第1章『ユキチハウスへようこそ!』
「ユート! ほら、早く起きて!! もう朝だよ!!」
ドタドタとうるさい足音が遠くから聞こえるーーーーと思ったら、すぐに耳元で大きな声が響いた。
「ミュウ……もう少し……あと少しだけ寝かせて……」
「だーめ!! 今日は午後からお客様の予約が入ってるんだから! お迎えの準備しなきゃ!! 」
手馴れた様子で毛布を取り上げられ、観念した俺は身体を起こす。
その瞬間、ミュウが少し怒った様な顔をして一枚の書類を俺の目前に突きつける。
「早く降りてきなさいよー! 朝ご飯、冷めちゃうよ!」
忙しない様子のミュウは、相も変わらずドタドタという足音を立てて階段を降りて行った。
「んー……今日のお客様は……。なるほど、面倒そうなヤツじゃないか」
俺は受け取った書類に目を落とし、小さなため息をこぼした。
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ここは剣と魔法と魔物の世界、アスガレッド…の中のエルソド地区…の中のシュトーレンの街…の中の小さなゲストハウス「ドミトリー:ユキチハウス」。
エルソド地区は魔物がはびこる危険な地区ではあるけれど、その分旅人も多く、ゲストハウスを切り盛りするにはもってこいの場所だ。
もちろん、このユキチハウスも例外ではない。
俺、ユート・ディーターはユキチハウスのオーナー。
17歳までは傭兵として戦士と呼ばれる職業をしていたが、去年、祖母が大往生してからはこのユキチハウスを引き継いだ。
現在の職業は「ゲストハウスオーナー」。
うーん……。
世界中を旅する戦士! に比べてしまうと少しパンチに欠けるなぁ……。
だけど、大好きなばぁちゃんが残してくれた形見を守らないわけにもいかないだろ?
要領もあまり良くない俺は、まだまだオーナーとしての腕も三流。
けれど、俺にはゲストハウスを共に守ってくれている仲間達がいる。
凍てつくような寒さが肌を刺す今朝も、あのダイニングに集まっていることだろう。
ーーーー
「みんな、おはよう!」
一階に降りてダイニングに通ずるドアを開け、俺が1日の始まりを合図をすると、そこにいるヤツらの視線が一斉にこちらを向いた。
「もー! ユート、おっそーい!!」
俺がダイニングに足を踏み入れるなり、お怒りの声をくださったのはミュウ。
ミュウ・リリーだ。
このゲストハウスのメイドとして住み込みで働いている。
年齢は俺のひとつ下、17歳。
ミュウは幼馴染であり、傭兵時代もよく一緒に活動していた。
もっとも、彼女の元職業は斧を得意武器とする重戦士……。
怒らせて喧嘩になってしまったものなら、命の保証は無い。
その実力は、史上最年少の賞金稼ぎとしても名を馳せていたほど。
栗色のツインテールを揺らし、動きやすく露出が高めのメイド服のスカートを翻しながら、毎日せわしなく動き回っている。
幼い頃に両親を亡くしているミュウは、「ユートのお母さんとお父さんには、本当の子供のように面倒を見てもらったから」という理由から、ゲストハウスを手伝ってくれるようになった。
本当に有難いことだ。
あ、ひとつ言っておくとこいつとはラブラブロマンス、的なモノはないし、そういったフラグも一切立っていない。
そこら辺は留意しておいてくれ。
「ユートさん、おはようございます。」
拭き掃除用のタオルを手に持ち、ペコリと頭を下げて控えめな挨拶をしてくれたのはニュウ・リリー。
ミュウの妹で14歳だ。
肩で切りそろえた栗色の髪をなびかせ、露出が少なめのロングメイド服を着たニュウはのんびりとメイド業を行っている。
俺とミュウが傭兵をしている間、なんと得意な召喚術を使用して放浪の旅をしていたらしい。
某ポ○モンマスターもびっくりな年齢で旅に出たという……。
「放浪の旅も飽きました。毎日帰る場所があるというのは良いことですね」とのことで、ミュウと共に住み込みで働いてもらっている。
「おい、坊主!早く朝メシ食べろ!俺様のデリシャース!な料理が冷めちまう」
ダイニングに隣接したキッチンから顔を出して叫ぶのはオイゲン。
オイゲン・ヨッヘム。
14年前からここで働き続けている、ユキチハウスが誇る凄腕料理人だ。
バターがたっぷりと溶けたパン、香ばしく焼けたベーコンと甘い香りのスクランブルエッグ、熱々のブレックファーストティーにプレーンヨーグルト…。
オイゲンが用意してくれる朝食がないと、1日が始まらない!
