第2話 観測されているもの
治らない傷より厄介なのは、「説明のつかない整合」だ。
――そう結論づけてから、三分後。
「だから、なんでそうなるのか説明しろって言ってるんだが?」
教官が机を叩いた。
場所は訓練場の奥にある簡易室。俺は椅子に座らされ、向かいには教官と判定官、ついでにカイルまでいる。さっきの赤茶の髪の少女は、なぜか壁にもたれて見学していた。
人数が多い。
尋問の体裁だ。
「説明はしています。見たものを記録して、固定しただけです」
「その“固定”が問題なんだよ」
「はい」
「はいじゃない」
会話が成立しているのか微妙だ。
教官は額を押さえ、判定官に視線を送る。
「理論的にあり得るのか?」
「……スキルの詳細は個体差が大きく、前例がない場合は断言できません。ただ――」
判定官が俺を見る。
「“記録”という概念が、単なる保存ではなく“状態の定義”に関わるのであれば……」
「分かりにくい」
「簡単に言うと、保存ではなく“上書き”の可能性があります」
上書き。
それは近い。
だが、少し違う気もする。
「上書きではないと思います」
口に出すと、三人の視線が揃って刺さった。
「なぜそう言える」
「上書きなら、元の状態を消して新しい状態にするはずです。でも、さっきの傷は“変えた”というより、“そこから動かなくなった”感じでした」
「……固定か」
「たぶん」
「またたぶんか」
「今のところは」
教官は諦めたように椅子にもたれた。
この場で完全な説明を求めるのは無理だと判断したらしい。
代わりに、カイルが腕を組んだまま口を開く。
「要するに、お前は“壊れた状態を維持する”ことができるってことか」
「維持というより、記録された状態から変化しなくなる」
「同じだろ」
「違うと思う」
「どう違うんだよ」
「……維持は、元に戻そうとする力に抵抗する感じです。でもこれは、戻そうとする動き自体が成立していない」
沈黙。
誰もすぐに理解できなかったらしい。
壁際の少女が、ぼそっと言った。
「治そうとしてるのに、“治るって結果”が存在しない、ってこと?」
それだ。
言語化としてはかなり正確だ。
「近い」
「近いって何よ、そこは肯定しなさいよ」
「完全には分かってないから」
「めんどくさい男ね」
めんどくさいと言われた。
否定はできない。
教官が手を打つ。
「いい。理屈は後回しだ。もう一度試すぞ」
外に戻される。
さっきの藁人形はそのまま残されていた。右肩の傷は、まだそのままだ。
教官が新しい木剣を手に取り、今度はわざと大きく斬りつけた。
深い裂傷。普通ならすぐに修復が必要なレベルだ。
「治癒」
判定官が短く唱える。
光が傷を覆い――消えない。
「……やはりか」
周囲の空気がまた重くなる。
今度は“偶然ではない”という確信付きだ。
教官が俺を見る。
「アレン。もう一度、同じことをやってみろ」
「分かりました」
藁人形に触れる。
表示が浮かぶ。
対象:木製人形
状態:左胴部裂傷・深
固定:未設定
さっきと同じ。
違うのは、俺が“これをどう扱うか”を少しだけ理解していることだ。
固定に意識を向ける。
設定。
ぎし、と空気が軋むような感覚。
目には見えないが、何かが“定まった”。
「もう一度、治癒」
光が傷を包む。
変化はない。
完全に固定された。
「……本当に治らない」
誰かが呟く。
恐怖に近い響きだった。
カイルが近づき、傷口をじっと見る。
「これ、戦闘で使われたらまずいだろ」
「まずいと思う」
「他人事みたいに言うな」
「実感が薄い」
「お前なあ……」
カイルが頭を掻く。
理解はしているが納得はしていない顔だ。
そこへ、さっきの少女が割り込んできた。
「ねえ、それってさ」
彼女は俺ではなく、藁人形を指した。
