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第九話 エノク

 ホクホク顔というのはこういうのをいうんだなあ。僕は読み物だけで知っていたその表情を目の当たりにしてちょっと感慨深い思いに駆られていた。


 ここは駅前の喫茶店。本屋で本を買ったその後。目の前では十冊近い本を四人掛けの机に広げた夢前さんが件の如き表情で色とりどりの表紙を眺めている。本の種類は丁度コミックが半分、ラノベが半分といったところ。


 ちなみに僕も数冊の本を入れた書店の紙袋を隣の空いた席に置いていた。こちらはラノベが二冊に、コミックが一冊。コミックのタイトルはパズル・ピース、その二十一巻だった。もちろんこれは夢前さんの影響だ。あの後もあまりに熱心に勧めてくるので流されて買ってしまった。


「ふわあ………! どれから読みましょう?!」


 夢前さんの雲の上を歩いているかのような声。僕の目にそれはそれは嬉しそうな彼女の表情が入ってくる。なんというか本当に幸せそうだ。それは大変結構なのだけど。


 またしてもだ。

 僕の幻想は破られた。


 僕は彼女が読むのはきっと何処か欧州の詩人が詠んだおしゃれな装丁の詩集か何かだと思っていたのだ。


 それを片手に持って窓際。風に揺れる白いレースのカーテンを透かして穏やかに注ぎ込む太陽の光を受けつつ、静かにページをめくる『傾学の美少女』の白い横顔………みたいな。


 でも現実はこれだ。机の上に広げられているのは男の子が読むようなコミックやラノベばかり。僕は勝手な話だけれど少しばかりがっかりしていた。いや別にコミックやラノベを読むのが悪いという話じゃないよ? 僕もラノベは結構好きだし。夢前さんが好きらしい異能力ものや中世ファンタジーじゃなくて、これも恋の影響か、最近はラブコメばかり読んでいるけどね。そうじゃなくて夢前さんにはなんか自分が読まないものを読んでいて欲しかったというか。


 ………。


 なんなんだろうなこれ。自分でもよく分からない。僕は夢前さんに何を求めていたんだろう。いわゆるこれが男子が持つという少女幻想というやつなんだろうか。


 ファンがアイドルに、自分が抱いているイメージを壊されて怒るみたいな感じなのか。いやもっと性質が悪い気がする。夢前さんは別に創り上げたイメージを売っている訳ではないのだから。要するに僕は自分の妄想を勝手に押し付けておいて勝手にがっかりしているんだ。だとすればなんて身勝手な話だろう。ちょっと自己嫌悪だ。


「ご注文のオレンジジュースとグレゴリアス・スペシャルでーす!」


 麗しい夢前さんの姿を眺めながら考え事をしていた僕の前に店員さんが現れた。「あっ!すいません!」謝って机の上の本を片付ける夢前さんを手伝って、重ねた本を机の脇にどける僕の前にオレンジジュースが、そして、


ドン!


 重々しい音を立てて夢前さんの前にカラフルな山が出現した。


「なんだ………、これは!」


 衝撃のあまり思わず劇画調で慄く僕の前で「ふわぁ………!!」夢前さんがマタタビを喰らった猫みたいな歓声を上げた。


 僕等がエンカウントしたのはチョコアイスとバニラアイスと生クリーム、さらにチョコソースと数々の果物及びウエハースやポッキーなどで盛りに盛り上がった、超巨大パフェだった。正気の沙汰とは思えないデカさだった。


………これ一抱えぐらいあるぞ。死ぬ気か?


