第1話 外れスキル『記録』
違和感から始まる、少し不思議な物語です。
戦いよりも「理解」が鍵になります。
ゆっくりでも読み進めていただけたら嬉しいです。
傷が、塞がらなかった。
さっきまで騒がしかった訓練場が、水を打ったように静まっている。
目の前では、木剣で切っただけのはずの浅い裂傷を見て、教官が青ざめていた。
「……おい。なんで治癒が通らない」
その問いに答えられる者は、たぶんこの場にはいない。
少なくとも、俺以外には。
まあ、俺も正確には分かっていないのだが。
ただ一つだけ言えるのは、たぶんこれは――俺のせいだ。
王立育成院のスキル判定の日は、人生が決まる日らしい。
貴族も平民も関係なく、十五歳になった子どもたちはこの日に“神から与えられた才”を測られる。
剣術、魔術、治癒、錬成。強いスキルを持つ者は将来を約束され、弱いスキルを引いた者は静かに人生設計を修正する。
そして俺、アレン・クロードが授かったのは――
「スキル名、『記録』」
水晶板を覗き込んでいた判定官が、微妙な顔でそう告げた。
その瞬間、周囲の空気が「はい解散」と言った。
「記録ぅ?」
「日記でも書いてろってことか?」
「また珍妙なのが出たな」
笑い声が起こる。
別に腹は立たない。役に立たないと思われるのは、まあ普通の反応だ。
実際、説明文もひどかった。
『対象の情報を記録する』
以上。終わり。
雑にもほどがある。
判定官が咳払いする。
「えー……見たもの、触れたものなどの情報を残す補助系統かと思われます。学術、帳簿、管理業務では役立つかもしれませんな」
役立つ“かもしれない”。
つまり、よく分からないということだ。
横から鼻で笑う声がした。
振り向くと、同じ組のカイルが腕を組んで立っている。短く刈った金髪、まっすぐな目、いかにも正統派の優等生だ。判定結果は『剛力』。似合いすぎて笑える。
「補助ですら怪しいな。戦場で帳簿でもつけるのか?」
「必要なら、つけるかもしれない」
「真顔で返すなよ」
こいつは嫌なやつではない。ただ、正面から殴るタイプの強さしか信じていない。
だから俺みたいなのは、だいたい理解の外に置かれる。
別にそれで困らない。
困るとしたら――俺自身が、このスキルの使い方をまだ掴みきれていないことだ。
判定のあと、希望者だけが簡単な適性訓練を受ける流れになった。
要するに、「当たりを引いたやつはその場でもう一回輝ける時間」である。外れ枠の俺が混ざる必要はないのだが、帰る理由もなかった。
教官が訓練用の藁人形を並べ、順番に前へ出ろと促す。
炎が上がる。風が走る。歓声が起きる。
分かりやすくていい世界だ。結果が目に見える。
俺の番が来たとき、周囲の期待値は地面に落ちていた。
「アレン、お前も何か試してみろ。……まあ、無理にとは言わんが」
「試します」
前に出る。
藁人形に手を触れ、意識を向ける。
すると、頭の奥に妙な感覚が走った。
紙に文字が染みるような、冷たい感覚。
たぶんこれが“記録”だ。
視界の端に、誰にも見えない文字列のようなものが浮かぶ。
対象:訓練用藁人形
状態:右腕部損耗・軽
固定:未設定
固定。
さっきも見た単語だ。
寮の部屋で机に触れたときにも、同じ表示が出た。意味が分からなかったので放置していたが――
「おい、何も起きてないぞ」
「だから言ったろ、外れだって」
野次が飛ぶ。
気にしない。俺は藁人形を見たまま、表示の最後に意識を向けた。
固定:設定
その瞬間、藁人形の右腕が、ぎし、と不自然な音を立てた。
「……?」
教官が眉をひそめる。
俺も首を傾げる。派手な変化はない。やっぱり失敗かと思った、その直後だった。
前の組で剣を打ち込まれていた藁人形の右腕が、ぽきりと折れた。
いや、折れたというより――“そこから先に壊れなくなった”という方が近い。
一本、二本、三本。
次の訓練生が剣で叩いても、同じ位置で衝撃が止まる。まるで、その損傷状態が正解として固定されたみたいに。
「なんだこれ!?」
「壊れ……ない?」
「いや、壊れてるのか?」
ざわめきが広がる。
教官が藁人形を調べ、真顔になる。
「……アレン。今、何をした」
「記録、だと思います」
「分からんことを分かったように言うな」
