プロローグⅡ
執務室に士官が駆け込む少し前。
自室を出たテスラは久しぶりに戻ってきた帝都をぶらぶらと歩いていた。時刻は正午過ぎ。街には活気が溢れていた。
ザウラ帝国の国土の中央に位置する帝都ザウレストは、中央に帝国軍本部があり、それを囲うように街並みが広がっている。街は複数のブロックに分かれていて、テスラがいるのは兵舎からほど近い商業ブロックだ。様々な品物が売買され、店側は売り上げの五%を土地代として国に納める必要がある。まあ、納めさえすれば誰でも出店出来るのが良い所だろう。
もちろんそれ以外の店もある。喫茶店やスポーツジム、銀行もあるこの商業ブロックは常に賑わいを見せている。
が、一部で妙な賑わいがあるのをテスラは見つけた。何かを中心に人がそこを避けている。テスラが行こうとしていた店はその中心がある店だ。無視は出来ない。
「ですから、まだ仕事が………」
「そんな事言わずに頼むよ」
近くまで来ると声が聞こえてくる。女性と男性の声で、二つともテスラには聞き覚えがあった。
「リナと……大尉?」
「あ、テスラくん。いらっしゃい」
「テスラ・ギルティニア少尉か。こんな所で何をしている?」
長い髪と手作り感たっぷりのエプロンを着ているのが青果屋の看板娘ことリナ・シュラン。軍服を着ている方がジョイル・モルゲン大尉だ。
「何をしてるって………大尉、そりゃこっちの台詞ですよ。大尉こそこんな所で何してるんですか」
「少尉には関係ない事だ」
と相変わらずの仏頂面でジョイルはテスラに言い切るが、リナが声を上げた。
「テスラくんちょっと助けて! この人さっきから食事に行こうってしつこいの」
リナは右手を持ち上げた。その右手はジョイルに掴まれている。
「………本当に何をしているんですか、大尉?」
テスラがもう一度ジョイルに聞いた。その声は怒気を孕んでいるのが分かる。
「この子と食事をしたいだけだ。で、ちょうどお昼時だ。私と食事に行かないか?」
「ですから! わたしには仕事があるんです!」
リナは掴まれている手を外そうとするが、ジョイルはしっかりと握っていて放そうとしない。振り解こうとして腕を動かしているリナの対応を見て、ジョイルがヒートアップする。
「この私が誘っているんだ! 黙って頷――」
「――いい加減にしろ、ジョイル・モルゲン!」
ジョイルの言葉をテスラが遮り、ジョイルの手首を掴んで握り締めながら少し捻る。不意の痛みにジョイルはリナを掴んでいた手を放した。
「くっ……ギルティニア少尉、何をしているのか分かっているのか?」
ジョイルが平静を装ってテスラに問い質す。だが、その表情は完璧に平静を装えていない。それを見破っているテスラはジョイルを鋭く睨みつけ、
「そうだなぁ………大事な知り合いに手を出そうとしている不埒な輩を捕まえている、っつうのは分かってるが?」
「それじゃない! 貴様がやっているのは上官反逆罪だ! それが分かっているのかと聞いている!」
「大事な知り合いを護るためなら罪の一つや二つ、犯してみせるさ」
「ならどこまでやれるか、私に見せてみろ!」
ジョイルは空いているもう一方の手でテスラの顔を殴りつけた。テスラは避けようとはせずに、そのパンチを頬に喰らう。だが、テスラは微動だにせず掴んだ手首を放していない。
「上等だぜ、ジョイルゥゥゥゥッ!」
†
「何をしているんだ!」
テスラとジョイルの殴り合いが始まって数分後、ダグラスを先頭にレイと士官がその場に現れた。ダグラスは叫びながら人混みを割って進んできたようだ。その額に汗が浮かんでいる。
「テスラくん落ち着いて!」
「ふむ………そこのお嬢さん。ギルティニア少尉とモルゲン大尉が殴り合っている理由をご存じですか?ご存じならば教えてもらえませんか?」
「え? ええ、いいですよ。実は………」
テスラを止めようと叫んでいたリナは、話しかけてきたレイに大まかに説明した。
説明を聞いたレイはリナに一礼すると、ダグラスに耳打ちし、指示を仰ぐ。ダグラスは額に手を当ててため息をつき、レイに止めろと指示を出す。
指示を受けたレイは殴り合っているテスラとジョイルの間に入り込み、それぞれの拳をいなして二人に足払いを仕掛けた。テスラは足を払われても手をついて飛び上がり何とか地面に着地するが、ジョイルは後頭部から地面に叩きつけられる。
「誰だ! ………って親父の秘書か」
「『総司令』の秘書です、ギルティニア少尉」
ズボンを叩きながら立ち上がり、テスラはダグラスとジョイルを見る。ダグラスは真っ直ぐにテスラを見ていたので、テスラもダグラスを真っ直ぐに見つめる。
