03
「……確かになんかちょっとイベントというには甘さが足りなかったけど」
「そもそもゲームにはわたしたちみたいな存在、攻略対象の傍になかったじゃない? それ考えると疑問に思うのよねぇ……」
攻略対象の中でその近辺に女生徒の姿が描写されていたルートはない。それだというのに、この世界では捺もほのかも攻略対象の近くにいる。
「攻略対象とわたしたちが呼んでる彼らを見てれば、ゲームの設定通りじゃないことが捺にだってわかるでしょ?」
捺が慕う恭を見ても、ほのかの幼馴染を見ても、その他の攻略対象たちを見ても。ゲーム内の彼らそのままの性格をしている人はいない。
ここはゲームの世界に類似しているけれど、決してゲームの世界ではない。証拠に、ゲーム内には影も形もなかった自分たちが攻略対象と共に生きている。彼らも自分たちも個をもって生まれた人間で、自分の意志で感情は動く。
「……恭様とおじ様の仲は極めて良好で、むしろおじ様は恭様のこと溺愛してて、別に家出まがいに我が家にいるわけではない、けど」
それでも捺は、疑わない。恭の幸せが主人公と結ばれることであり、自分はその幸せを現実的なものにするためにこの世界に転生してきたのだと。
「捺、」
「……お前ら、まだいたのか」
「恭様! 御用時終わりましたかっ?」
物言いたげなほのかを遮り聞こえた声に、捺はその曇っていた表情を完全に消し去り満面の笑みを浮かべた。振り返り立ち上がった彼女が後ろの戸から入ってきた恭に近寄る。
「ああ」
「じゃあ帰りましょ! わたし、恭様のこと待ってたんですから!」
「……如月はいいのか」
「わたしのことは気にしなくていいよ、相賀君。もう迎え、来ると思うから」
捺がなにか言う前にほのか自身が答え、捺に「また明日ね」と手を振る。捺もそれに「また明日!」と手を振って、さっさと教室を出ていく恭のあとを小走りで追いかけた。
「せっかく待ってたんですから置いてかないでください!」
「頼んでない」
「ああっ、なんて酷い言い草ですか! そういうとこも好きですけど!」
追いついて見上げた顔は、どこか満足そうだ。恭はあまり感情を表に出すことはないので、こうして表情を動かすことは珍しい。そしてそういう恭を近くで見られることが、捺は幸せで仕方なかった。
「恭様、捺は恭様のものですよ!」
「……必要ない」
「お一人で朝起きられるんですか? ご飯作れますか?」
「…………やろうと思えばやれる」
恭がその気になれば料理くらいすぐにできるようになるだろう。一人で起きられるかは別としても。
捺は盛大にショックを受けた顔をして、靴箱から出したローファーを落とした。
「きょ、恭様! お料理したいなんて言い出さないでくださいね!? 恭様が本気でやったらわたしよりも上達しそうで恐ろしいです……!」
「……言わねえよ」
「絶対ですよ! わたし以上に料理上手になったらわたしが今まで恭様のために腕を磨いてきたのが無駄になっちゃうんですから!」
「わかったわかった、だから早くしろ。置いてくぞ」
腹減ったんだけど、という恭の言葉にハッとする。そうでした、これから恭様には素敵な出逢いが待ってるのでした! こんなところで油を売っている暇はない。
「帰りましょう、恭様! 早く!」
「…………今日はいつも以上に阿呆だな」
「早く!」
恭様の言葉すらも右から左へと抜けていくほどに捺の頭の中は迫るイベントでいっぱいであった。
大いにはしゃぐ捺の後ろを恭が歩く。その表情がわずかばかりだが優しく崩れていることに、振り向かない捺は気付かない。そして彼女が振り向いた時にはもういつも通りのポーカーフェイスが心情を覆い隠し、やはり彼女が気付くことはない。
「恭様! はーやーくー!」
「うるさい、阿呆。前見て歩け」
恭に注意されるのと、捺がなにかにぶつかるのはほぼ同時だった。慌てて前を振り返った捺の目の前に、軽く言うならばやんちゃしてるなとでもいった印象を持たせる男が不機嫌そうに彼女を見下ろしていた。
「いってえなぁ……」
「わっ、す、すみませんっ」
「あぁ? ホントにそれで申し訳ねえって思ってんのかぁ?」
男は捺の顔をじろじろと見た後、ふぅん、呟いた。
あまりにじろじろと見てくるものだから捺はたじろぎ一歩下がろうとするが、距離を取る前に男が彼女の腕を強引に掴んだ。
「ホントと申し訳ないと思ってんなら、詫びのひとつにこの後付き合ってくれるよなぁ?」
「え、お断りしますけど」
「あぁっ!?」
拒否権はないと言わんばかりの反応に、だけど捺はきょとんとした表情で男を見つめるだけ。
「詫びのひとつもなしに申し訳ないと思ってます、なんて口先だけの謝罪なんか信じるわけねぇだろうがよぉ!」
「そう言われましても、わたしこの後昼食を作るという大事な用事がありますので」
「……てめぇ、ふざけんのも大概にしとけよおら」
低い声で呟き、捺の腕を掴む手に力がこもる。その痛みに顔をしかめれば、突然力が緩み掴む手の感覚も消える。捺よりも少しだけ前に出た恭が男の腕を不快さを隠さない顔で捻り上げていた。
「――いつまでも汚い手で触ってんな」
「ちょ、恭様! 危ないですよ! 怪我でもしたらどうするんですか!」
「……捺、煩い」
「心配してるのにこの言い様!」
ガンッと。ショックを盛大に顔に出した捺を一瞥しただけで、恭は彼女から視線をそらしため息を吐く。
「た、ため息まで……! 恭様ひどい!」
「っ…ふっ、ざけんな! 俺を無視すんじゃ、ねぇっ」
「…………」
「…………あ、」
呻き声にのった文句に、二人は視線を男に落とす。
「……忘れてた」