第七話 やっぱりデートではありませんでした………
終点でバスを降りた。犬神神社前。そして夢前さんは流れるような足取りで神社へと続く石段に足をかける。僕は慌てた。
「ちょっ! ちょっと待った!!」
「はい?」
夢前さんがポニーテールを揺らして振り返る。小鳥のように小首を傾げ、ぱちくりと瞳を瞬かせる姿が愛らしいが、見惚れている余裕はない。
「あのさ、もしかしてこれから神社に行くのかな?」
「はい。もちろんそうですけど?」
「………」
当然というように答える夢前さんに僕は僅かに残った希望が霧散するのを感じる。まあバスの目的地を見たときから街に行くのではないとは予想していたけどね。
昨日散々繰り返した脳内デート。遊園地、ウィンドウショッピング、ゲームセンターでプリクラ、おしゃれなカフェでランチ,etc,etc………。
ふっ。浅はかな夢だったな。
いや、でもちょっと渋いチョイスではあるが悪くないんじゃないか? 静かで落ち着いた場所だろうし、近年はパワースポットとか言って意外と人気もあるようだし。そもそもだ。あれだけ恋焦がれた夢前さんと二人きりだよ? 一体何の不満があるというんだ?
「夢前さん」
きりっと顔を作って僕は彼女に声を掛ける。
「はっ、はい?」
「行こう神社に!! いやむしろボクらは神社にこそ行くべきなんだ!」
「はあ………」
戸惑い顔の夢前さんを先導するように僕は意気揚々と石段を登っていく。
天気は快晴。寝不足気味だが体調は万全。少し遅れて付いてくる夢前さんの美少女ぶりも絶好調だ。
よし! よし! テンション上がってきたぞお―――!
………まあすぐに直滑降したんだけどね。
「ふひーふひー」
僕の口から情けない喘鳴が漏れる。初夏の日差しを受けた額から汗が滴り落ちる。暑い、しんどい、そして、
「長い!」
この石段ものすごく長いぞ! もう百段くらいは上がったと思うのに全然神社が見えてこない。
そもそも石段自体の作り方がおかしい。おそらくはこの山の頂上付近にあると思われる神社のお社に向けて真っ直ぐ作ればいいものを、山肌に沿ってグルグルと螺旋を描くように作られているのでものすごく長いのだ。まあ途中に花こそ咲いていないもののアジサイや梅の木なんかも植えられていて綺麗といえば綺麗なんだけど、それよりもやはりこの長い登攀路を登る苦労のほうが先に来るね、僕なんかは。
しかし、
「♪」
夢前さんは違うようだった。ここに来てから明らかに機嫌が良くなっている。今も楽しそうに「ふんふんふ~ん♪」とか適当な鼻歌を歌いながら、スキップでも踏んでいるかのように軽やかな足取りで僕の前を進んでいる。
今頃やってきた寝不足の影響と、まるで僕に課された修行かの如く、延々と続く階段登りのあまり、やや前傾気味のボクの目には、夢前さんのショートパンツに包まれた小さなお尻と、意外と引き締まった太股からふくらはぎにかけての白い肌。さらに目線を下げると、白いソックス、そして小さな足を覆う薄いピンク色に白の縁取りのスニーカーが見えている。
なるほど夢前さんはこの山登りを想定して「歩きやすい服装」で来たわけだ。僕は下ろしたてのスニーカーが微妙に合っていなくてアキレス腱の下辺りが擦れて痛くなってきているのだけど。
そんなボクを尻目に夢前さんはポニーテールをフワフワとなびかせて、まるでジブリアニメのキャラクターのような体重を感じさせない足運びですいすい階段を登っていく。その姿は昔テレビで見た岩山を登るカモシカのように俊敏で、何処か優美ささえ感じさせるものだった。まるでここがホームグラウンドだとでも言うような、いわばこの場そのものに対する『気安さ』も感じ取れる。
「ゆ、夢前さんは、ここに、よく来るの?」
息切れしつつ僕が聞くと夢前さんは顔だけを振り向かせて、
「はい!」
元気いっぱい答えた。うーんいい笑顔だ。彼女の足が引き締まっているのはここに頻繁に通ってこの階段登りで無意識に鍛えられているからなのかもしれないね。ほら、息切れ一つしてないし。ちょっとした発見だな。彼女は何となくインドア派だろうと思っていたけれど意外とアウトドア派だったわけだ。
「あと半分ぐらいよん。頑張ってね三色ちゃん。ウッフーン!」
唐突にダリアさんキャラで励まされて腰が砕けそうになる僕だが、まあこれも夢前さんとお付き合いするための試練だと思えばどうということもない。
「………おうさ!」
力強く答えて僕は一歩踏み出す。この一歩が彼女に近づくための一歩だと信じて。
目指せ頂上!
