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魔女伝  作者: 倉トリック
魔導兵器編
102/136

『お菓子の魔女』になった日

 本章とあまり関係が無いかと思われますが、しばし私の昔話にお付き合いいただければ幸いです。

 お時間は取らせませんので、どうか構えず、気軽にお聞きください。


 そうですね、どこから話したものかと言えば…そうですね、私こと『お菓子の魔女』ペリーヌが、ジュリアさんと出会って間もない頃のお話です。


 当時の私は、今と名前が違っておりました。お恥ずかしい限りですので、あまり昔の名を口にしたく無いのですが、昔は『反乱の魔女』ペリーヌ、と名乗っておりました。


 ええ、つまり、『反乱の魔女』は組織の名では無く、元々は個人の名でございました。エルヴィラさんは、異端審問官のベルナールさんから『反乱の魔女』という名前を聞いた時、個人の名前だと推測され、後に組織の名前だと説明されていましたが、あながち間違いでは無かったのです、流石ですね、エルヴィラさん。


 その頃の私は、…これもまたお恥ずかしい話なのですが、作業のように殺戮を繰り返しておりました。


 理由は、特にございません。強いて言えば、正体不明の恐怖という感情にかられ、罪のない魔女や、同族である人間ですら殺す『魔女狩り』という風習に腹が立ったから、でしょうか。ですが当時の私には、そのような立派な信念や覚悟など無く、やられたからやりかえす、程度の動機で、やはり深い理由など無かったように思います。


 しかしそんな事をしていれば、魔女への印象が悪くなる一方だというのは、誰が見ても、火を見るよりも明らかでした。そのうち、魔女狩りが終わらないのは私の所為だと、業火に焼かれる同胞を見ながら思うようになり、ある日突然、私は見境のない殺戮をやめました。


 しかし、だからと言って、当然の事ですが、魔女狩りが終わるわけではございませんでした。


 私が話し合いを持ちかけても、彼らは聞く耳を持たず、当時最先端の兵器全てを駆使して私を亡き者にしようと襲いかかってきました。


 それなりに対抗して、無力化したのですが、それでも彼らは私の話は聞いてくれませんでした。


 私は最初、彼らは私が怖いから話を聞いてくれないのだと思っていましたが、しかし、それは少々ズレた思考でした。


 私は、あくまで一人の魔女。どれだけ多く魔法を持っていようと、私個人は一人でございます。ちなみに、その頃の私は特異魔法を二十個も持っておりませんでした、せいぜい十二個ほどで、残り八つは頂き物です。


 ですが、彼ら…この場合は敵、という表現が適切でしょうか、敵は国を挙げて私達魔女を狩ろうとしている、いわば組織でございます。様々な思考を持つ者が集まり、目的を一つとしている組織に、敵対されている一人が何を言おうと、聞く耳を持たれないのは、至極当然の話というものでした。


 加えて、私達魔女に襲いかかるのは、その組織の兵士達です。上から、半ば洗脳のようなものを受けて戦う彼らに、話し合って解決するという選択肢は無く、言葉を交わそうとするだけ無駄な努力だったというものでしょう。


 私の無知というか、深刻な社会経験不足が招いた失態でございました。


 ですから、私は、私も組織を作ろうと考えたのでございます。


 私のような愚者が、魔女の全てではない、きっとどこかで通じるものがあるはずだ、そんな当たり前の事を伝える為に、私は魔女で構成された組織などという大それた物を作ろうとしたのでございます。


 そして、最初に勧誘したのが、あろうことか、失礼、あふれるほどの才能と素質を持っていると思っていた、『鏡の魔女』ジュリアさんです。


 私は彼女に、私の思惑の全てを話しました。本当に、あの頃は真面目に聞いてくれていると思っていたのですが。


 私の意見に同意し、ジュリアさんは、組織のメンバー第一号となっていただきました。そして、その直後に、私はジュリアさんを、リーダーに任命しました。


 そもそも敵対されている私が大将を務めていては、相手に警戒されるだけだという判断のもとだったのですが、後々あんな結果になるとは思いませんでした。


 その時に、私は自分の肩書であった『反乱の魔女』の名を、ジュリアさんに譲ったのです。しかし彼女は、それを自分のものとはせず、あろうことか、組織の名前に変えてしまったのです。


