フィクサー×2
ジュリアが覚えている最も古い記憶は、土砂降りの雨の中、自分がずぶ濡れになりながら佇んでいる光景だ。
殺しに明け暮れていた日々を過ごし、その日も確か、丁度よく振ってくれた雨で、返り血を洗い流していたんだと思う。
殺しに明け暮れていた日々、それが何を目的としていたのかと聞かれれば、ジュリアは答えることが出来ない。
目的も無く、必要も無く、ただ殺し続けた。
人を、時には魔女をも、自分に牙を向けてきた者に対して、特に敵意も悪意も怒りも無く、これはそういうものなのだと、作業のように殺し続けていた。
悲しみとか、罪悪感とか、後悔とか、昔はあったかも知れないが、ジュリアには、これより前の記憶が無い。
覚える気が無かったのか、覚える必要が無かったのか、覚えておきたくなかったのか、自分が何者なのかすら分からないまま、死んだように生きていた。
不確かで不完全、正体不明を意識しながら生きていくのは、苦痛だったのかもしれない。だからこそ、己から完全に個を消して、生きる屍になったのかもしれない。
そんな、自分の全てが不確定だったジュリアが、何故この時からの記憶ははっきりとあるのか。それは、この日に、運命の出会いとも呼べる経験をしたからだ。
「泣いてるんですか」
雨の中でも、彼女の声ははっきりと聞こえた。
「…」
ジュリアは黙って声の方に向く。
そこには、桃色の髪をした、くたびれた表情の少女が立っていた。
自分と同じくずぶ濡れで、所々に血の跡がある。
こんなに雨に打たれているのに、全然落ちない血。服にも肌にも、染み付いているのだ。
「…死んでますね、こんなに沢山」
「…」
言われて、ジュリアは自分の足元を見る。
さっきまで生きていた者達が、ぽっかりと口を開け、目を見開いたまま、あちこちに転がっている。
全員が、ジュリアに対して殺意を向けてきた人間達。
再び少女の方を向くと、そんな死体達を鬱陶しそうに避けながら、こちらに向かってくる。
なるほど、歩くのに邪魔だから散らかすなと言いたかったのだろう。
「…文句ある? ここで殺したんだから、ここに死体があるのは普通でしょ」
ジュリアは久しぶりに声を出した。久しぶり過ぎて、聞き取りにくく、聞き苦しい枯れた声だったが、そんな事はどうでも良かった。
「なんだ、貴女が殺したんですか、てっきり悲しんで泣いているのかと」
「雨でしょ、どう見ても」
「だったらせめて片付けてくださいよ…歩きにくい」
「興味ない、だったらルート変えれば良いでしょ、めんどくさいな…変な事に一々いちゃもんつけないでよ」
殺すよ、と言うジュリアの金色の目がギラリと光る。膨大な魔力で地面が震え、重力に逆らい周りの木々や石、そして死体が宙に浮かぶ。
「すごい魔力ですね、でもそれ魔法ではないでしょう?」
そんな光景を見ても、少女は表情一つ変えず、歩く速度も変えず、そのままジュリアの方に向かってくる。
なんだコイツ、そう思った時には、ジュリアは浮かせた物を全て少女にぶつけていた。
ぐしゃぐしゃに押し潰されて、原型なんか留めていないだろう。
お望み通り片付けてやったのだ、少しは感謝しながら死んで欲しい。
「出来るじゃないですか」
もう聞く事は無いと思っていた声が、秒で聞こえた。
振り向いた瞬間、物凄い力で首を掴まれ、思わずジュリアは息を漏らす。
「カハッ…!」
「まぁ、なんというか、近年稀に見る『何が起こったか分からない』って表情ですね…説明するまでもなくお分かりでしょうけど、魔法を使って攻撃を避けました」
そう言う少女の目が、怪しく光り始める。そして気付いた頃には、ジュリアの体は自分で作った死体の山に叩きつけられていた。
まさに何が起こったのか分からない。自分が何をされたのかすら分からない。魔力を使い始めてからは、ダメージなんてまともに受けた事が無かったから、久しぶりに全身を駆け巡る激痛に、悶絶ではなく困惑していた。
「才能は十分、素質もある…でも貴女に足りないのは、知識とそれを覚えるだけの気力ですね」
「…いきなり現れて…突然ボコってきたくせに…何を言って」
「いや、突然ボコったわけではありませんよ、攻撃仕掛けてきたの貴女のほうでしょう」
