破壊の魔女
ゲルダとカイは十五も歳の離れた腹違いの姉弟である。しかし両方の母親は既にいない。
その複雑な家庭の事情に加え、父親は一日中酒に酔い、姉であるゲルダに暴力を振るう。
周りの人間はわかった上でそれを無視する。
知らないのではなく、知らないフリをする。
幼くしてカイはこの世の中の何もかもが信じられなくなっていた。
五歳で彼は、自分の父親がロクでもない人間だということに気付いた。ゲルダが庇ってくれなければ、自分も意味のない殴る蹴るなどの暴行を受けていただろう。
酒が無くなったから、灰皿が近くに無かったから、自分の陰口が聞こえたから、何かある度に父親は子供に手をあげる。
理由はあったが、それらは全部、意味のない八つ当たりだった。
その暴力がカイに向く度に、ゲルダは必死になって身を晒し、弟を庇った。
「カイはまだ小さいから」「私ならもう大きくて丈夫だから」「そんな事してるから陰口言われるんだよ」「カイはやめてあげてよ」「私がカイの分まで受けるから」
そう言ってゲルダは父親の暴力をそのか弱い身体全てで受け止めていた。
吐きそうなほど父親を憎んで、泣き叫びながら姉を何度も呼んだ。
辛くて苦しくて情けなくて悔しくて、体への傷はゲルダより少なかったが、カイの精神は確実に壊れていった。
十歳になって、カイは森に狩りに出かけるようになった。
酒のツマミに兎や猪の肉を獲ってくるとある程度父親の機嫌が良くなることを学んだからである。
獲物から得た肉を取り分けて、町で売れば金になる事も覚え、稼いだ金で酒も買い、ひたすら父親の機嫌を取り続けた。
こみ上げる吐き気と殺意を必死に抑えながら、自分を庇ってくれた姉の為にカイはひたすら頑張った。
その甲斐あって、父の暴力もそれまでよりかなり減って、ゲルダとカイの体の傷も徐々に減っていった。
その時、ゲルダの包帯を変えようとしたカイは何か違和感を覚えたのだが、狩りと父親の相手で疲れていたカイは気のせいだと、特に気にすることは無かった。
それが自分達の運命を変える異変だとも知らずに。
そして十五歳になった頃、カイは父親を殺した。
狩りで生計を立てていたが、冬には獲物が全く取れず、貯金も減り、どうしたものかと考えていた時、あろうことかその異変に父親が気付いてしまった。
カイは、その年相応にたくましく締まった体になっているのに対し、もう三十にもなるゲルダの体はまるで成長しておらず、わずかな丸みを帯びただけの少女の姿をしていたのだ。
ゲルダは魔女になっていた。
金に困っていた父親は、親とは思えないとんでも無いことを思いつく。
秋のうちに蒔いていた種から育った野菜を町に売りに出たカイが家に帰ると、父親が大金を手にしながら大量の酒を浴びるように飲んでいた。
「父さん…姉ちゃんは?」
ゲルダは、売られていた。
父親は、いや、もうカイの目に、その男は父として映っていなかった。
いままでに見たことも無いぐらい満面の笑みを浮かべながら自分の娘を金に変えた事を語るその男は、気付けば顔面に大穴を開けて床に倒れていた。
奥歯をガチガチと鳴らし、瞬きも忘れるほど目を見開きながら、カイは広い街の中を探し回った。
自分の身を犠牲にしてでも守ってくれた姉。
辛い日を、共に泣き、共に笑って話し合ってくれた姉。
母親なんか全然知らないけど、きっと、姉がくれたあの愛が、母の愛なんだろう。
そんな姉が、大事な人が、知らない男どもにその体を弄ばれている。
それを想像しただけで、信じられないほどの吐き気が込み上げてくる。
「う、おおええ!」
頼むから、頼むから頼むから頼むから。
もうそれ以上誰かの為に傷付くのはやめてくれ。
お前のしている事は間違っている。
