プロローグ 僕は傾く
私にとってなろう二作目の連載作品になります
今回はイラストは表紙絵のみにおさえ、更新速度を重視して毎日更新を目指そうと思っています
それから前書き後書きは極力書かない方針で行こうと思います。ご了承ください。
それではまた最終回のあとがきにてお目にかかれることを。
「お前はあの女を好きになれない」
彼は言った。
僕は彼女のことが好きだった。そしてそれを彼も知っているはずだった。
だが彼は言う。
「お前はあの女を絶対好きになれない」
僕がその言葉の意味を知るのはずいぶん後のことだ。
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『傾国の美女』という言葉を皆さんはご存知だろうか。
それは、その美貌のあまり君主が女色に溺れて政事を疎かにし国が傾くほどの女性の事、ひいては飛び抜けた美しさを備えた美女のことを例えていう言葉なのだそうだが。
さてここに『傾学の美少女』と呼ばれる一人の女の子がいる。
曰く。
彼女が在学していた中学校では同じクラスになった男子達が彼女のあまりの美貌に皆虜になり勉学も手につかず悉く成績を下げたとか。
果ては学校中の男子生徒が、いや教師までもが彼女に熱を上げ現を抜かすあまり、進学率はおろか学校そのものの偏差値まで下がったとか。
そのせいで彼の中学校は彼女が卒業した今年、少子化も祟ったのか入学者がどーんと減り学校自体が傾いてしまったとか。(まさに傾学!)
そんな噂が真しやかに囁かれる、近隣ではもはや伝説級の美少女が、僕が春から新一年生として通い始める事になった私立一豪高校に入学したらしいというのは、かなり早い段階からご近所の年頃男子の間で、今一番ホットなトピックとして話題になってはいた。
しかしかれこれ十五年、もうすぐ十六年、女の子に恋したことなど皆無の僕にとってそんなことはたいした問題ではないはずだった。
もちろん年頃男子の端くれとして美少女に興味はある。でもそれは決して『彼女とお近づきになりたい』とかそういうものではなく、ただの―――そう、いわばミーハーとでも呼ぶべきシロモノだったと思う。
だが僕はあまりにも突然に思い知ることになる。
それはまさしく一豪高校晴れの入学式の日であった。
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桜が舞っていた。
一豪高校に続くなだらかだが長い坂道。徒歩通学の僕はこれから毎日通る事になるその家路の道程を満開の花々を見上げながら新鮮な気持ちで歩いていた。
受験のときにも訪れたが学校の印象はまずまず。今年で創立十周年という比較的新しい校舎は設備も整っていて清潔感があり、体育教師だという若い担任の男性教師もはつらつとした印象で好感が持てたし、クラスメイトにも極端にグレた奴はいなかったように思う。
総体的に出だしは好調といっていいだろう。陽気も手伝ってか気分がうきうきしてくるのを感じる。後は早めに友達が出来れば楽しい高校生活が送れそうだ。僕はあまりコミュ力が高いほうではないのでそこが一番の問題ではあるのだけど。
―――とまあここまでは実に一般的なスタートだったと思う。要は新一年生らしく期待と不安に胸を高鳴らせていたわけだ。だがこの僅か一瞬後から僕の生活は大きく偏っていくことになる。………いや、偏っていくというよりはやはり『傾いた』というべきか。僕はバランスを欠いてしまったのだ。この出会いによって。
風が吹いた。
春一番というやつだろうか目を覆うほどの強風だった。実際僕は一瞬腕で顔を覆ったのだ。時間にしてほんの数秒。
―――その一瞬で全てが変わっていた。
何故か?
彼女が居たからだ。
道路の向こう。バス停。
僕と同じ通学鞄を片手で体の前に提げていた。もう片方の手で風に嬲られる髪を抑えていた。そんな些細な動作に何故か目が惹き付けられる。そして、強い風に閉じられていた長い睫毛を持つ彼女の瞳が開かれた。その瞬間、
周囲に舞っていた桜が吹き飛んだ。
代わりに飛び交うのは無数の星屑。発生源は彼女の瞳だ。まるで自主発光しているとしか思えない大粒の黒瞳。目が合ったと思った途端僕はその深い深い星屑の海に飲み込まれていた。
ぐわんと世界が撓んだ。引き伸ばされた。ぐるぐると渦を巻いた。僕は急速なその変容にただただ翻弄される。
心臓がありえないぐらいの速度でバクバクと高鳴る。体中に異様な熱が満ちていくのが分かった。今にも頭から湯気を噴き出しそうだ。わけが分からない。一体この身になにが起こっているというのか。初めての感覚に僕は戸惑い、そんな自分の有様に恐れすら感じていた。人は未知の感覚に襲われたとき恐怖を感じるらしい。
耐えられない。彼女を見ていることに耐えられない。そう思うのに視線を逸らすことができない。それどころか瞬きすらも。まるで魔法に掛かったように身動きできない。苦しい。僕はもう呼吸すらままならない。
死んでしまう。このままじゃ僕は死んでしまう!
ついに命の危機まで覚え始めた僕を救ったのは。
ブロロロロ………
真っ白な排気ガスを吐き出しながら視界に滑り込んできた市営バスだった。市の公認ゆるキャラ「ストロ君とべりーちゃん」がでっかく描かれた車体に向かって僕はようやく一つ息を吐き出す。しかし胸の動悸は収まらない。今度はハッハッハッと短い息が唇から漏れ出す。
彼女は? 彼女はどこだ?
原因不明の異様な焦燥感が膨れ上がってくる。あれは夢ではなかったのか。もし夢だったならばこのバスが行ってしまったら、もう彼女はこの世に存在しないのではないだろうか? ………嫌だ。
そんなのは嫌だ!!
思い余った僕が彼女の実在を確かめようと車行き交う車道に飛び出そうとしたそのとき再びバスが動き出した。
そして―――、市営バスが過ぎ去ったバス停に彼女の姿はもう無かった。
がっく………、とゆっくり膝が折れる。体から芯が失われた様に僕はくんにゃりと背を丸め力無く頭を垂れた。何か訳の分からない喪失感のようなものが喉から迫りあがってきてどうしようもなくて、あの陽気の良い入学式の日、浮かれる新入生の中で唯一人、
僕は泣いた。
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………恥ずかしい。思い出すだけで恥ずかしい。これが僕と彼女の出会いだった。いや出会いとも呼べないかもしれない。彼女は僕と目が合ったことなどきっと覚えていないだろうから。
それにしても本当にどうかしていたと思う。あのときの僕に突っ込んでやりたい。
何だ星屑の海って!! なんで泣く?! 冷静に振り返ってみると自分の感覚と行動の異常さに顔面が引き攣る。歩道で邪魔臭くむせび泣く僕に、きっと浴びせられていたであろう周りの冷たい視線を思うと、それこそ車道に飛び出したくなるほど恥ずかしい。
こういうのをきっと黒歴史というのだろう。たぶんあのときの僕は強い酒を一度に大量摂取したみたいに急性中毒を発症していたんだ。
初めて見た『傾学の美少女』、夢前美跳に。
僕は一目惚れをしたのだ.