そういえばそうだったが、興味ない。そもそもコイツがいちゃもんをつけてこなければこんな事にはなっていない。
「…あー、はいはい、負けました、殺しなよ、いつかこういう日が来る事は分かってたんだ、どうせボク達みたいな魔女の最期なんて、殺されるぐらいしかないんだから」
本当につまらない、何もかもが。楽しい事なんて一切なく、そもそも楽しいって言葉の意味すら知らないまま、ジュリアは自分の命が終わるのを待った。
しかし、そんなジュリアに向けられたのは、殺意が込められた刃でも、体を引きちぎる魔法でもなく。
「はああぁぁぁ〜」
という、わざとらしい大きなため息だった。
「貴女…この流れで私が貴女を殺しに来たと思ってたんですか? 殺す相手の素質とか、一々測るわけ無いでしょう?」
そう言って、少女は手を伸ばす。
掴め、という事だろうか。その手には乗らない。
「…」
ジュリアは少女を睨みながら、ヨロヨロと自分の力で立ち上がる。
その手を掴んだら、何をされるか分からなかったからだ。
「…何故貴女は、私が差し出した手を掴まなかったんですか?」
「…触るわけ無いでしょ、アンタみたいなわけのわからないヤツの手なんか…何されるか分からない」
「そう、分からないですよね、貴女には私の事が、私には貴女の事が、何も分からない、知らない、知ろうともしてない、知りたくもない」
少女はうんざりした表情で言う。
「同じなんですよ、魔女狩りも」
「は?」
「私達がお互いの事を知らないから、魔法っていうのが何か分からないから、人間達の気持ちを知らないから、お互いが何を恐れているのか分からないから…分からない感情を、とりあえず分かりやすい恐怖に置き換えるしか無い…この不毛な殺し合いの原因はソレです」
「…何が言いたいの」
最早途中から独り言のように呟く少女に対して、ジュリアは恐怖とは違う別の何かを感じ始めていた。
彼女が何者なのか、正体が気になっている。
こんな複雑な感情になったのも、とても久しぶりだった。
「思考する事をやめて、幼い子供でも出来る、ただ殺すという行動しか起こさない…私はそういう愚か者が大嫌いです…」
「そうかい、ボクだって嫌いだな、そうやって自分だけは分かってるって気になって、周りを見下してくる奴は大嫌いだ」
「私は誰も見下したりなんかしませんよ、見下されてるって思うのは、貴女自身が自分が愚かだって認めてしまってるからですよ、だから他人が自分より優れているように見えて、そして勝手に嫉妬する」
少なくとも、と少女は無理矢理ジュリアの手を取って、言う。
「私は貴女の事を、愚かだとは思いましたが、劣っているとは思いません…貴女は貴女なりに、十分すぎるほど正しい生き方をしている」
「……」
褒められて、いるのだろうか? 結局愚かだとは思われていたようだが。
いや、もういい、疲れた。少し興味を惹かれたりしたが、もう十分だ。色々考えるのも久しぶりで、もう何もかも疲れた。
「…もういいよ、御託はいいからどうか殺してください、もう十分だから、やっと終われるんだから」
「ああもう、すぐそれを言う」
少女は心底うんざりしたように、ため息混じりに言った。
「多くの魔女が、いや、人間にもいますけど、生きる意味を感じなかったり、生きる意味を失うと、何故か死を選ぶんですよね、自らに刃物を向けてみたり、殺されに行ったり、でも貴女は、そんなにも死んでいるのに、生きているうちは生きようとしていた、そこは素直に偉いと思ったんです…生き続ける事以上の偉業なんてありませんからね、ええ、生きてるだけで偉いんですよ、なのに貴女は、はぁ…」
ジュリアは、その言葉に酷く憤りを覚えた。
今までどんな人生を歩んできたかも、知らないくせに。
黙って死ぬことすら出来ず、生きてる事すら望まれない、そんな中で、死んだみたいに生き続ける事がどれだけ苦痛な事か。
「綺麗事だね、生きてるだけで偉い? なんて残酷な言葉なんだ、死んだほうがマシって奴に対しても、堂々とそう言えるのかい? 永遠に生き地獄を味わえって? 勝手な事言うなよ、生きるか死ぬかなんて自分で決める事だ、アンタみたいな奴にとやかく言われる筋合いは無いよ」
怒りを露わにするジュリアに、しかし少女は全く動じず、変わらぬ調子で言う。