そしてカイは姉を見つけた。地下の小汚い見世物小屋のような場所で、ぐったりと倒れる姉を見つけた。その足は腱をズタズタに切られ、硬く冷たい鎖で繋がれている。
カイの願いは虚しく崩れ、姉は既に何人もの相手をした後だったようだ。
カイは持っていたマスケット銃で足に繋がれた鎖を撃ち砕き、ゲルダを背負いその場を離れた。
「姉ちゃんは間違ってる」
朦朧としながらも意識を取り戻した姉に対し、ありがとうよりも、ごめんなさいよりも、まず最初にそんな言葉をかけた自分の口を撃ち抜きたくなった。
でも伝えなければならなかった。
「姉ちゃんがその身を犠牲にしたって、姉ちゃんを大切に想ってる奴は何の得もしねぇんだよ、頼むから姉ちゃん、姉ちゃんや俺たちを私服を肥やす為の道具としか思ってねぇクズの為に死ぬより」
カイは、情けなく涙を溢れさせながら、震える声で、それでもキチンと伝えた。
「姉ちゃんと幸せになりたいって想ってる奴の為に生きてくれ」
ありふれた、何の捻りもないチープな言葉だったが、少年カイの本当の気持ちだった。
ずっと守ってくれて、感謝はしていた、でも、だからと言って姉が傷付くのを望んでなんかいない。
犠牲になるなんて状況は普通じゃないんだって、自分達が痛い思いをする必要なんかどこにもないんだって、ずっとそう思っていた。
ゲルダは少し顔を俯けて、それからいつものような明るい笑顔を弟に見せ、その頭をそっと撫でながら「ありがとう」と呟いた。
「ねぇカイ?」
「なんだよ」
「お父さんは私を売ってお金に変えようとしたんだよね」
「そうだよ」
そっか、とゲルダは夜空を見上げながら、少し悲しそうに笑って言った。
「実の娘を売ってまで手に入れたかったお金って…そんなに素敵なものなのかな?」
カイは、父親だった男の顔を思い出しながら
「さぁな」
と言った。
「じゃあさ! その素敵なお金をこれから私達でたくさん集めようよ!」
「はぁ?」
「私達は幸せになるんでしょ? 幸せな暮らしに、素敵なものはたくさん必要だよ!」
無邪気な笑顔の姉を見て、カイは心底安心した。
自分の知ってる姉はちゃんと生きてる、いま自分の背中で、笑って将来の事を話してる。
お互いが、生きる理由になった。
だからこそ、カイは魔女狩りの狩人となった。
今度こそ姉ちゃんを傷つけさせやしない。他の狩人がゲルダを標的にしないように、カイはひたすら他の魔女を狩り続けた。
(つって、狩ったと言っても、姉ちゃんと組んだ出来試合だったけどなー)
ゲルダの魔法で作った偽魔女を狩り、その間に本当の討伐対象には逃げてもらう。
自分達のための犠牲なんていらないという、姉からの提案だった。
「だが」
カイはマスケット銃をもう一丁取り出して、ランダに向ける。
「お前みたいに正義の為だっつって平気で人も他の魔女も犠牲にするような悪魔女は、遠慮なく狩らせてもらうけどな」
ランダは再度ゲルダとカイを交互に見ながら小さく舌打ちする。
流石に予想外だ、一番若く、力の弱いと思っていた魔女が、まさか特異魔法を二つも持つイレギュラーだったとは。
完全に想定外、そんなイカれた魔女、自分達の組織のリーダーぐらいだと思っていたのに。
「カイー! なーんでチクんのさ!」
「別にいいだろ、もうバレてただろうし…それにバレたところで、どうしようもねぇよ」
まぁ確かに、とゲルダは頷いて、再び冷気を放ち始める。
「それじゃあ私もついでに教えよっかな? この私『凍結の魔女』の魔法『氷牙鬼』は冷気…つか、氷を自在に操れる特異魔法、それから弟の銃にかけてるのは『撃ちっぱなし』っていう無限弾の魔法、氷で動きを止めてから弟がその身を撃ち砕く! 私達姉弟の無敵コンボに勝てる奴なんて一人もいないのさ!」
「誰もそこまでバラしていいなんて言ってねーよ!」
