改変
「また被害が出たとの事です」
深刻な面持ちで、騎士の一人がそう言った。
どうやら近くの村で、騒ぎがあったようだ。
「村人の中に犠牲者はいませんが、家畜が大量に喰い殺されたようです」
騎士の報告を受けながら、彼女は頭を抱えながら詳しい数を聞く。
騎士は冷や汗を一つ垂らしながら、ため息混じり言う。
「三軒分……牛と馬が百頭ずつ、鶏が三百羽…合計五百匹の被害です」
頭が痛くなる話だった。
恐らく、また大量の苦情が騎士団に押し寄せられるだろう。
これからの対応について考えながら、彼女は騎士に、村へ隊を送るように指示を出した。
部屋から彼が出て行くのを確認すると、彼女は机に突っ伏した。
「ああ……もう、また狼が……あれ?」
そこで、ジャンヌは奇妙な違和感を覚えた。
どうしてだろう? 自分はこの光景を、何故か知っている。
「……夢? いや、それにしては……」
それにしては違和感が強過ぎる、というより、なんとも言えない不安が拭えない。いつもと変わらないはずなのに、何かが決定的におかしいという、謎の確信がある。
どこだ、なんだ、何がどうおかしい。
「私は騎士で……団長のジャンヌ……三年前に先代が……先生が戦死してしまって……団長の座が自動的に私に……戦死……なんだっけ? 確か、すごく大きな戦争があったはず…」
おかしい、絶対に変だ。この記憶の曖昧さは、明らかに普通じゃない。
「……なんの戦争だっけ? 先生は……なんで戦ってたんだっけ? えっと……先生は強い騎士で……それから?」
剣術の他に、強力な力を持っていた。その力という部分が、どうしても引っかかる。かなり重要な事のはずだ、それを巡って、色んな争いが起こっていた…気がする。
兵器か? 銃や大砲なんかを超える、強力な兵器。いや、そういう重々しい物では無い、もっと、人知を超えた、超常的な力、そう、例えば
「……魔法? って、あっつ!」
突然、鎧の内側が信じられないほど熱くなった。火を直接肌に押し付けられているような痛みに耐えきれず、ジャンヌは慌てて鎧を脱ぐ。
「……びっくりした……って、なにこれ」
脱いだ鎧を見ると、何やら奇妙な模様が刻み込まれており、そこが真っ赤に光っていた。
模様、というより、何かの紋章、魔法陣のようだ。
「なんなのこれ……こんなのいつの間に」
身に覚えのないソレに、不気味さを覚えたが、しかし、それとは別に、焦りのような、思考を圧迫するような感覚が、頭と胸にこみ上げてくる。
身に覚えの無いはずなのに、自分はこれを良く知っている。見ていると、嬉しいような、悲しいような、色んな感情が溢れて出て止まらなくなり、勝手に涙まで流れ出した。
「……なにこれ……ダメだよ、忘れちゃ……いや、知らないし…知らないわけないのに……知らないって……記憶に無い? 忘れられるの? 最初から知らないのに、どうやって忘れるっていうの……違う違う、急いで、忘れてる場合じゃ無い……何が、起こってる……大変な事が起きてる……みんなを、助けないと……みんなって……誰?」
思考が定まらないまま、ジャンヌはその魔法陣に手を伸ばし、恐る恐る、指先でそっと触れた。
熱い、皮膚が爛れそうなほど。しかし、それ以上の異変が起きた。
「いっ! あああ! あ、た……ま! 割れる……!」
失っていた記憶が、一気に流れ込んでくる。違和感の正体も、溢れ出る感情の正体も、何もかも思い出す。
激しい頭痛が治る頃には、ジャンヌは全力疾走でもした後のように、全身が汗と涙でびっしょりと濡れて、息は切れていた。乱れた髪をかきあげ、ハンカチで顔を拭う。
「はぁ、はぁ……エルヴィラ?」
名前を呟いて、改めて辺りを見回す。何も変わらない、いつもの団長室。それがそもそもおかしい事にようやく気付いた。
「違う……私は……さっきまで、王宮にいたんだ……私達の記憶が操作されてて……エルヴィラ達が、乱心した王と戦って、勝って……私達の記憶は元に戻って……でも国中大変な事になってたから……それで……ゲルダとジョーンさんと……そしたら、急に眠くなって」
ブツブツと、自分に言い聞かせる。必死になって、記憶の確認をする。
これは、正しい記憶か?
