仮免キューピッド 恋の魔法
夏休みもいい事ばかりではないな、と健太は思う。
そりゃ、最初の一週間位は単純に嬉しかった。何より学校に行かなくていい。中学生にとってこれは凄い事なのだ。その代わりに夏休みの宿題という、重大な仕事もあるにはあるのだが、その締め切りはまだまだ先だ。当分の間は心配しなくても大丈夫だろう。
でも、昼間から観るワイドショーや深夜までのテレビゲームも、一週間も続けていれば飽きが来る。友達を誘って遊びに行こうにもお小遣が乏しい。帰宅部の身ではクラブ活動に熱中、とはいかない。こんな時だけは、普段部活バカのサッカー小僧、裕二や野球マニアの明がちょっとだけ羨ましくなる。
「それに…休みの間は舞ちゃんに会えないのが悲しいなぁ…」
エアコンの効いた自分の部屋で、ベッドに寝転びながら健太は目を閉じた。
舞ちゃん。小学校も一緒で、中一になってからも同じクラス。ショートの髪と、くりくりお目目が魅力的な女の子だ。性格はちょっとキツいけれど、そこがまたカワイイと思える。
「ああ、舞ちゃんは今頃何をしてるのかな? クラブ活動でテニスに夢中なのかもなぁ…」
想像上の舞ちゃんは、テニスラケットを勢い良く振り、それにあわせてミニスカートの裾がふわりと揺れる。彼女の日に焼けた小麦色の肌がじんわりと汗ばんで…笑顔がこぼれ…ああ、舞ちゃん…やっぱりカワイイなぁ…ふふふ…
「おい! お前! なにニヤニヤしてんだよ!」
その声で健太は我に返った。
「え? なに? てか、誰?」
ベッドから跳ね起きて、辺りをキョロキョロ見回しても誰も居ない。
「おい、こっちだこっちだ」
声のする方を見ると、光の玉がフワフワと部屋の中を漂っているではないか。
「ええええ? なにこれ? まさか、妖怪?」
光の玉は床に下りると徐々にその光度を弱め、そしてそこに姿を現したのは、まさにキューピッドそのものだった。そう、西洋人の幼児に羽が生えて、手には弓と矢を持っている。頭の上には金のワッカ、そして素っ裸だ。
「出たな~妖怪! ええと、そう、羽根付きはだかんぼ小僧か?」
身構えてそう叫ぶ健太に、キューピッドは肩をすくめながら
「あのなぁ、ちょっとお前、この姿を見て妖怪って…最近では何でも妖怪妖怪って、それは悪い傾向だぜ? 俺はキューピッド。そもそもはローマ神話の愛の神。クピードー、英語読みでキューピッド。ま、簡単に言えば広く知られた恋の神様かな? お前だってキューピッド位は知ってるだろ? あ、マヨネーズの商標じゃないぜ、これ、キューピッドジョークね!」
そう自分で言って自分でクックックッと笑っている。
「え? まじっすか? 恋の神様、あのキューピッド様なんですか?」
キューピッドの言葉を聞いて、健太の態度が急に変わった。笑顔になり、今にも揉み手になりそうな雰囲気だ。無理も無い。舞ちゃんの事を考えていた処にキューピッド出現。もうそれだけでその他の不可解な件はすべてすっ飛んでいた。健太は中一、頭の中はまだまだ子供の部分も大きいのだ。
「お前さぁ、俺がジョークを言ったんだからまずはそこに反応してくれなくっちゃ。まあいいや。お前、名前は健太で間違いないな。住所は…うん、これも間違いないっと。じゃ」
キューピッドは弓と矢を床に置き、後ろ手で何やらごそごそやっていたが、何とか探り出したクラッカーをパン! と健太の目の前で鳴らすと、思いっきりの作り笑顔で言った。
「おめでとう! お前、今月のラッキーマンに選ばれたぞ! わぁ~、ドン! ドン! ドン!」
祝福の口太鼓のおまけ付だ。
「ラッキーマン? なんですかそれ?」
不思議そうな顔の健太にキューピッドは
「はいはい。今からそれを説明するからさ。そう、全世界で、月に九人だけにラッキーマン、ラッキーウーマンの権利が与えられる訳よ。お前は今月の、その九人目に選ばれた訳で…あ、勿論料金はかからないよ。ロハ。うん、只。いや、本当にラッキーだったなぁ。しかし…ボソボソボソ…」
キューピッドの最後の方の言葉は聞き取れない位に小さかった。
「え? しかし、なんなのさ? ただなのはいいにしても、何か条件でもあるんじゃないでしょうね? よくある悪魔の契約みたいに…まさか、願を叶えてもらう代わりに動物に変身させられるとか? 命を差し出せとか?」
疑いのナマコでそう言った健太を、上目遣いに見ながら
「やだなぁ、そんなコト神様がするわけないじゃん。ただ…」
「ただ?」