「だって『反乱の魔女』ジュリアなんて、似合わないんだもーん」


 悪びれもせず、ジュリアさんはそう言っていました。


 ここで私は、ただの名もなき魔女、名無しのペリーヌとなったわけでございます。


 裏で私が活動している事を悟られない為、私は裏の更に裏方でこっそりとジュリアさんにだけ指示を出すようにしていました。


 気付いた頃には『反乱の魔女』は様々な魔女が溢れておりました。


 ジュリアさんは口が上手なようで、人間など恐れる必要もないはずの、実力を持った魔女も沢山仲間になってくれました。


「あの子達、誰の庭でパーティしてるのか知らないんだよ、可愛いねぇ」


 怪しい笑みを浮かべながらそう言うジュリアさんに、私はほんの少しだけ注意をしました。


「ジュリアさん、彼女達は道具や武器ではありませんよ? 一人一人に名前も、意思も、過去もあります、あまり見下したような言い方は感心できませんよ」


 するとジュリアさんは、苦笑いを浮かべながら、軽い謝罪をしてくれました。しかし、その後すぐに、ジュリアさんは不思議そうな顔をしながら、私に質問しました。


「…ところでさ…君は何をやっているんだい?」


「…何と言われましても…普通にお菓子を作ってるんです、今はシフォンケーキですね、何かおかしいですか?」


「お、今のはお菓子とおかしいを…いやいやそうじゃなくてさ、君…仲間にも正体隠してるから、ただの反乱の魔女のメンバー扱いだろ? しかも二つ名無し、はっきり言って、ちょっと体裁悪いんだよね」


 ジュリアさんはバツが悪そうにしながら、話を続けてくれました。


「他のメンバーは日々魔女の為に戦ってるのに、君は毎日お菓子を作ってるだけで何もしてない…って、思われてるんだ、一応ボクはフォローしてるんだけど、どうにも分かってくれなくて…」


「なんと、それは知りませんでした…確かに、側から見ればサボっているようにしか見えませんね」


 しかしそれは大きな誤解です。私が活発に活動していると、組織が一気に動きにくくなります。それだけ私の顔は色んな人間に知られていましたからね。


 組織の影に私がチラリと見えただけで、私が裏で糸を引いていると見抜かれるレベルで、私は人間に警戒されていました。だからこそ、表に出るわけにはいかなかったのです。


 裏の、更に裏、そこにはりきれるような仕事などあるはずも無く。私は日々退屈しのぎに趣味のお菓子づくりをするぐらいしか無かったのです。


「あのおっそろしいペリーヌに、まさかこんな可愛い趣味があったなんて…いや、普通にギャップ萌えなんだけどさぁ」


「そうですね、では今度から皆さんに作ったお菓子を配りましょうか」


「あーん、逆効果」


「はい?」


「ボクも思ったんだよ、君の美味しいお菓子食べさせれば気も変わるかなって、でも逆効果だったな、組織の子達、全体的にピリついてる子ばっかりだからさー、誰も君のお菓子食べてくれないんだよね」


「あらま」


「それどころか、その所為で君への風当たりが更に悪くなっちゃったんだよ、確かに空気読めって思われても仕方ないけどさー」


「おやまぁ」


 命がけで戦っている者に対して、普段から仕事をしていないと思われている私が、趣味で作ったお菓子を分け与えるというのは、なるほど、普通に鬱陶しい挑発と取られても仕方のない事でした。


 今の私は無名のペリーヌ、立場が圧倒的に下なのですから。


「あんまり仲間の目につかない方がいいかもね、ボクは君の趣味を止めないけど」


 そう言って、ジュリアさんは去って行きました。


 私が作った組織の中で、私だけが孤立していました。


 それでも、私が動くわけにはいかず、だからと言って他の魔女とは良い関係は築けず。


 気付けば私は一人ぼっちで、誰も食べてくれないお菓子を作り続けるだけの生活を送っていました。


 幸か不幸か、ジュリアさんは態度はふざけていても、やはり優秀で、組織はどんどん大きくなり、最早一つの国か何かになりつつありました。


 それでも、私は一人でした。


 そんな、ある日でした。


 いつものように一人でお菓子を焼いていると、外に妙な気配を感じ、私はふと窓の外を見ました。


 そこには、思わず見惚れてしまうぐらい綺麗な金髪をした幼い少女が、不思議そうな顔をしながら立っていました。


 しかし、そんな可愛らしい見た目からは想像も出来ないほど、彼女から感じる魔力はとてつもなく巨大でした。


(『反乱の魔女』の新しいメンバーでしょうか?)