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「おおっ!」
およそ二十分ほどかけて頂上に到着した僕は思わず歓声を上げた。
「空だ………」
口からしょうもない感想が漏れる。裏腹に僕は結構感動していた。頂上についた途端いきなり視界が広がって真っ白な雲と青い空が目に飛び込んできたのだ。
電線や他の建物が目に入らない空というのはあまり見たことがないかもしれない。綺麗とか一言では言い表せない何かの衝動が胸のうちから湧き上がってくるのを感じる。もしかしたら登山が好きな人はこの感覚を味わうために山に登るのかもしれない。まあ僕が登ったこの山は小山と呼んだほうがいい高さだけど。
「鉢伏さん着きましたよ。犬神神社です」
木製朱塗りの鳥居の前に立った夢前さんが自分の家を紹介するかのような雰囲気で手を差し伸べる方向には、こじんまりしていながらも、年季の入った瓦屋根や黒ずんだ柱が重厚感と積み重ねた歴史を感じさせる犬神神社の拝殿が見えた。
僕らの足元からその拝殿へと真っ直ぐ伸びた石畳の参道の右手には、社務所と売店をかねているらしいお守りやお札の載ったカウンターが突き出た建物。
左手には注連縄の巻かれた御神木らしき高さ七メートルはありそうな巨木。その手前にはちょろちょろと水音をさせる手水舎が佇んでいる。
きょろきょろしながら鳥居をくぐりそのまま何気なく拝殿の方へ進もうとすると、
「ちょっと待ってください鉢伏さん」
なにやら真剣な顔をした夢前さんからストップが掛かった。彼女はビシッと僕の足元を指差す。なんだろう? 僕が踏みしめた石畳の上には玉砂利しか見当たらないが。僕は首をひねる。
「鉢伏さんここは神社です」
「そうだね神社だね」
「そしてこの石畳が敷かれた道は参道です」
「そうだね参道だね」
「参道の真ん中を歩くのはよろしくありません」
「………そうなの?」
「はい」
「どうしてよろしくないのかな?」
「それはですね」
夢前さんはコホンと一つ可愛らしい咳払いをして、
「参道の真ん中は正中といって神様が通る道だからです。神様が通る道を人間が通るのはよろしくないでしょう?」
「うーん、そうだね。よろしくない気がするね。わかったよ、少し端のほうを歩くことにするよ」
右に方にずれようとすると夢前さんがシャツの袖を引っ張って止めた。なんだろう? 下ろしたての服が伸びるのだが。
「鉢伏さん、参拝する前に禊をしましょう」
「禊?」
僕の脳裏に巫女服を着た夢前さんが桶にためた水を自らザッバー! と被るビジョンが浮かび上がる。巫女服の白い生地が濡れた肌に張り付いてうっすらと………、うむ。いいじゃないか。
「あの、鉢伏さん? どうして腕組してニヤニヤしながら頷いているんですか? 手水舎のお水で手を清めるんですよ。参拝前の作法です」
僕の妄想を破ってちょっと気味悪そうにした夢前さんがおずおずと告げる。
あ、そういうことね。
―――というかいつの間に僕はこの神社に参拝することになったのだろうか。何となく拝殿へ向かおうとはしていたけど、別に参拝する気はないんだけど。………まあいいか。僕の人生における今日という日は夢前さんにまるっと捧げるとデートの約束をした時から決めている。ここは彼女の言うとおりにしよう。
「鉢伏さん私の真似をしてください」
「うん」
夢前さんを横目に見ながら文字通り見よう見まねで禊をする。
えーと。まずは木製の柄杓にちょろちょろと流れ出てくる水をいっぱいに溜めて、その水で左手、右手とすすぐのか。おお。結構冷たいな。もしかして地下水を引いているのだろうか、などと思いつつ次は柄杓の水で口をすすぐ。くちゅくちゅくちゅぺっ。ふーん。口の中まで清めるんだね。そして最後は残った柄杓の水で柄杓自体を綺麗にする。元通りに戻せば禊完了だ。