「あ~、いや、ちょっと言いにくいけど思い切って言うわ。ただ、今月は八月。バカンスのシーズンじゃん? 我々キューピッドも多くの者が夏休みを取らせてもらっててさ。で、今回派遣された俺は…ゴニョゴニョゴニョ…」
「え? なんだって?」
「そこ、聞きたい? 細かい男だなぁ…」
キューピッドの、健太を見る目が冷ややかだ。
「いやいや、そこが気になるから! 神様らしく、誤魔化しはダメ!」
健太の正当な要求に意を決したかの様に
「ええと、簡単に言うと、俺、キューピッドの見習いなんだよね。あ、勿論仮免許は持ってるから御安心を!」
へへへとキューピッド見習いは舌を出してウインクした。
「え? 見習いって? てか、免許制度があるんだ。あ? でも仮免って、本当に大丈夫なの?」
「チッ、うるさいガキだな…早いとこ仕事を済ませて俺もバカンスに行きたいのに…」
「あ! 聞こえたぞ! 本当に神様かよ? 口が悪いぞ!」
「口が悪いのはお互い様だ! とにかく健太、お前がラッキーマンに選ばれたんだ。日本じゃ三年ぶりの快挙だぞ? 感謝しろよな! それじゃ、早速行くとしようか?」
キューピッドは床から弓と矢を拾い上げると、それを背中の羽の中にしまいながらそう健太を促した。
「えええ? そこにしまうんだ? てか、ラッキーマンってそもそもなんですか? それをまず説明してくれなくちゃ。それにどこに行くんです?」
もう、健太にしてみたら当たり前の質問だろう。それに、キューピッド見習いは溜息をつきながら
「あれ? お前、さっき言ったじゃん。願を叶えてもらう、って。それにはまず相手の所に行かなくっちゃな。まあ、ラッキーマンってのはそんな感じですわ」
「まじっすか! 恋の神様に願を叶えてもらえるって事は…ええ? 舞ちゃんがこのオレを好きになってくれるって事ですか? マジ、オレラッキーマンじゃん!」
「あ、お、おう、まあそんな感じ…かな。でも、ゴニョゴニョゴニョ…」
「よっしゃ! そうと決まれば早速舞ちゃんの居る、学校のテニスコートに行きましょう! さっき羽の中にしまった弓と矢で舞ちゃんを撃つ、そういう段取りでしょ? そうすれば舞ちゃんはオレを好きになって…へへへ」
もう健太は半分夢見心地である。キューピッド見習いはかえって驚いた様子で
「え? いいの? 細かい話を聞かなくても? へへ、そうか。だよね? 俺、仮免持ってるしね」
「へへへ」「フフフ」
二人はもうお互いの話なんぞ聞いちゃいない。自分の都合で、いいことだけを想像しているみたいだ。
「よし、じゃ、行きましょうか!」
「おう! 案内せい」
そうして二人は仲良く健太の学校へと行くことになったのだ。
「しかし、本当にこのオレにしか見えないんですか? ちょっと不思議ですよね」
学校の校庭で、健太は辺りをキョロキョロ見廻しながらそう言った。健太のすぐ傍に浮かんでいるキューピッド見習いなのに、誰もそれを見ようともしないし、驚きもしないのだ。
「そう、ラッキーマンにしか見えないのだ。でも不思議と言えば、そもそも俺の存在自体が不思議だろ? 世の中には信じられない事が実際に起こる事もあるのさ」
いかにも偉そうな物言いのキューピッド見習いである。
「あ、うん。ですよね」
即、納得の健太。これだけでいかに彼が単純な奴か分かるだろう。
「あ、ほら、あれが舞ちゃんですよ。あの髪がショートの、カワイイ子! ね?」
「あ! ホントだ。お前、結構趣味がいいのな」
二人はテニスコートの柵の前にある植え込みに隠れて、辺りを観察していた。
「じゃ、早速お願いします。オレも心の用意は出来てますんで」
健太は舞ちゃんとの遊園地デートを、すでに想像して顔がほころんでいる。
「よし! じゃ、一丁いくか!」
キューピッド見習いは、羽根の中から弓と矢を取り出し、早速矢を撃つ準備をした。が!
「う~ん、あれ? ちょっと弓の弦が硬いなぁ…う~ん…」
キューピッド見習いは弓を充分に引けないように見える。
「ええ? ちょっと、大丈夫なんですか? 何だか危なっかしいなぁ…」
「だ、大丈夫さ。仮免は持ってる。でも、そうだな、お前ちょっと手伝え。この弓を引くのを」
「え? 何だよもう…しょうがないなぁ…これでいい?」
「おう、もうちょっと力を入れろよ。そうそう、いい感じだ。それで目標を良く定めて…」
「あ、ちょうど彼女達テニス部女子は、休憩時間に入ったみたいですよ? チャンスですよ、見習いさん!」
「見習いって言うなぁあああ!」
その雄叫びと同時に矢は弓を離れて、彼女達に向って一直線!
