02
そうして恭の実家からでは通いづらいという理由から捺の家に下宿することが決まり、てんやわんやしている間に一年が経ち、二年目が始まるそんな日の朝。
いまだ布団の中から出てこない恭を視界に捉えたまま、捺は彼の横たわるベッドの端を何度も勢いよく叩くことで抗議した。
「とにかく恭様、早く起きてください! 遅刻しちゃいますよ!」
朝ごはん云々は抜きにしても、時間的に余裕がありすぎるわけではない。それに今日は!
「始業式なんですから、遅刻するわけには行かないんですー!」
彼と初めて会ったあの日以来ずっとずっと願ってきた日。――主人公と恭様が出会う日なのだから!
にへへ、と思い出し笑いをしていたらいつの間にか起き上がっていた恭に気持ち悪いと言って部屋を追い出された。
「誠心誠意お仕えしているわたしに向かって気持ち悪いなんて恭様ってばひどいですっ! せめてキモイと言ってください!」
「…………アホか、どっちも同じ意味だろ」
「恭様! わたしはアホじゃありません!」
「ドアの前で体育座りをするな、アホ。蹴るぞ」
恭は蹴ると言ったら本当に蹴る。
むすっとした顔のまま渋々道を譲った捺の頭を通り過ぎがてらぽん、と軽く叩いていくそれは毎朝の日課のようなもので。単純な彼女はそれだけでパッと花が咲くように笑顔になるのだ。
「恭様! 今日はきっと素敵な一日になりますよ!」
「なんだ、それ」
「そんな予感がするんです!」
主人公と恭の出逢いイベントは放課後の帰り道で起こる。
自分の将来を決めつける父親に嫌気がさして家を飛び出し、中高一貫校に通っていたにも関わらず外部受験で甘美西高校に進学した恭。二年生に進学する少し前から飛び出してから一切音沙汰のなかった父親から頻繁に連絡が来るようになり、彼は始業式の日もイライラしていた。
そうして歩いていた恭だったが、数メートル先に自分の進路を阻む集団がいることに気付く。小さく舌打ちをしつつ近づいていく恭は、男四人ばかりの集団がたった一人の女子を囲んでいることを知る。
『な、ちょーっとだけでいいからさ?』
『そーそー、あんたかわいいし、俺らなんでもおごるよ?』
『は、なしてくださいっ! 通してください!』
『つれないこと言うなってー』
嫌がる女子に下心丸出しの下卑た視線を注ぐ男共にますます苛立ちは募った。
『ね、行こ?』
『……おい、通行の邪魔だ。退け』
恭の言葉に、男共が一斉に振り返り邪魔すんなと言わんばかりに睨みつけてくる。邪魔なのはそっちだ、と。思ったが舌打ちをしただけで音にすることはしなかった。
『とにかく退け。ナンパしたきゃ他でやれ』
ますます低くした声音と、抱える苛立ちをすべてぶつける勢いで睨みつければそれに怯んだのか。男共は小さく文句をこぼしつつも女子を伴い隅に移動しようとする。
あっさりすぎて苛立ちを発散するどころかますますそれは募る。チッと舌打ちがこぼれた時、初めて囲まれている女子と目が合った。同じ高校の制服を着ていた。――普段は絶対にそんなこと思うわけがないのに、この時どうしてか、恭の口から言葉はもれていた。
『――あと、そいつは置いて別探せ』
『はぁっ!?』
『んで、てめえにそんなこと指図されなきゃなんねえ、』
『聞こえなかったのか? ――いいからさっさと行けよ』
恭はそれだけ言うと集団から引っ張り出すように彼女の腕を掴み自分の元へと寄せる。彼女は助けを乞う視線を向けていたくせに、恭の言動に目を丸くして驚いていた。
それにどうしてか抱える苛立ちが減ったような気がして。ふと視線を戻せばやはり彼に怯んだらしい男共はとっくに視界から聞こえていた。
『あ、あの、助けていただき、ありがとうございました』
『……怪我は』
『いえ、絡まれてすぐ助けていただいたので……、本当にありがとうございます』
お礼を繰り返す見ず知らずの彼女を見下ろす。男共から逃れるために暴れたのか、下ろされた真っ直ぐな黒髪が少しだけ乱れているように見えた。白い肌や細い手足、顔立ちからすれば儚げな印象を抱くのに、意志を貫こうとする黒の瞳に宿る瞳は印象に反してとても強い。
男四人に囲まれて怖さはなかったのだろうか。それを感じさせない彼女の様子に、恭は吸い寄せられるように身を寄せた。
『――気に入った。逃がさねえから』
強張る彼女に気付きながらも恭は小さく囁く。びくりと体を跳ねさせ、勢いよく距離を取った反応に恭は珍しく口角を上げた。
名前も学年もなにも知らない彼女。同じ高校の制服をまとう彼女。耳まで真っ赤にして逃げるように走り去った彼女を、なにもせず見送った。
「……ぐふふふふ」
「怖いからその妄想癖やめなさいって言ってるでしょ」
呆れの響きを含んだ声に、捺はむっと顔を上げる。
「妄想じゃないもん!」
「……どうせまたゲームのシナリオ思い出してたんでしょ?」
「あったりまえ! だって今日は始業式だよ!? 主人公との出会いイベントが起こりまくりだよ!? ほのかだって覚えてるでしょ!?」
如月ほのか、中学からずっと一緒の親友。そして捺と同じ「転生者」だ。
「ほのかの幼馴染の彼だって今日主人公と出会うイベント、起きてたし!」
一つ下のほのかの幼馴染の男の子も攻略対象の一人で、彼とは始業式直後にイベントが起きていた。見たかったわけじゃないが、見てしまったのだ。
それを指摘してもほのかの表情は変わらず呆れたまま。
「そうだけど、捺みたいに思い出してにやけたりしてないもの」
「いーいーの-! わたしは恭様と主人公ちゃんのイベントすべてを楽しみにしてるんだからっ! 今から数十分後にそれが起こるんだから待ち遠しいの!」
今年も同じクラスになれた恭は、担任に用があって今は席を外している。だから捺は同じく幼馴染を待っているほのかを捕まえて教室に残っているわけだが。
「……でもさ、あれって本当にイベント達成したことになるのかな」
ほのかの疑念に満ちたそれに、捺は静まる。