姉弟
二人組でチームを組んでいる魔女は既にこの反転世界にいくつか存在していた。
まずエルヴィラとジャンヌチーム。二人とも今日が初対面であるが、お互いに最低限の魔法の特徴を伝え合い、いつでも戦闘できるようにしている。
数々の戦場に傭兵として雇われ、その成果を残してきた百戦錬磨の魔女ジャンヌと、既に一人『反乱の魔女』を倒しているエルヴィラというかなりパワーバランスの偏ったチームではあるが、全員が離散してしまった現状では全く問題ないと言えるだろう。
そしてもう一つはアリスとペトロのように身内の二人組。『凍結の魔女』ゲルダとその弟のカイだ。
現在この二人は飲食店に避難していた。
「ねぇねぇ見てよカイ! めっちゃ肉が置いてある! しばらく食べてないよね!」
「そういうのむやみに食うなよ? 別世界のもの食うと元の世界に戻れなくなるって聞いたことあるぞ」
窓から外の様子を伺いながら、厨房の肉にはしゃぐゲルダにカイは忠告する。
ゲルダは不満そうに頬を膨らませながら肉の塊をつついている。
その姿はまさに幼い少女そのもので、二つに結ったおさげが幼さを引き立てている。
そんなゲルダの様子をチラリと見て、もっと姉らしくしてほしいものだとカイは思う。
見た目こそまだ十代半ばほどだが、ゲルダの年齢は既に四十を超えている。
魔女ゆえに肉体は成長しないとはいえ、もっと大人しく、もとい大人らしくしてほしいものだ。
(他の魔女みてぇに百歳超えたらもうなんともないんだろうけど…四十っていうリアルな数字だとキツイよなぁ)
カイのそんな思いを知ってか知らずかゲルダは棚に仕舞ってあった箸と皿で皿回しをして遊び始めていた。
「まぁまぁカイ、ちょっと落ち着きなってば、ここがどういう場所でどういう状況なのかは魔女であるお姉ちゃんが一番よく分かってるからさ」
「そういう態度には見えねえから心配なんだよ」
ゲルダは指先をくるくると回し出す。するとその指先に冷気が溜まっていき、氷で出来た拳大の球体が現れた。
半透明なその球体の中には、占い師が使う水晶玉のように、外の様子がぼんやりと映し出されていた。
「この近辺に『反乱の魔女』勢はいないみたいだぜぃ…ってか味方もいない…孤立状態ってやつ?」
「俺らチームとしては孤立状態だが…孤独でないだけマシだな、俺には姉ちゃんがそばにいてくれて良かったよマジで」
こんな魔女だらけの戦場で、人間の自分一人だけだったらもう既に死体として転がっているだろう。姉が魔女でこれほど助かった事は無い、という意味だったのだが。ゲルダは何故か顔を真っ赤にしていた。
「お前何急に姉を口説いてんの、お姉ちゃんカイは弟としか見れないなー」
「気持ち悪りぃ勘違いすんな! おさげ引き抜くぞ!」
ゲラゲラと笑いながらゲルダはカイのそばまで駆け寄る。
「とりあえずさ、こっから出て最初の場所まで戻ってみようよ、なんか変わってるかもしれないし…それに私のお気に入りの帽子を焼いてくれちゃった魔女にも会えるかもしれないしね」
巨大な炎から逃げる際、ゲルダは帽子をうっかり落としてしまい、焼失されていた。彼女にとってあの帽子は思い出深い代物だったので、こう見えて今現在ゲルダはかなりショックを受けている。
「最初の場所…つまりはあの大広間に戻るって案には賛成なんだが…その前に姉ちゃん、誰かと合流しとかないか?」
カイの提案に、ゲルダは怪訝な顔を浮かべる。
「合流って…今私達が一番あの王宮に近いところにいるんだよ? そりゃ他の『防衛の魔女』とも組めたら強いだろうけど…その為には一旦ここからも王宮からも離れないといけないわけじゃん? この反転世界の出口から離れるっていうのがお姉ちゃん一番避けたいんだけどな」
ゲルダが言うと、カイは「そりゃそうだな」と呟いてから、顎に手を当て深く考え込んでしまった。
勝利条件は蝋燭の火を全て消す事、つまり敵の全滅にある。だったらこんな所でいつまでも引きこもっているわけにはいかない。
しかし、だからと言ってなんの策もなく迂闊に外に出て行くのもかなりリスキーだ。
敵は自分たちと違って最初からチーム。いくつかの作戦を用意していて、実際既に実行しているはずだ。
そんな状況を予想できていながら、それでもその罠の中に突っ込んで行くなんて、なんとも愚かな自殺行為だろう。
「だったらよー、待ち伏せなんてどうだ?」
「ここで? 引きこもってるのと何が違うのさ」
カイはゲルダの氷の結晶を指差しながら言う。
「姉ちゃんの使い魔を使ってわざと『反乱の魔女』どもをここまで誘き出す、のこのこ釣られてきたやつをここで迎撃する」
「悪くはないけど不安要素がでかいな、逆に言えば私達は最初から追い詰められてるのと変わらないし、それにこんな狭い場所だとカイは確実に私の魔法の巻き添え食らうよ?」