「あっ!」
「あっ! って何ですか? 今、舞ちゃんじゃなくて他の人に当たったでしょ? 当たりましたよね?」
健太の言う通り、矢は舞ちゃんではなく、舞ちゃんの隣のユーコに当たった。
「ちょっと! 困るじゃないですか。まぁ確かにユーコも可愛いっていや可愛いんですけどね。しょうがないなぁ…次の矢を用意しましょう!」
そう言いながらも満更ではない健太である。両手に花を想像して…まぁ、中一の男子なのだからしょうがない。女性のみなさん、許して下さい。
「すまん。ちょっと寝不足で手元が…次こそは命中させてやる。よし、手伝え」
「え、またですか。う~ん! これでどうだ?」
先ほどより力が入る健太とキューピー見習いである。弓は勢いよく飛んで…
「あっ!」
「うわぁああ! 今度は飛び過ぎて、今当たったのは顧問のみどり先生じゃないですか!」
「へへへ…勢いは良かったんだけどな。次々。もう一丁だ」
「えええ? みどり先生はだいぶ年上ですよ? まあ、おっぱい大きいからいいですけど。次行きますか」
なぜか笑顔の健太である。やっぱり中一男子の彼は、例外なくおっぱい星人だった。
「そうそう、失敗してもへこたれないっと。それが信条っと」
いつの間にか、ねじり鉢巻きのキューピッド見習い。鼻の頭には汗が浮かんでいる。
「さすが神様だけの事はありますね。その前向きさ、オレ、尊敬しちゃうな。よし、今度こそ」
「よし! もっと力を入れろ!」
「あっ!」
「次だ次!」
「あっ!」
「次!」
「うわっ!」
「次…」
「うそっ!」
「つ…」
さすが、見習いと言おうか、矢は肝心な舞ちゃんを除いた、舞ちゃんの傍にいたみんな、に当たってしまった。ここまで来ると反対にスゴイ!
健太はハーレムを想像してにやけ顔だったが、肝心の舞ちゃんに当たらないことに不安を感じ始めたその時、
「すまん、健太。これが最後の矢だ。もう次は無いぞ」
そうキューピッド見習いが言った。
「え? 最後なの? じゃ、今度は失敗出来ないじゃん。よし、すぐ側で撃てばいいんだ。オレ、舞ちゃんに声をかけて近くに来てもらうよ。それなら間違いなく当たるでしょ?」
「だな。初めからそうすれば良かったな。じゃ、声をかけろ」
「分かりました。矢の準備は良いですか? じゃ、呼びますよ?」
「おう!」
健太は植え込みから出てテニスコートの柵の前に立ち、大声で叫んだ。
「お~い、舞ちゃん! ちょっと来て! 大切な用事があるんだよぅ!」
その声で、女子テニス部みんなが健太の方を振り返った。
と、舞ちゃんの傍にいた彼女達が、健太めがけて一目散に駆け寄って来た。
「あ! そうだった。今のオレは彼女達から恋をされてる男なんだっけ。マズイな。どうしよう」
そう言いながらもやっぱりにやけ顔の健太である。
「まあ、いいか。オレの言う事なら彼女達も聞くに違いないだろうし」
「そううまくいくといいんだけどね…」
「え? 何か言った?」
「いいや…」
そうこうしている内に柵をはさんで、その前に立って叫んだのは、最初に矢の当たったユーコだった。
「どうして? どうしてこんなところに居るんですか? 今日は地方でコンサートなんじゃないですか?」
「え? コンサート? 何それ?」
頭の上に?マークが浮かんでいる健太を見つめるユーコのその目は、憧れの人を見つめる目に相違なかった。
「アイドルグループのジュンでしょ? あの、わたし…大ファンです! もちろんファンクラブにも入ってます!」
そんなユーコを突き飛ばして
「あの、今日はこのあたりでドラマロケなんですか? あ、私前から貴方様のファンで…サインしてもらっていいですか? ねえ、三条翼さま…」
みどり先生がうっとりした顔でそう言った。三条翼というのは今大人気の若手俳優である。
「みどり先生…もう何言ってるのか分んないですって…」
?マークがさらに増える健太である。
「先生、何言ってるんですか。ねえ、裕二、今日はサッカー部の試合でしょ? こんな所で何してるのよ?」
健太に向ってそう言ったのは、同じクラスの菜々ちゃんだった。奈々ちゃんは健太の友達、サッカー小僧裕二の彼女だ。
「え? 奈々ちゃん、オレだよ。オレは健太」
「なにバカ言ってんのよ。部活サボったの? しょうがないなぁ」
にっこり笑う奈々ちゃんのその顔は、普段健太などには見せたコトの無い素敵な笑顔だった。
「あれ? まてよ? あ、もしかしたら…」
知らん顔をして口笛を吹いているキューピッド見習いをぐっと睨みつけると
「おい、あんた! これって、もしかしたら【矢が当たったら好きになってくれる】じゃないよな? え? そうなんでしょ?」
詰め寄る健太にキューピッド見習いは
「ああ! そうさ! だって俺、見習いだもん。仮免だもん! そこまでの力は無いですよ! しょうがないでしょうがぁああ!」
見事に開き直った!