まさか全部喋られるとは思わなかった、堂々と胸を張って語るゲルダに敵であるはずのランダも引いている。
(まぁ確かに…喋ったところで大して状況は変わらねぇな)
カイの持つ銃が普通でないと分かったなら、それ相応に対処はしてくるだろう。遅かれ早かれバレたのに変わりはないだろう。
ん、いや、そういえば。
「俺たちにもまぁ秘密はあった、けど俺たちだけじゃねぇよな? 『反乱の魔女』もとい『破壊の魔女』ランダ、お前にもなんか秘密があんだろ?」
「はぁ?」
カイの問いにランダはあからさまに不機嫌になる。
自分の再生した手をプラプラと振り、赤く光らせてから
「当たり前じゃない」
と言ってカイに向かって突っ込んでいく。
再び戦闘が開始された。
怖気付くことも無く、カイは冷静に向かってくるランダに向けて発砲する。一つ増えた分、威力も数も二倍になっていた。
しかしランダも全く動じず、しかも避けようともせず、腕を自分の顔の前に突き出して、防御の体制をとった。
破壊の赤い光が、ランダの両腕を覆っている。
腕に命中した弾丸は貫通する事なくそのまま粉々になって破壊された。
周りの瓦礫を蹴飛ばしながら近付いて、そのままランダの手が、カイの顔を掴もうと伸びる、しかし弾丸では無い氷柱の強襲に再びランダは跳び退いてカイから距離を開ける。
「姉ちゃんの氷を避けるって事は、やっぱ当たるとまずいんだろうな」
「いや、痛いのが嫌なだけだけど?」
そう言ってランダは瓦礫をいくつか掴み、ゲルダに向かって放り投げる。
「仕返し」
幼児のような動機に加え幼稚な攻撃だとゲルダは思った、しかしカイが声を荒げて「避けろ姉ちゃん! 何か変だ!」と言った。
カイはその瓦礫がわずかに赤く光ったのを見逃さなかった。
その忠告通り、ゲルダは慌ててその瓦礫を避ける、そしてその瓦礫が地面に落ちた瞬間。
その周囲が爆散した。小さな瓦礫の狭い周辺のことだったが、まるで爆竹が破裂するかのように音を立てながら地面を抉っていた。
「チッ、勘のいいやつ…ってほどでも無いか…『時間差破壊』を今初めて使ったと思い込んでる辺りね」
突然、カイの足元にあった瓦礫が爆発した。
「なっ! しまっ」
それに巻き込まれて、カイの両足は無残に爆散し破壊された。
「カイっ!」
驚愕の声を小さく上げながらも、ゲルダは咄嗟にカイの両足の傷口に氷結晶を飛ばし、止血する。そのまま飛び出すようにカイの前に立ち、ランダと対峙した。
「弟の足、ダメになったわね。もう使えないわよソイツ、さぁどうすんの?」
見下すようにそう言って、ランダはジリジリとその距離を詰めていく。
「だったら私はお前の生命活動そのものをダメにしてやるよ」
そう言ってゲルダは小さな氷の礫をランダに向かって、だけでなく、周囲に拡散させ撒き散らした。
「やけっぱちになってんじゃないわよ、擦りもしないわそんなちゃちい魔法」
ランダはやはり軽々とそれを避けて、再びその手に光を灯す。今までよりも強く濃く、赤は真紅へと変わっていく。
その殺気と魔力を見て、トドメを刺しにくるんだとゲルダは察した。
察して、だからこそ、先にやるべき事があった。
「私が本当に氷をばら撒いただけだと思ってんの、私だってねぇ…作戦ぐらいたてるんだよ!」
氷を自在操る魔法、それは何も氷をどこからでも発生させられるだけというわけではない。
既にある氷を、さらに変化させる事だって出来る、それこそが氷を操るということなのだから。
だから、ばら撒いた全ての礫が、巨大な氷柱にする事だって十分に可能なのだ。
それまで攻撃に使った全ての氷が一気に天へと伸びていく。その先端は鋭く、まるで落とし穴に仕掛ける竹槍のようになっていた。
「ぐふっ!」