「はい」
怒られた。
しかし事実なので仕方ない。
教官は深いため息をつき、別の藁人形を持ってこさせた。
今度は木剣で浅く切れ目を入れ、回復役の生徒に治癒魔術を使わせる。
普通ならすぐ元に戻る程度の傷だ。
だが、俺がさっきと同じように表示を見て、固定を設定すると――
「……あれ?」
治癒役の女子生徒が呆けた声を出す。
傷が、残ったままだった。
「もう一度」
「は、はい!」
淡い光が傷口を包む。
それでも傷は消えない。
訓練場が静まり返る。
教官が自分で治癒魔術をかけた。
消えない。
判定官まで呼ばれてきて、何やらぶつぶつ言いながら魔力を流し込んだが、やはり消えなかった。
傷は浅い。命に別状はない。
問題はそこではなく、“治るはずのものが治らない”という現象そのものだ。
全員の視線が俺に集まる。
ひどく居心地が悪い。
だが、不思議と嫌ではなかった。
これだけは、はっきりしている。
やっと一つ、意味のある結果が出た。
「アレン」
教官の声が低くなる。
「お前のスキル、もう一度説明してみろ」
「見たものか触れたものの情報を記録します」
「記録したらどうなる」
「……たぶん、記録された状態から動きにくくなります」
「たぶんで語るな」
「今のところ、たぶんです」
笑いは起きなかった。
代わりに、妙な緊張だけが広がった。
カイルがさっきまでとは違う目でこちらを見る。
「お前、それ……補助じゃ済まないんじゃないか?」
「まだ分からない。再現できるかも不明だし」
「そこで冷静なのが気味悪いな」
気味悪い。
よく言われる。
昔から、何かを失くした直後みたいな顔をしている、とも。
何を失くしたのかは、俺にも分からない。
分からないが、たぶん俺はずっと、何かが“足りていない”感覚だけで動いている。
だからだろうか。
人よりも、目の前の現象の方が信用できる。
感情より整合性の方が静かで、扱いやすい。
教官は藁人形の傷を見つめたまま、低く言った。
「本日はここまでだ。アレン、お前は残れ」
面倒な流れになってきた。
たぶん質問攻めにされる。
だが、それより気になることがあった。
さっき表示された文字列。
傷の固定を設定したとき、一瞬だけ最後に妙な文が混ざったのだ。
対象:木製人形
状態:右肩部裂傷・浅
固定:設定
備考:記録整合中
整合中。
そんな文言、最初にはなかった。
記録するだけのスキルにしては、言葉が妙だ。
まるでこの世界そのものが、何かの帳尻を合わせているみたいで。
訓練場を出ようとしたとき、不意に後ろから声が飛んだ。
「あんたさ」
振り向くと、赤茶の髪を後ろで雑に結んだ少女が、柵にもたれてこちらを見ていた。
同じ組にいたはずだが、名前は知らない。判定のとき、妙にこちらを見ていたのは覚えている。
彼女は俺を指さして、はっきり言った。
「そのスキルも変だけど、あんた本人もかなり変だよ」
「よく言われる」
「褒めてない」
「知ってる」
少女は一瞬だけ呆れ、それから少し目を細めた。
「でも、さっきのは見た。みんな傷を見てたけど、あんただけ別のもの見てたでしょ」
心臓が、わずかにだけ脈打つ。
今のは、聞き流せない。
「……何のことだ」
「それを聞きたいのはこっち。ねえ、あんた――いったい何を“記録”したの?」
初めてだ。
現象ではなく、その先を見ようとした人間は。
面倒そうだと思った。
同時に、少しだけ助かるとも思った。
俺一人では、このスキルが何なのか、たぶん全部は追えない。
そしてもう一つ。
もし本当にこの世界が“整合”されているのだとしたら――
記録しているのは、俺だけじゃないのかもしれない。
たぶん、何かが始まっている。
問題は、それが俺にとって都合のいい話なのかどうかだ。
今のところ、一つだけ確かなのは。
外れスキルと笑われた『記録』は、少なくとも日記帳ではなかった。
外れ扱いの『記録』が、少しだけ“普通ではない”ところまで来ました。
次話からは、アレンがこのスキルをどう試し、どう疑い、そして最初に誰と組むことになるのかが動き出します。
治らない傷より厄介なのは、たぶん「説明のつかない整合」です。
当面の間は1日3話を投稿予定です。
ブックマークしてお待ちください。