オイゲンの作る料理を目当てに、ユキチハウスに足を運んでくれる客もいる程だ。
もっとも、きちんと作ってくれる保証は無いんだけどな…。
超が付くほどの料理人であるために、誰も作ったことのない新しいレシピをこの世に生み出すことが趣味である彼がつくる料理は、当たり外れが大きい…。
ビックリ創作料理が大得意なコック様、ってわけだ。
何故か朝食だけは毎日必ず同じメニュー。
ランチとディナーはその日の気分次第、というはちゃめちゃっぷり。
運試しに、一度食べてみてごらん。
狩人という一面も持っているオイゲンは、どこからか見たことも無いモンスターを一人で狩ってきて調理をしている、ということも。
顎髭がセクシー!と叫びながら寄ってくる女性も多い様だが、本人は色恋沙汰にあまり興味がない様子。
29歳、結婚適齢期ではあると思うのだが…。
食材への愛で手一杯のようだ。
もう一人、ユキチハウスには住み込みのメンバーがいるんだけど、今はどこかに出掛けているらしい。
いつもふらふらとどこかへ行っちゃうから、会えるかどうかは運次第。
こんな寒い日に一体どこで油を売っているんだろうか?
オイゲンの手料理が運ばれてくるのを待ちつつ、あたたかいホットチョコを飲んでいると、ミュウニュウ姉妹の声が耳に飛び込んできた。
「あっ! ちょっとニュウ! ここは禁魔だって何回言ったらわかるのよ!」
「だって、どうしてもタオルを絞りたくなかったんだもの。手が凍っちゃう……」
「それでもユキチハウスは召喚術以外の魔法は禁止!ユウのお父さんとお母さんだって……」
「……ミュウ、ごめんなさい。配慮が足りていなかったわ。」
「ニュウはあまり面識が無いと思うけど、私にとっては大切なおじさまとおばさまなの。」
2人はまた、仲良く掃除を開始した。
そう、俺の両親は3年前、魔法暴走の事故に巻き込まれて亡くなってしまった。
そのため、このユキチハウスでは魔法の使用を禁止してある。
いわゆる『禁魔』の建物だ。
最近は難解な魔法修得の機会も増え、魔法暴走の事故が増えてきている。
しかし、魔法が日常生活に根付いているアスガレッドでは禁魔の建物はそうそう存在しない。
抗議をしてくるお客様もたくさんいるが、ふとしたミスで大切な仲間やこの場所を奪われるのは絶対にごめんだ。
「にゃぁぁぁぁくわぁぁぁぁ」
おっと!大事な仲間の紹介を忘れていた。
巨大な火が渦巻く暖炉の前で大あくびをしているのは猫のユキチさん。
俺が生まれる前からずっとこのユキチハウスを見守ってきた看板猫だ。
もちろん、ユキチハウスという名はユキチさんから来ている。
「ユキチ」というのは、とある東方の国では金運的なモノがアップするとかナントカ言われている名前らしい。
遠くの国では猫の寿命が短い、という信じられない話もあるが、ここアスガレッドでは猫は人間よりも長寿の神獣として知られている。
もちろん、ユキチハウスで暮らす仲間たちは敬意を込めてユキチ"さん"と呼んでいる。
今日もユキチさんはあくびを繰り返して幸せそうにしている。
と、ユキチハウスの仲間たちを駆け足で紹介したが、俺の拙い言葉だけじゃこいつらの魅力なんて到底説明しきれない。
特にユキチさんのこのもふもふ具合は最高だ……!
ひともふですべての疲れが浄化される!
「もぉぉぉぉ!!ユキチさんは今日も可愛いですねぇ!もふもふですねぇ!!お腹を触らせていただけませんか!?良いんですか!?ありがとうございます!!幸せ至極!!では、もふもふもふもふ……」
「にゃあああああん!!」
「あっ…逃げられた…。くそっ最近ユキチさんに避けられてる気がする……」
「ちょっと、ユート何やってるのよ! ユキチさん嫌がってるでしょー。ほーら、ユキチさん、ミュウちゃんがブラッシングしてあげましょうね〜」
……俺は断じてユキチさんに嫌がられてなんかいない!!
落ち込んでなんかいられない。
ほら、今日もまた旅人がユキチハウスのドアをノックしにきたようだ。
さぁ、皆、準備はいいか?
お客様のお迎えだ!!
「「「「ユキチハウスへようこそ!!」」」」