樹木の魔女
シェイネは由緒正しい武家の長女として生まれた。
格闘術を伝える道場の師範もしていた父を、その父を支える母を尊敬し、自分が少しでもその手伝いが出来たらいいと、幼い頃から体を鍛え、武術を学び、稽古を休んだ事など無かった。
しかし家族は、同い年の子とも遊ばずひたすら稽古を続けるシェイネを見て、少々不憫に思っていた。
何度かシェイネに、たまには休んだらどうか、と提案をしてみたが
「これが今の自分にとって一番やりたい事だから」
と、笑顔で答える娘の姿を見て、両親は少し呆れた。でもそれよりも、自分達を誇りに思ってくれている娘の気持ちが嬉しくて、それ以上止める事はなくなった。
そんなある日、シェイネは自分の体の不思議な変化に気付いた。
今まで難しかった動きがスムーズに出来るようになり、視界が以前よりかなり広くなった。
極め付けは、複数人に囲まれてようとも、全員の動きがなんとなく分かり、全て的確に対処できるようになっていた事だろう。
「きっといままでの努力が実ったんだ!」
もう十五歳にもなるシェイネは、大人っぽくなろうと心がけていたはずなのだが、この時ばかりは子供のようにはしゃいで、喜んだ。
それからはシェイネが積極的に道場に顔を出し、弟子達を鍛えるようになった。
父も自分の実力を認めてくれて、シェイネはずっと思い描いていた願いを叶えることが出来たんだと、これまでに無い充実感を味わっていた。
そんな生活を何年か続けていたある日、一人の弟子が異変に気付き師範に報告した。いや、本当はほぼ全員が気付いていたが、それはあまりにも信じられるような事ではなく、複雑な気持ちになっていたのだ。
シェイネの体がここ数年間全く成長していない。それはつまり、彼女が魔女である事を示していた。
魔女狩りが激化している今の世で、魔女に教わっていた、魔女を道場で匿っていたなどと国に知られれば、全員磔の刑にされかねない。
シェイネは問答無用で勘当された。
仲良くしていたはずの弟子達に「裏切り者」「騙していたのか穢らわしい魔女め」などと罵られながら、生まれた家を、愛すべき家族から、追い出された。
でも彼女は仕方ないと思った、だって自分が魔女なんだから、仕方ないと。
むしろ魔女として異端審問官に突き出されなかっただけ、情けがあった方なのだろうと、無理矢理自分を納得させた。
そこから、シェイネの魔女としての第二の人生が始まった。
遠く離れた地で、貴族の用心棒や飲み屋の店員などをして生計を立てた。
大好きだった父の技で人を守り、大好きだった母の味を思い出しながら作る料理で人々をもてなした。追い出されはしたが、あの頃の愛に嘘はないはず、貰った愛で人々の役に立てていると思ったシェイネは、離れ離れでもやっていけると思えた。
だが、シェイネが思っているより世界は広くない。遠く離れたとはいえ、人の伝える力は強力なものだ。
再びシェイネが故郷を訪れた時、懐かしの我が家は、道場は、潰れる寸前だった。
あれから数百年経っている、今は弟か妹の子供達が師範をしているのだろう、技の質は確かに落ちるかもしれない、とはいえこの衰退の仕方は明らかに異常だった。
道行く人に尋ねたシェイネは、その答えに絶望する。
この道場から出た魔女が、そこで盗んだ技術を使って悪事を働いている。
穢れた魔女と同じ技など教わったら、穢れが移る。
そんないい加減な噂で、家族がこんな目にあっている、と、周囲の人間を恨んだ。しかしすぐにその気持ちは消え去った。
道場から出た魔女、明らかに自分の事だった。
悪事など働いた覚えはない、ただ人の為に技を使っていた。
自分を雇った者の命を狙う者や邪魔する者を追い払う為に。
「あ…いや…ちが…そんなつもりは」
シェイネは自分の過ちに気付く。取り返しのつかない事をしたと気付く。
誰かの為に行う正義は、必ず誰かにとっての悪行になる。そんな事、分かりきった事じゃないか。
分かりきってる事なのに、自己満足で正義と信じきり、そこで技を使っていた。
結果、それを『悪行』と取る側の意見が多く広まり、今に至る。
家族を苦しめたのは他でもない、シェイネ自身だった。
それからシェイネは、まるで死に場所を探すかのように、世界中の戦場や紛争地帯に足を踏み入れ、暴れまわった。
運が良ければ焼き殺してくれるかも、討伐隊が自分を殺しに来るかも。
しかし、またしてもシェイネは失敗する。
誰かの為に行う正義は誰かにとっての悪行になる。もちろん、その逆もあるのだ。
