第十二話 夢前さんとクラスメイト
夢前さんの顔が無性に見たくなって、翌日、学校の昼休み、僕は彼女の教室を覗いてみる事にした。
「うわあ」
到着した途端思わず口から感嘆詞が漏れ出た。
夢前さんの教室前には人だかりが出来ていたのだ。
僕は前にもこんな光景を見たことがあった。入学式の次の日、夢前さんを一目見るためにこの教室を訪れたときと同じ見物人の壁が、まるでリプレイでも見るかのようにそのままの厚みで教室の窓に出来上がっていたのだ。
しかももう入学から二ヶ月以上が過ぎたというのに、である。よくもまあ、ここまで人気を保てるものだ。ほとんどアイドル並ではないだろうか。特に愛想を振りまいてるわけでもないだろうに、流石は『傾学の美少女』。こんな様子を見ていると、学校を傾かせたという噂もあながち………、などと思えてくる。
それにしてもどうしたものかこの野次馬ウォール。入り込む隙間がないんだけど。出入り口はかろうじて空いているが、あんなところに立っていたらクラスの人の邪魔になるだろうし、かといって教室の中に入ってしまうのは、空気が読めないことにかけては定評がある僕にしても抵抗がある。
そんなときだった。
「ちぇっ。何で寝てんだよ。顔見えねえじゃん。つまんねえ」
壁の一部を構成していた男子の一人が離れた。チャーンス!!
僕はすかさず空いたスペースに体を滑り込ませ、野次馬ウォールを突破する、というか己も一部になることに成功する。
そして野次馬同士のせめぎ合いの結果か、真ん中に寄せられて一つの窓枠にウォッチングスペースが二箇所開いている窓からは、
「!」
居た。夢前さんだ。
でもさっきの男子が言っていた通り顔を机に伏せて寝ているようだ。長い黒髪がまるで上等のビロードのように机に広がっている。食後の午睡だろうか。
「ちょっとあんた邪魔なんだけど」
いきなり間近から険悪な声をかけられて僕はびくっと震えた。夢前さんから視線を剥がして見てみると、一人の女子生徒が目を眇めるようにして僕を睨んでいた。どうやら僕が身を乗り出すように夢前さんを眺めていたから邪魔になったらしい。
「ごっごめん!」
僕は謝ると慌てて体を引っ込める。よく見るとかなり可愛らしい顔立ちをした彼女は「ちっ!」とチンピラみたいに鋭い舌打ちをしながら、鞄をフックに引っ掛けどすっと乱暴に着席する。こわっ。かっかえろうかな。びびった僕が背を向けようとすると、
「………見ない顔だけどあんたも夢前目当ての馬鹿?」
何故かその子が話しかけてきた。えーと。
「うん。まあその馬鹿です」
頭が悪いのは間違いないので恐々とそう答えると、彼女はまた舌打ちをする。かわいい顔を苛立ちに歪めながら、
「うっざ。男ってホント馬鹿だよね。確かに夢前は美人だけどそれだけじゃん。顔がいいだけの女に何でそこまで入れ込めるわけ? 理解に苦しむんだけど」
なんか毒を吐いてきた。そんなことを僕に言われても困るんだけど、彼女の顔に惹かれたことは紛れもない事実なので「はあ」と答えるとそれがいけなかったらしい、女生徒の言葉は勢いを増していく。
「言っとくけどあいつ相当遊んでるらしいよ? 男とっかえひっかえしてるみたいだし。この間も野球部の若桜君と歩いてるとこ見たし。ちゃんと彼氏ってわけでもないらしいのがなおさら酷いよね。適当に遊んでポイみたいな」
ああ、それはたぶん試練中だったんだろうな。
いやあ、この情報若桜君に聞いてからでよかった。そうじゃなければ大ショックだよ。でも女子生徒さんはまさに僕にショックを受けて欲しかったらしい。スキャンダルを平然とスルーする僕に苛立ちを強めたようだった。まくし立てるように畳み掛けてくる。
「それにあいつコミュ力ゼロだし。だいぶ前にあたしが話しかけてやったらさあ、めっちゃどもってやんの。なんか会話にならなかったし。あいつといても面白くないんじゃね?」
まあそうかもね。確かにコミュ力はないかもしれない。僕同様、自分から話題を提供できるタイプでもないしね。でも結構面白い人間であることを僕は知っている。気詰まりな時間になることもあるけども、あの類希な美少女成分を差し引いても、意外と一緒にいて飽きが来ない女の子なんだ。
「だいたいあいつ変なんだって」
女子生徒の毒霧はまだまだ噴射中だ。声も大きくなっている。周りの生徒たちもこっちに注目しだしていた。まあまったく気にせず手鏡片手にお化粧に励んでらっしゃる女子もいるけども。ファンデくさいっすわ。
「なんかいつも一人でいるし。本ばっか読んでるし。話し言葉もなんか変だし。昼休みは一人でどっか行って居ないかいつも寝てるし」
そこで彼女は「おーい! 夢前!!」といきなり彼女を呼んだ。おしゃべりしていたほかの生徒が全員振り返るような大きな声だ。しかし夢前さんは反応しなかった。
「ねっ、寝てるでしょ?」
夢前さんが机に伏せたままなのを見届けて、女子生徒は薄い笑みを浮かべたまま小首を傾げて僕に同意を求めてくる。さすがに僕は口をへの字にせざるを得ない。
この子わざとだ。
夢前さんは寝てなんかいない。それを知っていてわざと大声で彼女の悪口を言っているんだ。彼女に聞こえるように。
「おい! いい加減にしろよ!」
声を荒げたのは僕ではなく近くにいた男子生徒だった。
「夢前さんをいじめてんじゃねえよ! 性格の悪い女だな!!」
性格が悪いといわれた彼女は細い眉を逆立ててすぐに応戦。
「はあ?! いじめてねえし!! 夢前のほうが勝手に壁作ってるだけだっつうの!」
「そういうのをいじめてるっつうんだよ! お前みたいなやつがいるからいじめがなくなんねえんだよ!!」
「だからいじめてねえっつってんだろ?! だいたいお前らキメえんだよ!! いっつも窓に鈴なりやがってよ!! こっちの迷惑も考えろっつうの!!」
「ああっ?! てめえにはんなこと関係ねえ―――おっ? おお?」
怒鳴っていた男子生徒がだんだん傾いて行く。何が起こったのか分からんという顔のまま男子生徒の姿は窓ガラスに隔てられた。当然口論も中断。
窓をスライドさせて片方のウォッチングスペースから男子生徒を締め出した僕は、次に女子生徒に向き直る。廊下側から男子生徒の文句が聞こえるがスルーだ。
「なっなによ? あんたもなんか文句でもあるわけ?!」
ちょっとたじろいだ様子を見せながらも強気に噛み付いてくる女子生徒に僕は静かに告げる。
「特に文句はないよ。でも」
言葉の途中で僕はさっきからバタバタとファンデーションをはたきまくっている女子の手から抜き取った手鏡を突きつける。
「君は今、自分がどんな表情をしているのか考えてみたほうがいい」
「!」
そこに何が映って見えただろう。女子生徒の顔が引きつった。ぺたぺたと信じられないというように両手で自分の顔を触る彼女の姿を無視して、僕は手鏡をファンデ女子に返し夢前さんの教室に背を向けた。
夢前さんはもう休み時間中顔を上げないだろうし、顔は見れなかったけど一応姿は眺められた。ここにはもう用はない。
僕は胸の中になんともいえない靄のようなものが蟠るのを感じながら、自分の教室に戻るのだった。