現にさっきまで、信じられない事に、魔法の存在すらも忘れていたのだ。最早自分の記憶をはっきりと信じる事が難しくなっている。どこかおかしいかも? と、疑いだしたらキリが無い。
「エルヴィラ……ドールちゃん、ゲルダ、ジョーンさん……ウルにゼノヴィアさん……サッフィ、それから……『七つの魔法』……っ! そうだ! 『七つの魔法』は⁉︎ あの剣は!」
自分の記憶にある、剣の隠し場所を急いで探すが、一本も見当たらない。
「まずい、まずいまずいまずい! 私だ……! 記憶を操作されて…私が知らない間に、私自身が持ち出したんだ……!」
この場所を知っているのは自分だけなのだから。どこにやったのか、誰に渡したのか、皆目見当もつかない。
「知っているのは……自分だけ?」
ジャンヌは、そこで、今更だが、嫌な事に気付いた。
「ジャンヌ〜、あ、ちゃうか、団長〜」
そんな時、突然団長室の扉が開き、よく知る顔の女性が間の抜けた声を出しながら入って来た。
「ぜ、ゼノヴィアさん……?」
「うん、ってどないしたん⁉︎ 汗でベトベトやん! しんどいん⁉︎ なんか病気か⁉︎」
心配そうに「立てる?」と言いながら、ゼノヴィアはジャンヌに手を伸ばす。その手を握りしめ、ジャンヌは、すがるような思いで尋ねた。
「ゼノヴィアさん……エルヴィラ達は……どこですか?」
頼む、頼むから。ジャンヌは、稼働が早くなるのを感じた。目が見開き、唇が震える。
「エルヴィラ?」
ゼノヴィアが答える。
「誰それ?」
心臓が、止まりそうになった。あの時エルヴィラから聞いた現象と同じ。恐らく、国民全ての記憶が、書き換えられている。
「嘘……でしょ……」
ただ一つ、違う事があるとすれば…敵は、乱心した王なんかじゃない。もっと違う、別の敵がいる。
恐らくそいつに、七つの魔法を全て渡してしまっている。
他ならぬ、ジャンヌ自身が。
気付くとジャンヌは、部屋から飛び出し、ありとあらゆる人物にエルヴィラ達の存在を問いただしていた。
しかし、返ってくる答えはただ一つ。
「誰?」
そればかりだった。
あれだけ魔女を恨んでいたマシューですら覚えていない、それどころか、自分が『異端狩り』であった事すら覚えていなかった。ただの農場の主人として、普通に暮らしていた。
「なに……これ」
街を駆け回る中で、気付いた事がある。
「魔女が、いない……」
魔女を見かけない、とか、そんなレベルじゃなくて、そもそも魔女なんて存在しない、そんな感じだった。
「これって……そんなまさか……」
敵の魔法である事は間違い無い。しかし、こんな事があるのか…。
記憶操作なんて、甘っちょろいものじゃない、この違和感、まるで自分がおかしくなったかのようなこの感覚。にわかには信じられないが、恐らく敵の能力は。
「改変能力……世界を、創り変える事が出来る魔法……?」
そう考えないと、説明がつかない。逆に、そう考えた方が、この状況に説明が付く。
魔法そのものが無い世界。何度か試したが、当然のように、女神化も出来ない。引き寄せの魔法すらも使えない。
ジャンヌは、ただの一般人になっていた。
「こんなの……どうしろって言うの……」
正体も分からない上に、防ぎようの無い魔法を持ち、更に七つの魔法を使うと思われる敵に対して、何の力も無くなってしまった無力な自分。圧倒的に、どうする事も出来ない状況に、ジャンヌはただ絶望し、立ち尽くす事しか出来なかった。
「ジャンヌー!」
叫びながら、ゼノヴィアが走ってくる。
「どないしたん……急に飛び出して……びっくりするやんか……」
「すみません……ちょっと気が動転してて」
「そんなレベルや無かったよ……それに、色んな人に聞きまくったんやって? その、エルなんとかいう人を探してるって……ほんまに誰なん?」
「仲間ですよ……大事な」
当然の如く、その存在の正体について問われる度に、胸が締め付けられるように痛む。ゼノヴィアは、エルヴィラをまるで小動物のように可愛がっては痛い目にあっていた、あのやりとりも、全て忘れてしまっている。
