第3話 記録されていないもの
――“記録の外にある”。
自分で口にした言葉の意味が、数秒遅れて実感に変わる。
「おい、離れろ!」
教官の怒鳴り声で我に返った。
倒れている生徒の周囲に人が集まりかけているのを、腕を広げて押し止める。
「触るな! 原因不明だ!」
正しい判断だと思う。
ただ、その“原因不明”に、俺は少しだけ心当たりがある。
近づく。
視界に、あの表示が浮かぶ。
対象:人間
状態:活動停止(原因不明)
固定:――
備考:記録整合中
変わらない。
いや、正確には――変化していない。
「……おい、アレン。何してる」
カイルが低い声で言う。
警戒しているのが分かる。
「見てるだけだ」
「それが一番信用できないんだよ」
「正しいと思う」
「同意するな」
会話が軽い。
場の空気と噛み合っていない。
だが、こういうときに慌てても仕方がない。
少なくとも、俺が今やるべきことは一つだ。
――確認。
「教官、少しだけ触ってもいいですか」
「駄目だ。原因が分からん以上――」
「分からないまま触るより、分かる可能性がある方がいいと思います」
「……」
数秒の沈黙。
判断が早い人だ。
「……最小限だ。異常を感じたらすぐ離れろ」
「分かりました」
膝をつき、倒れている生徒の腕に指先で触れる。
冷たい。
生きている温度ではあるが、どこか“止まっている”感じがする。
表示が更新される。
対象:人間
状態:活動停止(原因不明)
固定:未設定
備考:記録整合中
固定、未設定。
つまり、俺はまだ“これ”に干渉できる。
「……やめろ」
カイルの声が低くなる。
「それ、さっきと同じなら――」
「分かってる」
途中で遮る。
さっきは傷を固定した。
今は――
どうする。
固定するか。
しないか。
選択肢はそれだけだ。
だが、さっきと違うのは、この状態が“異常”だということだ。
原因不明。
整合中。
もしここで固定すれば。
「……」
考える時間は、長く取れない。
周囲の視線が刺さる。
教官も、判定官も、カイルも、あの少女も。
全員が、俺の次の行動を見ている。
それでも、結論はすぐに出た。
固定しない。
代わりに、もう一つ試す。
「観測」
小さく呟く。
意味があるかは分からない。
だが、意識を“見ること”に集中する。
状態を、細部まで認識する。
呼吸。
脈。
筋肉の緊張。
血の流れ。
すべてを“見る”。
すると。
表示の文字が、わずかに変わった。
状態:活動停止(外部干渉)
原因不明、ではなくなった。
「……変わった」
「何がだ!」
教官が詰め寄る。
「原因が、“不明”じゃなくなりました」
「は?」
「外部干渉です」
場の空気が凍る。
「外部、って……誰かがやったってことか?」
カイルの声が低くなる。
「そういうことになる」
「ふざけてる場合じゃねえぞ」
「ふざけてない」
むしろ、かなり真面目に考えている。
もしこれが“外部干渉”なら。
さっきの整合と繋がる。
誰かが、何かをしている。
そしてそれは、俺のスキルとは別の領域だ。
「……治せるのか」
教官が問う。
正しい質問だ。
そして、答えは――
「分かりません」
「今はそれでいい。やれ」
短い指示。
任された。
なら、やることは決まっている。
固定ではなく、“解除”。
そんな機能があるかは知らない。
だが、記録に干渉できるなら、その逆も理屈としては成立する。
表示に意識を向ける。
固定:未設定
ここではない。
状態。
活動停止(外部干渉)
この部分に、意識を集中させる。
変えられるか?
分からない。
だが、やる。
「……戻れ」
言葉に意味はない。
ただ、意識を向けるためのトリガーだ。
その瞬間。
何かが“引っかかった”。
ぎ、と。
見えない何かが軋む。
頭の奥が痛む。
初めての感覚だ。
「っ……」
「アレン!」
誰かが叫ぶ。
無視する。
もう少し。
あと少し。
“状態”に触れる。
動かす。
ずらす。
――結果。
対象:人間
状態:活動低下
固定:未設定
備考:記録整合中
「……変わった」
同時に。
「っ……はっ」
倒れていた生徒が、息を吸い込んだ。
ざわめきが爆発する。
「動いた!?」
「意識戻ってる!」
「おい、大丈夫か!」
教官がすぐに指示を飛ばす。
「担架を持ってこい! 医務室へ運ぶ!」
周囲が動き出す。
俺はその場に座り込んだ。
頭が重い。
だが、思考は妙にクリアだった。
「……お前」
カイルが覗き込む。
「今、何した」
「分からない」
「またそれかよ」
「でも、さっきよりは分かってる」
「どこまで?」
少し考える。
そして、結論を言う。
「俺のスキルは、“記録する”だけじゃない」
「は?」
「たぶん、“状態に干渉できる”」
カイルの顔が引きつる。
「それ、普通に危険じゃねえか?」
「そう思う」
「軽いんだよ!」
また怒られた。
だが、事実なので仕方ない。
壁際の少女が、腕を組んでこちらを見る。
「……あんたさ」
「何だ」
「それ、治したって言えるの?」
「完全ではない」
「じゃあ、何したのよ」
「“止まってる状態”を、少しだけ動かした」
「……意味分かんない」
「俺も」
正直だ。
分かっているのは、ほんの一部だけだ。
だが、それでも。
一つだけ確信できることがある。
「これは、俺のスキルだけの問題じゃない」
「どういう意味だ」
教官が戻ってきていた。
「外部干渉があるなら、原因は別にある」
「つまり?」
「この状態を作った“何か”がいる」
静寂。
誰もすぐには言葉を返せない。
当然だ。
それはつまり――
「敵がいる、ってことか?」
カイルが言う。
「可能性としては」
「可能性で済ませる話じゃねえだろ」
「まだ断定はできない」
断定できないものは、断定しない。
それが一番安全だ。
だが。
視界の端で、またあの文字が揺れる。
備考:記録整合中
整合。
まるで、“矛盾を修正している”みたいな言葉だ。
そして今、確信に変わる。
これは、ただの異常じゃない。
――誰かが、この世界の状態を操作している。
俺と同じように。
あるいは、俺よりも上位の方法で。
「……面倒だな」
思わず呟く。
「何がだ」
「俺以外にも、同じことをやってるやつがいる可能性が出てきた」
「軽いんだよ!」
また怒鳴られた。
仕方ない。
だが、それでも。
少しだけ、納得している自分がいる。
外れスキルじゃなかった。
それはもう確定だ。
問題は。
これがどこまで通用するのか。
そして。
どこまで踏み込んでいいのか。
答えはまだ出ていない。
だが、次にやることは決まっている。
――この“整合”を、もう一度観測する。
できれば、もっとはっきりと。
誰が、何をしているのか。
それを、記録するために。
「記録する」から「干渉する」へ。
少しだけ踏み込みました。
次は、“外部干渉”の正体にもう一歩近づきます。
たぶん、ここから少しずつ厄介になります。




