第一章 Ⅳ
アリスの朝は早い。
ピピピッ、ピピピッ、と鳴り響く目覚まし時計を止め、寝ぼけ眼で起床する。
時刻は早朝四時。だが、外からは消えそうにない喧騒が聞こえる。恒例行事の真っ最中でこれが数週間も続くが、慣れてしまったアリスはさほど気にはしない。
睡い眼をこすり、あくびを噛み締めながら洗面所に向かう。コンクリートの廊下にペタペタと軽い音が響き、リビングの方から聞こえるモーター音とおかしなハーモニーを奏でている。
洗面所で歯を磨いて顔を洗い、逆立った寝癖を直して、勢いよく合掌し、
「今日も頑張ろう!」
と気合いを入れた。
一度自室に戻っていつもの作業着に着替えたアリスは、リビングに移動した。リビングでは長年のパートナーがテーブルに座り、紙を見ていた。見ているのはファックスで送られてくる仕事の依頼書だ。と言ってもあくまで『お願い』で、こちらがそれを受諾したら仕事に取りかかる。家電製品から機体パーツまで何でも受け付けているので、意外と依頼数は多い。
「オーブンレンジの修理と猫の絵を焼き付けられるトースターの作成か~。レンジの方は……うん、必要な情報は書かれてるね。トースターの方も焼き付ける絵を添付してある。アイン、両方とも受諾の旨を伝えておいて」
「…………………………」
コクンと頷いた後、アインはファックスに向かって行き、いつもの受諾メッセージで返事を出した。
まずは、とアリスはテーブルに白紙を広げ、トースターの設計図を書いていく。よくある仕事の一つなので、基本的な設計パターンは頭の中に入っている。
設計図を書き終わったら部品調達、それから組み上げて、とトースター作りに熱中していると、
「ふぁぁぁあ……………朝早いなーアリス」
廊下に繋がるドアから、青年が現れた。
青年の髪の毛は、夜明け前の空のような色をしていて、寝癖なのか、至る所が逆立っている。目つきも昨日会った時より凄みが増していて、どこか獣を思わせる。背は高く、アリスと並ぶと頭がちょうど青年の肘置きになる身長差だ。
「おはよ、お兄ちゃん。よく眠れた?」
「眠れたが、やっぱ呼び名はお兄ちゃんか」
「じゃあテスラお兄ちゃん」
「………テスラ単体じゃ駄目なのか?」
「なんか、ね。別にいいでしょ?」
「………ああ。なんかもう呼び名はどうでもいいや」
とアリスに折れたテスラは椅子に座り、
「それよりもお前は何時に起きたんだ? 今が七時だが……」
壁掛け時計を見つつ、テスラがアリスに聞いた。テスラの朝は早いという訳ではないが、年下の少女が自分より早いので、気になった次第である。
「え? 四時だけど?」
「ガキの起床時間じゃねぇ!」
「その分昨日は早く寝たでしょ」
「そういや、飯食って風呂入ったらすぐ寝てたな」
テスラは昨日の夜を思い出す。ジャンクフードな夕食を食べ、風呂に入っている時に風呂場に『一緒に入ってもいいよね』と突撃してきたアリスが入ってこないように防ぎ、寝てる最中にふと気づくとアリスが自分の布団の中にいたからアリスの部屋に運び……と色々大変だった。
これからあんな感じが続くのか? と考えていた所で、二人のお腹が空腹を伝えた。
「朝飯食わなきゃな。いつも何食ってんだ? 昨日の夕飯からして碌なもんは食ってなさそうだが」
「パン」
「……だけか? スクランブルエッグを作るとか、スープを作るとか無いのか?」
「うん。パンだけ」
「…………………………」
いや、それはマズいだろ。育ち盛りが碌に栄養取らないって、将来が心配だ。
などと思ったテスラは、行動に移した。
まずは今ある材料の確認。パンとジャム、ミルクしかない。なんにも無いにも程がある。直ぐに食材の調達だ。
「アイン、食材を調達してくれ。調達するものは………」
アインに伝えると、甲高い音と共にどこかへ走り去って行った。食材はあれで大丈夫だろう。
「お兄ちゃん、何するの?」
いまいち状況が分かっていないアリスが聞いてくる。
「朝飯の支度だ。ちょっとばかし遅くなるが我慢してくれ」
「期待しながら待っていい?」
「ああ」
「やたーーー!」
と両手を挙げて叫ぶと、アリスの仕事をするスピードが上がった。朝食までに区切りの良い所まで進めておく魂胆のようだ。
それを見たテスラは、
(うわぁ…………プレッシャーが…………)
過度の期待を背負って、作業を始めた。
何よりも優先してやる事、それはキッチンの掃除である。
何故掃除しなければならないのかというと、シンクに洗われていない食器やフライパンなどが山積みになっており、シンクに入らない食器が台にまで侵蝕している。しかも、積み上げられた物の一番下に目当てのまな板があり、奇跡的にしまわれていた包丁も研がなければ切れ味が皆無という状態。さらに今、テーブルはアリスが作業中なので使えない。よってキッチンを片付けるしかないのだ。
テスラは昨日の夕食時には気付いていたが、あえてスルーしていた。だが、調理するならば避けては通れない道である。
テスラはまず、柄が飛び出ているフライパンや鍋を洗うことにした。幸いな事にコンロの上には何も置かれていなかったので、シンクの山に突き刺さっているそれらを移動させれば余裕ができる。
引き抜いた際の騒音を耐え抜き、なんとか洗う事ができた。続いて食器類と汚かったまな板に手をつける。アリスが喜んでから三十分程で洗い物は終了した。どうにか調理スペースを確保する事に成功。
それから手早く包丁を研ぎ、調理台を軽く水拭きしておく。しっかりとした掃除は食後だろう。
そして、八時を少し過ぎた辺りでアインが食材を持ってきた。相変わらず持っていたダンボールが勝手に動いているように見える光景は一度見ただけでは慣れない。
……結局、朝食は九時近くになってしまい、
「……………………………………………………ごはん」
とアリスが工具を握り締めたままテーブルに突っ伏していた。テーブルの上が片付いているあたり、アリスが作り終わってから結構時間が経っていたようだ。
テスラは何も言わずにテーブルに二人分の朝食を置き、アリスが顔を上げるのを待つ。
突っ伏していたアリスは何か良い匂いが近くからする事に気づき、顔を動かして匂いの元を見た。
匂いの元は、具がたっぷり挟まったテスラお手製のサンドイッチだった。皿には二種類のサンドイッチが載っており、一つはチキン・トマト・レタスのサンドイッチ、もう一つはツナと卵をマヨネーズで和えて塩胡椒で味付けしたものだ。
「いただきます!」
と勢いよくアリスは手を伸ばし、サンドイッチをもぐもぐと食べ始める。テスラもそれを見てからゆっくりと食べ始めた。