「仲間……か、とりあえず、その子の家行ってみたら?」
「あ、その手があったか」
本当に気が動転していたようだ。そんな単純な事、思い付きもしなかったなんて。よく考えてみれば、エルヴィラの残した魔法陣だけ存在しているのも不自然だ。確かに誰の記憶にも残っていないが、その存在自体が消滅しているわけでは無いだろう。
直接会ってみれば、何か変わるかもしれない。
「ゼノヴィアさん、ありがとうございます」
僅かながら希望らしきものが見え、ジャンヌは再び走り出す。
「また走んの⁉︎」
折角追いついたのに! と、背後から悲痛な叫び声が聞こえたが、申し訳ないけどスルーさせてもらった。
「確か村を抜けて、森の奥……の、更に奥」
目的地に向かって一直線に走る。とにかく、なんでもいいから、みんなの記憶を取り戻す手段があると信じて。
恐らくだが、希望がないわけでは無いはずだ。現に、ジャンヌ本人が、記憶を失った状態から元に戻っているのだから。
「多分、改変されたとはいえ、その前の世界のものが完全に消滅するわけじゃないんだ。だから、魔法陣が残ってた……そして、前の世界の残骸に触れれば、記憶を取り戻せる」
そして、その残骸は、恐らく魔法関係なのだろう。前の世界の記憶を取り戻したジャンヌ自身に触れても、ゼノヴィアの記憶は戻らなかった。だから、魔力が関係しているはずだ。この世界では存在しないはずの、魔力。そして、それが残っている可能性があるのは、魔女であるエルヴィラが住んでいた家!
「お願い……! なんでもいい、なんでもいいから!」
人混みをかき分けて走る。しかし、何かにつまずいてしまい、勢い良く転んでしまう。
「いたた……」
「いってぇ……」
つまずいた、というより、誰かに足を引っ掛けられたような感じだったが、この人混みだ、仕方ないだろう。むしろ、自分が足を踏んでしまった可能性だってある。
「ご、ごめんなさい! 私急いでて……」
自分と同じく、背後で転んでしまった相手に、ジャンヌは慌てて謝罪する。
「…………」
しかし、相手から返事は無い。もしかして相当怒っているのだろうか。
そう思って顔を上げたジャンヌは、相手の顔を見て、驚愕を隠せなかった。
可愛らしい顔立ちなのに、鋭い目付きをした、綺麗な金髪の少女。その風貌を、ジャンヌは良く知っている。
今、誰よりも会いたかった。
「エ、エルヴィラ……!」
探し求めていた、彼女だった。
「……エルヴィラ、私……貴女を探してて」
「…………」
しかし、エルヴィラは、不思議そうにジャンヌの顔を見て、ぷくっと頬を膨らました。
「おねえさん! きをつけないとだめだよ!」
「……え?」
聞き覚えのある声で、全く聞き慣れない口調で、彼女はスカートの汚れをはたき落としながら言った。
「こんなにひとがいるのに、はしったらあぶないでしょ!」
「あ、ご、ごめんね……っていうか、え、あの、エルヴィラ? 私……ジャンヌだよ?」
「……? さっきからエルヴィラって……だれのことなの? わたしはエリーっていうんだよ!」
一気に、絶望が押し寄せた。
姿は、いつものエルヴィラだ。髪型も顔も服装も、何もかもエルヴィラなのに。
中身がまるで違う。全くの別人だ。年相応の、十歳前後の女の子だった。
「……もう……やめてよぉ……」
涙が溢れて止まらない。よりによって、彼女の記憶を奪われている。
「どうしたのおねえさん! そんなにいたかったの! ごめんね! わたしもいいすぎたよ! だ、だからなかないで!」
エルヴィラの姿をした少女は、心配そうにジャンヌに言う。
違う、違う違う。
「違うよ……エルヴィラは……そんな事言わない……」
「え、う、うん……わたしエルヴィラじゃないよ? エリーっていうの」
「違うよ! 貴女はエルヴィラなの! なんで……こんな事に……!」