それにしても夢前さんの禊には淀みがない。動作の一つ一つが洗練されている気がする。本当によく神社に通っているんだなと思わせるこなれた様子だった。それにこの空間自体が夢前さんに似合っている。しっくりきているという感じがした。流れる清涼な水音の中、伏目がちに禊を行う彼女の姿は本当に綺麗だった。今日見た夢前さんの表情の中で一番僕が持っていたイメージに近いかもしれない。
「ところで夢前さん」
「はい?」
「この水飲めるかな? なんだか喉が渇いちゃって。あっ、もしかして作法的にまずいかな」
でもすごく美味そうだ。じいっと物欲しそうに手水を見つめる僕を見て夢前さんがくすくすと笑う。
「構わないと思いますよ。神様もそんなに狭量ではないでしょう。それにここのお水は地下水を引いていてとても綺麗です。一年前に市の水質検査があったそうですけど全く問題なかったとのことですし」
詳しっ! 神社の内情まで把握しているとはおぬしもしや神社ソムリエか?! 内心戦慄する僕に構わず、彼女は細い指で手水舎の裏手辺りを指差して見せた。
「そちらに蛇口がありますから」
「ああ、うん」
戸惑いつつ蛇口をひねって流れ出てくる水を両掌に受け口をつける。おおお。うまっ! 渇いたのどに冷たい天然水が染みるぜ。立て続けに二杯三杯と水を飲み。口を拭って蛇口を閉じる。あー。おいしかった。どうやらここに来るまでの強行登山で僕は相当喉が渇いていたらしい。全身の隅々まで水分が行き渡って枯れかけていた細胞が蘇っていく感じだ。
「では拝殿に行きましょうか」
水の有り難さを全身で味わっている僕に夢前さんが声を掛けて歩き出す。僕も彼女の隣に並んで拝殿を目指す。おっと参道の真ん中は通らないようにしないとね。
程なく拝殿の前に到着。並んで佇むボクらの前にはでっかい鈴とそれに繋がるゴン太の縄、そして木製の賽銭箱が口を開いている。
正面の建物の入り口には屏風が立ててあって中の様子は見えない。屏風の絵柄は白い犬。この犬が犬神様なのかな? 屏風そのものがご神体ということはないだろうけど。
………さて、禊にも作法がありました。参拝にも作法があります。僕は作法を知りません。この場合どうすればいいか。
「夢前さん先にお手本を見せてくれるかな? 僕はそれを真似させてもらうよ」
「お手本だなんて………」
僕の言葉に夢前さんが頬を染めて恐縮してみせる。いやいや神社ソムリエが何をおっしゃいますやら。
「では僭越ではありますが………」
コホンと咳払いして夢前さんが表情を改める。そしてまずは神前に向かって深くお辞儀をした。顔を上げると白い手を伸ばし縄を掴んでガランガラン!! 結構な勢いで鈴を鳴らす。僕が少し驚いていると、
「鈴は神様に自分が来たことを知らせる意味がありますので」
と説明してくれた。なるほど神様に聞こえるように大きな音で鳴らすわけだね。
次はお賽銭だ。夢前さんはショーパンのポケットから五円玉を出して賽銭箱に放り込んだ。ご縁がありますようにってことだろうか。だとしたら一体誰とだろう。夢前さんとご縁があるのは僕だ!………、といいのだけど。などと考えるボクの前で彼女は二回深くお辞儀し、二つ拍手を打った。いわゆる二拝二拍手の後、手を合わせて祈念。
「………………」
うーん。真剣にお祈りしてるなあ。口がへの字になってる。力が入ってるね。
最後にもう一度お辞儀をし、「ふう………」と軽く息を吐くと夢前さんは長い髪を揺らして僕に向き直った。
「以上で参拝終了です。参考になりましたか?」
「うん、なったなった。ありがとう」
というか参考どころではなく僕は君がしたことをそのまま真似するつもりなんだけどね。
さて次は僕の番だ。横では夢前さんがジーっと僕を見ている。彼女にはそんな気はないだろうけど試験官に監視されている気分だね。
えーとまずはお辞儀。次は………と僕は夢前さんがしたことをなぞっていく。そして手を合わせてお祈りする手順でちょっと悩む。何をお祈りしようか? やっぱりここはアレだな。
家族の安全と、健康祈願。
え? 夢前さんとの恋愛成就じゃないのかって?