 だとすれば、本当はあまり会いたくない相手でした。


 きっと、またどこかで陰口か何か言われてしまうのだろうと、諦めのような感情があったからです。


 どうせバカにされる、でも、どうせバカにされるなら、別にどう振る舞っても関係ないかもしれない。


 実は、一人の期間が長かった私は、話し相手に飢えていました。というか、普通に寂しかったのです。


 たまにはいいかもしれない、と、私はゆっくりと扉を開け、彼女の前に出ました。


「…何かご用ですか?」


「…かわいい」


 開口一番、少女は訳のわからないことを口走りました。


「何の事か分かりませんが…もしかして迷ったんですか? 組織の敷地内だというのに?」


「…わたし、反乱の魔女じゃないよ…?」


「なんと…普通に迷い込んだというわけですか…」


「迷ったわけでもないよ…わたしの師匠は…反乱の魔女だから…」


「そうですか、貴女も中々苦労してますね、師匠が反乱の魔女だと、その…厳しいでしょう」


「うーん…怖い時もあるけど…いつもは優しいよ?」


「そうですか…それで、貴女は何しにどうしてここへ?」


 事と次第によっては、彼女の師匠に文句ぐらい言ってやろうと、この時の私は愚かな事を考えていました。


「えっとね…遊んでたら…美味しそうな匂いがしたから…何かなって思って…ふらふらってしてたら…ここに着いたの」


「匂いにつられて来たんですか…」


 別に嘘をついているわけではなさそうでした。


 しばらくどうしたものかと考えていると、少女の小さなお腹が、きゅうっと鳴き声をあげました。


 心の中でため息を一つ吐いてから、彼女を家の中に招きました。


「玄関の前で立ったままでいられてもこまりますし…お菓子もありますので、よければどうぞ」


「わぁ…おじゃまします」


 まるで本当に子供のように明るい笑顔を見せると、ヨタヨタとした動きで、彼女は家に上がりました。


 魔女なら何歳でもおかしくないですけど、まさか本当に子供だとは思いませんでしたよ、流石に。


 不思議そうにキョロキョロしていたので、とりあえず座れるように椅子を用意しました。


「もうすぐ焼きあがるので、紅茶でも飲んで待っててください」


「ありがとう」


 楽しそうに足をブラブラさせ、美味しそうに紅茶を啜る彼女の姿を見て、ちょっと警戒していた私も、悪い気はしなくなりました。


 純真無垢な子供は、やはり可愛くて好きです。


 やがて、良い感じにクッキーが焼けたので、皿に盛り付け、彼女の前に出しました。


 フワリと湯気の立つクッキーを目の前にした瞬間、少女の目がいっそうキラキラと輝き、分かりやすく喜んでくれました。


「どうぞ召し上がってください」


「いただきますっ」


 よほどお腹が空いていたのか、彼女は言うが早いか両手にクッキーを掴んで次々と頬張っていきました。


 正直行儀が良いとは言えませんでしたが、でも、やはり、誰かが食べてくれると、嬉しかったです。


「まだありますから、ゆっくり食べてください」


「…あ」


 突然、少女が食べるのをやめ、ゴクリと飲み込んでから、座ったままスカートの裾を掴んで言いました。


「『縄張りの魔女』エルヴィラ」


「…はい?」


「…やり方…違う? 師匠にね、魔女同士は、こうやって名乗り合うんだって…それが礼儀だって…教えてもらったんだけど…」


「あ、ああ、いえいえ、あってますよ、あまりに突然だったので、ちょっと戸惑っただけです」


 気を取り直して、私も名乗りました。いや、名乗ろうとしました。


「…あ、えっと…」


 長らく忘れていました、私はもう『反乱の魔女』では無くなっていたのです。そして、新しい肩書など考えてもいなかったので、なんと名乗ればいいか分からなかったのです。


 しばらく考えて、私は、諦めたように、名前だけを名乗りました。


「ペリーヌです、ただのペリーヌ」


「かわいい」


「貴女さっきも言ってましたけど…私可愛くなんて無いですよ、変な髪色ですし、身長は低いですし、これと言った取り柄もありませんし」


「でもかわいい」


 彼女、エルヴィラさんは笑顔のまま、同じ言葉を繰り返していました。