 戦慄の視線を向ける僕だが夢前さんは何処吹く風。キャッキャッと手を叩いてモンキーみたいに喜んでいる。


「これがグレゴリウス・スペハル!!」

「いや、グレゴリアスだから。あとスペシャルも言えてないから。どんだけ舞い上がってるの君は」


 思わず声に出して突っ込んでいた。何で僕が訂正してるんだ。頼んだの君でしょ。


「そんなことは分かっておるわ!!」


 うわお!! 顔を赤くした夢前さんに怒られた。エリシアさん久々の登場だね。


「グレギリ、グレゴル、グレ、あ―――もう!!」


 あっ! キレた振りしてグレゴリアススペシャルに一気にスプーンを突っ込んだぞ! グレゴリアス言う間も待ちきれなかったみたいだ。


「んっ?! んんん~~~~~~♪!!!」


 生クリームとチョコソース及びアイスを一気にこんもりとイッた夢前さんは一瞬大きく目を見開き、次にはふにゃふにゃの軟体動物みたいになった。目がふにゃふにゃの線になっていた。さらにはふにゃんふにゃんと体をくねらせていた。タケシとノゾミもびっくりのふにゃんふにゃんぶりだった。


「おいっしい―――です!!」


 全力の感想の後、小さい口に矢継ぎ早にパフェを掻きこんでいく。小さなパフェスプーンで食べているとは思えない速度でパフェグラスの中の小山が減っていく。そして、


「うく………!!」


 冷たいものを急に食べたとき恒例のキーン! で頭を押さえて苦しんでいた。何やってんの君は。


「夢前さんちょっと落ち着こう」


 見かねて僕が声を掛けるとキーン! から復帰した夢前さんは頬を赤らめて、


「うっ、うむ。失礼した」


 エリシアモードでコホンと咳払いした。そしてパフェスプーンを振り振り唐突に解説。


「姫は前々からこのグレゴリアス・スペシャルなるモンスターパフェを食することを夢見ていらっしゃったのだ」

 夢見てたんだ………。


「そしてパフェでキーン! してみたいと思ってらっしゃったのだ」


 キーン! 部分も夢だったんだ………。まあ普通のパフェだとキーン! ってならないよね。そして僕らはさっきからどんだけキーン! で押しているんだろう。大丈夫? 伝わってる?


 ちょっと思い立ってオレンジジュースを啜りつつメニューをチェックしてみる。


「………なるほどこの値段でこのサイズじゃ頼むのにちょっと勇気がいるよね」


 一人納得してメニューをメニュー立てに戻すが夢前さんは天使の輪が浮かぶ黒髪を揺らして静かに首を振った。


「そういうわけじゃないんです。そうじゃなくてここは私には少し敷居が高いといいますか………」


 尻すぼみ。言葉は滲んで宙に消えていく。


 敷居が高い? どうしてだろう。ただの喫茶店だと思うけど。スイーツのラインナップが充実しているせいか女子率が異様に高いのは気になるが。今もほとんどの席が女子のグループで占拠されているしね。ちょっと男子は入り難い感じなんだよね。内装も可愛らしい雰囲気だし。でも夢前さんは女の子なので問題ないと思うんだけど。


 疑問に思いつつちらりと夢前さんの顔を窺う。彼女は何処か憂いを帯びた表情でポッキーを手に取りポリポリと食べていた。


 その顔は未だ行く手に立ちはだかるカラフル山脈を憂えてのものだろうか。

 それとも………。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 


 街灯に照らされた夜道。僕は夢前さんと並んで歩いている。


 喫茶店を出るともう陽も落ちてきていたので、僕は夢前さんを送って帰ることにしたのだ。夢前さんは遠慮していたけど僕もさすがにここは譲れなかった。危ないもんね。


 隣を歩く彼女は今朝会ったときよりずっと穏やかな表情をしている。なにかオドオド感も薄れた気がするし、このデートもどきで少しは打ち解けたのかな。それとも胸に抱えている紙袋の中身を家に帰って読むことに対する期待が彼女にこんな顔をさせているのか。もちろん僕は前者推しだ。


 結局あの喫茶店にはかなり長居をしてしまった。それもこれもあのグレゴリアス・スペシャルなるモンスターパフェのせいだ。


 最初は調子良くパクパクとパフェを口に運んでいた夢前さんだったが、残量が半分を過ぎた辺りからガクッとスピードが落ち、五分の三を食べ終えた辺りから脂汗を垂らし始めた。