シェイネは戦場で、神と称えられるほどになっていた。
どちらか一方についた覚えなんかない、無差別に殺し回ってただけだ。
だが結果として、それが争いを終わらせる手っ取り早い方法になっていたのだと気付くのに、そうそう時間はかからなかった。
何が何だか分からなくなったシェイネは、この時から考えるのをやめた。
誰の為でもない、自分の為ですらない、意味なんてない、無意味からも見捨てられる、考えれば考えるほど、自分が壊れていくような気がしたから。
そんな時、あの男が声をかけてきた。
「でしたら最後に、家族の為に戦ってみるのはいかがでしょう?」
ベルナールと名乗る男曰く、『最後の魔女狩り』とやらで生き残れば、国防衛の褒美、報酬とさて願いを叶えてくれるんだとか。
止めかけた思考を少しだけ動かして、思い出してみた、愛してくれた家族の事、可愛がった弟子の事、自分の顔なんか知らないだろうけど、今も道場を続けてくれている甥っ子姪っ子。
「そうだな」
シェイネは疲れ切った笑顔を見せて、天を仰ぎながら言った。
「分かりやすい、誰でもする事だ、私は最後に、家族の為に戦ってみよう」
そして願うは、道場の復興。家族に塗られた不名誉な泥を拭えるようにしよう。
誰かの為に戦って、救えたと信じながら、この戦いが終わったら今度こそ死のう。
だからこそ。
「こんなところでこんな奴に負けて死ぬわけにはいかねぇんだよ」
シェイネは己の特異魔法で生み出した狼の使い魔五匹と共に相手を睨む。
「あら…すごい親近感ね…いや、貴女の使い魔の方がカッコいいし…悔しいけどビジュアル的には私の負けね」
しかも相手の狼は五匹、今さっきダイアナの頬を引っ掻いたのはその内の一匹で、まだどこかに隠れているのだろう。
普通に分が悪い、数の暴力だ。
特異魔法であの狼も植物に変えることも出来なくはないが、肉体が無い魔力の塊を苗床にしても長持ちしない。
というかそもそもその為にはこのクエットから作った使い魔樹木を解除、つまり崩壊させなければならなくなる。植物に出来るのは一つだけだ。
キチンと血肉があって実態もある生物を使わないと、ダイアナの『グレイト・フォーレフトベージング』は本領を発揮してくれない。
強力な魔法ほど、その発動までの条件は難しいものである。
(そもそも今あの場にいる狼を全て片付けたって、また新しい狼を作られたら意味ないし)
と、ここでダイアナは思う。
(ん? そういえばあの狼達は何をタネにして作られてるんだろう?)
簡単な使い魔なら魔力だけでも十分その形を作れるが、あんな風に戦闘用に作り上げようとすれば、とてもじゃないが魔力だけでは無理だ。
いや、無理ではない、無理をすれば出来なくもないが、魔力がスッカラカンになって、本体が戦える体力など残らないだろう。
それを複数体作り上げる。どこかにタネがあるはずだ。
「わっ」
シェイネが、電流を纏った拳を振り上げダイアナに襲いかかる。
身を屈め避けるが、直後足を蹴られ体勢を崩してしまう。
しかし完全に体が倒れる前に、樹木の蔓が体に巻きつき、そのまま引っ張ってシェイネから距離を取らせた。
「チッ…邪魔だな」
「もう…考える時間ぐらい欲しいものだわ」
直後、ダイアナの体を支えていた蔓を狼が喰いちぎり、彼女の足がよろよろと地面につく。
その瞬間、五匹の狼とシェイネ自身が一斉に飛びかかった。
息つく間もない攻撃の嵐に、ダイアナも樹木の使い魔と共に応戦する。
喰らい付こうとする狼を蔓で薙ぎ払ったと思えば、その蔓を踏み台に別の狼が飛びかかって来る。
咄嗟に防御魔法で跳ね返したが、次は樹木の蔓がまた喰い千切られている。
しかも厄介な事に、狼は全て電気や風といった属性魔法を身に纏っている。下手に触れば感電かかまいたちのような風に切り裂かれる。
(んん…? もしかしてこれ…)
隙がない、その証拠にダイアナはその素早さに追いつけず、結果その柔らかい腹をシェイネの鋭い爪が切り裂いた。その切り裂かれる痛みに加え、傷口に電流を流し込まれる想像を絶する痛みが全身に重く鋭く響いた。
「いぎゃっ! ああああああああ!」
ごぼっ、と口と腹から血を吐き出させ、それでもダイアナは倒れる事なくその場に踏み止まる止まる事がなく涙が溢れ出し、ブルブルと全身が痙攣している。
なんとか樹木に指示を出そうとしたが、既に落雷でも落とされたのか、樹木はメラメラと炎を上げながら燃えていた。
「ハッ! 一撃でも当たればそうなるさ! 立ってるのが不思議なくらいだぜ」
