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第二十話 願い

 蒼。


 蒼い世界が揺らめいている。ここはどこだ。僕は………。


 体をくねらせるとぐんと世界が加速した。止めると僕自身もそこにとどまる。


 そうか、と僕は理解する。ここは水の中だ。僕は水の中を泳いでいる魚だった。


 頭上には太陽の光を映してきらきらと揺らめく水面が見える。周りを見渡せば僕と同じような魚たちが銀色の鱗を煌かせながら群れを成して泳いでいた。


 でも僕はその群れに加わることが出来ない。


 僕はあんな銀色の鱗を持っていないし、あんなにうまく泳ぐことが出来ない。群れに混じれば爪弾きにされることは分かっていた。


 寂しかった。

 なんでもない風を装っていたけどやっぱり一匹でいるのはたまらなく寂しいことだった。


 そんなとき僕は一匹の魚を見つけた。僕と同じようにその魚は一匹きりで群れを遠くから眺めているのだった。


 僕はその魚と友達になることにした。その魚は他の銀色の魚たちとは少し違うけれどとても美しく見えたから。見た目ではなくてその魂の有様みたいなものが僕を惹きつけたのだ。


 しかしその魚は僕が近づくと尾を翻しピュッと逃げてしまった。それでも近づくと僕を()ついて遠ざけようとした。僕はもうほとんど意地になってその魚を追いかけ回した。


 そして、


 気づいたら僕たちは一緒に泳ぐようになっていた。多分僕のあまりのしつこさに遠ざけることがめんどくさくなってしまったのだろう。


 僕はそんな手口でもう一匹さらに一匹と友達を増やした。やがて僕らは群れとも呼べないような緩やかなコミュニティーを形成するようになっていた。蒼い世界は僕にとって居心地のいい空間になった。


 でも、


 僕にはずっと気になっていることがあった。それはこの蒼い世界に来てから僕の中で大きな場所を占めている事柄だった。


 僕らの頭上。揺らめく水面に映る影。


 船影だ。


 そしてその小さな船の上から誰かが恐々とこちらをのぞいているのだ。僕はその誰かが気になって気になって仕方ないのだった。


 長い黒髪を水面に垂らし水の中の僕たちを必死に覗き込む彼女はどこかの国の王女様らしかった。その頭には輝くティアラが乗せられていたから。


 そんなに気になるなら水の中まで来ればいいのに。


 僕は小船から身を乗り出している彼女を見ながらそう思った。何をそんなに恐れているのだろうと。でも違った。彼女はきっと僕以上にうまく泳げないのだ。それどころかこの蒼の世界で呼吸するための方法すら持っていないらしかった。


 いつしか僕はどうしても彼女と一緒に居たいと思うようになっていた。理由はよく分からない。ただただ彼女の隣に居たい一緒の時間を過ごしたいそれだけだった。


 でも彼女は船の上にいる。僕は魚だ。魚は船の上で呼吸できない。


 ならばどうするか。


 僕はどうしたらいい?




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「失礼しました」


 僕は頭を下げて進路指導室から退出した。扉を閉め窓側に振り返ると廊下には暖かな日差しが差し込んでいた。だけど僕は体の芯に冷え冷えとした感覚が広がるのを感じていた。


 僕が進路指導室に赴いたのは最終確認のためだった。そして水崎先生に話を聞いたことでその作業は完了した。水崎先生は第一の試練のとき僕らにお茶を出してくれた先生だ。


 夢前さんの家で読んだ手書きの最終ページと、本来の物語のラストを比べたことで得た推測。今まで夢前さんがくれた様々なヒント。そして水崎先生からもたらされた情報。


 もはやピースはそろった。

 パズルは完成した。

 完成してしまった。


 後は夢前さんに答えを示すだけだ。


 でも、それでいいのか? 僕は自分に問いかける。パズルはおそらく間違いなく組み立てられている。だがその図柄が示す答えを僕はいまだに受け入れられないでいた。だってこれはあまりにも………。


 でも答えを出さないままでいることも出来ない。いつまでも引き伸ばしていればきっと夢前さんは僕をあっさりと諦めてしまうだろう。彼女に僕に対する執着はない。いや今まで試練に挑んだどんな人間にも彼女は執着しなかったに違いない。チャレンジャーのままでは駄目なのだ。彼女に近づきたいならば。


 だとしたら………!