「“見えてるもの”にしか効かないんじゃない?」
「どういう意味だ」
教官が眉を寄せる。
「だってさっき、あんた“見たものを記録する”って言ってたでしょ。じゃあ見えてない部分は?」
俺は一瞬だけ考えた。
そして、藁人形の背面に回る。
触れる。
表示が変わる。
対象:木製人形
状態:背面損傷なし
固定:未設定
なるほど。
視界に入っていない部分は、別扱いらしい。
「試していいですか」
「やれ」
俺は背面を記録し、固定する。
そのまま前に回り、教官に言った。
「前をもう一度斬ってください」
「……こうか」
教官が同じ位置を斬る。
深い傷が入る。
だが、背面には影響がない。
当たり前だ。
さっき固定したのは“背面の状態”だから。
問題はここからだ。
「治癒、かけてください」
光が広がる。
前面の傷は――
「……浅くなった?」
完全には消えないが、さっきより回復している。
つまり、
「固定していない部分には、影響が出る」
口に出すと、全員の理解が一段進んだ顔になる。
「全部を固定しているわけじゃない、ってことか」
「はい」
「じゃあ条件は“観測している範囲”か」
観測。
その単語が、妙にしっくりきた。
「たぶん、それです」
「だからたぶんって言うな」
「今のところは」
また怒られた。
だが、重要な点は見えた。
――このスキルは、見ている範囲しか扱えない。
逆に言えば。
「見えていれば、扱える」
呟くと、背後で誰かが息を呑んだ。
振り返る。
赤茶の少女だ。
彼女はじっとこちらを見ている。
さっきとは違う、少しだけ鋭い目だ。
「……それ、やばくない?」
「やばいと思う」
「軽いのよ」
軽いと言われた。
だが、実際まだ実感は薄い。
ただ一つ確かなのは、このスキルは“帳簿用”ではないということだ。
教官が深く息を吐く。
「アレン、お前のスキルは一旦、特別管理に回す。勝手に使うな。いいな」
「分かりました」
「分かってなさそうな顔だな」
「気をつけます」
気をつける。
何をどう気をつけるのかは、まだ分からない。
だが一つだけ、気になることがあった。
さっきから、表示の最後に出るあの文。
備考:記録整合中
整合。
まるで、この世界のどこかで“帳尻合わせ”が行われているみたいな言い方だ。
そのときだった。
訓練場の入口で、誰かが倒れた。
「おい!?」
ざわめきが走る。
近くにいた生徒が駆け寄る。
倒れているのは、別の組の男子だった。
顔色が悪い。呼吸も浅い。
「急に、動かなくなって……!」
教官がすぐに指示を飛ばす。
「離れろ! 治癒を――」
光が降りる。
だが。
「……効かない?」
さっきと同じ言葉が、別の意味で響いた。
俺は一歩、近づく。
触れていないのに、表示が浮かぶ。
対象:人間
状態:活動停止(原因不明)
固定:――
固定は、されていない。
なのに。
回復しない。
視界の端で、またあの文が揺れた。
備考:記録整合中
――これは、俺のせいじゃない。
そう思った瞬間、別の疑問が浮かぶ。
じゃあ、これは何だ。
誰が、何を“整合”している。
そして、俺のスキルは――
「……同じじゃない」
小さく呟く。
「何がだ?」
カイルが問う。
「これは、“記録されていない”んじゃない」
言葉を選ぶ。
「“記録の外にある”」
その瞬間、背筋が冷えた。
たぶん今、初めて本当に理解した。
俺のスキルは、“便利”じゃない。
――これは、触れてはいけない領域に繋がっている。
そして。
この世界には、すでにそこに触れている何かがいる。
「使い方」が少し見えてきた代わりに、「使ってはいけない気配」も出てきました。
次話では、倒れた生徒の件をきっかけに、アレンが初めて“自分のスキル以外の異常”に踏み込みます。