 かわいいだなんて、初めて言われたので、なんと反応していいか分からず、なんならすごく恥ずかしかったので、必要以上に自分を低く評価しました。


 それでもエルヴィラさんは、可愛いの一点張りです。正直貴女の方が可愛いですよと、あの頃素直に言いたかった。


 そうして私達はしばらく他愛の無い会話をして時間を過ごしました。

 いつもなら、なんでもない時間のはずなのに、たった一人目の前にいて、私が焼いたお菓子を食べてくれて、特に身のない会話をしているだけなのに。


 こんなに心が安らいだのは、これが初めてでした。


 ちなみに、彼女が、反乱の魔女のメンバー『暗闇の魔女』クリフの弟子であると知ったのもこの時です。


「そろそろ帰るね、ごちそうさまでした」


 やがて、エルヴィラさんがそう言って席を立ち、玄関へと向かいました。


「あ…」


 また来て欲しい、しかしそれを願い、しかも言葉にする事は、当時の私にとって、かなり勇気のいる事でした。


 諦めかけたのですが、しかし、エルヴィラさんは振り向いて、言ってくれました。


「また来ても良い?」


「え、あ、はい! もちろんですよ」


 私が言うと、彼女は嬉しそうな顔をして去っていきました。


 これが、私とエルヴィラさんの、馴れ初めでございます。


 それから、私達は良く会うようになりました。


 というか、エルヴィラさんの方が、何かある毎にここに来て私に話してくれるようになりました。


 魔法を上手く使えた事や、師匠のクリフさんが珍しく褒めてくれた事、修行仲間のジョーンさんが泣き虫で困る事や、クリフさんの魔具を勝手にいじって死にかけた事など。


 エルヴィラさんが来てから、私に退屈な時間は無くなりました。


「私、ペリーヌ好き」


「あらま、告白されたのは初めてですね、魔女は恋をしちゃうと魔法が使えなくなりますので、エルヴィラさんから魔法が無くなるのは、困りますね」


「ええ…でも嫌いにはなれない」


 困った表情を浮かべるエルヴィラさんは、実に可愛らしかったです。


 そんなある日、エルヴィラさんは難しい顔をして家に来ました。


「師匠がね、継承の儀っていうのを教えてくれたんだけど…よく分かんない」


「…継承の儀、ですか…」


 魔女が、他者に自分の魔法と記憶を渡す行為。その代償は、自分の命。


 なんとも残酷な話です。


「そうですね…私にも、よく分かりません」


「うん…でも、あんまり、好きになれない…なんだか怖い…それをね、近いうちに、いざとなったら、師匠が私にするかもって」


「…どういう事ですか?」


 エルヴィラさんを早めに帰し、私はすぐに、ジュリアさんを呼び出しました。


「師弟が継承の儀を視野に入れるほど、一体どういう状況なんですか?」


「いやいや、違うんだよ、こんなに大ごとになるとは思わなかった!」


 ジュリアさんは、珍しく真剣な表情で言いました。


 曰く、少し前に勧誘した、ケリドウェンという魔女にリーダーの権を渡したのだそうです。それ自体は知っていました。


 問題は、ケリドウェンさんがいきなり暴走し、国に対して戦争を持ちかけたそうです。


 メンバーの中でも能力の高い十一人を引き連れ、近いうちに戦争を仕掛けると。


 そのメンバーの中に、エルヴィラさんの師匠であるクリフさんの名もふくまれているそうでした。


「貴女止めなかったんですか、というか、なんで私にそんな大事な話が入ってないんですか」


「ボクにも入ってこなかったからだよ、ボクは確かにふざけたような態度取ることが多いけど、君に報告を忘れた事なんて無いだろう? 今回の事は、完全にケリドウェンと独断なんだ」


 判断を誤りました。ケリドウェンという魔女が、どれだけ人間を恨んでいるのか、分かっていたはずなのに。


「とにかく、今からでも止めましょう」


「ダメだよ、君が出てきたら、全てが終わる」


 ジュリアさんは、珍しくキツい口調でそう言いました。


 というか、今にして思えば、当時の私を知ってる人間なんて百年も経てば一人残らず死んでいるはずなんですから、ここで私が強引に止めても良かったのでは? と、時々思います。


