第一章 Ⅲ
「………は?」
テスラは聞き間違いだと思い、軽く小指で耳垢を取ってから、
「今、何つった?」
「だから、アレが終わるまでここに住む? って言ったの。結構暇なんだよね」
「暇とかそういう問題じゃねぇ気がするが……第一、親御さんに何て言うんだよ? こんな初対面の男連れてきて、二週間くらい家に泊める、って言ったら――」
「大丈夫。親はいないから」
テスラの言葉にアリスが被せて来たが、サラッと聞き流してはいけない言葉が聞こえた。
親はいない。
それはどういう事なのか。
「アリス、親御さんがいないって……」
「言葉の通りだよ。五年くらい前かな。パパとママは技術屋で、仕事だから、ってよく家を留守にしてたの。それである日帰って来なかった。いつか帰ってくる、そう思ってアインと一緒に過ごしてた。小さい頃から色々と技術を教え込まれてて、ボク自身の技術屋としての腕は少しずつ知られてたから、依頼をこなしながら……生計、だっけ? それを立ててたの」
「………………じゃあ、ずっと一人と一体ぼっちだったワケか」
沈黙がその場を包む。
その最中、テスラはアリスの態度に疑問を持っていた。
理由を語ったアリスはあまりに不自然なほど平静を保っていた。心を隠すのが上手いとか、開き直ったとかそういう問題ではない。
アリスは親がいない生活が、さも当然のようになっている。
だが、そう考えるようになるには、長い間その生活をしていなければならない。しかも物心がつく頃から。
それを考えていたテスラは、アリスに聞いてみることにした。
「アリス。ちなみに今何歳だ?」
「十歳」
「じっ…!? 学校とかは?」
「行ってないよ。お金無いし」
マジか……、とテスラは額に手を当てる。
年齢は容姿相応だから驚きが少なめで済んだが、学校に行ってないとはテスラにとって驚きだった。だが、アンダースラムに住んでいるからもしかして……いや無いだろう、くらいには考えていた。
国によって教育関係は違っている。テスラが知っている範囲だと、海を挟んだ列島にある東洋の国は六歳から九年間の義務教育期間があるらしい。
ザウラ帝国の義務教育期間は五歳から十年間の義務教育期間がある。これは戦争が始まってから増えたらしい。
「学校は行かねーとマズいぞ?」
「でも、今は出れないし」
「そういやそうだな………」
その時、テスラに電流が走ったように閃いた。
(なかなか良い案だが……アリスが条件を飲むかだな。まあギブアンドテイクだから飲むとは思うが)
「お兄ちゃんどうしたの?」
「あ? ああ」
とりあえず言わねーとな、と閃いた案を口にする。
「アレが終わるまで泊めてもらおうと思ってな」
とモニターに視線を向ける。モニターには先程より多くの人が集まっていて、バーゲンセールに群がる主婦達のような密集具合だ。
「だが、ただ泊めてもらうのも悪い。だからお前に学校で習う内容を教えようと思う」
「え~と、つまり、お兄ちゃんが授業してくれるってこと?」
「そういうことだ。可能ならお前の仕事も手伝えたら、とも考えている」
テスラがそう言うと、アリスはソファーから立ち上がり、
「……………………や」
「や?」
「やったぁぁぁああッ!」
「おぉう!?」
アリスがほぼノーモーションでテスラに飛びかかってきた。テスラは戦闘時の癖で身体をひねってかわそうとするが、アリスである事に気付き、なんとか受け止める。
「ったく、危ないな」
「あはは………ごめん。嬉しくて、つい」
「何で俺みたいな奴で喜ぶんだか」
テスラは抱えたアリスをソファーに座らせる。アインに持ってきてもらった水を飲んでからテスラは、
「アリス、お前御用達のこの状況で郵便を引き受けてくれる奴っているか?」
「いるけど……何で?」
「色々と送ってもらう。そいつの連絡先とここの住所、教えてくれ」
「ちょっと待っててね。どこにやったかな~」
とアリスはテーブルの方に向かっていき、ガサゴソと漁り始めた。テスラがアリスに向けていた視線を前に戻すと、アインが広げていた地図を丸めていた。ロボットでありながら随分と器用な事ができるものである。