うーん。それも良いのかも知れないけど、僕は夢前さんとのことを神頼みにしたくないんだよね。自分の力で勝ち取りたいというか、奇跡とかそんな超常現象に縋りたくないというか。
だって神頼みにしちゃったら最初から自分の力ではどうにも成らないと思ってるみたいじゃないか。さらにはもし恋が成就してもそれは神様のおかげであって、僕が成し遂げたことではないということになってしまうかもしれない。
そんなの嫌だ。
僕は難しくても夢前さんと、自分の力で結ばれたい。僕という人間を好きになってもらいたい。そしてもし失恋したとしてもそれを自分自身の責任として受け止めたいんだ。
神様のおかげも神様のせいも僕は願い下げだ。
………といいつつ友達の力や家族の力は借りてるわけだけどね。だからこの気持ちは矛盾してるのかもしれないけど。
ともかく僕は神様に家族の安全と健康だけをお祈りして参拝を終えた。
そこまで真似するつもりはなかったけど最後に一つ神前にお辞儀した僕の口から「ふう………」と夢前さんが吐いたような息が漏れた。いや、見られてると緊張するものだね。さっきの彼女の気持ちが分かったよ。
「どうだったかな?」
思わず彼女に尋ねると、
「ウッフーン! なかなか良かったわよおー。お姉さん感激しちゃったわ!!」
と満面の笑みのダリアさんが僕をふわっとした感じに褒めてくれた。
………嬉しいけども、出来ればその台詞は夢前さんに言って欲しかったなあと思う僕であった。
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参拝が終わると、「そろそろお昼にしましょう」と夢前さんが宣言し、僕らは境内片隅の古びたベンチに座り昼食を食べることになった。………のだが町に出かけるつもりだった僕は当然昼食など用意していない。
財布は持っているが当たり前というべきか神社には食べ物の類が一切売っていなかった。そんなわけで空腹のあまり涎を垂らしながら夢前さんの食事風景を観賞する覚悟を決めかけた僕であったが、ここで予想外の事が起きた。
「うっふーん! 実は三色ちゃんの昼食も用意して来てあげたのよーん!」
そう言い放つと引き続きダリアさん状態の夢前さんが肩に掛けていた小さな鞄をごそごそと漁りだしたのである。
おおお! なんてことだ! と僕は思わぬ僥倖に身を震わせる。今まで今日のデートを残念残念言ってきたがここに来てこんな幸福が待ち受けていようとは!! まさかまさか夢前さんのお手製弁当を食べられる日が来るなんて!! 昨日さまざまな妄想を尽くしたつもりでいたけどもこんな展開は完全に予想を超えている。現実が妄想を凌駕した。
一体どんなお弁当を彼女は作ってきてくれたのだろうか?
定番としてはサンドイッチ? 天気の良い今日のような日にここみたいな山の上で食べるサンドイッチはさぞおいしいだろうなあ。
それともおにぎりだろうか? お約束としては彼女が少し塩加減を間違えたりして、ちょっとしょっぱくなってしまっているそれを僕は「しょっぱいけどおいしいよ」と笑顔で頬張って………、みたいな。なんだかそれって本当に恋人同士のやり取りみたいじゃないか。むふふ。
嬉し恥ずかしい妄想に思わず頬も緩む僕であるが、しかし、ここでも夢前さんは想像を超える。
そう、「どうぞ」と彼女が差し出してきたのは、
ててててっててーん!
カロリーメイトォ―――!!