 もはやナマケモノの食事風景が如くのろのろとスプーンを動かす夢前さんを見兼ねて、僕が助力を申し出るころには彼女はすでに死に体。残り五分の一は全て僕が食べることになった。恐ろしいことにそれでも通常のパフェの二杯分はあったね。今夜の夕食はもういらない感じだ。あー、口の中が甘い。


 僕が過剰な甘味摂取の余韻に顔をしかめていると、


「………綺麗」


 いつの間にか夢前さんが立ち止まっていた。彼女の目の前にあるのは大手家電量販店のウィンドウに陳列された50インチはあろうかというデカいTVだ。いわゆる4KTVというやつなのだろう、恐ろしく精細な色彩を再現した画面は青い海の中を群れなして泳ぐ魚たちを映し出していた。


 上面にはきらきらと輝く水面。様々な表情を見せながらうねる青の中を銀色の鱗を光らせながら小魚が泳いでいく。それを陶然とした表情で夢前さんは見つめていた。


「夢前さん魚が好きなの?」


 僕は尋ねると夢咲さんは画面を見つめたままこくりとうなずいた。


「知っていますか鉢伏さん。地球全体を100としたとき陸地はその30パーセント程度しかないそうですよ」


 なんかいきなり豆知識的なことを語りだしたぞ。いったいなんだろう?


「地球の70パーセントは海なんです。だからでしょうか、私はこの魚たちがとても自由に見えます」


 言葉の意図が見えない僕は沈黙している。


「私もこんな風に自由に海の中を泳げたら………」


 夢前さんはどこか遠い目をしてつぶやく。いったいその瞳はこの虚像の海を通して何を見ているのだろうか。

「………まあ私は泳げないんですけどね!」


 最後に夢前さんは茶化したような調子でそう言ったが、青い光に照らされた夢前さんの表情は何故かとても印象的でずっと僕の心に残った。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 バスを乗り継ぎ僕と夢前さんはとある住宅街に到着。しばらく歩くと夢前さんは、とある一軒家の前で立ち止まった。


 門扉支柱の照明には明かりが灯っていて、表札には夢前とある。ということはここが彼女の家なのだろう。それほど僕の家と変わらない大きさだが、窓のデザインや玄関アプローチなど、ところどころにセンスが感じられる瀟洒な家屋だった。


 それにしても近所でお別れするものとばかり思っていたのだけど、家の前まで送らせてくれたんだな。僕がストーカー化するとか考えないんだろうか。ほとんど面識のない僕と二人きりで出かけたり、家の前まで送らせたり、夢前さんは妙に警戒心や危機感みたいなものが薄い部分がある気がする。あぶなっかしいなあ。


 それともそれだけ僕を信用してくれているのかな? だとしたら嬉しいけど、知り合ったばかりの人間を信用するというのもそれはそれで危なっかしい気がする。


「今日は付き合っていただいてありがとうございました」


 門扉の前で夢前さんは折り目正しくぺこりとお辞儀をした。


「いや、いいよ楽しかったし。それにこれは第二の試練だったんでしょ?」


 言ってからはっとする。そうだこれは試練だったんだ。パフェの甘味に思考を塗りつぶされて今の今まで忘れ果てていたけども。そして僕はまだその合否を聞いていない。


 思わず表情を硬くする僕に気づいたのだろうか。夢前さんはその居住まいを正した。


 そして不思議な踊りを踊り始めた。


「おめでとお~ん三色ちゃん! 第二の試練合格よお~ん!」


 ぱちぱちぱち~! と手を叩いてくれるのは、嬉しさも半減のダリアさんだった。しかし僕もそう何度もMPを吸い取られるわけにはいかない。両足を踏ん張って不思議な踊りをレジスト! 吉本式ずっこけをなんとか自制する。夢前さんの第二人格にも多少慣れてきちゃってる我が感覚の残念さについては目をつぶることにした。


「………むう」


 あれ? 夢前さん? 何で不服そうなんですか? ずっこけて欲しかったの? 