その全てを避けられるわけもなく、ランダは無数の氷柱に突き刺され、上へと持ち上げられる。
腕や腹や足を貫き、天井に磔にされた。
「が…でもね…これがなんなのよ? 確かに痛くて冷たいけど…たかだかこの程度の傷…すぐに」
言いかけて、ランダは気付く。自分が置かれた状況が、予想以上にまずいものだということに。
「刺されっぱなしはまずいでしょ? 刺されっぱなしは」
ゲルダが得意げにそう言って、磔にされたランダを見上げる。
ランダは顔を強張らせ、必死に手で氷を破壊しようともがいていた。
「そのまま傷が塞がったらまずいもんね、仲間に助けを求める事すら出来ない!」
「!」
ゲルダはそのまま巨大な氷柱で天井を突き破り、その先に氷の礫を大量に発射する。
それらは全て、その先に居たもう一人の魔女に命中した。
「カイは気付いてなかったみたいだけど、私はずっと気付いてたから、なんたって見えるからね、氷晶玉で占い師みたいに」
この周辺を探って居た時、正確に言えばジョーンが突っ込んできた時、偶然にも氷晶玉に映った影はジョーンを除けば『二人』だった。
ランダが派手に暴れたせいで途中完全に忘れていたが、異常なランダの再生力を見て、第三者の介入を思いつき、そしてその記憶にたどり着いたゲルダは真っ先にその『支援魔女』の討伐を考えた。
だからと言って、ランダは放置しておいていい実力の魔女ではない。彼女と戦いながら、第三者の討伐の準備をする。
その為に必要以上に氷を飛ばして居たのだ。
ゲルダは素早く宙に浮かぶ氷の階段を作って駆け上がり、ランダと同じく串刺しにされた魔女の元に向かう。
そこには苦悶の表情を浮かべる少女がいた。
「アンタが支援魔女? なるほど、回復魔法の所為だったのか…粉々になった胴体すら治すなんてとんでもない治癒魔法を超えた治癒魔法だな…うん、あの女倒すに邪魔だからとりあえず…死んで?」
「ひぃっ…! ちょ…まっ!」
「『凍結の魔女』ゲルダ」
そのままゲルダは支援魔女の両手を握り、次の瞬間には相手を氷漬けにしていた。
究極の停止状態にされた彼女は重力に為すすべもなく引っ張られ、硬い地面に激突し粉々になった。
ただの氷ではなく、魔力による攻撃だったので、その後彼女が二度と再生する事は無かった。
「そんな…! グローア!」
粉々になった仲間の名前を叫んだが、その視界に映ったのはゲルダの顔だった。
氷のように冷たい目で、ランダの死を願っている。
「あ、凍った両手握りっぱなしだった」
適当な瓦礫に打ち付けてその両手も粉々にし、そのままランダの顔を掴む。
「流石にアンタの手は危なそうだからね…アンタ散々弟の顔破壊したがってたじゃん? 同じ事してあげるよ」
最後の声すらあげる間も無く、次の瞬間にはランダの全身は凍りついていて、ピクリとも動かない。しかし天井に磔にしていた氷と融合してしまったので、自重で落ちる事も出来ないようだった。
「困ったな…トドメが」
ゲルダが石でもぶつけようかと思うより先に、無数の弾丸がランダの身体を粉々に砕いた。
振り返れば、上半身だけ起こした弟が銃を構えている。
「ザマァ見ろ…てめえが粉々に破壊されてやんの」
不敵に笑うカイを見て、ゲルダはホッと胸を撫で下ろす。
こんなところで死ぬわけにはいかない。
弟と約束した、生きていくと。
姉弟は互いの生存を喜び、笑顔を向けあった。
しかしたった二人倒しただけである。スコアが同点に戻っただけである。
『反乱の魔女』はまだ八人も残っているのである。
まだまだ安堵するには早い状況だ。
それでも姉弟は今生きている事を喜び合うのだった。
今を生きるその姿は誰よりも人間らしく、何よりも正しい事だと二人は信じた。
『反乱の魔女』残り蝋燭八本。
『防衛の魔女』残り蝋燭八本。