そのまま容赦無く、ダイアナの両腕両足、そして首に、狼達が噛み付く。ガチガチと音を立てて、狼達は今にもその四肢を噛み砕かんとしている。
しかしそのまま喰い千切ることはしない、シェイネがさせなかった。
「トドメはアタシが刺す、初対面で全然知らない奴だったけど、不意打ちで殺されたクエットの仇だ」
シェイネが両手を振り上げる、ダイアナの心臓を焼き潰そうとそのまま振り下ろそうとした。
だがしかし、そのトドメは振り下ろされること無く、逆にシェイネの体を巨大な木の枝が貫いていた。
「な…がっ⁉︎」
「あああ…もぉっ…! コレだけは嫌だったのに…!」
その枝はダイアナの腹部の傷口から飛び出していた。
苗床は自分自身、いや、正確には飛び出した内臓だろうか。
一瞬にしてその枝は崩壊する、しかし立て続けに鋭い枝がシェイネの体を貫いた。
今度は使い魔の狼達が植物に変えられたのである。
一匹ずつ、首に噛み付いている狼から順番に。
「げほっ…! ああ…もう最悪…! もう今まで生きてきた中で一番の苦痛だったわ…よりによって自分に種植え付けるとか…それに…使い魔を植物にしてもやっぱり長持ちしないわね…」
予想通り、狼から作った植物はシェイネを貫いた後すぐに枯れて消滅してしまった。
だが、シェイネを瀕死にするには十分だった。
「逆転…とまではいかないわね…傷が全然治らない…さっさとグローアに治癒してもらわないと」
ゆっくりと、足を引きずりながらダイアナはシェイネに近付いていく。
種を植え付け、シェイネを新たな使い魔にする為に。
意識が朦朧としながら、シェイネは思う。
まぁこれでいいか、と。
(こんなもんだろ、アタシの人生…どんなにカッコつけたって…自分の行動が仇で失敗する…でも今回はまぁ…こんな強敵に重傷を負わせたって事で…中々頑張ったんじゃねぇ?)
このまま自分がダイアナの使い魔になってしまったら、敵を増やす事になってしまうが、多分他の連中なら上手くやるだろう。
しかし、どうしても心残りがある。こればっかりはまぁいいかで済ます事は出来ない。
(家族には…迷惑しかかけてねぇな…)
目の前には、既に自分を見下ろすダイアナが居た。人差し指と親指で摘んでいる紫色の小さな粒、おそらくアレが種であろう。
「家族に…謝らなねぇとな…」
無意識に言葉になる。遺言でも残したいと思ってしまったのだろうか。
そんな資格どこにも無いというのに。
その言葉はダイアナにも聞こえていたらしく、フンッと嘲笑して「あの世で土下座でもしてきたら?」と蔑みの眼差しをシェイネに送る。
そして、その指をそっと離し、種をシェイネの傷口に落とした。
ものすごく、落ちる動きがスローに見えた、何故かその瞬間、シェイネは体を大きく捻り、その種が自分に落ちるのを回避した。
(…ダメだ)
シェイネはかろうじて動く腕と足を這わせて、地面に顔を擦り付けながら、必死になってダイアナから距離を取ろうとする。
「こんな…ところで…死ねるか…! アタシは…アタシがやるべき事は…キチンとやる…!」
失敗続きの人生で、それでも誇れるところがあるとすれば、任せられたやるべき仕事はキチンとやりきってきた事だ。
今の自分に課せられたやるべき事、自分自身に言い聞かせた責任。
こいつら『反乱の魔女』を倒して、家族が残した道場を復興させる。
これをやり遂げなきゃ、自分は本当に無くなってしまう。
アタシはアタシとして死にたい。
「使い魔になんか…なってやるかよ…お前みたいな奴に…無様に殺されるぐらいなら…蛞蝓みたいに這いずってでも…生き恥晒して生きてやる!」
「あああ! もう! 体動かすのもしんどいってのに…! カッコ悪いのよアンタ! 無様で卑劣でどうしようもなく惨め…! この期に及んで家族の為に生きるだって⁉︎ ほんっと寒いからやめてくれない⁉︎ こんなダラダラした展開見てて聞いててうんざりなのよ!」
だからさっさと、死ね。
ダイアナも足を引きずりながら再びシェイネを追いかける。
お互い重傷とはいえ、それでも立てる分ダイアナの方が体力は残っているようだった。
魔女の治癒力には個人差があるが、ダイアナの方が上だったのだろう、それに加えて、予め何か治癒を早める魔法を施さらていたのかもしれない。
いずれにせよこのままじゃ結果は見えている。
だがシェイネはもう諦めなかった。
あの日絶望と共に死んだ自分を思い出す。
(さっきもアタシは諦めて死んだ…でもまた生きる事を選んだ…二回も死んで、生まれ変わって…何も変わらずまた死ねるか…!)