「いや、ありますよ、個人的にどう思うかなんて関係無いです、人の生き死には、全て他者からの評価で決まってるでしょう?」
「アンタ何が言いたいんだ、訳がわからない」
「私は貴女を殺したりしませんよ、そして、貴女が死ぬ事は私が許しません、良いですか、生きてる間は、誰かに必要とされ続ける限り生きなければならないんですよ、分かります? つまり、貴女に死なれるとすごく困るんです、貴女みたいな才能の持ち主を探すのに、どれだけ苦労したと思ってるんですか、貴女の死を私は望みません、生きている貴女を、私が必要としてるんですよ」
いいから黙って生きてください。
少女は、そう言った。
励ましなどでは無い、純粋なお願い、いや、命令か。
初めてだ、一切の曇りなく、純粋に生きろなんて言われたのは、こんな自分の生存を、こんなにも望まれたのは。
「…アンタ…いや、君は一体何者なんだい?」
ジュリアは恐る恐る尋ねると、少女はスカートの裾を摘んで言う。
「はじめまして、『反乱の魔女』ペリーヌです、是非貴女の力をお借りしたい」
これが、『鏡の魔女』ジュリアと、『お菓子の魔女』ペリーヌとの、馴れ初めだった。そして、ここから、人生が始まったんだと、ジュリアは語る。
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「え、走馬灯⁉︎ ボク走馬灯見ちゃった⁉︎ ヤバイ! こんな経験初めて! 初体験がペリーヌだなんて、すごい感激!」
破壊された頭部が再生し、目を覚ましたジュリアは、急いで周囲を確認する。
どこまでも暗闇が広がっている。ただ空間があるだけの、鏡の世界。
どうやら外に引き摺り出される事は避けたようだ。
「ったく、あのゴーレム君、中々酷い事するなぁ…こんな美少女の顔面を握りつぶすなんて…跡残って無いよねぇ?」
手鏡で顔を確認しようとポケットを探るが、それらしい物が見当たらない。
「あれぇ…まずったなぁ…どこかで落としたっけ?」
いや、そんなはずは無い、あの時確かに回収したはずだ。
この空間の中に落としているはず、そう思って立ち上がったジュリアは、意外とすぐに、そして最悪の形で手鏡を発見した。
「わぁお最悪だよ…ボクが踏んづけて割ってたのか…しかもこれ…頭潰れて尻餅ついた拍子に割ったな…超恥ずい」
誰もいない空間で一人で赤面しながら、ジュリアは鏡の破片を拾い集める。
これが最後の手鏡だったのだ、なんとかして補充しなければ何もできなくなる。
「頼む、頼むよー」
形を整えて、なんとか自分の顔がはっきりと映るようにしてから、再度ペリーヌへ繋ぐ。
『どうしました?』
ありがたい事に、ペリーヌはすぐに顔を見せてくれた。
『なんか見にくいんですけど、もしかして割れてます? 何があったんですか』
「ペリーヌ、ああ、会いたかった、いや、ほんと、マジで死ぬかと思った、頭潰されたの、強敵だったよ、兵器用はあったんだ、さっき見せたのはあくまで労働用のゴーレムで、兵器用は他に」
『何を言ってるのか分かりません、とりあえず落ち着いて一つずつ…いや、興奮した貴女が落ち着くのを待っていたら日が暮れますね、分かりました、ではこうしましょう』
ペリーヌは向こう側から鏡をコンコンと叩いて言う。
『繋いでください、私もそっちに行きます』
「あ、マジで? 来る? 来ちゃう? そうだね、そうしよう、こうなってくると、もうなりふり構ってられないや、じゃあペリーヌ! カモン!」
鏡により強い魔力が込められる。短距離移動とは違い、長距離の鏡同士を繋ぐには、かなりの魔力を消費するが、この際贅沢は言ってられない。
ゆっくりと指先から、徐々にペリーヌがこちら側に姿を現わす。
「召喚してるみたい」
待ちきれないジュリアが、ペリーヌの手を掴みぐいぐいと引っ張る。
すると、釣り上げられた魚のように、鏡の向こうからぴょんっとペリーヌが飛び出した。
「ペリーヌ! 会いたかったよぉ!」
抱きつこうとするジュリアを片手で抑えながら、ペリーヌは辺りを見回す。
「…ここ鏡の中じゃ無いですか、鏡の中でさらに鏡と鏡を繋げたんですか? 文章で表現するの難しいからやめましょうよ」