「そりゃあそうだろうな、だから、別に俺たち自身がわざわざ戦わなくてもいいようにするんだよ」
カイはゲルダの頭にポンっと手を置いて、不敵な笑みを浮かべながら言う。
「この建物を攻撃できる要塞に変えちまえばいいんだよ、姉ちゃんの魔法でな」
「なるほど」と、ゲルダはパチンと指を鳴らす。彼女の特異魔法があれば、この建物を要塞に変えることなど容易い事だ。
早速要塞化を始めようと、魔力を込め始めるゲルダ。
しかし、あれこれ考えていたけれど、その必要は無くなってしまった。
要塞に変える事もなく、おびき寄せる必要も無くなったのだ。
結論から言えば、店に狙い通り魔女が来た。しかも三人。
なんとそのうち一人は味方であったが、しかし彼女は、来た、と言うよりも突っ込んで来た、と言う方が正しいだろう。
建物の壁を突き破って、彼女、『幽閉の魔女』ジョーンは転がり込んで来た。
「うおああ⁉︎」
叫び声をあげ咄嗟にゲルダは避けたが、その後ろでカイはジョーンをしっかりキャッチする。
確か檻を背負っていたはずだが、今は何も持っていない小柄な魔女、受け止めるぐらい容易かった。
「って…問題はそこじゃねぇな…!」
カイは崩壊した壁の向こうを睨みつける。
煌々と両手を輝かせる赤髪の魔女。明らかに、危険そうな雰囲気を出していた。
「『破壊の魔女』ランダ」
ランダはそう名乗ると、カイとゲルダを交互に見る。そして、ため息を一つ吐いてから「あのさぁ」と気だるそうに言う。
「ちょっと勘弁してよね…魔女の気配がしたから何かと思えば…アンタってアレよね? 人間の弟と一緒に参加したとか言う新米魔女…なーんで私ばっかりこんな雑魚の片付けしないといけないのかなー」
「雑魚かどうかはともかく、三対一だぜ? 余裕ぶっこいてる場合なのかよ『破壊の魔女』」
カイが言うと、ランダは元々不機嫌そうな顔をさらに険しくする。そこには人間に対する強い怒りや憎しみといった負の感情が込められているようだった。
「人間…特に男って見てるだけで本当に胸糞悪くなるわ、気安く話しかけないでくれる? 大体アンタそんなボロボロの魔女も戦力に入れるわけ?」
ランダの言うボロボロの魔女とは言うまでもなくジョーンの事であった。
確かに、呼吸は乱れ、あちこち傷だらけではあるが、魔女であればこの程度の傷どうって事ないだろう。
実際、姉であるゲルダは擦り傷や切り傷程度なら一分ほどで回復してしまうほどだ。個人差はあるんだろうが、これぐらいなら…。
「…あん?」
そう思っていたが、しかし、どうやら思い通りにはならなかったようである。
ジョーンの傷が一向に回復する気配が無い。
いやむしろ、徐々に体力を奪われているようだった。
「カイ、早くあいつ倒そう」
ゲルダが二人を庇うように前に出て、敵を見据えたままそう言った。
いつものおどけた調子ではなく、真剣な眼差しと声色で、周囲に冷気を放っている。
「言われなくてもやるけどよー、その前に姉ちゃん、この魔女どうすんだよ」
カイは抱えたままのジョーンを見たまま言う。このままではまず回復しない、どころか放っておけば死んでしまうかもしれない。
だからと言って、戦えない魔女を庇いながらは上手く戦えない。はっきり言って普通に足手まといだ。
(でも動けないんじゃ狙われた時逃げれないだろ…でもだからと言って)
「カイ!」
ゲルダの声が聞こえたのと同時に、カイの体は背後の壁に向かって突き飛ばされた。
驚きながらも状況を確認すると、どうやらランダが仕掛けてきたらしい、先ほどまでカイの頭があった場所では、ランダの赤い手のひらが空間を切っていた。
あと少し遅かったなら、カイの頭部は爆散していただろう。
「ボーッとしてんなよカイ! 何見惚れてんのさ! その子お前より大分歳上の言わばロリバ」
「やめて差し上げろ」
ゲルダのあまりに心無い言葉を強制的に遮断させ、カイはやれやれと諦めたかのようにジョーンを壁にもたれかからせる。
「悪りぃけど、アンタを守りながら戦えるほど器用じゃない、だからその時の覚悟はしといてくれ」
まぁでも
「「負ける気は無いけどな」」
姉弟は声を合わせてそう言った。
「『凍結の魔女』ゲルダ」
ゲルダがそう名乗った瞬間、何もなかった空間から突然槍のように尖った氷柱が大量に現れ、それらが全てにランダに向く。まるで標準を合わせるように。
そして一斉に発射された。
しかしランダは焦る事なく、素早い身のこなしでその投擲を躱していく。避けきれない分は得意の特異魔法『バッド・クラフト』で破壊しつつ、徐々に距離を詰めていく。
狙いはどうやらカイと弱ったジョーンのようだ。
しかし、カイも全く焦る事なく「姉ちゃんナイスフォロー」などと言って既にマスケット銃を構えていた。
ゲルダの攻撃は弟の射線にランダを誘き出す事だったようだ。
(え? それだけ?)