 しかし、全ては後の祭りです。


「それにね、ボクはチャンスだと思ってる」


 ジュリアさんは、いつのも怪しい笑みを浮かべて言いました。


「アイツらバカどもは、一回滅びて見ないと分からないかもしれないからね、ボク達がこの数百年間、どれだけ見逃してやったと思ってるんだか」


「ジュリアさん、貴女までそんな思考になっていては、意味がないんですが」


「大丈夫さ、ボクなりに、魔女狩り終焉のシナリオは出来てる」


 ここで、止めておけば良かった。


 この後起こるのが、そう、全ての始まり。


 人も魔女も大量に死んだ、最悪にして最低の戦争。


 世に言う『大虐殺』でした。


 私は、本当に無能です。


 いくつも特異魔法を持ち、その全てを併用できるほどの力を持っていながら。


 誰一人救う事が出来なかった。


 結果、反乱の魔女の精鋭を、四人も失う事になりました。


 私が駆けつけた時、初めに出会ったのは時間を操るという強力な魔法を持っていた、『時の魔女』ラミアさんでした。


 彼女は、何も言わずに私の手を握り、力尽きました。


 彼女の魔法と記憶が、私の中に流れ込んできました。


「そうですよね、勿体無いですもんね」


 貴女が生きた証は、私が有効活用させていただきます。貴女の死は、無駄にしませんよ。


 そして、私は、見つけてしまいました。


 エルヴィラさんの手を握ったまま力尽きた、クリフさんを。


 そして、そんなクリフさんに覆いかぶさるように横たわる、エルヴィラさんを。


 継承の儀の危険性。


 色々ありますが、その中でも、自我の崩壊と記憶の消滅というものが特に恐ろしいとされています。


 この二つが起こってしまえば、継承された魔法は使えず、誰の記憶も持っていない、ただの生きる屍になってしまうからです。


 エルヴィラさんは、師匠のクリフさんの事が大好きでした。


 彼女の死という辛い現実から逃れる為に、意図的に記憶を消去する可能性がありました。


「だから…止めたかったのに…」


 恐る恐る、私はエルヴィラさんに触れました。


 息はありました、ただ、一向に、目を覚まそうとしませんでした。


「い、嫌ですよ…?」


 私は初めて、誰かを失うかもしれないという恐怖を覚えました。エルヴィラさんが、もう私の名前を呼んでくれないかもしれない、エルヴィラが、私が誰か分からなくなっているかもしれない。


 エルヴィラさんと過ごしたあの日々が、無かった事になるかもしれない。


 そう思うと、たまらなく怖くなりました。


 頼むから、何事もなく起きて欲しい。


 すると、エルヴィラさんの小さな体が、ピクリと震えて、ゆっくりと起き上がりました。


「エ、エルヴィラさん?」


「………」


 エルヴィラさんは不思議そうに辺りをキョロキョロと見回し、自分が握っている手を持ち上げて、私に見せました。


「…これ誰?」


「…エルヴィラさん…?」


 エルヴィラさんは、あれだけ大好きだった、師匠のクリフさんを、忘れていました。


 最悪が、頭をよぎりました。


「何この状況、なんで私はこんな所で死体の手を握ってるんだ? ペリーヌ、何か知ってる?」


「え、エルヴィラさん? 今、なんて?」


「え、いや、だからぁ、この状況の説明をペリーヌなら出来るのかなって」


 私は、生まれてこのかた、神様なんて信じた事はありませんでしたが、この時ばかりは、神に感謝しました。


 どういうわけか、エルヴィラさんは、私の事だけは、覚えていてくれました。


 でも、やはり、私の知っているエルヴィラさんは、消えてしまったようでした。


 違うんですよ、エルヴィラさんは、こんな荒々しい喋り方はしないんです。


「つーか頭痛い、なんか頭痛い、そういや腹も減ったし…なぁペリーヌ、なんかお菓子作ってよ、いつもみたいに」


 いつものお菓子を覚えている、いつも通りじゃないエルヴィラさん。


 でも、それでも、私をペリーヌだと覚えていてくれた。


 私を、一人にしないでいてくれた。


「ま、任せてくださいっ!」


 私は、胸を張って言いました。


「この『お菓子の魔女』ペリーヌが、きっと満たしてみせますよ」


「ん、ありがと…ん? 『お菓子の魔女』…? ま、いっか、ここ血生臭いし、さっさと行こ」


 この時からですよ、私がエルヴィラさんを第一に考えるようになったのは。


 私は、エルヴィラさんの為に生きます。


 全てはエルヴィラさんが生きやすいように。


 その為なら私は、なんだってやります。

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