「それにお前だって悪いんだぜ? 最後まで俺の話を聞かなかったんだからな。まぁ、お互い様じゃん?」
「あ! そ、それは…でも、それじゃ…」
「仮免が出来るのは、恋をさせる、じゃ無くて、恋をしてる相手に見せる、なんだ。その…悪かったな。変な期待をさせて…でもほら、一時的にでも恋人気分は味わえる訳で…なっ?」
「だから、彼女達はオレが健太に見えないんだな。ふうん…あ、その、一時的って…どの位?」
そこに食いつく健太である。
「あのさ…まことに言いにくいんだけど、仮免だから五分だけ…」
「短っ! 五分ってアンタ…」
「そんなコトより、舞ちゃんも来たぞ? どうする? やめにするのか?」
「う~ん、いや、せっかくだから…お願いしようかなぁ…」
そこには拘らない健太、さすが中一男子である。
「よし! 今度こそ!」
「おう!」
二人は力を合わせ、弓を引き、舞ちゃん目掛けて矢を放った。と、矢は見事舞ちゃんの心臓辺りに突き刺さった!
「やったな! 健太、この五分間を大切に扱えよな」
「うん。ありがとう…」
かたや、今まで柵の前で騒いでいた彼女達は、みなポカーンとした表情で
「あれ? 私なにしてたんだろ? あ、健太君じゃない。何してるの?」
矢が当たってから五分が経ったとみえて、彼女達は元の彼女達に戻ったようだ。
そんな中、舞ちゃんは健太に近寄ると言った。
「健太君、今日は何? 散歩でもしてるの?」
「え? ああ、そうなんだ。散歩の途中。舞ちゃんはクラブ活動中、だよね」
「うん。一週間後に試合があるからその為の特訓よ」
「ふ~ん、そうなんだ」
「健太君もよかったら応援に来てよ。それじゃあね」
ニコッと笑うと、舞ちゃんは彼女達と一緒にまたコートに戻っていってしまった。
健太はボーセンとして、その後でキューピッド見習いに突っかかった。
「ええ? どうなってるのさ? 確かに舞ちゃんには当たったよね? それなのに…舞ちゃんとの恋人気分は? おい、見習い! お前、又だましたな? 今度は許さないぞ?」
憤る健太にキューピッド見習いはニヤニヤしながら
「ふ~ん…そういう事か…あ、健太、お前、バカだろ? じゃ、俺はこれで。それじゃぁな!」
キューピッド見習いは徐々に光りだすと、再び光の玉となって浮かび上がった。
「おい! キューピッド見習さんよ、ラッキーマンはどうなったんだよ? おーいって!」
「健太、お前もう充分にラッキーマンじゃん! うまくやれよ…」
そんな声を残して光の玉は空高く浮かび上がり、そして消えた。
「ええええ? 何だよ…オレがもう十分にラッキーマン? え?」
暫く考えた後で、健太は真っ赤な顔になった。
「というコトは…舞ちゃんが…このオレに?」
その晩、健太は思い切って舞ちゃんに電話をした。そうして…来週舞ちゃんの試合を応援しに行くことになった。キューピッドの恋の魔法は…仮免ではあったけれど、確かに効いていたのだ。
「ああ、この夏は楽しくなりそうだぞ。キューピッド見習い様、ありがとうございました!」
思わず口にする健太であった。
「いやいや、そんなに感謝するには及ばないよ。だって…」
耳元で懐かしいあの声がした。
「だって? 何かあるんですか?」
光の玉がまた部屋の中を漂って…
健太の今年の夏休みは波乱万丈の予感がする。それでも、退屈な夏休みよりもよっぽどいいや、そう思いながら、健太はューピッド見習いの、あの姿を探していた。光は徐々に光度を弱め…そして…あの姿が…
どっちにせよ健太の中一の夏休みは、一生忘れられないものになるだろう。ねえ、キューピッド見習いさん?
~おしまい~