悪人上等。むしろ悪人になる覚悟もないまま、誰かの為になんて生きれるわけが無い。
シェイネは決意する、覚悟して、必死に手足を動かす。
しかしそれでも、ドラマティックな展開も奇跡も起きず、あっさりと、再び、ダイアナに追いつかれてしまった。
しかも今度は逃げられないように踏みつけられて。
「もう死ね…ズルズルダラダラ生きたいとか…ほんとダサい」
ダイアナの手から再び種が落ちる、その瞬間だった。
シェイネとダイアナの視界が急に暗くなる。一切の光が閉ざされて、真っ暗な闇が二人を包み込んだ。
「ふざけるなよ」
「な…なに…ぎゃあっ⁉︎」
暗闇の中、ダイアナの左腕に鋭い痛みが走る。咄嗟に右腕で押さえようとしたが、何かがおかしい。
「あ…れ? 左腕どこ?」
思考するよりも先に、今度は右腕の感覚が無くなる。そして次の瞬間には左足、最後に右足と、急に消滅したかのように感覚が無くなり、見えないが、多分バランスを崩して、ダイアナは仰向けに倒れた。
「生きたいと必死にもがく彼女のどこが醜い」
闇の中で響く女の声は、ダイアナに対して激しい怒りの感情を含んでいた。
しかし当の本人であるダイアナは、その声の正体を考えるよりも、全く何も見えない中、体をズタズタに斬り刻まれている恐怖に思考が支配されているようだった。
「なに? 何何何⁉︎ やだまってなにもみえないこわいほんとやだやめてまってこわいこわいこわいこいわいこいわいやいやだやめてまっー」
ダイアナの声はそこで途切れる。
シェイネにもなにが起きているかは分からなかった。ただ暗闇の中で、誰かが自分を守ってくれた事だけは理解した。
やがて闇が解け、光が再び世界に戻る。
ゆっくりと目を開けると、そこにはダイアナの頭に剣を突き立てる眼帯をした鎧姿の金髪の女が立っていた。その横には、気だるそうにこちらを見つめる同じく金髪の幼い少女もいる。
「…まだ生きているようだな…間に合って良かった」
鎧の彼女は剣を引き抜き、シェイネの方を見て微笑んだ。
「なージャンヌ、コイツほとんど死んでんじゃん、私達が出しゃばる必要無かったんじゃね?」
金髪の少女が、ダイアナを興味無さげに見下ろしながら言う。
ジャンヌ、その名前にシェイネの思考がはっきりする。
あの大広間で『反乱の魔女』と話し合うなどと言っていたあの魔女だ。
「ん、君は確か」
「が…『餓狼の魔女』シェイネ…だ」
ジャンヌに抱き起こされながら、シェイネは弱々しくそう名乗った。
まさかあの甘い事を言っていた奴に助けられるとは、と少々複雑な気持ちになりながらシェイネは「ありがとう」と礼を言う。
「『鎧の魔女』ジャンヌ、礼などいらないさ、君は家族の為に必死になって戦っていたんだろう? 素晴らしいじゃないか、それを貴様は侮辱した、許される事ではないぞ」
ジャンヌは引き抜いた剣を再びダイアナに向ける。
しかし全く返事は返って来なかった。
「おい、ジャンヌ、これ死んでるわ」
金髪の少女がそう言うと、ジャンヌの険しかった表情が一瞬で曇り、悪戯がバレた子供のように困った表情へと変わる。
「なんだと…それでは私は名乗りもせず不意打ちで殺したと言うのか」
「不意打ちも何も四肢切断してズタズタにしてたじゃん」
「そいつは不意打ちで『偽りの魔女』クエットを殺している…アンタが気にする事じゃねぇよ…因果応報だ」
シェイネが一応フォローのつもりで言うと、ジャンヌはほんの少しだけ表情を和らげた。
「次からは気をつけないとな…ところでエルヴィラ…彼女をどうする、私達の治癒魔法でなんとかなる怪我ではないぞ」
「そうな…まずはじゃあその傷治しに行くか」
金髪の少女はジャンヌとシェイネに手招きする。
「アンタは確か…」
シェイネが言うと、少女は「あ」とうっかり忘れていたように、けれども別にどうでもいい事だと言わんばかりの素っ気ない態度で
「『縄張りの魔女』エルヴィラ」
と名乗った。
ついに他の魔女と合流した『防衛の魔女』チーム、ここからやっと、チーム戦による反撃が開始されようとしていた。
『反乱の魔女』残り蝋燭七本。
『防衛の魔女』残り蝋燭七本。
 