ジャンヌは、顔を抑えて、人目も気にせず蹲った。もう、何をする気力も残っていない。
「おねえさん? どうしたの、おねえさん……おなかいたい? だいじょうぶ?」
そんなジャンヌの肩に手を置いて、少女は言う。
「違う……エルヴィラはこんなんじゃない……こんなの違う、違う」
もう何も頭に入ってこないジャンヌは、譫言をぶつぶつと呟くだけで、少女に何の反応も返さない。
「おねえさん……だいじょうぶ、だいじょうぶ」
少女はジャンヌの頭を撫でて、耳元で何度も優しく、だいじょうぶ、と囁き続けた。
「だいじょうぶ……だいじょうぶ……忘れ形見」
「……え」
舌足らずな少女の声が一転し、はっきりと、聞き覚えのある声に変わった。
相変わらずいい子いい子するように撫で続けてはいるが、少女の雰囲気はガラリと変わっている。
「エ、エルヴィ」
「派手なアクション起こすんじゃねぇ」
思わず上げようとした頭を押さえ込まれ、無理やり地面に押しつけられる。
「……エルヴィラ」
「……声も抑えろ……とにかく目立つなアホ」
何が何だか分からないが、とにかくジャンヌは指示に従った。
「エルヴィラ……どういう」
「おねえさん! わたしのいえでやすむといいよ! こっちこっち!」
再び少女モードになったエルヴィラは、ジャンヌの声を遮って言う。そして、無理やり腕を掴んで、ぐいぐいと引っ張ると、見慣れない家の中に引き摺り込んだ。
何かを警戒するように、辺りを見回してから、エルヴィラは玄関の扉を閉めて、そしてジャンヌの脛を思いっきり蹴った。
「いったぁぁぁぁい!」
「バカかお前は! 何当たり前のように私と同じ失敗してんだ!」
「何の事か分からないけど! いきなり蹴ること無いでしょ!」
「それぐらいの事してんだよ! 全員の記憶がおかしいって気付いた時点で、自分もソレに合わせるぐらいしろ! 敵が正体不明なら尚更だろうが! ったく……人目も気にせずピーピー泣きやがって」
「なっ! しょ、しょうがないでしょ! ……本当に……怖かったんだから……!」
そう言って、その場にペタリと座り込む。
「良かった……! エルヴィラ……いつも通りだ……!」
「おーおー、安心してくれるのは構わないけどよ、全然状況は良くねぇんだぜ?」
エルヴィラはジャンヌの頭を小突いて、奥を指差す。
「とりあえず来い、作戦会議だ」
「う、うん……」
言われるがまま、ジャンヌは奥へと進んでいく。
暗い廊下の突き当たりに、光が漏れる扉があった。
「……エルヴィラ?」
「……いいか、お前が思ってる以上に、状況は最悪だ。私達史上最悪と言ってもいい……」
エルヴィラは、その扉のドアノブを握りながら言う。
「だが、私達でどうにかするしかねぇ……ま、でも、考えてみりゃいつもの事だ。お前は、いつも通り私を信じて行動しろ、私もお前を信じる」
そう言って、扉を開ける。
その先は、ただの部屋だった。真ん中にテーブルが一つ、椅子が二つあるだけの、ただの部屋だった。
しかし、何故かカーテンは締め切られていて、灯りはテーブルの真ん中に立てられたランプだけだった。
「……あの、エルヴィラ? ここは?」
「……元、お菓子の家だ」
「……は?」
ため息混じりに、エルヴィラは言う。
「私達だけなんだよ」
「な、何が?」
「だからぁ!」
エルヴィラは椅子にドカッと座って、不機嫌そうに言う。
「私達だけなんだよ! 改変される前の世界の記憶を持ってるのは! マジで私達だけで何とかするしかねぇっ!」
「……え、えええええええええええ⁉︎」
とりあえず作戦会議だ、と、エルヴィラはジャンヌに座るよう促す。
確かに、思ってるよりも、状況は良く無かった。
それでも、仲間がいると言うだけで、ジャンヌは安心出来ていた。
この時点で、ジャンヌは、エルヴィラと一緒なら何とかなると、信じていたから。
しかし、エルヴィラの言う良くない状況というのは、ジャンヌの思っている更に上をいくものである事を、この後思い知る事になるのだった。




