルダ!」
「『鎧の魔女』ジャンヌ」
「『餓狼の魔女』シェイネ」
「『縄張りの魔女』エルヴィラ」
「『凍結の魔女』の弟のカイな、よし、全員本物だな、嘘ついてないよな?」
とりあえず、全員が本物である事は確認できた。いや、カイは魔女ではないので嘘をついてる可能性が無くは無いが、常にゲルダが側にいた事から化けて欺く事は難しいだろうという結論に至った。
どこかギクシャクしていた雰囲気が、少しまとまった気がする。カイは「お前の提案のおかげだな」とジョーンの小さな頭をぐりぐりと撫で回していた。
「んで、これからどうすんだ? ってか後何人ぐらい『反乱の魔女』は残ってるんだ?」
柔軟運動をしながら、シェイネは言う。
しかし、それに対して誰も正確な数字を答える事が出来なかった。ここに来るまでに死体を見たわけでは無いし、他にもここにいないメンバーが倒しているかもしれないからだ。
ゲルダが倒した二人と、シェイネが戦った一人の合わせて三人、これは確定である。
そこで「ああそうだ」と、思いついたようにエルヴィラが言う。
「逆に私達『防衛の魔女』は何人残ってんの?」
これについても詳細は不明…と、なりかけたところでシェイネが「五人だ」と表情を暗くして言う。
「なんで分かんの?」
「さっきまで一緒に行動してた『偽りの魔女』クエットって奴がいたんだ…そいつが言ってた、最初に見せしめに殺された魔女を含めると、私達『防衛の魔女』側の犠牲者は四人だって…んで、さっきそう言ってた本人が死んじまった…だから五人だ」
シェイネが死人の数を告げると、その場に重苦しい空気がのしかかった。言った本人すら暗い顔を浮かべている、ジョーンに至っては顔を青くしてガタガタと震えていた。
それも無理はない、何故ならジョーンは『反乱の魔女』の一人と戦って敗北しているのだ。
ゲルダとカイに助けてもらえなければ、今頃その死人として数えられていただろう。
ともかく現状、彼女達の把握している限りでは、自分達が劣勢にあると仮定して、それを踏まえて作戦を練る事になった。
実際のスコアは同点であり、『防衛の魔女』陣が危惧しているほど劣勢というわけではない。
しかし、この『反転世界』に閉じ込められているという条件がある以上、常に敵の手中に入っているようなものである為、決して優勢というわけにはいかないのだった。
だからといって、卑屈になりすぎるのは良くなかった。
最悪を想定し、様々な事態に対応出来るように考えるのは勿論良いことだ、けれど卑屈になって思いつめてしまうのは悪い結果しか招かない。
今回は全員が思いつめて、その場に固まっていたのがいけなかった。
直後彼女達は思い知る。自分達が『反乱の魔女』について何一つ知らないという事を、思い知らされる。
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エルヴィラとジャンヌがシェイネと合流するほんの数分前、別場所では戦闘が行われていた。
折角だからと殺したアリスに化けているモーガンと、彼女の相棒であるパシパエの二人は、ふらりと現れた『防衛の魔女』の一人と戦闘に入っていた。
「『皮剥の魔女』マリ・ド・サンス」
そう名乗った瞬間、五歳か六歳ぐらいに見える幼い少女の姿をした魔女は、両手に装備しているその身ほどありそうな巨大な鉤爪でモーガンの変装していたアリスの皮をなんの躊躇もなく引き裂いた。
突然の出来事に対応しきれなかったパシパエは、自らの特異魔法『ワン・ラブ・オール』を発動するのも忘れてモーガンを引きずるように逃げ出した。
あの一瞬で感じた禍々しさ、アレは間違いなく呪術の類によるものだろう。不死身の魔女も呪術の手にかかれば間違いなく絶命する。
何より恐ろしかったのは、その呪いを、あの『皮剥の魔女』は全身に纏っていた事だ。
「あ…頭おかしいんじゃないのアイツ⁉︎ あんなもん引っ掻かれただけでも致命傷じゃない!」
モーガンは引き裂かれたアリスの皮を脱ぎ捨て、本来の自分の姿に戻る。
こうなってしまえばどんな変装をしていようと無駄だと分かったからだ。
なんの躊躇もなく、味方の姿をしたモーガンを攻撃してきた。信じられないが、マリ・ド・サンスはこの戦いで敵味方の区別をしてないのだ。
「つーか多分! 他の魔女と違ってあいつだけ全然違う目的でこの戦争に参加してるね!」
パシパエがそう推理したその目的は、先程から追いかけてきているマリがずっと呟いている。
「かわほしいかわちょうらいはがせてはがせてかわかわかわいいわたしにかわはがせて」
壊れたスピーカーのように同じ事をぶつぶつと呟きながら、這い回って追いかけてくる。
先程と違うところがあるとすれば、地を這うその手は、人の手の形ではなくなっていたという事だろうか。
爬虫類のような、鱗の生えた鋭い爪を持った手で地面をかき回す様に進んでいる。
変化はそれだけにとどまらず、マリの体のいたるところから別の生き物の体の一部が飛び出して、その小さな本体を包み込んでいく。
「かわ、わたしに、ちょうだい?」
初めて見る、噂には聞いていた特異魔法。
モーガンとパシパエはそのおぞましさに戦慄した。
どこかで聞いた事があると思っていた『皮剥の魔女』という肩書き。
それを今になって思い出した。
魔女には実は天敵がいる。ソレに体を破壊されれば再生する事なく絶命してしまう。
呪いを振りまくその異形の存在を、人は『魔獣』と呼んだ。
全ての魔女が警戒し、出会ったら恐らく『反乱の魔女』のリーダー的存在であるケリドウェンですら本気で討伐しにかかるであろう存在。
どうしてこんな大事な事を忘れていたのだろう。
これだけはいつまでも警戒しておくべきだったのに。
今自分達を追っている『皮剥の魔女』は、魔女の身でありながら『魔獣化』出来る、最悪にして災厄の存在だった事を。
「かわちょーだい」
災厄が、無差別に攻撃を開始した。