 僕は無意識に唇を噛み締めながらポケットに手を突っ込みスマホを取り出す。呼び出すのはもちろん夢前さんの番号だ。


『鉢伏さん? どうしたんですか?』


 スピーカーから聞こえてくる夢前さんの声は心なしか無機質に聞こえた。

 僕はひとつ息をしてから告げる。


「賢者の石を見つけたよ」

『!!』


 携帯越しに夢前さんが息を呑んだのが分かった。


「放課後第一理科室で待ってるから来てくれるかな?」

『………。分かりました』

「うん、じゃあね」


 言って携帯を切る。


 もう後戻りは出来ない。僕は前に進むしかない。

 だというのに僕はまだ迷っていた。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 放課後の理科室。静かにドアを開けて夢前さんが入室してきた。どこか俯き加減。その理由も今の僕には推測できる。


 横合いからの陽光が目を射る。西日がきつい。空気が動いたからだろうか。細かい埃の粒子が舞い上げられ、窓から差し込む日差しを宗教絵画かなにかのように幾筋も描き出していた。その光のカーテンの中を沈黙したままの夢前さんがゆっくりと歩いてくる。


 綺麗だな、と思う。彼女は本当に美しかった。彼女の存在そのものが奇跡みたいだ。まるで現実に存在する女の子だとは思えない。それほどに彼女は美しかった。


 でも夢前さんは現実の女の子なんだ。笑ったり、怒ったり、落ち込んたり、そしてきっと触れれば暖かい。そんなただの当たり前の女の子なんだ。


 僕はそんな彼女と―――。


「鉢伏さん」


 思いに沈みかけていた僕を夢前さんの声が引き上げる。気づくと手を伸ばせば触れられるほどの距離で彼女が僕を見つめていた。何か覚悟を固めたような深い瞳。華奢な手が心臓のあたりできつく握り締められていた。


「………では君が見つけたという賢者の石を見せてくれるかい?」


 最終試練を司るというエノクの口調で夢前さんが促す。僕は頷き、一つ息を吸い込むとあえて頭を真っ白にした。何も考えないように。そうしなければまた迷いの渦に捕らわれてしまう気がしたからだ。


 そして答えを口にした。






「賢者の石は僕だ」





 夢前さんが呆気に取られたのが分かった。


「あなたが、………賢者の石?」


 戸惑う彼女にしっかりと頷き、僕は続ける。


「そうだよ。だから僕は君の願いを叶えてあげることが出来る」


 そうだ。僕には彼女の願いを叶えることが出来る。はじめから夢前さんの願いはたった一つだったんだ。


「君の願いは、本当の、心からの願いは、なんだい?」


 ゆっくりと、夢前さんの顔に理解の色が広がっていく。瞳が揺れた。その瞬間喜びや苦しみや痛みや、ありとあらゆる感情が(さざなみ)のように彼女の表情を()ぎったように僕には思えた。


「………っ、………」


 夢前さんは口を開きかけ、また閉じるということを繰り返した。逡巡。彼女もまた迷っている。でもそれは僕にとっての救いにはならない。夢前さんが閉じた唇を震わせている間、僕はただ願うだけだった。どうか僕の推測が間違っていますように、と。


「私の………、」


 夢前さんが眦を決してようやく言葉を紡ぐ。


「私の願いは唯一つです」


 ドクッ、ドクッ、ドクッ。


 自分の心臓の拍動がはっきりと感じ取れる。あの熱を伴った浮つくようなときめきとはまったく違う、体が少しずつ侵食されていくような脈動が、こめかみまで這い上がってくる。ただ一言を待つ間の刹那の一時。僕は縋る様に念じ続けている。


 どうか僕の組み上げたパズルが見当はずれのガラクタでありますように。


 どうかどうか………!


 しかし、現実は残酷だった。





  

「私の友達になってくださいっ!!」






 ああ………。


 やはりそうだった。


 僕が組み立てたパズルは間違っていなかった。いや夢前さんは始めから最後まで懇切丁寧に至るべき最終図を示し続けていたんだ。すべては、


 僕を友達にするために。


 僕は問わずにはいられなかった。


「どうしてこんなことを………?」


 僕の声は枯れている。全身が震えていた。


 どうして? どうして?!


 こんな、………残酷なことを?


「………お話します」


 そして夢前さんは全てを語り始めた。


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