「何の事? 本でも書くのかい? ボクと君の熱いラブストーリーを⁉︎」
「書きませんし気にしなくても良い事です、それより…これ、予備の手鏡です」
そう言って、ペリーヌはポケットから三つの鏡を、ジュリアに手渡した。
「ありがとう! さてペリーヌ、状況を説明するけど…兵器用のゴーレムが居たんだ、ソイツに襲われて、ここでさっきまで再起不能になってた」
「ジュリアさんが再起不能に? 中々強敵ですね」
「ボクの魔法の特性をすぐに理解したみたい、いやぁ、優秀だね」
感心したように頷くジュリアに、ペリーヌは呆れた視線を送る。
「言ってる場合ですか、貴女の特異魔法が通じなかったという事でしょう?」
「んにゃ、そうは言ってない、こっち側に閉じ込める事自体は簡単だろうさ、でも、それがまだ出来なかったんだ、何故なら」
「そのゴーレムに七つの魔法が宿ってる、もしくは、そのゴーレムを辿ればゴーレムを今なお製造し続ける魔法所有者の元に辿り着けるかもしれなかったから、ですか?」
「正解っ!」
なるほど、今回は采配ミスだったかもしれない。ジュリアの魔法は、言ってしまえば一撃必殺だ。閉じ込めておく事は出来るが、鏡の世界の中で隠れられてしまう可能性があるし、破壊して無にしてしまえば、ジュリア本人も取り出せなくなる。
回収を目的とする今回のような場合には、あまりに不向きだった。
少し頼り過ぎたか。
「ジュリアさん、苦労かけましたね、すいませんでした、ここからは、二人で頑張りましょうか」
「お、おお! 君とボク二人で⁉︎ 久しぶりだなぁー! 出会った時以来じゃないかい?」
「そうですね、作戦変更です…さて、とりあえずここから出ましょう、外に出なければ何も始まりません」
二人の目の前には一枚の鏡がある。さっきジュリアが誘き出され、奇襲をかけられた廊下の鏡。
ジュリアは慎重に外を確認する。
どうやらゴーレムは居ないようだ。
「待ち伏せしてるかと思ったけど、ボクを仕留めたと勘違いしたのかな? さぁ、ペリーヌ、今のうちに外に出よう」
「…いや、ジュリアさん、何かおかしい気が」
しかし、ジュリアはペリーヌの話を最後まで聞かず、外に出てしまった。
その瞬間だった。
かけてある鏡ごと壁をぶち破って、ゴーレムが姿を現したのだ。
やはり待ち伏せしていた、廊下ででは無く、背後の部屋から魔力を探知して。
いや、それよりも。
「しまった! ペリーヌ!」
まだペリーヌが中に居たのだ、なのに、鏡が破壊されてしまった。
「ヤバイ、ヤバイヤバイそれはヤバイって!」
ペリーヌが出られなくなる、無になってしまう。
まだ細かい破片にはなっていない、ある程度大きさがあれば。
しかし、破片の回収は、ゴーレムが許してくれなかった。
「お前さぁ…邪魔しないでよマジで! 今だけはマジでふざけてる場合じゃないんだってば!」
当然そんな命令を聞くはずもなく、ゴーレムの鎖を巻きつけた拳がジュリアを襲う。
「こんのっ…!」
肉弾戦は苦手だ、というかした事が無い。
それに加えて相手の体は石で出来ている。か弱い少女の拳で傷が付くわけが無い。
早くどうにかしないと、ペリーヌが。
「ヤバイよ…本当にヤバイ…あ、あの子が消えたら…絶対にヤバイ…」
ジュリアに拳を振り上げるゴーレム。しかし、その動きが急に止まり、全く動かなくなってしまった。
「…?」
「何を情けなく焦ってるんですかジュリアさん」
聞き覚えのある声、それが聞こえた瞬間、凄まじい安堵感がジュリアに走る。
土煙すら空中で止まり、異様な空間が広がる。
まるで、時間が止まっているようだった。
「ええ、時間を止めました、さぁ、探索しましょうか」
彼女、ペリーヌは当たり前のようにそう言った。
『お菓子の魔女』ペリーヌ、旧名『反乱の魔女』ペリーヌ。
圧倒的な力の前に、彼女を前にしたものは、黙って服従するという。
彼女とは戦えない、というのは正しく無い。
正確には、ペリーヌとは勝負にならない、だ。
それが嘘偽りのない、誇張無しの真実である事を、改めてジュリアは確認できた。
「行かないんですか?」
「あ、はい、行きます」
さっきまでの醜態を思い出し、赤くなった顔を両手で覆い隠しながら、ジュリアは黙ってペリーヌについていった。