 ともあれ第二の試練に合格したというなら僕には訊くことがある。


「それで夢前さん。この先のことだけど」


 僕が促すと夢前さんははっとしたように表情を改めた。


「そう、ですね」


 玄関照明で逆光になっているせいだろうか、口にした彼女の顔に翳りが落ちた気がした。


 彼女はしばし目を閉じる。長いまつげが白磁の頬に影を落とす。


 決然と顔を上げた。





「良くここまで来たね鉢伏君」





 可憐な唇から零れたのは普段より低めの声。そして少年のような口調。彼女は自分の薄い胸に手を当てて騎士が姫君の前で行うような優雅なお辞儀をして見せた。

「僕の名はエノク。姫を守護する三番目の騎士だよ」


 第四人格か! と僕は中二病バトル漫画の説明キャラのように叫びそうになる。かろうじて自制したが。このあたりちょっと夢前さんに毒されているかもしれない。


 エノクは僕の内心の動揺を読み取ったかのように少し口の端を緩めた。ニッ。そんな擬音が似合う斜に構えた微笑。


「そして第三の試練を司る者でもある」


 来たね。


 第一の試練は夢前さんの好物を探し当て献上することだった(割り勘したけども)。


 第二の試練は彼女に付き合って神社にお参りしたり、買い物に同行することだった。


 この流れからいくと第三の試練はいったいどんなものだろう?


―――分からない。まったく予測がつかない。そもそも第二の試練のどこが試練だったのか、いったい僕は彼女に何を認められて第三の試練に進むことができたのか、それすらも不明だ。


 不安だ。


 今度はいったい何が待ち受けているのだろう。それは僕の手に負えることなのか?


 無言で夢前さんを見つめ返す僕にエノクが口を開く。


「試練を言い渡す前に君に聞いておきたい」

 なんだろう。僕は視線で先を促す。


「第一の試練、第二の試練は、いわば前哨戦。僕が司る第三の試練こそが本当の試練といっていい。それは君にとってとても厳しいものになるだろう。君はその過程で姫に告白したことそれ自体を後悔することになるかもしれない」


 告白したこと自体を? その言葉に僕は違和感を覚える。それだけじゃない。


「それでも君は第三の試練、僕が課す最終試練に挑むかい?」


 エノクの、いや夢前さんのどこか愁いを帯びた表情にもだ。


 どうしてそんな顔をするんだ。僕のことが気に入らないならもっと早い段階で落とせばよかった。


 僕に期待しているなら、もっと明るい表情をしていていいはずだろう。


 何をそんなに憂う必要があるというんだ。僕の違和感はどんどん強まっていく。それにともなって不安も大きくなっていく。


 しかし答えは決まっていた。


「もちろん」


 僕は一言だけを簡潔に口にする。


 ここまできて途中で下りるなんてありえない。僕はさまざまな人たちの力を借りてここまで来たんだから。そしてなにより、


 僕は夢前さんが好きなんだ。

 好きで好きでたまらないんだ。


 多重人格設定だったり、美人なのをいいことに人に試練を課したり、人よりちょっとズレていたり、終始おどおどしていて話し辛かったり、『男』に対して危機感が薄くてあぶなっかしかったり。


 彼女とともに過ごした少しばかりの時間の中でさまざまに残念な部分を知ったけど。

 それでも好きだ。自分でも訳が分からないけど、どうしようもなく好きなんだ。


 美人だから。それも飛び切りに美人だから。

 そう………、だと思う。うーん。それ以外に理由があるのだろうか? 分からない。自分自身が分からない。本当に恋は分からないことだらけだ。


 でもただひとつ分かることがある。


 僕は彼女ともっと一緒にいたい。もっともっと多くの時間を共に過ごしたい。

 そのためには理不尽でもこの試練を乗り越えるしかないんだ。


 キッと眼差しに想いを込めて彼女を見つめ返した僕の姿に何を感じたのだろう。エノクはゆっくりと頷いた。


「分かった。君の意思は受け取ったよ」


 そしてついに彼女は告げた。


「では君に最終試練を与えよう。最後の試練は………」




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