ランダが姉と弟の役割を丁寧に考えて出た率直な感想がコレだった。意外性もなく、特異性もなく、工夫も趣向も無い。
ただただチープで、安直で、お猿さんでも思いつくであろう、間違っても国の防衛を任された魔女と狩人が思いついたとしてもまずやらないであろう、可哀想になるぐらい味方にも敵にも分かりやすくて優しい作戦。
(ああ…本当につまらない)
ランダは心底幻滅して、再度諦めたように大きなため息を一つ吐いてから一気に距離を詰め始めた。
バンッと乾いた音が鳴る。
何も言わずにカイが発砲したのだ。
狙いはランダの眉間。とても正確だった。
とても正確過ぎて、ランダがその軌道を簡単に読めてしまうほど、読めたが故に、払うように手のひらをかざしてその弾丸を破壊できてしまうほどに、その一発は単純で単調なものだった。
ただし、その一発だけであるが。
「あ」
気付いた時にはランダの身体は後方へ吹き飛ばされ、再び屋外へと投げ出されていた。
仰向けに倒れたその体には無数の風穴が空いていおり、傷口からは血と硝煙、そして微かな魔力が漏れ出ていた。
「な…何が…?」
ランダが顔を起こそうとしたが、強制的に後頭部が地面につけられる。
カイがランダの顔面に銃口を突きつけたのだ。
「油断するよな? そりゃそうだよな? マスケット銃なんか単発式だし、命中率はとてつもなく低い…イノシシ狩るんじゃねぇんだから、普通は魔女相手にこんなもん使わねえよ」
普通はな。そう言ってカイは更に引き金を引く。
するとおおよそそのタイプの銃ではありえない連射がランダの顔面を貫き吹き飛ばした。この世界にはないが、機関銃やマシンガンなどの連射性能とほとんど変わらなかった。
ピクピクと痙攣するランダに対して、カイはなおも発砲を続けながら言う。
「俺たち姉弟をあまりナメんじゃねぇ、何の為に魔女の姉ちゃんと組んでると思ってんだ…ただの魔女なら家で大人しくさせとくさ…おっと」
そこでカイは発砲をやめた、否、強制的にやめさせられたのだ。
指一本動かせないと思っていたランダが急に両手を振り上げカイに掴みかかろうとしたからである。
「…ぅ…うぉあ…」
ムクリと起き上がり、飛び散った肉や血が集まって、ランダの傷を癒していく。
本来ならこれもありえない。こんな重傷をものの数秒で治せるなんて、それは最早魔女ではなく別の怪物だ。
しかしそんな事態にも全く動じず、カイは銃口をランダに向けたままじっとその姿を見つめていた。
「た…だの…魔女じゃない? ああなるほどね…アンタの姉…『凍結の魔女』ゲルダは…」
何かに勘付いたように冷や汗と皮肉交じりの笑みを浮かべるランダをゲルダとカイは得意げな笑みを浮かべながら見つめて、見下して、鼻で笑った。
「そうだよ、大して珍しくねぇだろ…お前らみたいなイカレ集団の中じゃあ当たり前のモンだと思ってたぜ」
買いかぶり過ぎてたんだな、お前らを。
カイは笑みを消し、殺意の困った顔と声をランダに向ける。
「俺の銃の連射性能は姉ちゃんの特異魔法だ、この氷も姉ちゃんの特異魔法…つまりな? 姉ちゃんは特異魔法を二つ持ってる魔女の異端児なんだよ」




