八話
大切な、大切なあの子が奪われてしまう。
嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!
必死に手を伸ばすけど、その手は宙を切るだけだ。
「返して!あの子を返して!俺の大切な、大切な人なんだ。返して!」
「あぁ?誰が返すかよ。返して欲しかったらよぉ、クソガキ。」
目の前の男を見上げる。
煙管を蒸かしたままニヤリと笑うその男は、誰が見ても美しいと思うだろう。
「金を貯めな。そんでアイツを買い取るんだな。」
それが、俺の目標になった。
「先生、出かけるのー?」
昼飯を食べ終え、出かける準備をし始めた紅葉に、楓が声をかける。
紅葉は首を縦に振った。
「あぁ、薇さんのところへ行こうと思ってな。お前もくるか?」
「ぜ、んまいさん!?俺、あの人苦手なんだよね…。留守番してる!」
薇、その名前を聞いた瞬間に楓は顔を歪めた。
紅葉にだけしか優しさを見せない青年、彼のいつも何かを企んでそうな笑顔が楓は嫌いだった。
「わかった。じゃあ行ってくる。」
「行ってらっしゃい!」
出て行った紅葉を見送り、楓は家の奥へと入る。
「さぁ、先生が帰って来るまでに洗濯でもしよーっと。」
楓は伸びをしながら、洗濯室へと向かった。
路地裏の奥にある、小さな古本屋。
もう随分古くて、色褪せているようにも感じられるその店は、薇が経営する店だ。
古本屋と本人は行っているが、売っているのは古本だけではない。
「薇さーん。居ますか?」
店に入りながら、紅葉が声をかけると、店の奥の本の山の中から声が聞こえた。
本の山に近づくと、そこから一人の青年が出てきたのが見えた。
「やぁ、紅葉くん。久しぶりだねぇ。どうしたんだい?」
緑色の長い髪を、三つ編みで一つにまとめた青年。彼が薇だ。
薇は目を細めて、紅葉に笑いかけた。
「お久しぶりです。痛みどめの薬草切れちゃって、ありますか?」
「あるある!ちょっと待ってねー。」
薬草の入った棚を漁り始めた薇の後ろで、紅葉は店の中を見回した。
昔と何も変わらない。店の様子も、薇も。本当に、自分の幼い時から何も変わっていない。
「紅葉くん、仕事は順調かい?お金、貯まりそう?」
「えぇ。もう少しで目標金額です。
貯まったらすぐにでも一緒にこの町を出て行きますよ。」
「そう、よかったね。あぁ、でも紅葉くんが離れてしまうのは悲しいな。
はい、これ痛みどめの薬草。」
薇が薬草を入れた袋を紅葉に渡す。
紅葉はそれを受け取って代金を払った。
「そういえば紅葉くん。君、『妖艶行進』には行くのかい?」
「え?あ、はい。楓と一緒に。」
「きっと面白いことが起きるよ。楽しみにしていて。あ、でも楓くんがいるとなるとそうでもないかな。彼、他人より鋭いから。」
薇の言うことの意味が理解できなくて、紅葉は首を傾げる。
そんな紅葉に薇は笑いかけた。
「全く、あの餓鬼を君はいつまで面倒見ている気だい?僕、あの子嫌いなんだよね。」
「楓のことですか?拾ったのは俺なんですから自立できるまで育てますよ。第一貴方、楓だけじゃなくて人間は皆嫌いでしょうが。」
「嫌だなぁ、紅葉くんは大好きさ!」
「俺だけですか。」
はぁ、とため息をついた紅葉に、薇はニコニコと微笑んだままだ。
人間嫌いな薇は、あの時と全く変わらない姿で今でも紅葉のことを好きと言っている。
「どこまでが本当なんだか……。」
「ん?なんて?」
「いえ、なんでも。じゃあ俺、この後診察あるんで帰ります。ありがとうございました。」
「はーい!ばいばい〜!」
紅葉が店を出ると、店の前には軍服を着た三人の男が立っていた。
軍人がこんなところに何の用か。
紅葉は眉間にしわを寄せながら男たちの横を通り抜けようとしたが、突然声をかけられる。
「この店は、薇さんが経営してる店であってる?」
三人の中で一番小柄な、長髪の男がそう言ってきた。
紅葉は戸惑いながらも、そうですと返す。
「そっか、ありがとう。ちょっとあの人に話があってね。引き止めてしまってすまない。助かったよ。」
「あ、はい…どうも。」
長髪の男はニコリと笑うと、すぐに店に向かって歩き始めた。他の二人の男も彼を追う。
薇の店に、軍人という考えられない組み合わせに首を傾げながらも、紅葉は家に向かって歩いていった。




