最初の実力テスト
この作品は、全て妄想であり、創作です。
私が佐藤一彦に恋したのは何故だったろう?
私達のクラスには目立つ子は少ない方だった。
まぁ、どのクラスにもお調子者やちょっと不良のはしりみたいな子がいて、一彦は隣の市から電車通学の三人組で、どちらかと言うと大人しい印象だった。
入学して直ぐに春の遠足と言うのがあり、高校にもこんなのがあるんだと思ってビックリしたが、つまりはクラスの顔合わせ行事みたいなものだった。
私達の出身中学からは比較的多くT高に多く進学しており、顔馴染は何人かいたがクラス分けされて見ると周りは殆ど知らない生徒ばかりだった。私は幸い同じ中学で才媛で有名だった奈津子が同じクラスだったので、いつも一緒にいた。奈津子は気取らない、みんなに好かれる優しい子だった。
遠足の時、くじ引きで班を決め、私は違う班だったが奈津子が一彦と一緒になり、2人がそれから話すようになったので、それに私と、一彦の通学組2人の男子、私達と同じ中学からの由香が加わり自然に6人でグループみたいになった。
グループと言っても、たまに皆んなで一緒に駅まで帰ったり、クラスの行事を相談したりと喫茶店に寄る訳でも無く、可愛いものだった。
そうこうしているうち、夏休み前ぐらいに、奈津子がバレー部に、由香が吹奏楽部に、一彦達3人組がバトミントン同好会に真面目に所属し始め、私だけが帰宅部になった。
私はテニスか陸上がやりたかったのが、4月、5月、6月、7月と続いたテストの順位が学年の3分の1ギリギリだったので、母が部活なんて始めたらもっと勉強がお粗末になると言う理由で許しが出なかったのだ。
毎月のテストが終わるたび150番までの学年順位が職員室の隣に張り出しになった。
3学年分の3枚。それに加えて教科ごとの学年順位ベスト20までが張り出され、毎月のお約束とは言え、緊張の連続だった。
あの頃の私の名誉の為に言うと、グループ6人の中で、順位が安定していたのはギリギリではあったが私と奈津子だけだった。私達の合言葉に150番に入れなかったと言う文句があったが、ーつまり学年の三分の一だー 私と奈津子だけが毎月、名前が入っており、他の4人は入ったり入らなかったりだった。
そんななか、一彦が7月の実力テストで、数学が1年生学年トップに名前が乗った。89点だった。
数学の学年平均が44点となかなかの難しいテストだった。
今まであまり目立つ成績でもなく、特に私達のクラスから一科目だけでもトップが出たのは名誉な出来事であり、当時の担任も、数学担当の先生も大騒ぎではしゃいだ。
ちなみに私のその時の成績は暗澹としたものであり、総合順位でも初めて一彦に負けてしまい、悔し涙が出た。
そして、その頃から確かに私は一彦の事だけを考える日々を過ごすようになった。
気が付くと彼の姿をいつも追っていた。
一彦の成績に驚く私。どうやら気にになり始めましたね!