「お前も大変だな、アイン」
思わずそう呟くと、アインが丸めている途中の地図を片手で戻らないように抑えながら、いやいやと手を左右に曲げた。本当によく出来ているロボットだ。
(ある程度の人工知能に、音声識別プログラムか………プログラム系を専攻してた俺でも作れないな。まあ、俺は機体制御系を中心に学んでたから、ジャンルが違うのか)
そんなことを考えていると、アリスから声がかかる。
「お兄ちゃーん、お待たせ~。こっちがここの住所でこれが郵便屋さんの連絡先ね」
「おう、サンキュー」
アリスが用意したメモを受け取ったテスラは通信端末で電話をかける。コール音が鳴っている最中にアインを見ると、テスラからの話は終わったと判断したのか、地図を丸め終えて片付けに行った。つくづくよくできたロボットである。
数回のコール音の後、電話が繋がった。
『はい、こちらザウラ帝国軍本部コールセンター』
と機械的なアナウンス音が聞こえてきた。
「親……ダグラス・ギルティニア総司令官に繋いでくれ。テスラ・ギルティニア少尉が話したい、と」
『声紋照合…………確認しました。少々お待ちください』
そこからしばらく、電子音のメロディーが続く。総司令官だから忙しく、電話に出る暇が無いのだろう。
そう思っていたら思いのほか、早く繋がった。
『ダグラスだ』
「あ、親父? 頼み事があるんだが」
『何だ? 早くしてくれ。レイが持ってきた洋菓子を食べたいんだ』
「やけに早く繋がったと思ったら、そういうことかよ。まあ、いいや。俺の有給休暇三ヶ月分残ってるって言ってたよな?」
『厳密には二ヶ月と二十六日だがな』
「今日から有給休暇一ヶ月取れないか?」
『取れるが……申請書はどうする? というか何故取るんだ?』
「今ジョイルのクソ野郎にリナをダシにスラムに呼び出されて、しばらく帰れそうにないから取りたい。申請書は………」
テスラは言葉を切り、端末のマイク部分を指で押さえて声が聞こえないようにすると、
「アリス、この家にファックス機能付きの電話はあるか? あったら番号教えてくれ」
「さっき渡したメモの裏に書いておいたよ。ちなみにファックスには紙が刺さりっぱなしだから、もーまんたい」
「もーまんたい?」
「問題なし、ってこと」
「ま、サンキュー」
メモを裏返して番号を確認すると、押さえていた指を離して番号を伝え、
「今の番号に申請書をファックスで送ってくれ。一時間以内に送り返す」
『どっかの家にいるのか。分かった、手配する。それだけか?』
「あと二つ程ある」
げっ、と声が聞こえ、うんざりした声で、
『早くしてくれ、紅茶が冷める』
「なら簡単に言おう。申請書と一緒にスラムの郵便屋の連絡先とここの情報を送るから、十歳用の教材を送ってくれ」
『教材? 何でまた』
スピーカー越しにズズズ、っとすする音が聞こえる。紅茶だけでも口にしたかったらしい。
「スラムから出れない間、世話になる代わりに教えることになってな。それで教材を送って欲しい。軍の教育課に言えばできるんだろ?」
『よく知ってるな。それも後で手配しよう。最後の一つは?』
「ジョイルが俺を呼び出したのは見当違いの復讐目的だろう。親父とリナも狙われる可能性があるから注意してくれ」
『確かにありそうだな。しかし、総司令官と少尉の会話じゃないな、これは。どう考えても息子のワガママを聞いてる親だ』
「親父が作った規律だろ? 『総司令官は貸し借りで兵士の頼みを聞く』ってよく分からない規律を作ったんだからさ」
『そうだな。今回ので貸しは……五つか。精々こき使わせてもらおう。最後にテスラ』
「何だ?」
『親父じゃなく総司令と呼べ!!』
ダグラスは大きな声でそう叫ぶと一方的に電話を切った。あの叫びには洋菓子を目の前に長々と話した恨みも含まれているのだろう。耳が痛い。
「……………………………………」
テスラが端末をしまうと、タイミング良くアインが紙を持ってきた。どうやらもう申請書が送られてきたらしい。
アリスにペンを借りて、申請書の空欄をテスラは埋め始めた。