………なのであった。
「――――――」
と僕は思わずその黄色い箱を見て固まる。直前まで極限に素敵な妄想を脳内で繰り広げていただけに現実との落差に頭は真っ白。
「飲み物もあるわよん」
「うん。」
「三色ちゃんは壮健美茶と綾鷹どっちがいいかしらん。うっふーん!」
「どっちにしろお茶じゃねえか。」
「うっふん? 何かいったかしらん?」
「いえなにも。」
受け答えも半自動のオートマトン状態。いまどきこの程度のやり取りなら掃除機でもする。自分が今死んだ魚のような目をしていることが自覚できた。
「何故カロリーメイト………」
黄色い箱を両手で握り締めて呆然と呟く僕。何か他の選択肢はなかったのだろうか。
一方夢前さんは「えへへ」と素の表情ではにかんで見せた。
「いつもは菓子パンなんですけど、一度食べてみたくて」
ああ………。と僕の悲嘆は尽きない。何も今日でなくても。これなら菓子パンのほうがよっぽど良かった。………いや別にカロリーメイトが特別嫌いとかそういうわけじゃないよ? ただ僕としてはもうちょっと男女のデート的スイートな要素が欲しかったというか。極めて効率的に一日に必要な栄養素とカロリーを摂取できてしまうこの質実剛健さが今はたまらなくせつないのだ。
しかしそんな僕の胸の内はお構い無しで夢前さんは何故か上機嫌。
「半分こしましょう」
楽しそうに僕から箱を取り上げると中身を分けていく。
そんな夢前さんを横目に眺めて僕は、もういいか、と苦笑する。
―――分かっている。そもそもがこれは『デート』なんかではないのだ。表面上はそう見えるかもしれないが、夢前さんにとってこれはあくまで『第二の試練』。本質的にデートなどではありえない。それが今のカロリーメイト出現で、浮かれ気味の僕の脳にもしみじみと実感できた。それなら、と思うのだ。
僕の隣で彼女が笑ってくれている。今はそれだけでいいじゃないか。
だって楽しそうな彼女を見ているとほんのりと胸が温かくなるのだ。初恋の僕にも分かる。この胸の温もりはきっと何か掛け替えのないもの。そしてそれを与えてくれているのは紛れもない彼女なのだ。だからしょうもないことで落ち込むのはもうやめよう。むしろ僕は夢前さんの気遣いを喜ぶべきなんだ。
カロリーメイト。
「………いいじゃないか」
実は僕も食べたことがないんだよね。銀色の包装を開けてカロリーメイトブロック(スティックではなくブロック。箱にそう書いてある)を齧ってみる。ふむ。
「意外とおいしいね」
呟くと、彼女はこくこくと頷いた。
「はい! 私はもっとお薬みたいな味を想像していました。生地にアーモンドも入っているようですし、食感にも気を使ってる感じですよね」
「そうだね。………というかさ、これって………」
「そうですね、これって………」
「クッキーだよね」「クッキーですよね」
期せずして二人の感想が重なった。
僕らはしばし顔を見合わせ、そして同時にぷっと噴き出す。なんだか無性におかしくなって僕らは声を上げて笑った。こんな風に彼女と笑いあったのは初めてのことで僕は本当に嬉しかった。
初夏の日差しの中、初恋の人と食べる初カロリーメイトはメープル風味。
ほんのり甘い味がした。
そのあと僕はベンチで座ったまま夢前さんからこの犬神神社の由来について長い長いお話を聞かせていただいた。何故そうなったのかはよく覚えていない。二時間もさして興味もない昔話を聞けばそんなものは遠い記憶の彼方に去ってしまうのだ。
話の後半、僕はほとんど夢現だった。とにかく犬神神社の由来ということで都合彼女が犬犬と連呼するので、五割方意識を夢の世界に飛ばしていた僕の視界に映る夢前さんの頭にはついに犬耳が生えてきた。
柴犬のようなピンと立った耳ではなく、ゴールデンレトリバーのようなペロンと垂れた犬耳だった。夢前さんはその犬耳をフルフルと揺らしながら何か熱心に語っているのだった。でも彼女は今やワン人なので僕にはその内容は分からない。ただ目をキラキラさせながら僕を見つめてくれている夢前ワンコが僕は可愛くて可愛くて、胸がきゅうっと絞られるような心地になるのだった。
これがいわゆる萌というやつだろうか。