02
「なんでなのおおおぉぉぉ」
「? なにかありました?」
進級して早数か月。一番後ろの席で突っ伏す新菜の前には、主人公である志保の姿がある。
なんか気付いたら親友になってました、ドウシテコウナッタ。
大和撫子、守ってあげたい女子ナンバーワン、ちなみに敬語はデフォ。女子としては誇ってもいいほど良い噂ばかりの志保は、大きな瞳を真っ直ぐ新菜に向けてくる。うあーっ、かわいすぎるぅっ!
……って、そうじゃない、そうじゃないよ!
「んー、なんかあったわけじゃないけど、」
ちらり、教室内で一番大きな集団のその中央にいる攻略対象の一人、宮本早月。今日も今日とて爽やかスマイル大安売り。攻略対象なだけあってさすが、イケメンである。うう、かっこよ……じゃない!
始業式の日の放課後、グラウンドの脇を通っていた主人公に向かってサッカーボールが飛んでくる。気付いても驚きに体が動かずただ迫ってくるのを見ていた主人公の腕を早月が後ろから引き、抱きとめて守ってくれるという二人の対面イベント。それは発生したのだ。したのに……!
『…た、助けていただきありがとうございます、宮本君』
『同じクラスの阿井さん、だよな? 怪我しなくてよかった!』
『宮本君に助けていただいたおかげです。…………あの、もう大丈夫ですから離してもらえますか?』
『あー、ごめんごめん! ――でも、俺はもう少しこのままでいたいけど?』
彼女だけに聞こえるように耳元で囁かれた甘い台詞に、男慣れしていない主人公は顔を赤くし腕の中からなんとか抜け出すと、頭を下げて走り去る。……っていうのが本来のイベントの正しい姿だったのに、実際は途中からおかしかった。
飛んできたボールから守るために腕を引き抱きしめて志保がお礼を言ったところまでは同じだった、そこまでは。
『……あの、もう大丈夫ですから離してもらえますか?』
『あー、ごめんごめん! それじゃ、また明日な』
おいこらそこちっがあああああああああああああああう! 早月はあっさり志保を開放し、彼女は頭を下げて平然と去って行ったが違う!
おかしい、イベントがイベントとして機能していないなんて! 夏休み前の今、志保が早月ルートに進んでいればかなり新密度が上がっているはずなのに、まったく! 上がっていない! イベントも出逢い以降一切発生しない! ただのクラスメート同然じゃないか!
じゃあ他のルートを進んでいるのかと志保の様子を観察していたが、その様子もない。しかもなんと早月と隠れキャラ以外全員! 主人公以外の相手がいると!
それを知った時、新菜は叫んだ。ええもう盛大に、心の中で。なんだこのイベントがない乙ゲーは! ふざけんなこのやろう!
「せっかく転生したのにあのシーンもあのシーンもあのシーンも見れず仕舞いなんて……っ」
「新菜さん?」
「ああうんなんでもないよ、志保ちゃん…」
なんで攻略キャラたちはこんな主人公主人公している志保に手を出さねえんだよくそが。
「新菜さん、お昼休み終わっちゃいますよ?」
「あーうん、ごめん! 食べよ!」
机に広げられたお弁当。なんと志保は自分で作っているらしい。母にまかせっきり、冷凍食品ばかりのお弁当とは比べ物にならない。
ちなみに出会いイベントの次の次の次くらいにお弁当イベントも存在した。発生しなかったけどな!
「あ、それうまそう! もらってもいい?」
そうそう、イベント開始はそんな台詞で、……え?
自分の上から降ってきた声に思考を止めた新菜と、きょとんとした顔で新菜の後ろを見ている志保。どちらの様子にも肯定の意など見当たらないけれど、声の主には関係なかったようだ。
「いっただきまーす」
ハンバーグを刺したままのフォークを持つ新菜の手が誰かの手に包まれ、自分の意志とは関係なくその手の力で動く。そして放された後、フォークの先にハンバーグはもうなかった。
ごちそーさま。その後の言葉は彼女にだけ聞こえるように囁かれた。
「――次は、手作りの期待してる」
普段よりも低めの声音は、前世で散々悶えさせられたものとまったく同じで。
「っ、ぎゃああああああああああああ」
新菜は囁かれた方の耳を押さえ、思わず叫んでから逃げるように立ち上がった。
大きすぎた叫びにクラスメートや廊下にいた人たちが驚いてこちらに注目したことにも、頭の回らなくなっていた新菜は気付かない。
「な、なんっ、なぁっ!?」
い、イベントっぽいけどイベントと違う! というか私は主人公じゃない!
イベントで早月が囁く台詞は『次は俺のためだけに作ってきてよ』であるはずで、そして囁かれるのは状況がわからず瞬きを繰り返している志保だ。主人公だ!
新菜はなにがなんだかわからず、あ、とかえ、とか言いながら真っ赤な顔で早月を凝視することしかできずにいた。
「……あはははっ、柳沢さんて面白い!」
彼女の反応に始めぽかん、としていた早月だったが、突然声を上げて笑い出し、かがめていた体を起こした。そして逃げた新菜に再び近寄る。
びくり、体を揺らした真っ赤な顔の彼女が今度は逃げられないよう、ご丁寧に肩まで掴んで。
「――逃げしてあげんのも、今だけだから」
新菜が手で押さえる反対の耳に意地悪く囁き、それ以上はなにを言うでもなく、早月は輪の中に戻って行った。
新菜たちに注目していた外野も、騒ぎが収まったことで視線がそれていく。
「……新菜さん、宮本君と仲が良かったんですね」
志保の言葉は右から左へ抜けていく。
うつむいてプルプルと体を震わす新菜は叫んでいた、心の中で。
(私は傍観者希望ううううぅぅぅ!)