先に口を開いたのはダグラスだった。
「さてテスラ、一応当人から聞いておくが、何故大尉と喧嘩していたんだ?」
「だが、リナから聞いたから止めたんだろ? なら俺から言うことは何もない」
「それを聞いた上でお前から聞くんだ」
「はいはい。で、喧嘩した理由ね………リナに助けを求められたから助けた。あ、リナってのは」
「テスラくん! こんなに怪我して……」
テスラとダグラスが一触即発の雰囲気で会話している最中に、リナはマイペースにテスラの怪我を店の中から持ってきたらしき救急箱から消毒液やガーゼを用いて手当てをしている。
「……こいつだ」
「……肝が据わっているのか、ただ天然なのか。まあいい。レイ、大尉の方は目を覚ましたか?」
「いえ、まだ覚ましそうにありません」
「叩き起こせ」
「了解しました」
レイは伸びているジョイルに馬乗りになると、両手に白い革手袋をはめて、
「……………………………」
無言でジョイルの顔を叩いた。顔も無表情のままで、ただ機械的にビシッ、バシッと連続で叩いている。テスラと野次馬、そして命令したダグラスまで引いている。
「……………………………」
「へぶっ、おぶっ、へばっ」
「おや、起きてしまいましたか。……失礼。やっと起きましたか」
叩くこと十回近く、ようやくジョイルは目を覚ました。その顔は腫れていて、テスラの攻撃以上にダメージがありそうだ。ちなみにレイの言い間違いはその場にいる全員がスルーしている。
ジョイルは周囲をキョロキョロと見回して、ダグラスの姿を確認すると、
「そ、総司令!?」
「おはよう、モルゲン大尉。こんな所で何をしているのかな?」
「総司令! 少尉が上官反逆罪を犯しました! 然るべき処置を!」
レイに馬乗りされたままでジョイルは叫ぶが、依然としてダグラスは冷たい目のままでジョイルを見つめている。
「それはそうだが………レイ、確か私は朝方にモルゲン大尉に報告書を出すように要請しなかったか?」
レイは小型の通信端末を取り出して、情報を見始める。目的の項目を見つけると、
「そうですね。昨日のネリダ防衛戦における詳細な報告書を出すようにとモルゲン大尉に要請しています。ですが、未だに提出されていません」
「そうか。で、モルゲン大尉。君は報告書を出さずに何をしているのかな?」
「そ、それは……昼休憩です」
「はぁ? 親父、大尉の昼休憩は街に出てナンパすることみたいだ。軍の規律だとどうなるっけ?」
「総司令と呼べテスラ。規律には『急務を要請されている際にそれを終わらせず軍部を出た場合、数ヶ月の謹慎処分とする』と『職務放棄し、街中でうろついていた場合、数ヶ月の謹慎処分とする』に加えて『自らの地位を悪用した場合、数ヶ月の謹慎処分とする』が当てはまるな。更に特別項目に『謹慎処分を短期間に三つ以上受けた場合、その者は懲戒免職処分とする』があり、『懲戒免職処分を受けた者は、最後に規律を破った瞬間より懲戒免職処分とする』だから、テスラに上官反逆罪は適用されない」
つまりはこういうことだ。
急務である報告書を提出せずにジョイルは軍部を後にし自らの地位を悪用したため、規律を三つ犯し懲戒免職処分。最後に地位を悪用したのはテスラがジョイルと殴り合う前だったので、テスラは市民と喧嘩したことになり上官反逆罪が適用されないのだ。
「ジョイル・モルゲン。本日付けで地位を剥奪及び除隊、そして三日以内に兵舎より退去を命ずる。これは決定事項だ」
「そ、そんな………」
ジョイルの表情がどんどん青ざめていく。終いには再び気絶してしまった。そこでようやくレイはジョイルの上から降り、ダグラスの隣に立った。
「総司令、報告書の方は別の者に提出するよう指示を出しておきます」
「頼んだ、レイ。テスラ、後で私の執務室に顔を出せ。いいな?」
「分かったぜ、親父」
「総司令と呼べテスラ」
そう言ってダグラスとレイは去っていった。残された士官はジョイルを担いでその後を追う。懲戒免職処分を受けたジョイルをとりあえず兵舎まで運ぶのだろう。
「……これでよし、っと。あれ? テスラくん、さっきまでここにいた人は?」
余程手当てに集中していたのか、リナは他の人が立ち去った事に気付いていなかったようだ。この様子では会話の内容も聞いてないだろう。
「帰った。リナはどこも怪我してないな?」
「うん。じゃあ、テスラくん中に入ろ? お昼まだでしょ?」
「ああ。午後からはいつも通り俺も働くからよろしく」
「なら、多めに作らないとね」
と嬉々としてリナが先に店の奥に入っていく。こんな会話も久々だ、とテスラもにこやかに入っていった。